第三話 マースの街へ
私の名前はグレイニコル・ラフレスタ。
長いのでグレイでいいだろう。
そんな私はラフレスタを旅立ち、今はマースと言う街に向かっている。
マースは辺境開拓軍の前線基地となっていて、私の目的はその辺境開拓軍に合流するためだ。
ラフレスタからマースまでの道のりは馬車と舟を乗り継いで約一ヶ月の時間をかけていた。
急げば一週間程で来れなくもないが、私には特別急いで合流する理由もないため、そうしている。
エストリア帝国中央に位置するマースは、古都トリアよりも東にある大きな街である。
ラフレスタのあるエストリア帝国の西側から馬車で直接行くには少し面倒な場所にあり、途中にリドル湖という大きな湖を渡って、その東側に位置しているためだ。
勿論、リドル湖を北側から迂回すれば、陸路で行けないことも無いのだが、それだと旅程はもっとかかってしまう。
さすがにそれは非効率的であり、私もそこまで時間をかけたくはない。
また、このリドル湖の南岸を迂回する道も不可能なのだ。
それはこのリドル湖の南東部には『辺境』と呼ばれる魔物の闊歩する森が伸びていて、それによって街道が阻まれているからである。
今回の職務こそ、この『辺境』と呼ばれる土地を開拓する事業であり、もし、開拓が成功した暁には、将来、リドル湖の南岸を陸路でマースへと行けるようになるかも知れない。
しかし、その可能性は低いだろうと思うのが私の予想である。
それほどまでに『辺境』の開拓事業は難しい事業だと思う。
人間の軍が簡単に開拓できるのならば、このエストリア帝国の長い歴史の間に『辺境』の開拓は済んでいるのだから。
この辺境に生息する魔物は凶悪なモノばかりであるし、奥には魔族などの亜人も住んでいると聞いている。
そして、この辺境の中心にそびえるトゥエル山には、あの伝説的な魔物である『銀龍』が生息しているらしいのだ。
『らしい』というのは、その姿を見た者がここ百年ほどいないためだ。
一説には寿命を迎えて死んだのではないかと言われているが、私は侮っていない。
人類の歴史で、事ある毎に厄災を振り撒くこの『銀龍』と言う存在。
過去の歴史を紐解くと、この『銀龍』を侮り、そして、大きな失敗をしている。
何れも銀龍の怒りを買い、滅ぼされている。
我々も同じ轍を踏んではならないのだ。
この辺境の開拓事業を成功させるには銀龍とは絶対に対峙してはならない。
そのためには軍の『引き際』が重要な判断になるであろうと私は思っている。
欲に駆られて奥へ奥へと侵攻してはならないのだ。
どのタイミングで引けば得策かを考える私だったが、ここで自分の役割が辺境開拓軍の司令官では無い事を思い出す。
私の役割は後方支援だった。
いかに効率的に辺境開拓軍を維持し、損耗を減らせるか。
物資の円滑な管理と衣食住の確保・・・私はそこに注力しなくてはならないのだ。
そんな事を考えていると馬車が止まった。
どうやらマースの街に着いたようだ。
今回の出征は危険を伴い、下手をすれば戦死してしまう可能性も否めない。
それならば犠牲は少ない方が良いと思い、今回は家来などを伴わず、独り身でこの地へと赴いている。
婚約者であるイザベラとの別れは辛かったが、それでも、来てしまうと独り身の気楽な旅だった。
私は座りっぱなしで凝り固まった身体をゆっくりと解し、降り支度を進めた。
マースの街は片田舎のラフレスタとは違っていて大きな街だった。
リドル湖の東岸湖畔で一番栄えた街であり、帝国の歴史で古くから存在するこのマースは交通の要衝で、人やモノが集まる場所でもあったからだ。
そして、現在の街を往来する人々の顔には活気が見られた。
現在はこのマースが辺境開拓軍の前線基地となっているため、多くの人々や物質が集まり、それを飯のタネに商人や傭兵の志願者など多くの人々が集まっているからなのだろう。
そんな街の喧騒が苦手な私は足早に領主の居城へと向うことにした。
衛士に自分の身分を明かし、今回の召喚状を見せると、大層に歓待を受けて、簡単に領主の居城の中へと通された。
私もこう見えて普通の帝国貴族ではない。
領主の実子であり、それなりに地位は高い貴族なのだ。
片田舎のラフレスタに居るとそんな事実を実感できる機会は少ないのだが、こうして大きな街に出向くと、自分の身分の高さを認識することになる。
私としては自尊心がそこまで高い訳もなく、こんな若輩者に平身低頭で相手をしてくれる衛士に少しだけ忍びない気持ちになってしまうのだが、これも貴族社会では当たり前の事でもある。
そう自分に言い聞かせて、肌がむず痒くなる思いを隠しながら領主の間へと通された。
そして、扉を開けると、そこにはマース領を治める若い領主が居た。
「やあ。君がグレイニコル・ラフレスタ君か。宰相様が後方支援の長に推薦した人物だから、どんなエリートが来るのかと思っていたけど、随分と若いのだね」
マースの領主は自分が若い事を棚に上げて、私の事を若輩者だと言う。
しかし、それは私を嘲る類ではなく、むしろその逆で、私に友好的な笑みを贈ってくれているようだ。
自分の仲間だと認めてくれたのだろうか?
