第十話 女傑達の盟約
皇女と初めて言葉を交わした夜は互いに酒を飲んだ。
何を話したか、その時の話題については今思い返してもなかなか思い出せない。
途中でウィルさんは退室、我々の話題について来られなかったようだが、これも今となっては何が話題だったのか思い出せない。
謎の男も知らない間にいなくなっていた。
私と皇女とはお酒の耐性が強かったらしく、かなりの量を呑んだのだが、最後には同伴していたレヴィッタさんと姉様に止められてしまう始末。
二日酔いなどの無様な醜態は晒していないが、それでも次の日の朝は頭がボーッとしていた。
目覚めた朝は母屋で朝食を頂いたが、レヴィッタさんと姉様が共同で作ってくれた。
朝食はエルフ村では入手が難しく高級食材として通っている鶏の卵を食べさせてもらった。
「この敷地で鶏を飼っているから。卵は潤沢に手に入るの。これもサハラが見つけたのよ。庭で遊んでいて、ここを住処にしていた鶏の一家を見つけてねぇ・・・」
姉様は朝から娘の自慢話を始めた。
それが白黒エルフの相の子でなければ、慎ましい話だと思ってしまうのだが・・・
やはり、相の子の存在は白エルフからも黒エルフからも歓迎はされない。
それが白・黒エルフの確執の現れ。
しかし、ここで謎の男――私に名乗らない不気味な男――が会話に入ってくる。
「サハラは利口な子供だ。一羽を見つけてもすぐに捕獲せず、母鳥へと辿り着いた。欲張って一羽のみを捕まえていたら、我らは一食だけの晩餐で終わってしまっただろう。しっかりと長期的な視野を持って行動していた利口な子供だ。それだから数日経過した今でも我々は卵を得られる恩恵に預かっているのだ」
姉様の娘のことをべた褒めする謎の男。
私が不思議に感じていると、彼は私に対してニコリとしてドヤ顔をする。
悪い気持にはならなかったが、どう反応していいのか解らない。
「まぁ! ジルバ様がそこまでお誉めになられるなんて、サハラも喜びますわ」
大げさに謝意を伝える姉様の姿に驚いたが、これで男の名前が判明した。
ジルバだ。
私は脳内に注意を要とする男の名前として刻む。
「そして、皇女様がここで朝食を食べている」
呆れと共にそんな言葉を呟いた私だが、当の皇女は『何が悪い』的な視線を返してくる。
「あの城での朝食は好かん・・・ただ、それだけだ」
いまいちよく解らない理由で返された。
相当我儘な性格だと思うが、それがこの皇女様なのだろう。
「うむ。それよりも昨日は飲みすぎたな。頭が痛い・・・レヴィッタよ。キッチン上棚の奥に隠してある『ロジアン』のお茶を出してくれ」
「皇女様、それはハルちゃんが大切に補間していたお茶ですよ。こっそりと使ったのが見つかったら怒られます」
「大丈夫だ。以前、ハルよりそのお茶を振る舞って貰った。大変美味しかったから、また飲みたいと言えば、いいと言っていたぞ」
「それはハルちゃんがいる時にですよ。勝手に持ち出して飲んだら、誰が飲んだか解らなくなるじゃないですか! 『ロジアン』なんて高級魔法素材ですよ」
「知っておる。私も魔術師の端くれ、『ロジアン』が安くない素材だとは解っておるし、それをお茶にすれば美味いと教えて貰ったのはハルからじゃ」
「・・・知りませんよ。怒られても・・・」
結局、レヴィッタは折れた。
この我儘皇女から命令されれば、貴族でも末端の彼女が従うのは致し方ないことなのだろう。
やがて、鼻腔を擽る良い香りがこの部屋へ充満する。
「ほれ、美味い茶じゃ。お前達も窘め」
皇女様はそう言いレヴィッタと私、姉様、謎の男の分まで薦めた。
「皇女様、私達を同罪にするつもりですね・・・」
レヴィッタはあざとい皇女の考えを見抜いていたようで、そんな指摘をする。
しかし、ここで姉様は問題ないと答える。
「大丈夫でしょう。ハルさんはそんな心の狭い人じゃありませんから。あちらボルトロール王国でも自分の身内には『ロジアン』のお茶を振る舞っていましたよ。人々の円滑な関係構築のために必要経費と割り切っていると思います」
「そうだな。ここはエストリア帝国の第一皇女とシルヴィーナの友誼を深める事ができた・・・もし、ハルから問われれば、我がそう口添えしてやろう」
謎の男ジルバがこう答えて、問題ないと追従する。
変な感じだが、私もそのハルと言う人物がまだ誰だか解っていない。
解ってはいないが、皇女や謎の男、姉様も一目置く存在なのだから、きっと偉い人物なのだろう。
こうして、私は勧められた『ロジアン』のお茶を呑むことにした。
「・・・おいしい」
喉の奥に感じる清涼感と満足感。
そして、体内に流入してくる魔力を感じる。
『ロジアン』が魔法素材のひとつだと聞かされたが、それは間違いないと思う。
