051.冬の気配
旅の吟遊詩人や踊り子、楽師を雇う為の一座が作られることになった。
酒場などで歌ったりしている吟遊詩人たちも、出番のない日に一座で歌って良いらしいから、結構な人数が集まったとラズロさんが教えてくれた。
「一座で演奏していたら、酒場のお客さんが減ったりしないんでしょうか?」
水分も抜けて、型から外したチーズに塩を少しかけて、表面を撫でる。
チーズに変なものが付かないようと、水気が飛ぶように。表面をそっと撫でて、横も塩で撫でる。ひっくり返してまた撫でる。
「チーズ作りってのは、気がなげぇな」
もっと簡単に作れる奴はたまに作っては夜食に付けて出してるけど、ラズロさんは時間をかけて作ったチーズが気になって仕方ないみたい。
「アシュリーの作るもんは美味いけど、時間がかかるものが結構あるよな」
端肉を煮込んだものや粒マスタード、チーズ、確かにすぐには出来ないものばかりだけど、時間がかかって、手間がかかってるから余計に美味しく感じるんだと思う。
「昼間に演じるもんと、酒場で演じるもんは違うんだろうよ。さすがに手持ちが一つしかないって事はないんだろうしな」
「そっか。そうですよね」
「それに酒場も大概、行きつけの店ばかりになるもんだ。一座の演目を見て、あの酒場に足を伸ばしてみるかってなることもあるだろうよ」
なるほどと思いながらチーズを新しい布で包んで、氷室に運ぶ。
「それでアシュリーさん、チーズはいつ出来るの?」
「あと五日程寝かせたら食べたいなと思ってます」
ラズロさんの顔が明るくなる。
「やっとか! それで、なにするんだ?」
「食べられるようになったら、よっぽど合わないものじゃなければ、どんどん使います」
「そうなのか?」
「はい。においが強くなりすぎてしまうので」
「あー……たまにあるな、臭いがきっつい奴」
「あの臭いが好きって言う人もいるみたいですけど、僕はそうじゃないのでどんどん使います」
スライスしてパンにのせたり、スープにのせて表面を溶かしたり、イモにかけてみたり。
食堂はたくさんの人が来てくれるから、使い切るのにそんなに困らないと思ってる。
『チーズが出来たら宵鍋に行くぞ』
天井から声がしたと思ったらパフィだった。
「ザックさんの作るチーズ料理、美味しいもんね」
『ただ溶かした奴を野菜にかけた奴も好きだからな、あれも絶対作るようにな』
「パフィ、あれだけでワインをひと瓶空けちゃったもんね。
今回は端肉のパテを焼いて、その上にチーズをのせてとろけさせてみようか」
「いいな!」
ラズロさんから反応がきた。
「あー、腹減ってきた。ヨウルト食って良いか?」
すっかり小腹を満たすのにヨウルトが食べられるようになってしまったけど、ヨウルトは作り続けなくちゃいけないから、食べてもらえるのはとても助かる。
殿下も好きみたいでよく食べてくれているので嬉しい。殿下の体重が少し増えた、ってクリフさんが言ってたし。
『演劇とはなかなかの娯楽だな。悪くない』
座ったパフィはゆらゆらとしっぽを揺らす。
「みんなが楽しんでくれると良いよね」
どんなものか分からないから想像するしかないけど、酒場の舞台がもっと大きくて、それをみんなで見てる感じかな。
『ほんの僅かな時間でも、頭の中から不満に思うことを消せるだけでな、人の心は救われる』
「そう言うものなの?」
悩みがなくなったほうがすっきりしそうだけど、と思いながら夕食に出すイモの皮むきを始める。
『悩みの全てを消し去る事など不可能だからな。
大事なのはひと時でも別のことで頭を一杯にする事だ』
「確かにな」
ラズロさんが頷く。
「どうせ一つの悩みが消えたって、すぐに別の悩みが出来ちまうもんなぁ」
答えながら使い終えた道具をてきぱきとラズロさんが片付けていってくれる。
重いものとか、高いところにあるものはどうしてもラズロさんを頼ることになる。
なんとも言えない気持ちでいたら、ラズロさんが僕の頭をくしゃくしゃに撫でた。
「悩むのは悪い事じゃねぇぞ? なんとかしたいって思うからこそ、悩むんだからな。どうでも良い事なんて考えもしないだろ?」
「あぁ、うん。そうですね、気にしないと思います」
そう答えるとラズロさんは笑顔で頷いた。
「ただ、悩んでばっかりじゃ疲れちまうからな、心を休ませてやるんだよ」
その為の一座だとラズロさんは言った。
「ところで、一座は何処でやるんですか?」
「広場だろうな」
「でも店もありますよ?」
広場はいつも出店が並んでる。
揚げ菓子を売る店、串焼きを売る店、花を売る店。とにかく店がたくさんある。
「逆だ。店があるから広場でやるんだ」
言われてやっと分かった。
「店で買ったものを食べながら一座を見るってことですか?」
「そうだ」
店の売り上げも増えるし、みんなも楽しい気持ちになるし、旅の吟遊詩人の人たちもお金を稼げるようになるし、良いことづくめだね。
エスナさん、今も旅を続けてるのかな。
ラズロさんが言ってた、居場所は見つかったのかな。見つかっていると良いな。
ラズロさんも隣でイモの皮むきを始めた。
「まぁ、初めからなんでも上手くいきはしないだろうがな、失敗しながら進んでいくから意味があんだよ」
失敗しながら進んだほうが良いってこと?
