第三話 若きシエクタと英雄の卵
初夏のランガス村で俺は鍬を片手に畑を耕しいている。
トウモロコシは痩せている土地でも作付けできるらしいが、旨いトウモロコシを作るには、畑作り、つまり、土作りが重要だ。
家畜の糞尿と土を混ぜてひっくり返す事で栄養価の高い土壌ができるらしいが、それにはこのニオイに耐えなくてはならない。
顔を顰めながらも、俺は文句も言わず家のトウモロコシ畑を耕す。
それが俺の今の仕事なのだから仕方ない・・・
尤も、文句を言ったところで、今、応えくれるのは優雅に空を飛んでいる烏ぐらいだ。
俺は朝から上半身裸になって畑を耕し、予定していた場所を終えて、今は少し昼休みを取っていた。
汗が引くのを待ちつつ、どこまでも蒼い空を眺める。
言うまでも無くこのランガス村は田舎である。
住人は三千人ぐらいいるらしいが、その程度の人口ではこの広大な畑で人と出会う機会も殆どなく、あの賑やかだった中等学校の生活が少しだけ懐かしく思う俺だった。
中等学校を卒業してから早くも三年が経過している。
俺の年齢はもうすぐ十八歳になろうとしているので、仕事をしていると時の経つのが早いものだ。
中等学校卒業後に受けた警備隊の採用試験を落ちた俺は、こうして親父のトウモロコシ畑で働いている。
しかし、あれで警備隊に成る事を諦めたのかと問われると、否だ。
警備隊の採用試験は一年に一回しか受けられない決まりがあるが、俺は毎年受け続けているし、まだ夢を諦めた訳じゃない。
俺は体力には自信があるし、戦士としても一端の腕前を持っていると自負している。
しかし、採用試験は体力だけが全てじゃないのだ。
法律の事や魔法の知識、簡単な計算など、最低限の教養が警備隊員としても要求される。
俺はその試験に落ち続けているのだ。
「畜生め。剣や体力比べだけの試験ならば、俺は誰にも負けないのに・・・」
誰も居ないのをいいことにそんな負け惜しみを言う俺。
通常ならば、それはただの負け惜しみ・・・そんな俺に、後ろから声がかかった。
「未来の英雄って、こんなところで腐っているの?」
女性の声で俺はハッとなって後ろを振り返ると、ふたりの高等学校の女子生徒がこちらを指差して笑っていたのだ。
「エルアと・・・えーっと・・・シエクタか?」
俺はシエクタが一瞬誰だか解らなかった。
それは、彼女の事が解らないほどに大人びて綺麗になっていたからだ。
エルアの方も少しだけは身長が伸びていたが、シエクタほど大きく印象が変わっていない。
エルアは良くも悪くもランガス村の村娘だ。
しかし、シエクタの方は・・・何と言うか・・・そう『姫』だな。
長くて美しい金色の髪がランガスの風に揺れて、普通の村人じゃ見られないような美人になっていた。
彼女達はこの村唯一の高等学校に通っているので、中等学校卒業以来、俺も仕事ばかりで会ってはいない。
こうして会うのは本当に三年ぶりぐらいだろうか。
「ロイ、久しぶりに会うわね・・・・・・それにしても臭うわ」
シエクタは肥料の匂いにその美しい顔を顰めた。
俺は少し恥ずかしくなり、そっと肥しの入ったバケツを後ろに隠したが、そんな程度で匂いが無くなる筈もなく、無駄な努力だった。
「すまねえ、肥料をやっている最中だ・・・ それにしても、シエクタとエルア、久しぶりだな。今日は学校どうした?」
お姫様のようなシエクタが顔をしかめている原因を作ってしまった俺は自分の事が恥ずかしく思い、こうして話題変更に努める。
今日は平日なので普段ならば授業があるはず。
真面目な彼女達が授業を抜け出して遊ぶなんて考えられなかった。
尤も、こんな片田舎で遊ぶ事などほとんど無いのだが・・・
「今日は午後から『商隊』が来るのよ」
シエクタのその一言で、俺は大体の理由を察した。
このランガス村には年に数回、大規模な商隊が城塞都市ラフレスタからやって来るのだ。
そして、その日は様々な物資の取引が成されるので、学校は休みになり、村人総出で商いに駆り出される。
シエクタも実家がこのランガス村唯一の商会であり、商隊を歓待するのに動員されることがあると昔聞いた事があった。
今日、その商隊が来る日なのを、すっかり忘れていた俺だったりする。
きっと、親父やお袋、兄弟達はいろいろな商品を準備しているだろうし、都会のラフレスタからもいろいろな娯楽や趣向品がやって来るので、それを求めて村中がお祭りのようになるのだ。
しかし、俺はこういう事にあまり興味が無いので、気にしていなかったのだ。
「そうか。今日はその日だったか・・・道理で誰も仕事を手伝ってくれなかったんだな」
俺はそうぶっきらぼうに応えると、シエクタは俄かに笑った。
「まったく、ロイらしいわね」
シエクタは、この受け答えの一体何が俺らしいと思ったのだろうか?