我ら精霊魔術師は魔力の検知能力が高いので、よく解った。
この『ロジアン』が世の魔術師にとってエネルギー補充のようなものかも知れない。
身体がそう感じているから美味いと認識されるのだろうと思った。
もう一口飲むと、完全に昨日の深酒の影響はまったく消えて無くなった。
「ふう、やっぱり、二日酔いには『ロジアン』茶が利くな」
皇女も同じ評価をしているようであった。
彼女は重かった頭を振り、その瞳に鋭さが蘇る。
「シルヴィーナ。昨日の約束は覚えているか?」
「へっ?」
私は全く覚えていなかった。
「シルヴィーナ、アナタ、皇女様に大見栄を切ったじゃない。私がエルフと人間の架け橋になるって・・」
姉様からそんなことを言われたが・・・全く覚えていない。
私がキョトンとしていると人間の皇女は私が昨日に宣言したであろうことを復唱してきた。
「お前は私に言ったのだ。エルフと人間の価値観は違う・・・だから、私は共通の価値観を見つける、とな」
「・・・はい」
本当にそんなこと言ったのかと思うが、姉様が頷いているので、やはり言ったのかも知れない。
「それは面白いと私も思う。異なる価値観か・・・人間だってそうだ。我々も遂先日まで隣国ボルトロール王国と激しい戦争していた。それは領土欲だけじゃい。国によって価値観が異なる事も理由のひとつだ。何を優先するか、何に価値を見出すか・・・そういう意味だけで敵対関係も生まれる。また、南部にある神聖ノマージュ公国も我が帝国と価値観が異なっている。だから別国になっている。彼の国は宗教色が強い・・・それでも価値観が異なるだけであり、全てが敵対に至っている訳じゃない良い例だ。互いに共通の利益を見出し、友好関係を築くこともできている」
「・・・そうですか」
皇女は高尚な事を考えているようだが、私がそんなに偉そうな事を本当に言ったのかと自分で自分が疑わしいと思ってしまう。
私、白エルフは辺境の民・・・いや、エルフ族の中でも白と黒とで差別をしているぐらいだ。
そして、姉にも嫉妬している。
上手く状況を取り入れて、英雄の座に返り咲いた。
世渡りが私よりも上手い姉だと認識して嫉妬してしまう。
私が中でそんな心の迷いがあると、姉様に見透かされた。
「いいのよ、シルヴィーナ」
「・・・?」
「私達は不完全な存在だわ。世界という表舞台で脇役のひとりでしかないの。聖人君主のように立派に振る舞わなくてもいいの」
「・・・」
「アナタが今思い悩んでいることだけを追求しなさい。自分のできる範囲でいいから」
「自分のできる範囲・・・」
思わずその言葉の意味は何なのかと考えてしまう。
だけど、姉様から『脇役』という言葉を聞いてから少しは気持ちが楽になった。
そのことを客観的に捉えてみれば、今まで私は無理していたような気もした。
「そうですね。私は人間のことを知らな過ぎます。それ以上にエルフのことも知らな過ぎます。他人を認めるにはまず自分からですね」
「そうよ。それでこそ私達は発展できると思うわ。銀龍スターシュート様が人間と交流を持てと言う意味はそこにあると思うのよ」
「交流・・・」
「そうだ。妹分達よ、私に任せなさい。大概の交渉事は力業で通してやるから。勿論、我々人間側に不利益の無い範囲だがな」
無頼な皇女は大見栄を切った。
「シルヴィーナさん。もう諦めて下さい。私達は皇女様の子分にされてしまいましたから」
レヴィッタはそう言って、現在の境遇を受け入れて、既に拒否することを諦めている。
いや、受け入れている。
彼女はそう言う生き方なのだ。
強い水の流れに逆らわず、魚のようにユラユラと受け流すことで適応している。
悪い意味で言うと自分の考えがないとも言えるが、良い意味では柔軟だとも言えるだろう。
『柔軟性』・・・それが私に欠けているもの。
今、私は気付いた。
これまでの自分がどれだけ狭い心で、自分の事だけを考えていたのか。
白エルフと言う枠の中で優劣を気にしていた。
周囲からの期待に応えないといけないともがいていたのだ。
だから、自分の器も考えず、姉様が降ろされた森の巫女の空座に収まろうとした。
無理やり、権威を示そうとした・・・実は私、それほど勇敢ではないのに・・・
生贄に推されたときも、自分の身可愛さに逃亡を計ってしまった・・・実はただ運命に流されるが怖いだけだった。
弱い自分を認められなかった・・・
「皇女様、私、シルヴィーナは改めて宣言します。この地に留まり、人間とエルフの共通の価値観を見出したいと思います」
「うむ、よく言った。それでこそ私の妹分だ。私もシルヴィーナを認めよう。ここの住人になるには本当はハルの許可が必要なのだが、そのところも私が口添えしておこう」
