018.マグロ
更に増した寒さに、みんな悲鳴を上げている。僕も寒くて凍えそう。
春になるまであと二ヶ月もある。
燃やす薪が心細くなってきたと言う事で、今までのように薪を燃やせないのだって。
雪は毎日降ってる。積もらないように兵士の人達が雪かきをしてくれているお陰で、城も王都も雪の重みで潰れていないんだ、ってラズロさんが言ってた。
雪かきはとっても重労働だし、お年寄りしかいない家もあるから、兵士がいないと潰れてしまう。
王都を囲む城壁も、雪の重みにやられない為に雪かきをする。交代で雪かきをするにしても、大変な量だし、固まった雪を足がかりにして王都に入られると困るから、雪かきは必須なのだそう。
雪かきは朝にするから、兵士たちが入れるようにとお風呂を用意して、朝食を出すのが日課になってる。
「冬の王が現れたらしい」
「やっぱりそうなんですね」
創造神には沢山の子供がいて、その中にそれぞれの季節を司る神様がいる。
春の女神、夏の女神、秋の女神、冬の女神。
その冬の女神に敵対しているとされる魔物は冬の王と呼ばれて、何年毎、という周期のようなものはなくて、気まぐれに現れるらしいから、迷惑な話だと思う。
冬の王が現れる年はとてもとても寒くて、沢山の人が寒さに耐えきれなくて死んでしまう。
現れた場合は、その国だけじゃなく、周辺の国も協力して倒すのが決まりなんだって。そうしないと冬の王に従う魔物達が増えて、人や動物を襲って大変な事になるから。そうなると国境を越えて被害が広がるんだとラズロさんが教えてくれた。
今回は隣の国に現れて、隣の国から応援要請が僕たちの国にも来た。
クリフさんとノエルさんは討伐隊に参加したと聞いた。あの二人は強いから、必ず呼ばれるんだって。
冬の王と呼ばれる魔物は、同じじゃない。その年に冬の王の魔力に耐えられる強い魔物が現れると、その身体を冬の王に乗っ取られてしまうんだって教えられた。
「今年、冬の王が来る事は分かってたらしい」
僕とラズロさんは朝食を終えてお昼の仕込みを始めていた。
「そうなんですか? 凄い!」
だからあんなに準備をしていたのかな?
「神殿が知らせて来たんだと」
「神殿?」
「聖女サマのご託宣なんだってよ。隣の国に冬の王が現れる、ってな」
聖女……?
「もしかして、アリッサですか?」
ラズロさんに肘で軽く頭を小突かれる。
「バカ、おまえ様付けて呼ばねぇと神殿関係者に怒られるぞ」
あ、やっぱりアリッサなんだ。
「僕の幼馴染です」
ラズロさんの手が止まって、僕の方を向いた。すっごい怪訝な顔をしてる。
「は?」
「同じ村の出身なんです。僕より二ヶ月早くにスキルをもらって、神殿から迎えが来て王都に行ったんです」
そっか、アリッサの事すっかり忘れてたけど、神殿だもんね、同じ王都にいるんだなぁ。
「驚いたな、聖女サマとお知り合いかよ」
「でも、僕の事なんてもう忘れてるかも知れません」
ラズロさんが悲しそうな顔をする。
「そんな事ねぇだろ」
「村の外に出た者は、新しい環境で生きていく。環境によっては別人になる。だから村の事は忘れていると思え、って魔女に言われたんです」
沢山の村を渡り歩いて、長く生きてきた魔女が言うんだから、色々あったんだろうなぁ、って思う。それに兄さんも言ってた。兄さんは商人として他の村や街の人ともやりとりをする。その中で、同郷だと思って信用したら大変な目にあった村人が何人もいたんだって。兄さんももうちょっとで騙されそうになったって言ってた。
僕はクリフさんとノエルさんが良い人で、ラズロさんたち、城の人がみんな優しいからこうしていられるけど、それはとても運が良いことなんだって、忘れないようにしてる。
「アシュリーのその年齢不相応の達観っぷりは、魔女によるものが大きいんだな」
