第二話 グレイの出征前夜
ここは平原が続く片田舎、ラフレスタ領。
帝国歴六九八年現在のラフレスタは学園都市としての様相は無く、ただ気候が良いだけの農業中心で簡素な村が集まった片田舎の領地である。
約百年前には遷移によって西隣のザルツ領が帝都になってしまったが、その栄華がこのラフレスタにまで伝わってくることもなく、エストリア帝国のどこにでもある田舎のひとつだ。
この地を治めるラフレスタ卿も、現時点で爵位はなく、後々に街の第一区画として機能する城壁に囲まれた小さな佇まいの城だけが領主として威厳を見せていた。
そんな城壁の上で、夕日が降り注ぐ中、ひと組の男女が抱き合っている。
「ああ、グレイ・・・何故、貴方が行なくてはならないの?」
金色の長い髪が似合う美しい女性は、涙を目に浮かべて相手にそう語りかける。
「すまない、イザベラ。私はどうしても出征をしなくてならない。帝皇の命令は絶対なのだ。旧貴族であるラフレスタ一族を代表して赴かなければ、義理が立たないのだ」
申し訳なさそうにそう応える男性も金髪の良く似合う青年であり、エストリア帝国では一般的な容姿の男女である。
しかし、彼らは姿こそ平凡だが、身分はそうでない。
青年の名はグレイニコル・ラフレスタ。
この地の領主の弟であり、今年が二十二歳になる青年である。
そして、相手の女性もイザベラ・ロイエントという立派な名前を持っている。
彼、彼女は所謂貴族階級の身分であり、互いを恋人として認めた・・・いや、婚約を果たしているので、夫婦となる一歩手前の状態と言った方が良いのだろう。
「帝皇から命を受けた辺境開拓事業は、我々、旧貴族に課せられた仕事なのだ。我々が帝国の貴族であるが故にその存在価値を今、示さなくてはならない」
「でも、それは貴方だけが請ける仕事ではないわ」
「そんなことを言わないで欲しい、イザベラ。家督を継いだ兄に、この危険が伴う辺境開拓事業を請けさせる訳にはいかない。兄が駄目ならば次男の私が請ける必要がある。それは私がこの世に生を受けた時からの宿命。逃げる事も私の存在価値自体を否定する事になってしまうのだから」
グレイニコルがそう言うとおり、辺境開拓が決まった時、ラフレスタ家からは彼が出征する事は一族会議の満場一致で決定した事項でもあった。
家督を継いだ長男に危険の伴う辺境開拓事業へと出す事はできなかったのである。
それに今回は出征者にグレイニコルを推薦することが書かれた書状が帝都中央政府より届いていたのだ。
この書状の送り主はこの国の宰相。
実はグレイニコルと宰相は少しばかりの繋がりがあったりする。
グレイニコルが帝都ザルツの名門高校に就学していた際、そこの教壇に立っていた人物が後に宰相となる人物だったのだ。
グレイニコルもまさか自分の教師だった人間が急に宰相へ登用されるとは思っていなかったが、それは様々な幸運が重なった結果であったりする。
そんな宰相が、魔法も使えて成績優秀者であったグレイニコルの事を覚えていて、彼を辺境開拓事業の後方支援部長に推薦をしたのだ。
それは、この宰相なりの優しさであるとグレイニコルは思っている。
今回の辺境開拓の出征に関しては、悪い噂がいろいろと囁かれていた。
エストリア帝国の財政が芳しくないのは知っていたが、今回はそのための貴族減らしの手段であるとの噂だったのだ。
開拓に成功すれば、その地は開拓者のものになるとされていたが、そもそも辺境開拓軍に配分する予算は少なく、それに加えて、自分達を含めた旧貴族がほぼ強制的に参加させられている。
そして、もし、失敗した時は相応の責任が課せられる誓約書も目にしていた。
これを見たグレイニコルの明晰な頭脳は、明らかに失敗を前提とした開拓事業であると見抜いていたが、それでも拒否する事は叶わない。
それならば、と、宰相はグレイニコルに「後方支援」と言う比較的安全な立場を用意してくれたのである。
そこまで用意された舞台をグレイニコルは降りる事ができなかったし、この時はどんな状況でも真面目に生きてしまう自分の不器用さが、もどかしくさえ思ってしまうのだった。
「嗚呼、イザベラ。本当にすまない。婚約までしたのに・・・」
グレイニコルは再び自分の婚約者に謝る。
イザベラとは帝都ザルツ留学中に出会い、彼女の方から好かれて、そして、それから付き合い始めた仲である。
イザベラの実家であるロイエント家は新貴族と呼ばれる新興貴族だった。
帝都ザルツに遷都を果たしてから新貴族には勢いがあり、彼女からしてみれば旧貴族であるラフレスタ家に嫁ぐのは得策ではない筈だ。
それでも彼女は帝都ザルツの快適な暮らしを捨てて、この田舎町であるラフレスタまで来てくれた・・・それだと言うのに・・・グレイニコルは申し訳ない気持ちで一杯になった。
「グレイ・・・」
彼女は目を潤ませてグレイニコルの愛称を口にする。
このグレイニコルは、自分の近しい人間には「グレイ」という愛称で呼ぶ事を許している。
このイザベラにもその呼称を許していた身内という存在である。
急に愛おしさが込み上げてきた。
「嗚呼、すまない」
イザベラの悲しむ姿を見たグレイは、再び彼女を優しく抱く。
ふたりは理不尽な運命に抗うように抱き合うのであった。




