第九話 取引
「デニアン君、そして、ルミィ、シエクタ。それでは食事を始めようか」
今日の父は、少しぎこちない態度でこの場に居合わせた全員に声を掛けると、我が家の夕食が始まった。
家族全員で食事をするは我が家の習慣・・・と言うか、このランガス村では当たり前の光景だ。
外で飲食できる店は一部の宿には存在するが、村民がそれを利用する事は殆どない。
そのような店を利用するは、旅人や偶に来る商隊の人ぐらいであり、普通の住民は自分の家で夕食を取るのが普通なのだ。
しかし、今日はいつもと違うふたつのことがある。
ひとつは御馳走。
私達お金持ちでも滅多に食べられない贅沢な子山羊の肉を使った煮込み料理。
そして、もうひとつは、この食材を持ってきた母の弟、デニアン叔父さんが我が家にいる事だ。
この叔父とは初めて会うが、私の父や母と同じで商人なのだと言う。
前回の商隊でラフレスタから一緒に来ていたらしけど、仕事が忙しくて、イオール商会にはなかなか顔が出せなかったらしい。
久しぶりに自分の姉の顔が見たくなって贅沢な食材を手土産にやって来たようなのだけど・・・何だか、ぎこちない。
ぎこちないのは遊びに来たこの叔父の方ではない。
迎い入れた私の父や母が、いつもと違い何処か余所余所しく緊張していたのだ。
いつも緊張しがちな父ならば、そんな事はよくある話しなのだが、私から見て豪胆な母までもが落ち着き無かったりする。
どうしてなのだろうか?
もしかして歓迎していないのだろうか?
そんな疑問もあったが、叔父の方は饒舌で、昔話や、父と母の馴れ初めの話しなんかを教えてくれた。
おかげで、この叔父の相手をするのは私の役目になってしまった。
私はいつもの猫かぶり能力を駆使し、八方美人的に卒なくこの叔父の話し相手をする。
食事しながらも話題は、私の学校の話しや、叔父の若い頃の話し、叔父が今暮らしているラフレスタの話しと次々に変化する。
そして、叔父の仕事の話しになった。
「デニアン叔父様の商会では、今は何を取り扱っているのですか?」
「私の専門は薬でね。いろいろな薬を取り扱っているのだよ」
「まぁ、そうなのですか。それはすごい。薬って取り扱うのに多くの知識が必要だと聞いていますし、人の役に立つ仕事ですね。いろんな人達から感謝されるでしょう? 私、尊敬します」
「いやいや、そんなに言われる程じゃないさ。ハハハ」
私は現在、高等学校の授業で習っている事もあったが、薬という商品は取扱うのに専門的な知識が必要であり、素人が手を出してはいけないものだと知っていた。
下手に調合を間違えたり、違うものを売ってしまったりすると、人の命にも直結するものであるし、高度な知識と経験、そして、社会的に大きな責任を負う仕事でもあるのだ。
私は純粋な尊敬の眼差しをこの叔父に向けたのだが、叔父の方も満更ではないようだった。
そんな叔父は気分が良くなったのか、懐に手をやって、白い紙の袋に入った薬をひとつ取り出した。
「この薬は、今、商会でヒット商品なんだよ」
叔父はそう言って私に薬をひとつ持たせてくれたが、これを見た母と父はギョッとなっり、突然立ち上がって怒鳴った。
「デニアン! こんなところで何を出しているの!!」
「そ、そうだ。この件については、娘を巻き込むな」
父母の突然の豹変に私はとても驚いてしまったが、当の叔父さんはどこ吹く風で涼しく往なす。
「いいじゃねぇか。ルミィ姉ぇ。秘密は共有しないと。お前達、家族だろ?」
秘密? 一体何の事を話しているのだろうか?
訳の解らない私だったが、どうやら叔父はその事を教えてくれるようだ。
「いいか、シエクタ。このクスリなぁ、或る人間にはとても価値があるもので、今度このイオール商会でも取り扱ってくれる事になったのさ。今日はその前祝で・・・」
「もういい、デニアン、これ以上はヤメロ!」
温厚な父がこれ以上は言わせないと、叔父に掴みかかろうとした。
そこで突然、食堂の扉が何者かによって荒々しく開かれる。
「オイ。お前達、動くな! 現場を抑えたぞ!!」
そこに突然現れたのは、何故かエリックだった。
彼は完全武装の恰好をしており、まるで強盗現場にかけつけた警備隊のようだった。
「ここで違法薬物の取引がされているとタレコミがあった。お前達、全員両手を床に付けて這いつくばれ!」
とても荒々しい言葉でそう言うエリックは、まるで私たちの事を犯罪者だと言わんばかりの態度だった。
「え? ええ?」
私は訳が分からず、ただ驚いていると、エリックは素早く部屋の中に入って来て、私の手を取る。
「まさかシエクタが・・・これはお前のか?」
これが違法薬物だと言うの?