「そうですね。暇さえあれば魔女の手伝いをしてましたから、魔女から色々教わりました」
父さんや母さん、兄さんも色んな事を教えてくれたし、村の人たちも色々教えてくれた。叱られたりもした。
魔女の教えは、一番分かりやすかった。具体的だったからかも知れない。
おまえに魔法の才能があれば、自分の全てを教えてあげたのに、と何度も言ってた。
「魔女は怖いもんだと思ってたんだが、違うんだな」
「怖いですよ?」
「アシュリーの言う魔女は怖い所か、村の為に色々やってくれてるよな?」
「自分の縄張りだからじゃないですかね」
ラズロさんが何とも言えない顔になる。
「魔女は怖いですよ?」
チリン、と鈴の音がした。
久々に聴いた。
「ん? 鈴の音か?」
ラズロさんはキョロキョロ辺りを見回して、音の主を探す。
「ラズロさん、上です」
上? と聞き返しながら、ラズロさんは天井を見上げた。
黒い猫が逆さまの状態でお座りしてた。
「のわっ?!」
あり得ない光景に、ラズロさんは身体をのけ反らせて驚いてる。
うん、そうだよね。僕には見慣れた光景だけど、普通はあり得ないもんね。
「マグロ、久しぶり」
手を洗ってキレイにしてから、天井に向けて両手を伸ばすと、黒猫は腕の中に飛び降りて来た。
「あっ、アシュリーさん?! こちらどちら様?!」
ラズロさんの声が裏返ってる。
「魔女の使い魔のマグロです」
黒猫は二股に分かれた尻尾をゆらゆらと揺らし、にぅ、と返事をした。
メルのミルクをマグロに出したら、ネロがやって来て自分にもと催促してきた。
マグロにはそのまま出せるけど、ネロにはちょっと濃いから薄めて出してあげる。
二匹の黒猫の尻尾が、嬉しそうに揺れてる。可愛い。
「魔女の使い魔、なのか?」
ラズロさんはマグロの二股の尻尾を見てる。
村にいた時、いつもミルクをあげていたんだよね。
「そうです。猫又と言う魔物です。元はネロと同じ普通の猫なんですけど」
猫が通常の寿命よりも長く生きれた場合、たまに猫又になるらしい。魔女の猫は猫又なんだって。
「それで、その魔女の使い魔サマがどうしてここに?」
それなんだよね。
「とりあえず、お昼の仕込みに戻りましょう。マグロはミルクを飲み終えてからが長いんです」
「長い?」
「すぐ分かると思います」
厨房に戻って昼の仕込みを始める。
ラズロさんはマグロが気になるらしくて、チラチラ見てる。マグロはミルクを飲み終えたので、口の周りのお掃除を念入りにしてる。たぶんあのままヒゲのお手入れに突入して、それが終わったら全身の手入れになって、床に背中を擦り付けて遊んだ後、こっちに来ると思う。
集中出来ないラズロさんの事はそっとしておいて、僕は酢漬けの野菜を取り出した。
今日のお昼は腸詰と酢漬け野菜の煮込みにする予定。
城の人達も粒マスタードに慣れたみたいで、むしろもっと付けて欲しいと言う人もいるぐらい。
端肉とネギのスープも作っておこうかな。塩、コショウだけの味付けなんだけど、後を引くんだよね。
ラズロさんが待っている間も、マグロは毛繕いをしているし、終わったら遊び始めたので、さすがにラズロさんも諦めたというか、分かってくれたみたいだった。
「アシュリーの言う通り、長いな。アイツ、本当に何しに来たんだ?」
首を傾げるラズロさんに僕は苦笑する。
「魔女やその使い魔は僕たちと感覚が違いますから、気にしちゃ駄目ですよ」
「そういうもんなのか」
「そういうものなんです」
色々と満足したらしいマグロが、僕の足元に来て身体を擦り付ける。
「マグロ、落ち着いた?」
にゃうー、と返事をして、その場にお座りする。
屈むとマグロの首輪に手紙が巻き付けられているのが見えた。手紙を首輪から外して、折り畳まれているのを開いていく。
『アシュリーへ
元気にしているか?
