008.少しずつ整っていく毎日
新しい週に入った。
ノエルさんが手配してくれた木工ギルドの人たちが裏庭に来て、小屋を建て始めた。
工事は一ヶ月程かかると言う事だった。冬の前には間に合いそうでほっとする。
お風呂が出来たらせっけん必要だよね。今から作っておこうかな。料理で出た油でよく作っていたんだよね。でも、料理で使った油だとにおいがあるから、身体を洗うようには向かないかな。あ、食堂で使えば良いのかな。
お昼の仕込みをしながら油について相談する。
「余った油? 好きに使っていいぜ。今度は何やんだ?」
ラズロさんの知る王都の生活と、僕がいた村の生活はかなりかけ離れているみたいだ。僕の場合はそこに魔法も使ったりするから余計に。
「せっけんを作ろうと思って」
「作れんのか、あれ」
「作ってました、村では」
各家庭で作るのは大変だからと、使い終わった油を集めて、みんなでワイワイ言いながらせっけんにして、出来上がったのを村の備蓄庫に保管してた。必要な時になったら取りに行く、って感じだったんだよね。
「半端ない衛生環境だな、アシュリーの村は」
「そう言うものだと思っていましたけど、珍しい村なんですね」
村の魔女は何でも知ってて、魔力も凄いあって、みんなに頼られていた。百年は生きてるって言われてたけど、あれは本当なのかも。
「せっけんは何処で使うんだ? 風呂か?」
「料理で使った油は臭いがあるので、お風呂では使わないです。食器を洗うのに使います」
ちょっと独特の香りがあるから、洗濯やお風呂で身体を洗うのには向かないんだよね。
「無駄がねぇな」
感心したようにラズロさんは言った。
「そう言えばコーヒーを淹れた後のカスがあるんだけどな、何とか出来ねぇかな?」
いつも飲んでるもんね、コーヒー。
「今はどうしてるんですか?」
「……実は庭に放り投げてる。茶色いから分かんねぇかなって思って」
えー……。
ラズロさんはガリガリと頭を掻く。
「悪ぃ」
水分を含んだカスをばら撒いたりして、庭は大丈夫なのかな。乾いてればいいけど、カビたりしてたら嫌だなぁ。
後でちょっと確認して、アレだったらフルールに協力してもらおう。
フルールは今、剥いたじゃがいもの皮を足元で一心不乱に食べてる。可愛いです。
ゴミが出ないのはとても助かる。残飯はやっぱりにおうし、カビたりする。
スライムは基本的にずっと食べていられるらしい。眠ったりもしないんだって。
ごはん食べた後に眠くなったりしないなんて、凄い。食べ過ぎた後は眠くて仕方ないのに。
仕込みを終えた僕たちは、ラズロさんがコーヒーのカスを捨ててると言う場所に連れて行ってもらった。
適当に捨ててたんだなーと言うのがよく分かる感じで、何も言えない僕の横でラズロさんは頰をポリポリ掻いてる。
カスが重なり過ぎてカビてしまってるかなー、という部分を、フルールを呼んで食べてもらう。本当は、嫌なんだけど……。
「フルール、おいで」
ぴょこぴょこと跳ねるように僕の横に来たフルールは、鼻をひくひくさせている。コーヒーの匂いがするからだと思う。
「あのね、この辺のコーヒーのカスを食べて欲しいんだけど、食べれそう?」
フルールはコーヒーのカスに鼻を近付けて、食べ始めた。
大丈夫そうだ。
「食べ終わったら戻って来てね」
長い耳がぴょこ、と動いた。分かったって事かな。
とりあえず、これでコーヒーのカスがカビて大変な事になるのは防げそう。
それにしても。
問題なく乾いてるコーヒーのカスを手に取ってみると、サラサラしてる。
コーヒーって、なんなんだろう。豆みたいに見えるけど。
ノエルさんが来たら聞いてみようかな。
仕込みも終わったから、朝ごはんを食べて、洗濯をする。シーツを洗いたいし、タオルも洗いたい。天気の良い日は洗濯したい。
ラズロさんが両手に洗濯物を抱えて裏庭にやって来た。
「持って来たぞー」
昨日、王都の金物屋さんで金ダライを見て、即購入した。水を使ってもカビないタライとか、初めてみた!
村で使っていたのは木で作ったタライだったから、使用後はちゃんと乾かさないカビちゃうしで扱いに気を使ったんだけど、この金ダライなら使用後に軽く風魔法で乾かせばカビない!
「ここに入れて下さい」
金ダライを指差すと、ラズロさんはタライの中に無造作に洗濯物を入れた。
「随分デカいな、この金ダライ」
「一番大きいのを買いました。洗濯にも使えるし、ネロを洗うのにも使えるし、水浴びにも使えるし、色々使えそうだったので」
「主婦の鑑だな、オイ」
主婦じゃないですよ?
