022.吟遊詩人の旅立ち
トキア様の元にパニーノを持って行く。
ノエルさんも戻って来て、トキア様の忙しさもちょっとは減ったみたい。
「ティールは意外な事に、勉強を教えているようだな」
「はい、毎日教えてもらってます」
あれから、毎日ナインさんと一緒にティール様から勉強を教えてもらってる。読み書き勉強中の僕と、魔術師として教えられた事は出来るけど、普通の事を教えてもらえていないナインさんは、まず読み書きから学んでる。
「私の予想では、教えるのを嫌がって魔術師長の職務をやる予定だったのだがな……」
ため息を吐きながら、パニーノを食べるトキア様。
僕はいつも通り、書き損じの紙の裏側に練習していく。
文字はもう覚えて、最近は計算の勉強をしてる。これが出来ないと買い物が出来ないから、重要です。
それにしても、そんなに魔術師長の仕事、したくないんだなぁ、ティール様ってば。
「ナインさんが色々覚えて、ティール様のお手伝いを出来るようになると良いですね」
「そうだな。彼奴も自分の研究の手伝いをさせる為にナインに教育を施しているのだろうが……代わりに魔術師長の仕事を覚えさせるか。変則的な教育ではあるが、単純な職務なら既に熟せそうなだけの能力はある」
トキア様がこんな風に褒めるなんて、ナインさんは本当に優秀なんだなぁ……。
隣で勉強していても、どんどん覚えていく姿を見て、その頭の良さを目の当たりにしている僕としては、納得してしまうけど。
「計算も反復により習熟度が上がる。ラズロと共になるべく買い出しに行くように」
「はい、トキア様」
紙の上での計算は、時間をかけられるから出来るけど、紙がなくても出来るようにならないとだよね。
「それから、これを」
引き出しからそれほど厚みのない本を取り出すと、僕に差し出した。絵本ではなかった。
絵本はクリフさんやノエルさん、色んな人が貸してくれたので、読めるようになったし、簡単な文章なら書けるようになってきた。
月に一度、オブディアン家と僕のいた村との交易をする時に、書いた手紙を持って行ってもらってる。
兄さんから返事が来る。オブディアン家の人たちはとっても商売上手で、難しいけど、とても勉強になる、って書いてあった。その他には村の様子も知れて、僕としては懐かしくて、嬉しい。
まだ、村を出てそんなに経っていないのに、なんだかずっと昔の事のようにも思えたり、ついこの前のような気もして、不思議な感じがする。
「絵本は卒業し、少しずつ文章に慣れていきなさい。分からなくとも良い。繰り返し繰り返し読むのだ」
受け取った本の表紙をめくって、一枚ずつページをめくる。今までの絵が多かったものとは違って、文字しかない。
「分からぬ単語があっても、文脈から推察する事が可能だからな。意味については私が日々教えるから安心すると良い」
「分かりました」
トキア様の部屋から食堂に戻って、布を入れたバケツを持って裏庭に出る。
メルが草をむしゃむしゃ食べてる。こうしてるとただの牛にしか見えないけど、れっきとした魔物なんだよね。
すっかりメルの側にいるのが定番になったコッコは、あちこちの土を嘴で突き刺して、虫を食べてる。
「メル」
声をかけると顔を上げる。こういった所は、動物と魔物の違いなのかなと思う。モッズは呼んでも反応しなかったから。
バケツの中にお湯をはって布を濡らし、よく絞ってから、メルの身体を軽く拭いていく。
僕のいた村の"清潔を保つ"と言う方針は、動物にも適用されていた。僕がメルの身体を布で拭いているのを見て、ラズロさんもノエルさんも驚いていた。
入り込んだ野生の動物から村の動物に病気がうつって、それが人にうつる、という事が昔あったんだって。
手間は増えるから、大変は大変だけど、頭数も多くなかったから出来たんだろうな。実際に病気に感染したのを早めに気付いて、治療が出来たお陰で被害が広がらなかったと言う話も聞いたことがあるから、村の人たちも、僕も、手間だけど、世話を止めようとは思わない。
それと、こうして布で身体を拭いてあげているうちに、メルのミルクが美味しくなった。モッズの時もそうだった。
ストレスがそのままミルクに出てしまう牛(メルは厳密には違うけど)は、大切にするととても美味しいミルクを出してくれる。
コッコが顔を上げて食堂の方を見てる。振り返るとナインさんがいた。
「こんにちは、ナインさん」
「……こんにちは」
今日の勉強は終わってるけど、どうしたんだろう?
「ノエル様が、行けって」
する事がなくなったから、食堂にでも行って来いって言われたのかな?
