第四十話 帝国の片鱗
時はしばらく経過し、場面はリドル湖より更に西へ進んだゴルト大陸内陸の街アルマダより始まる。
群衆が集うのはアルマダ領内の広場。
ここに駆け付けた少年はとある人物の登場を今か今かと待ち構えている。
期待に心躍るのはこの少年だけではない。
ここに詰め掛けていた群衆は皆、そんな期待を共有していた。
「あのならず者達を追っ払ってくれたリドル湖同盟の英雄って、すげえお方なんだろ?」
「莫迦だな。今はリドル湖同盟じゃなく、『エストリア帝国』って名前に変わったらしいぜ。格好いい名前じゃないか!」
「その帝国の王様はなんでも破竹の勢いで拡大を続けているあのバルディ王国軍を打ち破り、それにバルディ王国初代国王を一騎打ちで破った大英雄らしい」
「一年足らずでリドル湖周辺の領地を平定して、そして、すべての領主から妻を娶ったそうだ。夜の生活も相当な勇者らしいぜ。うひひひ」
下世話な噂も飛び交うが、少年は気にしない。
少年は自分の故郷を救ってくれたその英雄に感謝しかない。
ここ数年、バルディ王国――正確に言うと現在はその残党が――方々の領地で猛威を振るっているのは噂になっていた。
バルディ王国の初代国王はリドル湖同盟の盟主ランスとの一騎打ちによって討ち取られていたが、その決戦から逃げおおせた残党の幹部達がそれぞれバルディ王国の二代目国王を名乗り、各地でその暴力を欲しいままに使っていた。
リドル湖から西に遠く離れたこのアルマダも例外ではなく、先日までバルディ王国の残党のならず者達による不当な支配を受け、それに加えて、領地運営の高官達による汚職も横行していたが、それらを一掃してくれたのがリドル湖同盟――いや、『エストリア帝国』の国王ランスだ。
国王ランスはまだ三十代後半の元冒険者だと聞く。
少年も同じく冒険者を生業にしている者。
同職者が英雄や国王と呼ばれる存在になれたことは、少年にとって憧れでしかない。
「おお、登壇したぞ!」
人々の歓声が増す。
期待の英雄の姿を一目見ようと、人々の注目が増す。
少年の心も逸るが、果たして件の国王は高く設けられたバルコニーから姿を現した。
この時のランス国王は上質な衣服を纏っていたが、大層な王冠などは被らず、程よい長さの金髪を風に靡かせた爽やかそうな青年だった。
身体はがっちりしており、冒険者組合に普通に居てもおかしくない風貌。
筋肉の筋が解る程度に身体は鍛えられており、それでいて威嚇や虚勢を張っていない。
国王と言うよりも好青年の冒険者と言った方が良く似合う男だった。
だが、その数瞬後、ランスが只の青年でないことを人々は実感する。
「おおーっ、なんと煌びやかなっ!」
ランスの両脇に彼の妻たる女性達が勢揃いする。
全員が煌びやかで大胆な衣装を纏った女達。
すべて女性の容姿が整っており、女の特徴たる乳房や腰の括れなどを強調された衣装は『帝国式ドレス』と噂の正装だった。
そんな晴れ姿を観られただけで民衆は熱狂する。
「おおーっ 帝国万歳。アルマダ万歳っ!」
異様な盛り上がりを見せる民衆達だが、ランスが片手をあげるとその声援は静まり返った。
いよいよ、ランス国王が演説をするのだと、皆が期待を胸に彼の言葉が聞けるのを待つ。
「・・・まずは、このアルマダ領地からバルディ王国の残党を一掃するために協力してくれたアルマダの民衆に感謝を捧げよう」
ランスの声は良く通り、民衆は国王から直接謝意を伝えられたことを光栄に思い、歓声を上げた。
「わーー! 帝国万歳! アルマダ万歳!」
歓声はしばらく続くが、ランスが再び手を挙げる事でそれがまた制せれる。
そんなやり取りが何度も続けられた後に本題へと入る。
「バルディ王国が駆逐された今後・・・これは重要な話となるが、私はアルマダ領が帝国に参画する事を強く望む・・・勿論、これは今すぐ決めなくても良い。重要な決定事項であるから、存分に皆で話し合い、アルマダの未来を選択して欲しい。私はアルマダ領民の意思を強く尊重しよう」
帝国参画の話が出たところで皆がザワザワとなる。
「おい、どうする? 結局、バルディ王国からエストリア帝国に支配者が変わるだけじゃ?」
「天下のエストリア帝国に入っときゃ、問題ねぇ~よ。俺の従兄弟がマールに住んでいるんだが、エストリア帝国に入ってからは生活が良くなったと聞くし」