「大丈夫ですよ。私がボルトロール王国に帰ればハルさんに伝えおきます。決して駄目だとは言わないと思うわ」
姉様は問題ないと言う。
ここで私は不思議に思った。
「そう言えば、姉様はどうやってこの地に戻って来られたのです? ボルトロール王国ってどこ?」
「ボルトロール王国はエクセリア国の隣国ですが、その首都はここから山岳街道を超えて馬車で一箇月ほどかかります」
「そんな遠くから・・・」
「そこは大丈夫だ。我の翼を使えば、ひとっ飛びだ」
謎の男ジルバが笑う。
「そうですよ。今回はジルバ様が私達のために協力してくれましたから」
「へ?」
姉様が何を言っているか解らない。
解らないが、私以外の人間もこのジルバが何者かを知っているようで特に不思議がる様子はない。
「そろそろ潮時か、今回の件。これで解決と見ていいな? ローラよ」
「ええ、恐らくこれで大丈夫でしょう。シルヴィーナ、人間との細かい交渉役はファルナーゴに任せて、アナタはしばらくここに滞在して、先程皇女様に宣言したことを優先させなさい。交渉がまとまった後は、それが役に立つはずです」
「??」
まだ私は理解できない。
「レヴィッタさんもこれでいいですね?」
「あ、はい。無理難題をシルヴィーナさんが言われなければ・・・ファルナーゴさんと交渉するとなると、彼は柔らかそうな頭の方だと思いますから何とかなるかと・・・」
「皇女様も、妹の事をよろしくお願いします」
「うむ。私も良い妹分・・・いや、友を手に入れた。何せ、ここでは皆、私の事を煙たがるのだ。シルヴィーナならば格的にも国を代表する王女といったところだろう。対等な関係だと認められるからな」
あの・・・全く対等に扱われていないのですが・・・
私の不満はスルーされて、姉様が話をまとめにかかる。
「それでは、私はここでの役目を果たせました。ジルバ様、お待たせしました。ハルさん達のところに戻りましょう」
「うむ、ローラよ。帰るか・・・私の背に乗るがよい」
謎の男ジルバはそう言うと、窓から庭へと駆け出して、そして、その身体が光り輝く。
そして、魔力の爆発が起きた。
「ええーーっ!!」
その姿を見たとき、私は腰を抜かしてしまった。
ジルバの身体は変化して、銀の光り輝く鱗を持つ巨大な龍が姿を現したからだ。
「銀龍スターシュート様!」
・・・ジルバという謎の男の正体はそれだったのだ。
「それでは、シルヴィーナしばしの別れです。レヴィッタさんもお元気で、皇女様もほどほどに」
銀龍の背に飛び乗った姉様から手短に別れの言葉が伝えられると、銀龍は一気に飛翔して、この場から去り、そして、見えなくなった。
一瞬の離陸劇・・・私は唖然とするしかない。
そんなドタバタ劇でこの場を去る姉様と銀龍様。
残された私は急に心細くなってしまう。
そんな私をレヴィッタが気遣ってくれる。
「大丈夫ですよ、シルヴィーナさん。ローラさん達はきっと無事に戻ってきます。ハルちゃんとアクトさんならば、どんな困難も解消しちゃいますから」
「そうだ。それまでは私達がいる。困ったことがあればなんでも相談しろ。私がお前達の姉となってやろう」
頼もしくそう言う皇女の言葉に、本当に嫌そうな顔をしたレヴィッタが面白かった・・・
こうして友誼を築いたレヴィッタ、エルフのシルヴィーナ、第一皇女のシルヴィア・ファデリン・エストリアの三人の関係は後々まで続くことになる。
彼女達はエルフと人間という枠を超えた硬い友情で結ばれ、両種族に問題が出た時は彼女達が率先して問題解決に動いた。
皇女は自身の持つ芯の通った強気と黄金仮面として力強さを用いた強引な解決を得意とし、レヴィッタはそれとは対照的でやんわりとのらりくらりとしているうちに最終的に相手が彼女のペースに引きずり込まれて、緩やかな解決をする。
そして、シルヴィーナは粘り強い交渉によって相手の欲する落としどころを探し出すのが得意であったとされている。
姉のローラは裏方に徹して、調整役が得意な存在だった。
後の歴史家からの評価される彼女達四人だが、彼女達の存在がなければ、エルフと人間の友好は百年遅れていただろうと言われている。
その中でレヴィッタは夫のウィルが目立つことを嫌っていたため、歴史の記録から薄れていく。
残された三人の王女が後の歴史で語り継がれる存在になる。
そんな女傑達が活躍したのが、ゴルト歴一〇二四年頃のエクセリア国の首都エクリセンが舞台であった・・・
外伝・第四部・三王女の物語 完
2022年9月30日
これにて外伝・第四部は終了となります。ちょっと予定よりも話数が増えてしまいましたが、お付き合いいただきました皆様ありがとうございました。本編の連載も再開しておりますので、引き続きそちらでメインストーリをお楽しみ頂ければ幸いです。




