第九話 甘いモノと蒼い魔女の話し
「・・・本当にありがとうございます」
私の前で小さくなっているのはリーナである。
修練の場で存外に頑張りを見せた彼女だったが、その時に運悪く現れたデリカスに目を付けられることになってしまった。
噂によるとデリカスは女性魔術師好きである。
しかも強い魔術師こそ彼の好みであるらしく、警護として四六時中自分の周りに侍らせているらしい。
デリカスの周辺にいた七人のローブ姿の女魔術師もそうのだろうか・・・
そんな彼の趣旨にリーナの魔法力が目に留まったのだろう。
彼女を引き抜こうとされた訳だが、それを阻止したのが私である。
「気にしないで欲しい。君とは私の周囲で仕事すると契約をしている。私はその約束を守ったまでだ」
私は何でもないとリーナに応えた。
彼女としてもデリカスに対しては何らかの生理的な嫌悪感を感じていたのだろうか、その後もリーナからは絶対にデリカス側へ引き渡さないで欲しいと再三の要望があった。
「安心してくれ。リーナを他の人には絶対に渡さないから」
そんなことを言って、私はアレっと思う。
その口調は恋人か何かを守るようなモノでもあり、今回の口上では相応しくないか・・・そう思い、私は何か別の言葉がないかと考えていたら、リーナの顔が真っ赤になっていた。
「おお、リーナも満更じゃないようだ。良かったなグレイ」
ヒューゴがハハハと笑いながら茶化している。
煩いヤツだ。
リーナが初心だから、揶揄って遊んでいるようだ。
私にはその気はない・・・筈だ。
確かにリーナは可愛くて守りたくなるような女性でもあるが、私は既に婚約者がいる。
それに、もしこの事が婚約者のイザベラにでもバレたら・・・それは恐ろしい事になるだろう・・・
私は自分にそう言い聞かせ、顔を振り、少しだけ生じた邪な考えを脳裏から追いやる。
「まったく・・・グレイ様は勇敢なのか、それとも莫迦なのでしょうか。まぁ、私としては偉そうにしているデリカス様達に一泡食わせれば、それはそれで気持ちいいんですがね」
そんな事を軽々しく言ってくれるのはアラン・ウェルツだ。
現在、私達は訓練を、アラン側は傭兵の面接を終えて、その報告がてら一緒に酒場へと集合し、食事をしているのだ。
「まったく軽々しく言ってくれる。どうせ私は連中から煙がられている存在であるから、この先どうなろうと構わんが・・・君達までそんなところを見習わないで欲しい。デリカス卿はあれでも旧貴族の重鎮なのだ。目の敵にされれば只では済まないぞ」
「その言葉をそっくりそのまま貴殿に返すよ」
そう言って私に向かって乾杯したのはヒューゴだ。
そして、彼は大きなジョッキに注がれたエールをグビっと男らしく一気に飲み干した。
「まぁ、精々気をつけよう」
私もそう応えて、自分のエールに少しだけ口を付けた。
今日は付き合いで飲んでいるが、私はあまりアルコールが得意ではなく、エールも普段からあまり飲まない。
独特の苦みに眉をひそめていると、それを見ていたリーナがクスっと笑った。
「グレイ様って、その・・・全然、威厳が・・・いや、親しみやすい人ですね」
「何を言い直しているんだ、リーナ。私は普通の人だ・・・それよりも、ホラ、約束どおりの甘いモノを食べよ」
私はタイミング良く運ばれて来た熱々のアップルパイを彼女に勧めた。
リーナはそれに目を輝かせ、明らかにテンションが上がっている。
先程まで私に迷惑をかけてシュンとしていたのが嘘のようだ。
遠慮なくアップルパイに手を伸ばしたリーナは、それをひと切れ口に入れてご満悦の様子。
「キャー! 念願の甘いモノ!! 私はグレイ様に一生ついて行きますよー」
「ああ、こんなもので良ければ、いつでも御馳走してあげるさ」
私もそんな軽口を言ったが、アランは現金なリーナを見て明らかに呆れている。
「グレイ様、駄目ですよ、そんなこと言ったら。この女は本当に野良犬のように貴方についていくかも知れませんよ」
「アランも酷い事を言うな。リーナとは訓練を頑張れば御馳走してやると約束したのだ。実際にリーナは頑張った。あの風の魔法はすごかったぞ」
「えへへ」
リーナは曖昧に笑う。
慌てて食べたのか、頬にアップルパイの片辺が付いていたから、美人が台無しだった。
「うむ、今思い出してみても、やはりアレは普通の突風の魔法というレベルでは無かったな。リーナよ、其方はどこかで魔法を習っていたのか?」
ヒューゴも彼女の魔法を思い出し、称賛する。
「い、いえ・・・私はちょっと魔法の制御が下手でして・・・」
急に居心地悪そうに言い訳するリーナ。