「何を、してるの?」
僕がメルの身体を濡れた布で拭いてるのが不思議みたいだ。
「メル、この牛の魔物の名前なんですけど、メルの身体を拭いて、清潔に保つんです。そうすると、牛も気持ち良いらしくて機嫌が良いんですよ」
「アシュリーは、動物にも、優しい」
朝昼晩の食事と、毎日の勉強で顔を合わせているからか、年が近いのもあるかも知れないけど、ナインさんは最初に会った時に比べると少し喋ってくれるようになった。
「そうですか? 僕の生まれ故郷ではこれが普通だったから、優しいと言われてもよく分からないんですけど、メルが機嫌が良いとミルクも美味しくなるし、仲良くやっていけるし、良いことですよね」
それからナインさんは何も言わず、その場に屈んで、僕がメルの世話をするのをずっと見ていた。
身体の小さい僕だと、メルの身体を拭くのは時間がかかる。それでもずっと見ていた。
全部終わる頃にはおなかが空いていたので、ナインさんと食堂に戻る。
ラズロさんが厨房に立ってて、僕たちに向かってよぉ、と声をかけてきた。
「今から美味いもん、食わしてやるから、そこ座れー」
バケツを置いて、ナインさんと僕はカウンターの椅子に腰掛けた。
座ってしまうと、ラズロさんが何をしてるのかが全然分からない。
「ほらよ」
渡された皿の上には、赤い実がのっていた。実にはいっぱい、ゴマみたいな粒がついてる。
「イチゴ、っつーんだよ」
イチゴ?
「酸っぱいからな」
言われるままに口に入れる。確かに酸っぱさも少しあるけど、甘い。
「初めて食べました」
「たまたま手に入ったらしくってな、サイモンが買ってけって言うから買った」
珍しいもの、なんだろうな。
きっと、ナインさんに食べさせたくて買ったんだと思う。ラズロさんは面倒見が良いから、ナインさんのことが気になるんだろうな。
ナインさんは二つ目のイチゴを、不思議そうに見ていたかと思うと、口に頬張った。一生懸命咀嚼する様子が、何かに似てる気がする。
…………フルール?
ナインさんが去って行った後、フルールに野菜の切れ端をあげてみた。
シャクシャクシャクシャクシャク……。
「何度聞いても惚れ惚れするぐらい良い音させてんなぁ」
ラズロさんが言った。
同感です。
「ナインさんがイチゴを食べてる姿と、フルールの食べてる姿、似てませんか?」
「……言わんとする事は分かる。ナインのあの怯えた感じは若干小動物的な所があるな」
うんうん、と頷くラズロさん。
「最近少し喋ってくれるようになったんです」
「年も近いし、毎日机並べて勉強してんだし、飯も作ってやってるしなぁ。懐くわな」
「懐くってまた、ラズロさん。
ナインさん、一生懸命食べてくれますよね」
ため息を吐くと、ラズロさんはミルク入りでいいな? と聞いてきたので、頷いた。
コーヒーを入れてくれるらしい。
「ノエルとクリフから聞いた話だとな、かなり劣悪な環境で生きてきたらしい。食事もまともなものは与えられねぇし、着るものだってそうだ。
奴隷ってのは、人として扱ってもらえねぇ。家畜の方がマシだろうと思うのもある……」
家畜……。
「オレ達のいるこの国では奴隷は廃止されてる。奴隷を他国から買い求めた場合は没収される。
他国では犯罪を犯して奴隷になる、なんてのもあるらしいがな。ここでは、罪に対しては罰を与えるが、奴隷はねぇんだよ」
二人とも少しの間黙り込む。
ミルクのたっぷり入ったコーヒーを渡された。
「色々思う事はあるが……ナインがこの国に来て良かったと思ってもらえるようにしねぇとな」
「はい」
「あ、そうだ。エスナがそろそろ王都を発つって言ってたんだよ。ノエルとナインを誘って宵鍋行こうぜ」
エスナさんは吟遊詩人だから、新しい場所に行くんだよね。
「飲み終えたら、ノエルさんに伝えてきますね」
「おぅ」
春は旅立ちの季節って言うけど。
どれだけの人が旅に出るんだろう。
色んな理由で旅に出る人がいるんだろうけど、あちこちの国を旅するって、どんな気分なのかな。
見た事もないものを見て、色んな人に会って……。
「旅なんてのはな、根無し草がやるもんだ」
「根無し草?」
あぁ、と答えてラズロさんはコーヒーを飲んだ。
「生まれた場所が自分の場所じゃないと感じて、旅に出る」
自分の場所じゃない……。
「何処ででも根を張れる器用な奴もいるけどな、大抵旅をする奴は不器用な奴が多いもんだ。……あ、手先って意味じゃねぇぞ? 性格的なもんな」
ラズロさんの言わんとする事は分かる。
「居場所は、土地の場合もあるけどな、探しても見つからねぇ場合はな、探しもんが違ってんだよ」
「探しものが、違う?」
「そいつにとっての唯一無二の人間を探してたりするんだよ、無自覚にな」
唯一無二の相手……。
結婚相手の事?