「本当か? 信じていいのか?」
民衆達が不安になるのも当前だ。
しかし、少年の心は決まっていた。
「いいんじゃねぇ? 俺はエストリア帝国の兵士に志願して大きな手柄を挙げて出世してやるんだ!」
成功者ランスの次を目指せと言わんばかりの気概である。
そんな少年の意気込みが伝わったかどうかは解らないが、ランスはアルマダ領がエストリア帝国に参画した場合のメリットについて説明し始めた。
「アルマダの民が我らエストリア帝国に参画した場合のメリットについて説明しておこう。ひとつ、これは住民数を正しく把握するための副産物だが、領民達全員に姓名が与えられる」
「おおー、俺らも明日ら良家になれるんか?」
姓名とは各人に家名を名乗る事が許されることだ。
今までそんな事が許されるのは良家の身分だけであり、これまで庶民には許されることは無かった。
当然、嬉しがる人もいれば、怪しむ人もいる。
「莫迦だな。支配者が領民の数を正しく把握するなんて、税金をぶん捕るためじゃねーか!」
そんな批判をランス国王は予想していたのか、律儀に回答する。
「住民数を把握する目的はそこだけじゃない。勿論、帝国民になるために年間ひとり当たり数千クロルの税金を納めてもらう必要はあるが、それ以上のメリットを約束しよう。そのひとつが教育だ。帝国民は出生してから幼少期、青年期に無償で教育を受ける権利を与えられる。初等学校と中等学校は誇り高き帝国民として暮らすことのできる最低限の教育を提供しよう。それは魔法や剣術、商売に必要な計算、語学に礼儀作法。これらの教育は帝国が無償で帝国民に提供することになっている」
どよめきが起こった。
魔法や戦闘に必要な術などは専門の道場に入門し、そこで決して安くない月謝を払い学ばなくてはならない。
商人に必要な計算能力や慣例作法もそうだ。
有力な商会に丁稚として入り込み、下積み時代はほぼ無償奉仕当然で学ばなくてはならない。
文字の読み書きも同じである。
それらが無料でサービスが受けられるのはこの時代では画期的なことだった。
「勿論、その中で高い実力を発揮できた者には更に高等学校に就学できるチャンスも与えられる。より高度な学問も学べるし、高い技術を習得できた者は帝国の要職に徴用される道もある」
「おおー! 俺の息子も帝国の官僚として働けるのか? それならばきっと良い給料が貰えるんだろうなぁ~」
「莫迦言ってんじゃねぇ~! お前のところの息子は女のケツばかり追いかけている助平野郎じゃねぇ~か!?」
「違いねぇ~や アハハハ」
そんな冗談を言って笑い合う大人達だが、学校と言う特別な環境で化ける人材も少なからずいる。
エストリア帝国がこの先の時代、国力を高める事にこの学校制度があったことが評価されることになるが、現段階でまだそんな実績は見えていない。
エミリア達が学校制度を提言した目的は複数あるが、そのひとつが国民の帝室に対する恭順――帝皇とは尊き存在であり、裏切ってはならないと――教育を利用して民衆に刷り込むことだ。
そして、もうひとつは軍事面の拡充であり、魔術師など戦闘員の育成が目的だったりする。
この時代の領民達は学校の真の価値についてまだ理解はできていない。
ただし、読み書きの技術や魔法の習得を無料で国が提供するというのは領民にも解りやすいメリットだった。
「それ以外にも、街の治安を守る『警備隊』も派遣しよう。領民が法の下で自由で安全に暮らせるよう泥棒や暴漢、痴漢など一般領民に危害を加える犯罪者を可能な限り排除する。それに加えて、エストリア帝国として騎士団も提供できる。御覧のとおりバルディ王国などの国家レベルの悪党にも対処できる軍事力だ」
安全な暮らしの提供はその土地に住む領民にとって理解しやすいサービスだ。
逆にこのアルマダの地の治安を悪化させた現領主に批判が向かうのもあったが、そこはランスもフォローを忘れない。
「アルマダ領をはじめ、各領地の施政権は従来どおり各々の領主に帰依する。領地運営について我らエストリア帝国がとやかく口を出すものではない」
その言葉に一番ホッとしているのはアルマダ領主一族だったのは言うまでもない。
「ただし、帝国内の経済は統一する。統一された貨幣で取引し、関税の類は帝国法で一律の利率になる。勿論、同一帝国内での取引、関税は従来よりも安く設定されているし、これらの措置により商売が活性化して経済が発展するだろう」