洗濯物の中に魔法で水を入れていく。粉せっけんを振りかけて、風魔法で水に流れを付けていく。
「なんでこのせっけん、粉状なんだ?」
「あ、粉にしました。その方が水に溶けやすいので」
「主婦だな?」
「主婦じゃないですよ?」
タライの中で洗濯物がぐるぐると回りだす。ずっと同じ方向だと汚れが残っちゃうから、水流の向きを反対にする。
しばらく回転させた後、洗濯物に汚れが残ってないかを確認して、水を消す。また水を注いで濯ぎ、汚れた水を消し、もう一度水を注いで濯ぐ。大体二回ぐらい濯げばせっけんは洗い流される。
あ、しまった。
「どうした?」
僕が固まっているのに気付いたラズロさんが聞いてきた。
「いつもはもっと小さいタライで洗濯をしていたので、蓋をして脱水していたんですけど、このタライに合うだけの蓋がないんです」
なるほどな、とラズロさんは納得したように頷くと、ちょっと待ってろよ、と言って何処かに行った。
仕方がないので一つずつ手にして取って絞る。
ちょっとしてラズロさんが木の板を持って戻ってきた。
「ちゃんとした蓋が手に入るまで、これでも使っとけ」
お風呂を作ってる人たちに話してもらって来てくれたらしい。なるほどー。
「ありがとうございます、ラズロさん」
「礼はいらねぇよ。洗濯してもらってんのはこっちだからな」
タライの中に風を起こして蓋をする。
こうすると洗濯物の水分が風で飛ばされて、そこそこ脱水出来る。絞ると洗濯物が傷ついちゃうけど、これなら傷付かないし、干してからの渇きも良い。
「相変わらずアシュリーの魔法は万能だな」
「全然万能じゃないですよー」
「こんだけ生活を支えてんだから、もはや万能の域だろ」
昨日出かけている際に、洗濯屋さんの前を通って、どのぐらいお金がかかるのかなと思って見てみたら、カゴ一杯で銅貨3枚だった。
銅貨3枚あると、屋台の串焼きが3本買えちゃう。
うん、僕は自分で洗濯しようと思った。
老後の生活資金として、ちゃんと貯めないとね。
兄に口酸っぱく言われていたんだよね。人生何があるか分からないから、金は貯めておけって。金は裏切らないぞ、って。
……一体何があったんだろう……?
濯ぎを終えた洗濯物を、ラズロさんが用意してくれたロープに引っ掛けて干す。
白くなった洗濯物が並んで風に揺れるのを見るのは気持ち良い。
今日は天気も良いし、良く乾きそう。
「アシュリー、ナスを薄く切ったけど、これ、どうすんだ?」
「ナスでキノコを巻いて、ひき肉とソースをかけて食べるんです。ナスで巻いてあるとキノコもバラバラになりにくくて食べやすいですし」
ソースはパンを付けて食べると美味しいし。
タマネギとベーコンのスープも付ける予定。
「おー、美味そうだな!」
ラズロさんが安売りしてたからと沢山キノコを買って来てくれたんだけど、キノコは結構悪くなるのが早いんだよね。だから美味しいうちに食べちゃいたい。
厨房に戻った僕は、毒キノコが混じってないかを確認する。
「なにやってんだ?」
「一応、毒キノコが混じってないかの確認をしておこうかと思って」
「アシュリーは毒キノコ見極められんのか?」
父さんが猟の途中で見つけたキノコをやたら拾って来る人で、母さんに教えてもらったりしているうちに覚えた。
キノコを選り分けていく。念の為見ておいて良かった。少し危険なのが混じってた。
「毒キノコは捨てるしかねぇんだよな?」
「僕は薬に詳しくないのでアレなんですけど、僕の村にいた魔女は毒キノコを乾燥させて薬にしてました」
「毒薬?!」
強張った顔でラズロさんが言うから、おかしくなって笑ってしまう。
「使い方で薬になるみたいです。例えばこれ」
ひと房のキノコを持ち上げる。
傘の部分が真っ白くて大きい。パッと見、よく食べるキノコに似てる。
「このキノコ、クラヤミタケって言うんですけど、暗い場所で光るんですよ。これ自体には毒はないんですけど、いくら煮ても焼いても美味しくないんです。でも、乾燥させて粉にすると腹痛の薬に混ぜたりするんだそうです」
「ほぉー?」
怪訝な顔でキノコを手に取って見つめる。
「アシュリーはその魔女から薬は教えてもらわなかったのか?」
どうしてだろう?
二日酔いに効く薬を作ってもらえただろ、と言ってラズロさんはにやりと笑った。
父さんもそうだったけど、飲み過ぎると翌日辛いのに、どうしてあんなに飲むんだろう? いつも母さんに怒られていたのに、それでも止めないんだもの、不思議でならないんだよね。僕も大人になったらあぁなるのかなぁ?