頭を優しくぽんぽんされた。
「アシュリーも、いつか分かるだろうよ」
なんだか、難しい事を言われた気がする。
でもなんとなく、分かる。
ナインさんにとっての居場所が、この国になるといいなぁ。
宵鍋の重い扉を潜ると、店の中はもう先に来た客でいっぱいだった。
僕たちに気付いたザックさんが、軽く手をあげて歓迎してくれた。
店の舞台で、エスナさんが歌ってる。テンポの良い曲で、手拍子をするお客さんもいる。
席に案内されて、ナインさん、僕、フルールで並んで座った。正面にラズロさんとノエルさんが座る。
「お飲み物からご注文を承りまぁす」
いつものお姉さんが注文を取りに来てくれた。
「オレ達にはエールを。コイツらには季節のジュースを頼む」
「はぁい」
ナインさんは店内のあちこちを見回している。
まだ店、と名の付く場所には行った事がなかったらしい。最初が宵鍋って良いのかな悪いのかな。飲み屋さんだし。
あ、でも、僕も宵鍋以外の飲み屋さんには行った事ないな。大人になったら行くのかな。
「人の声、凄い。怒ってる……?」
ナインさんが呟くように聞いてきた。ノエルさんが首を横に振った。
店内のあちこちで声が上がってる。盛り上がってるその様子が、ナインさんには怒ってるように見えたみたい。
「アレは怒ってるんじゃないよ。見てごらん。手に持っていたり、テーブルに置いてある飲み物、エールと言うんだけれどね、アレを飲むと人は酔うんだよ」
「よう?」
「酔った場合の反応は人それぞれだね。ナインも大人になればいつか飲む事もあるよ。彼等は気分が大きくなったり、良くなったりしてるからね、自然と声が大きくなってるんであって、怒ってはいないよ。
だから安心して」
ノエルさんの説明にナインさんが頷く。
それでもひときわ大きい声がすると、びくっとするナインさんの膝の上にフルールをのせる。
今日は混んでるから料理もなかなか来なさそうだったし。
驚いてるナインさんに、撫でるんですよ、と教える。
フルールを撫でると、耳をぴょこ、と揺らした。
恐る恐る手を伸ばしたナインさんが、フルールのおでこを撫でると、耳がぴょこぴょこと揺れた。
ナインさんが何か言いたそうな、嬉しそうな顔で僕を見る。
「撫でるとフルールも気持ち良いみたいだから、撫でてあげて下さいね」
こくこく、と素早く頷いたナインさんは、フルールを撫で続けた。
その様子を見ていたら料理が運ばれてきた。フルール専用のも後から。
「フルールも、食べる?」
「フルールのは特別ですね」
「ほらほら、あったかくて美味いうちに食わねぇと損するぞー」
そう言ってラズロさんが料理を皿に盛ってくれて、僕とナインさんの前に置いてくれた。
フルールを僕の隣に戻し、フルール専用ご飯を前に置く。あれからずっと、ザックさんはフルール用には見た目を整えたものを用意してくれる。とても有難い。
後で洗いもの手伝ってこようっと。
「ありがとうございます、ラズロさん」
「ありがとう、ございます、ラズロ様」
ナインさんが僕を真似て言った言葉に、ラズロさんは苦笑いを浮かべ、「アシュリーと同じように呼べよ」と言ってナインさんの頭を撫でた。
今日の料理は、貝がグツグツ煮えた液体の中に浮かんでる。前にお裾分けしたイワシの塩漬けとトウガラシも入ってる。あと、キノコ。
「貝、ですか?」
「まだ旬の走りだろうけどな、牡蠣だ」
「カキ?」
「牡蠣という貝」
「牡蠣とイワシの塩漬けとキノコをオイルで煮た料理だ。この国はオイルは豊富だからな、何でもこうしてオイルで煮ちまうんだが、イワシの塩漬けを入れるなんてな。楽しみだ。さ、食うぞ」
ラズロさんがフォークで牡蠣を頬張る。
「んー、これはいつにも増して美味いな!」
ノエルさんも頷いて「イワシの塩みが絶妙だね。さすがザック」と褒める。
カキを口に入れる。つるりとした舌触りだった。濃い味が口の中に広がる。イワシの癖のある味と塩が、カキの味の濃さをほどほどに調整してくれている気がする。
トウガラシとニンニクの辛味でも味がひきしまる。
「美味しいです……!」
「どんどん食え」
次のカキを口に入れようとしたら、パキパキパキ、と言う音がフルールからした。見ると貝の殻を食べてる。カキの殻かな? 随分とゴツゴツしてるんだなぁ……。
「美味しそう……」
ナインさんが呟いて、みんな頷いた。
「でも、実際食べると美味しくないんですよ。フルールの音魔法です」
目をぱちぱちさせるナインさんが可愛かった。ナインさんは、ラズロさんが言うように、ちょっと小動物っぽい。
カキのオイル煮(アヒージョって言うらしい)の後はキャベツとイワシの塩漬けを混ぜ合わせたもの、ソーセージと粒マスタード、キャベツやパンの上にとろみをつけたミルクのソースをかけて焼いたもの、ピクルスがテーブルに並ぶ。
全部美味しそうで、どれから食べようか悩む。
「お邪魔するわね」
ラズロさんはあらかじめザックさんを通してエスナさんに声をかけていたらしい。前の時もそうだったみたい。
エスナさんがキレイだからラズロさんは声をかけたのだと思っていたら、ノエルさんが本当の所を教えてくれた。
旅の吟遊詩人などは、次の旅の準備に向けてお金を貯めておかなくてはならない。かと言って宿屋に泊まるお金を出し惜しみすると、危ない事もあるから、ある程度の宿屋に泊まる必要が出てくるらしく。
そうなると削るのは食費しかないんだって。だからラズロさんはこうしてテーブルに誘ってたっぷり食べさせてあげるんだって……! 良い人だった、ラズロさん! 良い人なのは知ってたけど、女の人関係はちょっと疑っていました。
僕、誤解してた!