その価値に一番喜ぶのは勿論、商人である。
それ以外にも物流の活性化や街道整備など帝国内の住む者に対してメリットばかりであり、逆にデメリットは殆ど存在しない説明内容であった。
聴衆から否定される訳もなく、ランス国王の演説は進むが、ランス国王は最後にこれだけは大切だと声を大にして宣言する。
「最後になってしまったが、『帝国の理念』。これだけは皆と共有したい。ひとつ、帝国は人類の発展と共生を目的とした秩序ある国家を目指す。ひとつ、帝国は人類と敵対する魔物と魔族の排除をする。ひとつ、帝国は愛する者を拉致した亜人とは取引しない、不当に拉致した我らの同志を速やかに返還するまで戦う」
三つ目の理念については領民達が深い意味まで理解できなかったが、そのことを問われるとランス国王はフッと笑い「これはごく個人的な事なのだが、帝国――いや、私にとって大切なことだ」と返答するに留める。
結局、深く追及されないまま、特に変な内容でもないため、皆が勝手に解釈して納得する形で演説は終わってしまった。
「以上だ。最後に重ねるが、このアルマダ領に無事、秩序を取り戻すことができた。その手伝いは帝国が行ったが、最終的にはこのアルマダ領民の協力なしには成し得られなかっただろう。私はアルマダ領民のそんな勇気に敬意を表したい」
これにてランス国王の演説は終了する。
バッとマントを翻し、壇上から数多くの妻と共に去る姿はなかなか様になっている。
「うぉぉぉーー、帝国万歳! 俺は帝国に恭順するに一票だ!」
歓声が再び起こり、ランスの人気の高さが伺える。
このアルマダの地でもエストリア帝国ランス国王は高い人気を得ていたが、今回の演説を聞き、更にランス国王のシンパが増えたのは言うまでもない。
「かっちょいい! 決めた。俺も帝国の兵士に志願してやるぜ!」
少年が自分の新たな所属先を決めた瞬間でもある。
ちなみに、この少年は少し先の未来で、名のある将軍として帝国軍に抜擢されるのだが、それはまた別の物語だ・・・
「ふぅ~疲れた。俺にはやっぱり、こんな演説は似合わないなぁ~」
俺は静かに溜息を漏らすが、檀上裏で控えていたエミリアは首を横に振る。
「そんなことありません。ランス陛下の熱意は民衆に伝わっています」
「その陛下という称号は止めてくれ、俺はそんな偉そうな身分じゃない。もっと、皆と近いところにいたいんだよ」
「ならば、今までどおり『ランス様』と呼びましょう。ですが、現在、帝国国民は十万人を超えます。そのトップであられる方が少々謙遜し過ぎかと思いますけれども・・・」
「そこがランスらしいのよ!」
それまで俺のすぐ隣でお淑やかにしていたウエルティカが得意気味にそんなことを漏らしてくる。
幼馴染の自分こそが俺のことをよく理解していると主張したいのだろう。
「それにても、このドレスってなんとかならないの!?」
彼女の目下の不満は自らを着飾るドレスの意匠。
誰が発案したのか――公式には俺と言う事になっているが・・・――『帝国式ドレス』とは女性の美しさを強調する意匠だ。
出るところは脚色し、絞るところは徹底的に絞る。
元々華奢な身体つきのウエルティカは特に胸部の脚色が激しい。
第一夫人の彼女が嫌がる理由も解る。
この胸の脚色が嫌なのだろう。
そんな第一夫人に反論してくるのは、演説の際、逆側に立っていた第二夫人だ。
「ウエルティカは胸が小さいから、もう少し食べて肉をつけた方がいいわよ」
「何を言ってんの! メリージェンこそ、痩せなさいよ! ランスは引き締まったこの身体が好きなの。アナタは肉が付き過ぎで下品よ!」
「ウフフフ、そんなことないわ。私の身体もランスは大好きだと思うけど・・・確かに最近食べ過ぎなのよね。その意見、参考にしておくわ」
互いに不敵な笑み、互いに揶揄っているが、致命的に仲が悪いほどでもない。
ある意味こんなやりとりが彼女達の通常運転。
「ハハハハ」
他の夫人達も笑いを零す。
絶妙なバランス感覚、和やかでいて平和的な雰囲気・・・ウエルティカや一部の者は俺を独占しようとする傾向があるものの、夫人同士の仲はそれほど悪くない。
そんな仲を取り持つのも調整役であるエミリアのお陰なのだが・・・
だが、そんな和やかな雰囲気も、時と場合によっては緊迫する時もある。
それが今回のような場面だ。