イモの皮をむく手を止めてラズロさんを見上げる。僕が見てることに気づいたラズロさんの手も止まる。
「与えられたもんじゃ、ありがたみがすぐになくなるってこった。人は勝手なもんだからな。
料理もな、作ってもらったもんを食った時は美味いと感じても記憶にはあんまり残らないだろ? 自分が手間暇かけて作ったもんのほうが、味がどうってことより記憶に残る」
「なるほど」
美味しいものを食べたら、美味しかったって覚えてるけど、自分で作ったもののほうがよく覚えてたりする。味がそうでもなかったのに、すごく覚えてたり。
「言ったろ? みんなで乗り越える必要があるんだってな」
ラズロさんのその言葉で、みんなで作る必要があるって意味が、やっと分かった。
「そっか。自分も参加したら、一生懸命考えるかも」
「ご名答」
千切りにしたイモを水にさらして、ひと息吐く。
今日は千切りにしたイモをフライパンに押し付けるようにして焼いて、その上に片目焼きをのせたものに酢漬けの野菜を添えようと思ってる。
それからネギたっぷりのスープも。ラズロさんが切ってくれたネギをひたすら炒めるんだけど、これを作ってるときはネロは近付かない。ネギのにおいが嫌いみたい。
風が前よりも冷たく感じる。
去年冬の王を倒したけど、あれは特定の魔物ではないからまた現れるかも知れないんだよね。
この国で生まれた時は、僕のいた村からそう遠くない場所にあるクロウリーさんが作ったダンジョンに出たんだって。
それ以外にも強い魔物が出てきてたらしいんだけど、僕のいた村は魔女のパフィがいたから無事で、他の村に被害が出ていたのもあって、ノエルさんとクリフさんが封印しに行った。
封印だけだから二人だったんだよ、とてもじゃないけど、中の魔物退治は二人では無理だよ、とノエルさんが言ってたのを思い出す。
王都からそう遠くない場所のダンジョンは閉じたし、ティール様とレンレンさんが作ったミズル草もあるし、ダンジョンが新しく出来てしまうのは防げるのかなと思う。
「どうした?」
「冬が近付いてるなーって思って」
「確かにな。今年は冬の王はお出ましになんのかね」
北の国に冬の王が出ても助けないらしい。
それはそれで仕方ないと思うけど、辛い思いや痛い思い、下手をすれば死んでしまうのはきっと、ナインさんと同じ魔術師なんだろうと思うと複雑な気持ちになる。
……そういえばその魔術師の人たちを助けるって言っていたような……?
「その場合は助けないって言ってましたよね」
「まぁなぁ。事実上国交を断絶してるからな。救援要請はしてこねぇだろうな。うちの南の国に要請を出したってこの国を通過させる許可は出さないだろうから、遠回りをする事になるだろうし、そこまでして南も北を助けようとはしねぇだろ」
刻み終えたネギを熱しておいたフライパンに入れるとじゅっと音がした。それから生のネギの匂い。
「この国は復興中ではあるがな、他国からすれば貴重なものが手に入る国だ。友好的な関係を抱きたいと考えても、敵にしたいと思ってる奴は多くない」
「戦争とか」
貴重だから欲しくなるっていうのはあるんじゃないかな。
まぁなと答えながら、ラズロさんはネギを炒める。良い匂いがしてきた。
「やられっぱなしを良しとする性格じゃねぇからなぁ、魔法師団長も、騎士団長も。そうなりゃなんとかするんだろうよ」
ラズロさんの言葉に納得する。
トキア様も騎士団長もどちらかと言うと守りと言うより、攻撃する方だろうな。
強い風が吹いてガタガタと揺れる扉に、冬がそう遠くないことを感じた。
 