ただ、そう言った女の人がラズロさんに本気になってしまって、大変な事になるのも一度や二度では済まなかったみたいで、ノエルさんはそれが心配で、止めるようにラズロさんに言ってるらしいんだけど、一向に止めないんだって。
面倒見、本当に良いなぁ、ラズロさん。
「新顔ね?」
エスナさんがナインさんを見て言った。
「は、はじめ、まして。ナインです」
「エスナよ。旅の吟遊詩人をしているの」
にっこり微笑むエスナさんに、ナインさんは顔を真っ赤にした。
「純情無垢なナインを誑かすなよー」
「失礼ね。第一印象は大事なのよ?」
エスナさんのエールが届いて、乾杯をする。
ナインさんは乾杯が気に入ったみたいだ。
「んで? いつ王都を立つんだ?」
「明々後日に立つわ。雨季に入る前に移動しなくてはいけないもの」
急だと思ったけど、雨季と聞いたら確かに。
結構遠くまで行く予定なのかな。
行商人のイースタンさんも、旅の吟遊詩人のエスナさんも、この王都を出たらもう二度と会えないかも知れない。
だから、旅立ちの前には盛大に送る会をやるんだって。
ラズロさんはエールの入ったカップを手に立ち上がった。
「吟遊詩人 エスナは明々後日にこの王都を旅立つ! 旅の無事を祈って、乾杯!!」
店の端まで届くような大きな声でそう言って、ラズロさんはカップを掲げた。
みんなが一斉にカップを頭より上に掲げて、乾杯! と口にする。
エスナさんが立ち上がって軽くお辞儀をした。
これをしておくと、今日、店に来た人たちが、エスナさんへと、お金を置いていってくれたりするんだって。
餞、ってノエルさんが言ってた。
「エスナ……さん、王都から出て行く?」
珍しくナインさんが話しだした。
「えぇ、そうよ」
「どう、して? 王都の人、良い人多い」
エスナさんは頷いた。
「この国が嫌いだから旅をするんじゃないのよ?」
「どうして?」
更に尋ねるナインさん。
ラズロさんとノエルさんが少し驚いた顔でナインさんを見る。
「自分だけの居場所を探してる──って言ったら良いんでしょうけど……子供の頃から旅をしていて、旅をしていない自分が想像出来ないのよね。
でもこのまま旅を続けられるとも思ってないわ、そろそろ落ち着ける場所を見つけたいって思ってる」
「だったら……」
ナインさんは、エスナさんをなんとか引き止めようとしてるけど、それはエスナさんの為と言うよりは、ナインさんの為のような気がした。
ノエルさんが立ち上がって、ナインさんの横で屈むと、手を握り締めた。
「ナインもいつか旅に出たくなったら、出ても良いよ」
僕には背を向けているから、今、ナインさんがどんな顔をしてるのかは分からない。
「ここにずっといて良いし、たとえ旅に出たとしても、帰って来て良いんだよ。ここは、ナインの故郷の一つに、もうなってるんだからね」
泣き出したのか、ナインさんの肩が震えてる。ノエルさんの手がナインさんの頭を撫でる。
「エスナも」
突然ラズロさんから自分に話を振られて、エスナさんはびっくりした顔をしてる。
「いつでも帰って来いよ」
「うん、ありがとう」
エスナさんが見せてくれた笑顔は、今までで一番キレイだった。
 