「そう卑下することも無かろう。こんな時代だ。私は力を持つことは悪い事ではないと思うぞ。リーナは他の魔法も使うことができるのだろう? 私も同じ魔術師だから何となく解るのだ」
私は少しだけ吹っ掛けてみることにした。
私が魔術師である事は確かなのだが、それで他人の持つ魔法の属性が全て解るならば苦労はしない。
それでも、ここで堂々とした私の虚勢が功をきたす。
「実は・・・私・・・風以外にも魔法が」
リーナそう言い、掌を私達だけに見えるように掌をかざす。
それから現れたのは、小さな炎・・・水の玉、石の塊、氷の塊、光の玉、闇、雷・・・
次々と属性を変えるそれは、魔法で表現できるすべての属性だった。
我々は・・・声を失う。
「す、すごいな、リーナは、天才じゃないか!」
少し経ってから、私は手放しに彼女の魔法を称賛した。
ヒューゴとアランはまだ口があんぐり空いたままだ。
それは当たり前で、普通の魔術師はひとつの属性しか使えないのがあたりまえであり、稀にふたつ、三つ属性が使える者がいるぐらいだ。
四つを越えると、もう上級・・・ベテランの領域である。
そして、今見たように、火、水、土、風、氷、光、闇、雷などの全属性が使える魔術師なんて、私も初めて見た。
天才なんてものじゃない。
「いえ、私・・・でも制御が苦手で、属性だけは全部使えるのですけれど、風以外は苦手なのですよ。それに、私は今までこの魔法が全部使えたことであまり良い思い出が無くて・・・皆さんは信用できそうなので、正直に言いましたけど・・・絶対、内緒にしておいてください」
リーナはそんな事を小さい声で言う。
彼女としても過去にこれを他人に見せて、いい思い出が無かったのだろう。
私は「解った。このことは私達の中で内緒にしておこう」と約束する。
アランやヒューゴも驚きから再起動を果たし、私の約束に追従してくれた。
「それにしてもすごいね。リーナさんは。まるで『蒼い髪の魔女』のようじゃないか」
アランは急にリーナからリーナさんに呼び方を変えて、そんな事を聞く。
それにはリーナが顔を顰める結果になった。
「それだから嫌なんです。私も変な勘違いをされてばかりなんですから」
彼女は不機嫌になる。
どうやら『蒼い髪の魔女』という単語には嫌な思い出があるらしく、私もその単語には少し引っかかりを感じていたのだ。
「そう言えば、『青い髪の魔女』とは何者の事だろうか。デリカス卿もそんな事を言っていたようだが・・・」
「あ、グレイ様が知らないのも当然かも知れませんね。最近、このマース領で有名な話しなのですよ」
アランはそう言い、私に『蒼い髪の魔女』の話しをしてくれた。
「その事件はマース領の田舎、クルセット村で起こりました・・・」
―――平和なクルセット村に、ある日、突然、ひとりの魔女がやってきました。
その魔女がどこからやって来たのかは誰にも解らなかったのですが、とても空腹で今にも死にそうでした。
そんな魔女を不憫に思い、親切な村人のひとりが彼女を助けました。
やせ細った魔女を自分の家に泊め、食事を与えたのです。
その魔女は自分に食べ物を与えてくれた事をとても感謝し、お返しに願いをなんでも叶えると約束してくれたのです。
初めは遠慮する村人でしたが、それでもと言われ、彼は無理を承知で金銀財宝が欲しいと言いました。
この言葉に魔女は頷き、その程度で良ければと、家の庭に魔法を掛けます。
そうするとどうでしょう、庭にあるものがすべて金銀財宝へと変わりました。
村人はびっくり仰天し、そして、喜びました。
それを見ていた隣の住民は羨まくなり、自分も同じように金銀財宝が欲しいと魔女に言います。
魔女は食べ物を与えてくれるのならばと言い、それを貰った報酬に隣の住民にも同じ事をしてあげました。
隣の住民も金銀財宝が手に入り、とても喜びました。
そんなことは村中ですぐに噂が広まり、次々と同じような事をする人が続き、村はとても豊かになりました。
村人達は喜んでいましたが、これを面白く思わない人も出てきました。
それはクルセット村の村長です。
彼は多額の金品をばら撒いて村長になった男であり、それをほぼ無償で与える魔女の存在が気に入らなかったのです。
村長は巧みな嘘をついて、魔女を監禁し、そして、殺そうとしました。
しかし、ここで魔女が怒ります。
彼女の怒りによる業火の魔法は凄まじく、村長の家はおろか、村全体へとその炎が広がりました。
こうして、クルセット村は全滅しました。
多くの人が死んでしまいましたが、それでも数人は逃げることができました。
残された村人は口々にこの魔女の危険性について語ります。
そんな魔女の名前は解らず、謎の女性でしたが、特徴がひとつだけありました。