私は困惑して渡した叔父の方に視線を移す。
そうすると叔父は視線を逸らした。
それを見たエリックは何かを勘付いたように叔父を睨んだ。
「お前が渡したのか?」
「それは俺のモノじゃねぇ、ぐわっ!」
エリックは有無を言わさず叔父を力一杯殴った。
「ぎゃっ」
短い悲鳴と共に叔父は吹っ飛び、我が家の居間に備え付けられていたキャビネットに当たり、中に入っていたコップやグラスが落ちて割れた。
そして、殴られた叔父の懐からは大量の白い紙袋に包まれた薬が出てきた。
そのひとつをエリックが拾いあげ、灰色の粉末状の薬に鼻を近づけて眉を顰める。
「やはり、これは純度の高い麻薬・・・・・・お前達!」
エリックは私達の事を激しく睨んだ。
まるで私達を悪の手先のように睨むその顔はとても怖かった。
「わ、私達は関係ないわ」
「そ、そうだ。これは全部デニアンのものだ」
両親は当然のように自らの無実を口にした。
しかし、当の叔父は・・・
「い、いや、違うんだ。彼等も共犯だぜ。私とイオール商会でこのクスリをランガス村で集めて、そして、ラフレスタへ密売する計画だったんだ。ほら、正直に言ったぞ。俺の罪を軽くしてくれ!」
そんな命乞いとも取れる必死の言い訳。
この期に及んで濡れ衣を・・・と、私は怖さを通り越してこの叔父に怒りさえ感じてきたが、エリックは恐ろしい事を言った。
「煩い、お前達! このクスリがどれだけヤバいものなのか解っているのか? とても常習性の高い最悪のクスリだぞ。こんなものを見つけたら全員逮捕するに決まっているだろうが!」
そう言ってエリックはテーブルをガンと強く叩いた。
この高圧的な暴力に、私はとても怖くなった。
膝はガクガク震えて、どうしていいか解らなくなる。
「エリックさん! そこを何とか・・・そう言えば、ほら、前にラフレスタからランガス村に移動しているとき、私に話してくれたじゃないですか。 ランガス村には好きな娘がいるって。そのシエクタって女性、実は私の姪なんです」
叔父はそう言って私を指差す。
「・・・そ、そうだ、ふたりが結婚してしまえばいい。そうすれば私達は秘密を共有する事になる」
叔父はとんでもない事を言い出した。
必死なのは解るが、ここでどうして私とエリックの結婚話しが出てくるのだろうか・・・
混乱する私を置いてけぼりにして叔父から必死な懇願は続いた。
「ランガス村には身内をとても大切にする風習があるじゃないですか・・・」
何を言っているの? と私は思ったが、ここでこの話しに乗って来たのは意外にも自分の母だった。
「そ、そうよ。私もこんなところで終わるのなんて嫌・・・あなた達だって、お互い好き合っているでしょ。この機会に結婚してしまえばいいのよ。それにこのクスリの取引だって「今回だけ」という話しでデニアンから持ち掛けられた話しなのよ。信じて!」
私は母の言葉に我が耳を疑った。
本当に禁止薬物の取引をしていたなんて・・・
それに、私達は好き合ってはいない。
好きなのはエリックの方から一方的なのに・・・
「お、おい、ルミィ・・・」
「貴方は黙っていて、このままじゃ、私達は罪で縛り首になるわ。私はそんな人生の終わり方は嫌よ!」
父が何かを言おうとしたが、それを母が制した。
私も「縛り首」という言葉に震え上がった。
「ねぇ、私達は、もうこのクスリの取引はしない。お金だってあげるし、娘だって差し出すから」
母は必死の表情でエリックに縋った。
エリックの方も、どうしようかと迷っているのか、思慮を巡らせているようだった。
沈黙が続き、やがて、彼は口を開く。
「・・・解った。今回は見逃そう」
エリックの一言で全員がホッとする。
しかし、彼は要求を突きつけるのを忘れなかった。
「それで、本人の意思はどうなんだ?」
全員の注目が私に集まる・・・
「お願い、シエクタ! 私達を助けると思って・・・」
そんな母からの必死の言葉に、私は拒否する事さえ許されなかった。




