062.二人の魔女
宙に浮かんだパフィは、冬の王に比べたらとても小さい。
でも、大きさは関係ない。魔女は指をほんの少し動かしただけで魔法を使えるし、その威力は魔法使いの比じゃない。
何度も村で見てきた。
「猫の姿もいいが、やはりこの姿のほうがしっくりくるな」
黒猫の振りをずっとしてたってこと?
冬の王が鳴いた、というか、吠えた。
風が強く吹いて頰が痛い。
「……哀れだな、死ぬことも出来ぬとは」
冬の王のことを言ってるのかな。
「始祖の魔女 キルヒシュタフが守っていたのは、冬の王の核だ」
「核?」
「核の中に魂を封じ込めている」
核の中に魂を封じ込める。
冬の王の魂を?
「それをクロウリーの中に埋め込んだ。稀代の魔術師を食わせるためにな」
「ダリア様がそれを止めたの?」
「そうだ」
冬の王の手がパフィに向かって伸ばされる。
ここで一番の魔力を持つのはパフィだから、パフィを取り込もうとしてるんだろう。さっき北の国の人たちを吸い込んだあと、冬の王の左肩は大きくなった。不自然に膨らんでる。
「壊れた核にどれほど魔力を注ぎ込んでも無駄だというのに。諦めの悪い」
王の手はパフィに触れようとしては弾かれていく。
それでも何度も何度も手は伸ばされる。足りないと思ったのか、新しい手が生えてきて、パフィに触れようとする。何本も手が生えては、パフィに触れようとする。
パフィは弾くけど、冬の王に攻撃をしない。
何でだろうと思っていたら、細い木の枝のようなものが伸びてきて、パフィの頬に触れた。
頰に赤い線ができる。切れたんだ。
でも、それも一度だけ。あとはまったくパフィに当たらなかった。
パフィは右手を上げ、振り下ろした。
冬の王が見えない大きななにかに潰されるようにして、膝をつく。大きく足元が揺れて、雪がぶわりと舞った。
もう一度振り上げた手が下されると、冬の王は雪の中に倒れた。大地が大きく揺れて、僕は慌てて近くのものに捕まった。
舞い上がった雪が収まってきたのを見計らっていたのか、パフィが言った。
「…………さらばだ」
パフィが指を鳴らした瞬間、冬の王の身体を大きな炎が包み込む。赤と青の混じる、普通ならあり得ないような色をした炎だ。
巨大な炎の中で冬の王は苦しそうにもがく。でもそれも少しの間で、動かなくなった。炎はそのまま冬の王の身体を焼き尽くしていった。ゆっくりと炎が小さくなっていって、燃やすものがなくなると炎は消えてしまった。
こんなに、呆気なく、終わっていいの?
皆が命がけで戦ってきた相手なのに。
納得できないでいると、パフィが言う。
「来るぞ」
突然空中に現れた女の人は、悲鳴を上げて冬の王がいた場所に降り立った。
「あなた!!」
冬の王をあの女の人はあなた、と呼んだ。
多分、魔女なのだろうと思う。誰かまでは分からないけど。
「どけ、二度と再生できないように破壊する」
「パシュパフィッツェ!! 何故! この人はあなたの父親なのよ!!」
……冬の王が、パフィの父さん?