それは長くて蒼い髪をしている事です。
この『蒼い髪の魔女』を見れば、気を付けろ。
そして、絶対に食べ物を恵んでは駄目だ。
その魔女は人間の欲につけ込み、その欲に染まった人間は絶対に滅ぼされるぞ―――
「そんな、話しですね」
アランはそう締め括る。
「なるほど。興味深い話だが、それは実話かな?」
私は御伽噺の様な展開にまずその真実性を疑う。
「真偽の程は良く解りませんが、クルセット村が半年前に全滅した事は確かです。生き残りも居て、口々に似たような事を言っているので、全くの嘘話しではないと思いますが・・・」
「思いますが、とは?」
「その村の村長は前々から黒い噂が絶えない人物でした。影でいろいろと悪い事をしてきた人物らしいです。彼に恨みを持つ者も多いようで、今回の一件はそんな誰かに報復を受けたのではないか? とも言われています」
「・・・つまり、その実は組織的な犯罪であり、それを魔女の犯行のように見せかけたと」
私の言葉にアランは頷く。
なるほど、良くある話しだ。
過去より魔女は悪の化身として御伽噺に出てくる存在である。
魔女が犯人として事件を煙に巻く犯罪は過去から数えきれないぐらいあるものだ。
「それで、犯人はつかまったのか?」
私の問いにアランは首を横に振る。
「いいえ。蒼い魔女も、それを隠れ蓑にした犯罪も、両方を警備隊で捜査しているようですが、まだ何も成果は得られておりません。もう半年以上経っていますので、これは迷宮入りの事件でしょうね」
「なるほど。殺された人にとってはたまらないだろうが、残念ながら同じような事件は帝国内では時折起こることでもある。私の居たラフレスタにも昨年、似たような事件が起こり、当初は魔女が犯人とされていたが・・・捜査が進むと、それは盗賊が真犯人だったということもあったのだ。慎重に捜査を進めるのが良かろうな」
「でしょうね。私も魔女の説を疑っています。全属性が使えて、それを無詠唱で、かつ、上級魔法を放つ魔術師など、普通の人間ではありませんから」
ブーッ!
リーナが吹く。
汚い奴だ。
顔がアップルパイ塗れだぞ。
しかも二個目である。
どれだけ甘いモノが好きなのだ、この娘は?
「わ、私じゃないわよ。毎回言うけど」
「ああ、そうだ。リーナではない。例え全属性が使えて無詠唱魔法ができたとしても、君は美しい金色の髪だから特徴が一致していない。それに、君は見境なく人を殺すような女性じゃないだろう? 私の勘は君が悪人じゃないと言っているから安心しなさい」
私はそう言い、アップルパイの破片で汚れたリーナの顔を綺麗な布で拭いてあげた。
彼女は恥ずかしさなのか、それとも自分が疑われたくないのか、顔は真っ赤である。
「何れにしても、そんな眉唾な『蒼い髪の魔女』とか言う危険人物を、何故かデリカス卿は欲していたな? 彼の目的は何なのだ?」
ヒューゴからはそんな尤もらしいことを聞いてきた。
それにはアランに心当たりがあるらしい。
「デリカス様は魔術師。特に強い魔女に興味をお持ちのようです。彼の近辺を警護するローブ姿の七人を見ましたか?」
「ああ、それならば見たな。全員が漆黒のローブであった。フードを深く被っていたので、顔までは確認できなかったが」
「彼女達はデリカス様専属の魔術師集団で『妖精魔女団』と言われています。その実力はとても高く、あのカナガル様さえも凌ぐとか・・・」
「そうそう。そのひとりが今日の最後にグレイの事を滅茶苦茶睨んでいたな。おっかねぇヤツだと思ったけどな」
ヒューゴは怖い怖いとうそぶき、私のジョッキにエールを注いでくれる。
本当に怖がっているのだろうか?
私には楽しんでいるようにも見える。
「ほら、飲めよ。しょうもない事は酒で忘れるんだ」
「いや、私は明日があるので・・・」
「何、大丈夫だ。明日の面接はアランにでも任せておけば良いさ。俺も訓練を進めておいてやる。資料の整理はリーナに任せておけば、半日で終わるだろう。お前は俺達の大将としてドーンと座っていればいいんだ」
「私は文官肌なのだが、じっとしているのは苦手だ。現場を見ないと・・・」
「うるせぇ。俺の酒を飲め!」
ここで遂にキレたヒューゴにより、私は限界以上のエールを飲まされてしまう事態に陥る。
段々と私はフラフラになって行くのだ。
それを見たヒューゴとアランは盛り上がって嬉しそうにしていた。
そんなバカ騒ぎの私達を大人しく眺めながら、むしゃむしゃとアップルパイを無限に食べ続けるリーナ。
おい、お前は一体何個食べているのだ。
本当に食いしん坊の女とも思ったが、その姿に微笑ましい何かを感じてしまう私であった・・・