「二日酔いに効くものなら作れますよ?」
「マジか?!」
「父さんがよく二日酔いになっていたので、簡単なのは魔女に教わってます。薬ではないですけど」
ラズロさんに抱きしめられた。
……そんなに……?
「でも、飲み過ぎ注意ですよ?」
僕の言葉はラズロさんには届いてないっぽい。楽しそうに鼻歌を歌いながら片付け始めたし。
うーん……余計な事を言ったかなぁ……。
「二日酔いに効くとは言っても、緩和させるだけですよ? 完全に治すものではないですよ?」
「おー、わーってるよ!」
……アレは分かってないっぽい。もー……。
ため息を吐きながら、毒キノコをまとめておく。これだけあったら魔女が喜びそうだな、と思いながら。
「コーヒー?」
「はい」
少し遅めのお昼を食べに来たノエルさんに、コーヒーの事を聞いてみる。
パチパチと瞬きをした後、ノエルさんの眉間に皺が寄る。ど、どうしたんだろう?
「気にすんな。大方アシュリーに良いトコ見せたいのにコーヒーの事を知らないんだろ」
ラズロさんがにやにや笑いながら言う。
あ、そう言うこと?
悔しそうに口を尖らせるノエルさんの反応からして、ラズロさんの言った通りみたい。
僕としては、ノエルさんにも知らないことがあるんだなー、って親近感がわくんだけど、駄目なのかな?
ナスとキノコを挟んだパニーノとスープを持ってトキア様の執務室にお邪魔する。
「知識を得ることに興味があるのなら、図書室への入室許可を与えるが」
机の上にパニーノとスープを置いていたら、突然トキア様に言われた。
何の事だか分からないでいると、トキア様がコーヒーについてだ、とおっしゃった。何でご存知なんだろう? あ、ノエルさんから聞いたのかな?
「でも僕、簡単な文字しか分からないです」
「そうか」
「はい」
「では、私が教えてやろう」
トキア様から文字を教えてもらう?!
「えっ! そんな、とんでもないです! お忙しいトキア様にそんなご迷惑はおかけできないですっ!」
慌ててお断りする。
忙しくてお昼も食べる余裕がないトキア様に、迷惑なんてかけられないよ!
「そんなに嫌がるな。フルールの事といい、昼の事といい、おまえには世話になっているからな、文字ぐらいどうと言う事はないし、アシュリーのいた村の話も聞きたい」
えっ、でも、フルールの"核"に高価なものをいただいてしまったし、僕の方がお世話になってるのにーっ!
口にしたパニーノの具を、トキア様はまじまじと見つめる。もしかしてお嫌いなものが入っていたとか?!
「これは美味だな。キノコの食感とナスの食感が良い」
ほっとする。
良かったー……一瞬焦ってしまった。
「文字は知っていて損はないぞ。家族にも手紙がかけるだろう」
父さんも母さんも文字は得意ではなかったけど、兄さんは商人スキルがあるから、手紙を書いたら兄さんが読んでくれるかも知れないな。
ちょっとだけ文字が読めるのも、兄さんから教わったからだし。
「明日から教える」
とっても嬉しいけど、本当に良いのかなぁ……?
「案ずるな。基本的な事を覚えれば後は一人でも学んでいける」
ずっとトキア様に迷惑をかける訳ではないってこと?
それなら、覚えたい。
「ありがとうございます、トキア様」
トキア様の大きな手が僕の頭を撫でた。なんかちょっと、恥ずかしいけど、嬉しい。
食堂に戻ってから、そのことをラズロさんに話したらまた、頭を撫でられた。
「おー、良かったじゃねぇか。文字の読み書きが出来た方が悪い奴に騙されなくなるからな。それにしてもあのトキア様がなぁ。アシュリーは随分気に入られてんなぁ」
気に入られて……いるのかな……?
「あの人は気難しいし、無能は嫌いなんだよ」
サッと血の気が引く。
「それじゃあ、僕、駄目だと思いますっ」
「何でだよ。アシュリーは持っているスキルを上手く使ってんじゃねぇか。無いなら無いなりに努力してる姿は好印象だぜ?」
そういうもの?
ラズロさんは笑顔で僕の頭をわしわし撫でた。
「文字の読み書きに慣れたらオレと買い物に行けるな」
「行きたいです!」
この前の買い出しにクリフさんとノエルさんが付いて来てくれたのは、僕が文字を読めない所為もあったみたい。
世間知らずで文字も満足に読めない僕が騙されないようにと、同行してくれたんだって。
うん、やっぱり文字は覚えないと。クリフさんとノエルさんにこれ以上迷惑をかけないようにしたいし、文字が読み書き出来るようになったら、ラズロさんのお買い物のお手伝いも出来そうだし。
頑張るぞ!