演説という大役が終わり夫人達と談笑する最中、兵士の一人が神妙な面持ちで俺達の会話に割って入ってくる。
「ランス帝皇様、ご報告が・・・部下が白エルフをひとり捕まえました」
「何っ!?」
周囲の空気の毛色が変わった。
俺の顔付きが明らかに変わったことによるものらしい。
「ハッ。どうやらその者はエルフの里の正確な場所を知っているようで・・・」
「解った。俺も尋問室へ赴こう」
「ハイ。すぐにでも尋問できるようにします。拷問官も手配しますので」
兵士は俺に恭しく礼をして去って行く。
俺も急いで演説用の礼服そのままに指定された尋問室に移動しようとすれば、妻達もぞろぞろと俺についてきた。
「君達は来なくていいぞ。これは決して面白いものではないからな」
しかし、ウエルティカを初めとした俺の妻達は首を横に振った。
「そうはいきません。そのエルフはアルヴィリーナさんを今も監禁している居場所を知る人物。私達も目を逸らすことはできません。貴方と共にすべてを知る権利があります」
「・・・解った。好きにしろ」
俺は半ば諦めてそう応える。
最近の妻達はアルヴィリーナのことになると意固地になる場合がある。
それは俺の心がまだアルヴィリーナの事を一番に想っていることを解っているからだろう。
俺が最も愛する女性・・・それが自分達ではないこと知りつつも、彼女達は義務を優先して俺に抱かれている。
中には本当に義務だけの関係もいるが、それ以上に愛情を以て接してくれる妻達が存在しているのも事実。
ウエルティカ然り、メリージェン然り・・・
彼女達は決して義務だけではなく、愛情を以て俺と肌を重ねてくれる
そんな彼女達には申し訳ない気持ちになってしまうが、それでも俺がアルヴィリーナのことを忘れられないのも事実だ。
そして、あの夜に不甲斐なく奪われてしまった伴侶でもある。
俺が頑なに帝国の理念に組み込んだふたつの条項もここに理由がある。
あの夜、俺は自分より格上の存在である吸血種に臆してしまった。
その結果、ふたりの大切な女性を奪われる大失態を起こす。
最愛の妹ナァムと最愛の女性アルヴィ・・・このふたりを取り戻すためならば、何でもする。
例え、この帝国の看板を利用してでもだ。
俺は周囲に「アルヴィとナァムを取り戻せれば、国王を引退してもいい」と宣言している。
その引退宣言は賛否両論言われるが、俺は本気だ。
このエストリア帝国の国王の座をくれてやる。
それほどまでに、俺はあの夜の自らの行動を後悔しているし、あの夜から俺は自分で自分を責める日が多くなった。
友人から「人が変わった」と指摘を受ける事もある。
だが・・・俺は本気だ。
今だけは憎しみと怒りに支配された顔を解放し、捕えたエルフを尋問して、白エルフの里の場所を聞き出すことに専念しよう。
それは俺がアルヴィとナァムを取り戻すことのできる唯一の手段。
負の気持ちに支配された俺の後をついてくる妻達・・・そして、エミリアも。
「ヒッ!」
尋問部屋に入るなり、捕えた白エルフの美丈夫が怯えた顔で俺を出迎える。
俺が捕えたエルフに酷い尋問をすると相手方に噂となっているのだろうか。
俺はできるだけ優しい顔をする努力をしてエルフに尋問を始めた。
「大丈夫。恐れなくていい。俺が望むのはただひとつ。貴様達が連れ去った我妻を返して欲しいだけ。エルフの里の場所を教えてくればそれでいい」
「ひぃぃ~っ! お願いします。命だけは、命だけは! 拷問しないでっ!」
恐れ戦くエルフの姿は昔、魔物蔓延る森の中で怪力トロルに運悪く遭遇してしまった子供の逸話を思い出させてくれる。
それでも俺は冷徹に自分の仕事を熟すことにした。
ここでどんな厳しい事でもしてみせよう。
何故なら、それが帝国の理念のひとつだからだ。
失った最愛の者を取り戻すまで、俺は鬼となる。
自分の部下や妻達が見ていても構わない・・・
ここから先、俺が執拗に尋問する姿は一般帝国民はおろか、エストリア帝国軍の幹部の中でも一部の人間にしか知られていない姿でもある・・・
この時代、ランスの敬称は正しく定まってありません。帝国の提唱者であるエミリアは『帝皇』と呼ばせないのですが、民衆からは『国王』。ランスに近い者からは『ランス様』と一貫性がありません。そんな背景があって、敢えて敬称を統一しておりません。あしからず。