五百年前に生まれた魔女 パシュパフィッツェ。
五百年前から現れるようになった冬の王。
……あの魔女は、始祖の魔女 キルヒシュタフ様。
皆も僕と同じで動揺していて、あたりはざわざわしていた。
「父親だったものだ。死者の魂をあのように閉じ込めることは自然の摂理に反する」
「死んでいない! 新しい肉体があればいいだけなのだから!!」
首を振ってキルヒシュタフ様は否定する。
「肉体が滅びれば死ぬ。それは我ら魔女とて同じだ」
なにかを守るように抱きしめ、パフィを見上げるキルヒシュタフ様を、僕はどう思えばいいのか分からない。
「人と魔女は同じ時は生きられても、同じ長さは生きられない」
その声は少し悲しそうに聞こえた。僕がそう思ってるから、そんな風に聞こえたのかも知れない。
「人よりも高位の存在となれば良いのよ! その為に準備をしていたのに、どうして皆で邪魔をするの!? もう少しだったのよ!!」
「愛した男を化け物にするのが愛なのか」
「愛した人とずっと一緒にいたいと考えるのは当然でしょう!」
遠くてよく見えないけど、キルヒシュタフ様は泣いてるみたいだった。声が、泣いてた。
「どれほど人より優れた力を持っていても、永遠の寿命を持っていても、一人では意味がないの! 孤独はもう沢山!!」
悲鳴のような声で叫ぶキルヒシュタフ様を見ていたら、悪いことをしたって分かってるのに、可哀想に思えてきてしまった。
だって、寂しいのは辛いから。
一人で食べるごはんも、人と食べるごはんも、味は変わらないはずなのに、でもやっぱり、誰かと食べるごはんは美味しい。それが大切な人とだったら、何倍も美味しくなる。
アマーリアーナ様でも千年は生きていた。
始祖の魔女と呼ばれるキルヒシュタフ様は、もっと長生きなのだとしたら。
その間ずっとずっと一人だったとしたら。
「終わらせてやろう、娘である私が」
「パシュパフィッツェ! この人を助けて私と三人で、親子水入らずで暮らしましょう!」
「断る」
「パシュパフィッツェ!!」
パフィの腰まで伸びた髪が広がって、揺れる。
「この時の為に準備をしてきたと言ったな。私もだ。ずっと、この時を待っていた」
キルヒシュタフ様の身体が宙に浮かび、パフィと同じ高さまで上がってきた。
「いくら準備したといえど、私には勝てないわ。私は万の時を生きたのよ。たかが五百年しか生きていないおまえなど造作なく滅ぼせるの」
「そうだろうな」
パフィはキルヒシュタフ様の言葉を否定しない。
万の時を生きた魔女……それでもパフィは、キルヒシュタフ様に向かうことを止めない。
二人からあふれる熱みたいなものが、僕たちを息苦しくさせる。
見えないなにかが押し潰してこようとする。トラスが守ってくれているのに、それでも苦しい。
横を見るとノエルさんが額から沢山の汗を流しながら呪文を唱えていた。トキア様も。他の魔法使いの人たちも。鼻血を出している人もいた。
ティール様も術符を手にして呪文を唱える。一瞬にして術符が灰になってく。魔術師の人たちの術符が、全部。灰は吹いてきた風に飛ばされて消えていく。
皆、苦しそうな顔ををしていた。でも、誰も止めようとしてなかった。
パフィから飛んでいった光は、キルヒシュタフ様に触れることもできない。さっき、あんなにも簡単に冬の王をパフィは倒したのに。キルヒシュタフ様にまったく当たらない。
キルヒシュタフ様から飛んでくる氷の矢は、パフィに当たる前に砕けて、その砕けた破片が襲って、パフィを傷つける。
……どうしたらいいのか分からない。
僕はここにいてもなにも出来ない。
トラスが守ってくれてる。アマーリアーナ様とパフィの呪いで。
でも、二人の魔女より強いのだ、キルヒシュタフ様は。
パフィの後ろにいる僕にもその破片は飛んできて、全部じゃないけど、破片が僕に刺さる。
ノエルさんにも、ティール様にも、他の人たちにも。切れて血が出てきたところが、熱を持ったみたいに熱い。
パフィから赤い矢がいくつも飛んで、キルヒシュタフ様の氷の矢とぶつかる。
何度も何度も。