今年は冬の王が現れた所為で寒さが厳しいな。おまえが冬になるとよく作ってくれたスープが食べたくなる。
こんな状況じゃなければ食べに行くんだが。
夢見鳥が、マレビトがおまえの元に訪れると告げた。
占った結果は吉凶判断不能と出た。
気を付けるように。
パシュパフィッツェ』
「マレビト……?」
「そうみたいです」
魔女がわざわざ教えてくれるという事は、厄介な人が来るのかな。
しかも吉凶判断不能っていうのも信じられない。
魔女の占いが阻害されなければ、どちらかの結果が出る筈なのに。
にゃにゃと鳴いて、マグロが前足で僕の頭を撫でた。
「ありがとう、マグロ」
にゃん、と鳴いてマグロは立ち上がり、扉に向かって走り出した。
「あっ! 扉、閉まってるぞ!」
慌ててラズロさんが追いかける。目の前でマグロは扉に吸い込まれるようにして消える。僕にはいつもの事でも、ラズロさんは初めて見たから信じられないみたいで、目をこすってる。
「アシュリーさん? ワタクシ、昨日そんなに飲んでないと思うんです」
ラズロさんの言い方に笑ってしまう。
「魔法です。ノエルさんたち魔法使いと魔女の魔法は違うんです」
「魔女って、何者なんだ……」
「何者なんでしょうね」
「アシュリー、俺は真剣にだな」
「ラズロさん、一番大きい鍋取ってもらってもいいですか?」
はっ、とした顔になったラズロさんは、慌てて鍋を取ってくれた。
「スマン、ほとんどアシュリーにやらせちまった」
「いえ、マグロが気になるの分かりますから、大丈夫ですよ。あと、魔女に、魔女の事を聞いた事がありますけど、女の神秘はまだおまえには早い、って言われちゃいました」
「魔女、すげーな?」
何に凄いと思ったのか不明だけど、魔女が凄いのは間違いないから頷く。
久しぶりに昼間に城を出た。
雪の所為で空は薄い灰色で、ちらちらと冷たいものが降って来る。
そんな僕の目の前で、雪を手当たり次第食べてるフルール。シャクシャク、という良い音をさせてる。相変わらず美味しそうな音。
なんで外に出たかと言うと、城の中でずっと薪を焚き続けた所為で城内の空気が悪くなったから換気をする、という事だった。
食堂は換気の必要はなかったんだけど、折角だし外に出ようぜとラズロさんに言われて、出てきた。
メルとコッコは小屋にいる。沢山の藁に包まれて寝てる筈。藁は定期的に風魔法で乾燥させてる。あとメルが食べちゃうから追加する。
ネロは僕の洋服の中で丸まって寝てる。留守番してもらおうと思ったらついて来た。でも寒いと騒ぐので、服の中。これだと落ちちゃうなと思っていたら、ラズロさんが布を持って来てくれた。首から下げたコウノトリの袋みたいにして、そこにネロを入れ、コートを羽織った。おなかのあたりが温かい。
「すっげぇ勢いで食ってんな。寒くねぇのか?」
雪を食べながらついてくるフルールを見て、ラズロさんが言う。ちらほらとしかいない道を歩く人たちも、ギョッとした顔でフルールを見てる。
「大丈夫みたいです。裏庭の雪は毎日フルールが食べてるんですよ」
「そうなのか?! 気付いてなかった!」
スライムのフルールは、睡眠とか水分といったものを、僕たちのように必要としない。
とりあえず沢山食べる事が必要。雪は栄養にならないだろうけど、食べてくれるので助かる。そうしないと食堂からお風呂への道が雪で埋まってしまうから。
冬でも露店はあるんだけど、今年のような場合は露店はなくなって、ギルド内でお店を開いてるんだって。
雪が降ってるし、人通りもないし、露店は開けそうにないよね。
「何処に行くんですか?」
ラズロさんの背中に向かって尋ねると、立ち止まって振り返ると、にやりと笑った。
「わざわざこんな寒い中出て来てんだから、美味いもんに決まってんだろ」
と、言う事は、食糧ギルドかな。
王都に来てから、色んなギルドがある事を知った。村では兄さんのような商人スキルを持つ人が村長や魔女と色々決めて外の村や町とやり取りしてた。
食糧ギルドは、食べ物を扱ってる人たちが登録しているギルドで、宵鍋のようなお店もここに登録してる。
初めて来た食糧ギルドは、建物に入る前から良い匂いが外まで漂ってきてた。
「良い匂いさせてんな。好きなだけ食えよ!」
「はいっ」
中に入ると、すごい熱気だった。
あちこちで何かを焼いている音がして、匂いが混じっている。でも不思議と嫌な匂いじゃない。むしろ良い匂いでおなかが刺激される。
しかも人がいっぱいいる! 外は全然人通りがないのに。
お店はギルド内の壁を背にするようにして並んでいて、真ん中にはいくつもの席が用意されている。もしかして、座って食べれるようにかな?
