語り部編
さて、第二編からは本格的に三人称の執筆方法を説明させていただきます。
まず第一に、もっとも重要なのは、三人称視点≠ノットイコール作者視点である、という事。
時折間違えられる方がおりますが、三人称小説とは即ち、擬似的な第三者的視点で語られるものです。つまり、意思のない、幽霊のような三人目が見聞きしたような形式で語られていくことになります。
その為、できるだけフランクな口調は割け、あくまでも物語の次第を読者へ語る説明者であるという事を強調するべきです。
でなければ、それを伝記のように誰かが語っているのか、透明な第三者による解説なのか、読者には分からないからです。
一人称と三人称の大きな差はそこに、つまり語り部の意思の強弱にあると思います。
語り部が今、どの位置に居るのか? という事を、読者は文体と文章で理解します。しかし、文に揺れがあっては、いまいち理解できない、という事態を招きかねません。
では、どう区別していくべきなのか。これには様々な手段を使う必要があり、その一つ目は口調です。
「~です、ます」調は丁寧に感じますが、丁寧と言うのはつまり、人の意思があるという事に他なりません。絵本などの語り部はつまり作者ですので、ですます口調でも問題ないですが、三人称では違ってきます。
おすすめは、「~だ、である」調です。あまり礼儀正しさを感じず、違和感や拒否感を覚える方も居るかもしれませんが、だからこそこの口調は三人称に向いていると言えます。
あくまでも事実を述べる、余計な装飾(礼儀、丁寧さ)は混乱させるので省く。となると、である調は事実を述べる点において優秀な口調であるというのが個人的な解釈です。
もし礼儀正しさの欠如を不快に思ってしまう方は、逆に、「丁寧ではない≠無礼である」と考えてみてはいかがでしょうか。
例を挙げると、キャラクター達です。「~だ」という口調は比較的男性、それも冷静であったり深い考えのあるキャラクターに使われることが多いように感じられます。
しかし、彼らに無礼さを感じますか?
感じる時もありますが、彼らの口調は、彼らの冷静さの象徴であると同時に、対面する相手が自分と同格である事を示し、下にも下にも見ていないことを表す場合もあります。
三人称に於いても同じで、視点の人物――この場合、語り部と呼んでいますが――は、登場した事象、現象、人物に対して礼を失しているわけではありません。
実際には存在せず、擬似的に場面に登場するだけの語り部は、基本的に誰に対しても同じ程度に扱います。ゆえのである調、と考えるのはいかがでしょう、と筆者は提案してみます。
三人称小説に於いて意思の強弱を表す為の方法の二つ目は、「感情」です。また、これは方法である同時に、「してはいけない」禁忌タブーの一種となります。お気をつけください。
さて、感情と述べましたが、簡単に説明すると、持ってはいけないはずの、語り部の持つ「感情」のことですです。
当編の冒頭に於いても記述しましたが、三人称視点は作者の視点ではありません。つまり、たとえ描写するものがどんな相手であっても、基本的に語調を強めたり弱めたりしてはいけません。
たとえば、体中の至る所に脂肪が溜まり、たるみきった腹は服に収まりきらず、煙草の煙を所構わず撒き散らしながら、横柄な態度で人を見下しながら歩く――そんな男が居たとしましょう。
仮にジョン、と呼ぶ彼に対し、何らかの描写をするとき。たとえ作者がその人物にいかなる感情を覚えていても、文面に表してはいけません。たとえどれだけ恐ろしく、または憎く、あるいは蔑んでいても。
語り部が感情を表す、語り部が感情を持っている。それは即ち、語り部が「人物」である事を表してしまい、完全な第三者からは外れてしまいます。語り部はあくまでも一歩引いた立場、という事を忘れてはいけません。
映画やアニメなどの「観客」とは違うのはこの点です。自分の意思を地の文に載せられるか否か。
どうしても特定対象に対する不快感、もしくは強い憧れや好意などを表したい場合は、後の編で詳しく語りますが、台詞ではないキャラの心の声で語りましょう。
地の文で「彼は彼女は~~と思った。」という感じに混ぜ込むのも良いですが、より強い思いを表したいのであれば、行間を開けて
「
――綺麗な人だな。
と彼は思った」
という風に表すのが良いのでは無いか? と筆者は思っています。
ただし上記の表現は、私の使っている文法でありまして、これを読んだ方が「こっちの方が良く表せそう」というのを見つけたら、是非是非そちらを使ってください。それはあなたの"作風"の一環となっていくのですから。