よく解らないが、まあ、俺もあまり細かい事を気にしない性格なので、もういいや。
「それにしても久しぶりね。すっかり野良仕事が板について・・・もう、『英雄』になるのを諦めたのかしら?」
「莫迦を言うな。こう見えても俺はまだ採用試験を受け続けているんだぜ」
「あら、意外ね。普通なら二年もすると諦めるのに」
フフフと笑い合うシエクタとエルア。
何だか小莫迦にされたようで癪だが、確かに二年も続けて落ちれば、大半の人間は自分に適正なしとして諦めるのだと言う。
試験官の人がそう言っていた。
「俺は諦めが悪いんだよ。それに力はこのとおり、現在でも誰にも負けねえからな!」
俺はそう言って、筋肉を見せつけてやる。
上半身裸なので、なかなか様になっている筈だ。
どうだ!
「暑苦しいわね」
ポーズを決める俺をシエクタはバッサリと切りやがった。
ち、ちくしょう・・・
「どうせロイの事だから筆記試験が駄目なんでしょう? 初等学校から中等学校までロイは法律や魔法学の勉強は全然ダメだったからねぇ」
「く・・・そのとおりだから、ぐうの音も出せねぇ」
シエクタは初等学校からの知り合いだから、俺の弱点をすべて知ってやがる。
くっそう・・・
「特に魔法が苦手なんだよなぁ・・・詠唱なんか全然覚えられねぇし」
「まったく、ロイは昔から物覚えが悪いんだから・・・」
シエクタはそう言うと、何かを思い出したようにカバンの中に手をやった。
そしても徐に出したのは小さい手帳だ。
「これ、あげるわ。私の魔法詠唱の勉強帖よ。中等学校の頃から使っていたけど、もう全部覚えているから、私には不要なのよね」
「え? いいのか?」
俺は目を丸くして彼女からの勉強帖を受け取るべきか迷った。
紙はそれなりに高価だったし、何よりシエクタが中等学校から使っているものを貰うのが、何だか悪いような気がしたからだ。
しかし、俺が遠慮している事が解ると、彼女からやや強引にそれを押し付けられた。
「いいから、これを使って勉強しなさい。これでまた落ちるようだったら赦さないからね」
「・・・やべぇなあ。でも、助かった。頑張るぜ」
俺は少し恥ずかしくなって、手元近くにあったトウモロコシをふたつ収穫して彼女達に渡した。
「これはお礼だ。多分、一番旨いぜ。臭い肥料ほど甘くなるんだよ」
そう言ってシエクタとエルアに持たせた。
臭い肥料の匂いが残っていて、明らかに顔を顰めるふたりだったが、それでも受け取ってくれた。
俺は、次の警備隊の試験はどうしても落ちる事は出来ねぇな、と思うことになる。
こうして、試験までのあと二週間、俺はこの魔法詠唱の勉強帖を片手に、生まれて初めて必死に勉強する事になっちまったのだ。