あちこちからワハハハハハ、という笑い声がする。楽しそうな雰囲気と室内の暖かさと良い匂いに、僕のおなかがぐぅ、と鳴った。
「準備万端だな!」
ラズロさんが笑った。ちょっと恥ずかしい。
顔の広いラズロさんと歩いていると、あちこちから声をかけられる。
「おぅ、ラズロ。肉どうだ、肉」
「美味そうだな、二つくれ」
「まいどっ」
店員さんが串に刺さった肉をラズロさんに渡した。1本をもらう。
「アシュリーは直ぐに腹がいっぱいになっちまうからな、半分食ったら残りはフルールにくれてやれ」
それは、と思ったけど、フルールが鼻をひくひくさせて見上げているのを見たら、反対出来なかった。ラズロさんの大きな手が僕の頭をぽんぽん、と軽く叩く。
「色んな美味いモンを食うのも、料理人には大事だぞ。さ、熱いうちに食え」
「はい、ラズロさん」
串に刺さった肉に噛り付く。口の中に肉汁が広がる。柔らかい肉を二つ食べたところでフルールに渡す。もっと食べたいけど、最初から沢山食べると、ラズロさんが言うようにすぐおなかがいっぱいになっちゃうから、我慢。
いつものようにフルールは串ごとポリポリと食べ始め、肉を頬張る。草食のウサギが肉を食べてるのはちょっと不思議な感じ。フルールの頰が肉で膨れて、可愛い。
ペロリと平らげたフルールにラズロさんが自分の食べ終えた串を渡すと、それも美味しそうな音をさせて食べる。
「美味そうに食うから、食べ終えた串を渡してんのに、良い事をした気持ちになるよな」
ラズロさんの言葉に笑ってしまうけど、フルールを見てると本当そう思う。
「肉を食ったから、次は違うもんが良いな」
お店を見回すラズロさん。
「次はアレだ」
見たことのない食べ物を器によそってる。細長い糸みたいなのが沢山。
「アシュリーは麺は初めてか?」
「メン?」
「サキナ国ではよく食べられているものなんだがな、粉をまとめて細長く切ったものだ。乾燥させれば保存も効く。具も沢山必要としないからな、冬でもこうして食えるし、汁があるから温まるしな、冬に人気の料理だ」
そう言ってラズロさんは二つ頼んでくれた。
渡されたのは木の器に入った料理と、フォーク。
「これはフルールには食わせにくいかもな。器は返却するから」
確かに毎回木の器を捨てるのは無駄だもんね。
ちょうど空いた椅子に腰かけ、ラズロさんに倣って食べ始める。
フォークで持ち上げようとすると、つるりと滑って器の中に落ちてしまう。
上手く持ち上げられない僕を見てラズロさんが笑う。
「こうやんだよ、アシュリー」
ラズロさんはフォークをメンに刺し、くるくると器の中で回転させた。持ち上げたフォークにはメンが絡まっていた。
なるほど、あぁやるのか。
同じようにフォークを何度か回転させるうちに、メンをフォークに絡ませることが出来て、口に入れられた。
つるんとして、沢山かまなくても飲み込めた。
メンに味がしみてるのか、美味しい。
「汁も美味いぞ」
スープをひと口飲む。透明なのに、魚の味がした。しかも魚の臭みもしない。凄い!
魚のスープなんて初めて飲んだ!
「とっても美味しいです!」
「メンは他にも色々あるんだってよ。ここじゃこの味が一般的だけどな」
「へぇーっ!」
メンをじっと見る。
これ、僕も作れるかな?
「いつかな」
僕の考えてることが分かったみたいで、ラズロさんは頭を撫でてくれた。