光と光がぶつかって弾けるように見えて、とてもキレイだけど、キルヒシュタフ様の氷の矢は砕けてもあちこちを傷つけていく。
城壁が、まるで土をけずるみたいに壊れていく。
このままずっと続いたら、パフィが負けてしまうんじゃないか。
そんなこと考えちゃ駄目だって分かってるけど、キルヒシュタフ様は、傷一つついてないように見える。
どれぐらい時間が経ったのか、分からない。
ほんの少しのようにも思えたし、長い時間が経ったようにも思えた。
「時間の無駄よ。魔力を無駄に消費するだけ」
「……そうでもない」
少し苦しげなパフィの声。こんな声、初めて聞いた。いつも自信に満ちていたのに。
「私を滅ぼせるのは、同じ始祖の魔女ダリアか神しかいないわ。今の私に匹敵するには、おまえも万の時を経なければならないの」
「おまえを滅ぼすのに、万の孤独は不要だ」
キルヒシュタフ様がなにかに気づいたように周囲を見渡す。
「ここだ」
パフィの手の上に、まん丸い淡い光を発する玉があった。ひび割れて、少し欠けてる。
あれは、もしかして冬の王──パフィの父さんの魂が入っているという核だろうか。
両手で玉を持つ。
キルヒシュタフ様が悲鳴のような声で言う。
「やめて!! お願い、パシュパフィッツェ!! あの人を殺さないで!!」
「あの男はもう、五百年も前に滅んでいる。眠らせてやれ、本当に愛しているのなら」
「死んでいない! 私が何度でも力を注ぐもの! 死なないの!」
「終わりだ」
「返して!!」
キルヒシュタフ様がパフィめがけて飛んだ。
パフィも核の玉を持ったまま、キルヒシュタフ様に向かって飛んだ。
それは本当に一瞬のことで、息が止まった。
キルヒシュタフ様の手が、パフィの身体から飛び出していた。
二人の身体は、そのまま下に落ちていった。
「パフィ!!」
飛び降りようとした僕を、クリフさんが止める。
クリフさんから逃れようと必死にもがく。
「離してください!」
「いいから、捕まってろ!」
強く抱きしめられる。
クリフさんは僕を抱えたまま城壁から飛んだ。
「ガレジアンテ!!」
沢山の叫び声の中に、ノエルさんの叫ぶ声が聞こえた。
雪の中に落ちたけど、僕もクリフさんも無事だった。さっきノエルさんが叫んだのは、飛ぶとか、きっと僕たちを助けるための呪文だと思う。
クリフさんは僕を抱えたまま、積もる雪の中を歩いて、パフィの元に僕を連れて行ってくれた。
下ろしてもらって、パフィに近寄る。
パフィの胸をキルヒシュタフ様の手が突き刺していた。キルヒシュタフ様の胸にもパフィの手が刺さってて、二人とも口から血をこぼして、目を閉じていた。
「パフィ!!」
キルヒシュタフ様の手をパフィの身体から抜こうとしたら、クリフさんに止められた。
「…………おまえの声は……二日酔いの頭に……響く……」
うっすらとパフィの目が開く。
パフィはキルヒシュタフ様の手を自分の身体から引き抜いた。途端にパフィの服が真っ赤に染まった。血が出てきてるんだ。だからクリフさんは僕を止めたんだ。
ノエルさんとトキアさんがやって来て、パフィに魔法をかける。
「無駄だ……それよりも……核を壊せ」
トキア様は頷いて、持っていた杖で核を割った。
呆気ないぐらい簡単に玉は真っ二つに割れた。中から光が溢れて、玉はもう、光らない。
さっきあふれた光が、もしかして魂なんだろうか。
「……それで、いい」
パフィが息を吐く。
「これで……好きなだけ一緒に……いられるだろうよ……」
その言葉に、パフィが憎くてキルヒシュタフ様を攻撃したのでも、核を壊したのでもないと分かって、胸が苦しくなる。
「人は……人として生き……死ぬのが幸せだ。魔女もな……」
パフィの手を掴む。
涙があふれてきて、パフィの顔がよく見えない。
「パフィ! 死なないで!」
「……あしゅ、りー……」
かすれた、力のない声。
パフィの手が伸びてきて、僕の頰に触れる。
「幸せに、な……れ」
パフィの手が頰から離れるのと、目が閉じられるのは同じだった。
「パフィ!! パフィ!!」
揺らしても、どれだけ大きな声をかけても、パフィの目は開かなかった。
「パフィーーッ!!」