長旅の私を歓迎してくれるその緩やかな笑顔に、私も少しだけ心が緩んだ。
「私の名前はグレイニコル・ラフレスタです。ラフレスタ領より帝皇の拝命を受けてやって参りました。今年で二十二歳になります。どうかよろしくお願いいたします」
私の丁寧な挨拶に気を良くしたのか、若い領主の顔は愛好に崩れた。
「なんだ。僕より五歳も年下じゃないか。もう少し上かと思ったよ。僕はリニト・フレンチ・マース。このマース領の統治を父より継いだばかりの若輩者さ。あ、僕の事はリニトと呼んでも構わないよ。同じ旧貴族だからね。よろしく」
どうやら、彼は初対面で私の事を自分と同世代であると勘違いしたのかも知れない。
それほどに私は老けて見えるのだろうか?
まあ、年齢の割には落ち着いていると、よく言われる事ではあるが・・・
「私の事もグレイで構いません」
私はそう応え、友好的な握手を交わした。
このリニトと言う領主とは上手くやって行けそうだ。
私の勘がそう囁いた瞬間でもあった。
「いろいろとマースの街を案内してあげたいのだけれども、僕も次々と来る旧貴族達の出迎えをしなくてはならないから、忙しいのだよ。だからグレイ君には別の案内人を付けてあげるよ」
リニトはそう言いひとりの部下を呼ぶ。
そして、現れたのは私と同じぐらいの年齢の青年だった。
「彼の名前はアラン・ウェルツ。僕が信頼する部下のひとりさ。辺境開拓事業の間、彼を君に貸しておこう。彼ならば大抵の事は解決できるだろうから」
そんな領主からの紹介で恭しく礼をしたのはアランと呼ばれる青年。
リニトの言うように年齢は私と同じぐらいで茶髪の良く似合う青年だった。
「グレイニコル様、私はアラン・ウェルツと申します。どうかよろしくお願いいたします」
「こちらこそよろしく。それと、私の事はグレイと呼んで貰って構わない」
「それでは、グレイ様で」
「うむ。君の事もアランと呼ぼう」
私達は気持ちの良い受け応えをした。
領主であるリニトと気楽な気持ちで挨拶できたからなのだろうか、彼の部下であるアランとも気安い挨拶をする事ができた。
私の勘がこのアランと呼ばれる青年とも良い仕事ができそうだと告げている。
そう思うと、私はこのアランという人物にすぐ好感を持つことができた。
勿論、それは信頼できる男という意味であり、私に男色の趣味はない。
つまり、一緒に仕事をする仲間として信頼ができる相手なのだと認めた瞬間である。
私の持つ細やかな特技として、自身が持つ第一印象を今まで外した事がないのだ。
「他人の本質を一目で見抜く力がある」とイザベラから言われた事もあるが、多少おべっかが入っていたとしても、少なくは他人よりも人を見る目はあるのだろうと自覚している特技だったりする。
そんな事を思っている私にアランからは今後の予定を聞いてくる。
「グレイ様は長旅でお疲れのようだと思います。それならば今日は宿舎にて・・・」
私の事を気遣ってくれるアランの言葉を遮り、私はこれからの自分の希望を伝えることにした。
「いや、休むのはいつでもできる。それよりも、早速、頼みがある。まずは今回の辺境開拓軍の代表であるデリカス・アシッド・シュラウディカ司令官にご挨拶をしておきたいのだ。案内を頼みたい」
ここで私の口から出た『デリカス』という言葉にアランとリニトは互いに顔を見合わせて、少々困った顔をした。
「ん? どうしたのだ? 私は何か拙い事を言ってしまったのだろうか?」
そんな私の言葉にアランはどう答えたら良いものかと回答に窮しているようだった。
それに代わって口を開いたのは主人のリニトの方である。
「ハハハ。すまない。デリカス伯爵は旧貴族の中でも少々変わり者でねぇ。そこのアランがあまり得意な相手ではないだけさ。実は僕もできる事ならばあまり長い時間彼と会話はしたくない相手でもある・・・もしかしたら、君も少々苦手な相手になるかも知れないね」
そんな野暮なことを口にするリニト。
そして、彼は少しだけ考えて、私に次のような事を提案してきた。
「どうだろう。やはり、今日は長旅で疲れているのではないかな? デリカス伯爵への挨拶は明日でも遅くは無いと思うのだけれども」
「いや、そういう訳には行かないでしょう。着いて早々御代に挨拶に来ないのは失礼に当たります」
「グレイ君は真面目だねぇ・・・まぁ、君がそこまで言うのならば止めはしないよ。アラン、連れて行ってあげてくれ」
「・・・解りました」
アランは了承する。
ただし、彼の顔には『嫌々』という文字が書いてあった・・・




