017.温かい食事は心も温まる
寒さが増した。
雨が降ったら雪になっちゃうんじゃないかって思うぐらいに。身体の中に寒さがしみてくるみたいな、そんな寒さ。
その所為なのか、お風呂に入る人が増えた。それから、お風呂に入った後に食堂に寄る人も。
どうも、お風呂に入ってキレイになって温まって、夕食を食べてから寮に戻るのが、流行りらしい。ラズロさんが言ってた。
だから、昼間より夜の方が食堂が混むようになってきて、不思議な感じ。
僕の部屋より食堂の方が暖かいから、ネロは食堂に置いてある籠の中にいる。何枚も重ねた布の間にもぐりこんで寝ている。
コッコとメルは、専用に作ってもらった小屋の中で仲良く一緒にいる事が多い。メルはモンスターだからか寒さに強い。そんなメルの上にコッコはのっかっている。温かいのかも知れないけど、横着なだけかも知れない……。
フルールはいつも僕の後ろにくっ付いて歩いてる。スライムは寒さは平気なのかな。
女湯に入ってきたらしいリンさんが、カウンターに腰掛けた。
「アシュリー、こんばんは! 私、初めてお風呂に入らせてもらったんだけど、凄いね! 身体が中から温まったよ!」
王都のお風呂は蒸気式らしい。これはこれで温まって気持ち良いらしいけど、疲れていたり、寒さに固まった身体をお湯の中に入れた時の、とけるというか、ほぐれていく感じがたまらない、と言う人が多い。
うん、同感です。
「良かったです。ただ、湯冷めしないように気を付けて下さいね。あっという間に冷えてしまうので」
「ゆざめ?」
「温かいと思っていたら、気付かないうちに冷えてて、それで風邪をひく、って言うのが多いんですよ」
なるほどー、と納得したようでリンさんは頷いた。
「夕食、食べていきますか?」
「うん、食べたい」
今日は端肉とネギのみじん切りをマヨネーズでからめて一つにまとめたものの両面に、パン粉をまぶして焼いてみた。
イースタンさんに教えてもらったマヨネーズは、攪拌さえ出来れば作る事は難しくない。
卵黄と塩、それからようやく出来上がった粒マスタードと白ワインビネガーを入れてひたすら攪拌。
卵が冷えすぎていると上手くクリーム状にならないと、レシピのコツに書いてあった。こういうちょっとした事が成功や美味しさを左右するんだよね。
出来上がった粒マスタードは、ザックさんとサイモンさんにお裾分けした。
ザックさんは早速お店の料理に添えて出したみたいで、お客さんから好評との事だった。
サイモンさんは、扱いに困っていたカラシナが粒マスタードに変わった事で、自分で作るか悩んだ結果、ラズロさんから作り方を教わって断念した模様。来年もカラシナを渡すので、分けてもらえると嬉しい、との事だった。
大変だもんね。
端肉のパン粉焼きに胡椒を潰したものをパラパラとかけ、ニンジンの酢漬けとネギの赤ワインビネガー漬けを添える。焼き上がったばかりのパンとカブのスープを、カウンター越しにリンさんに出す。
「あぁ、湯気が出てるー!」
寮の食事は冷めたものが多いと、ノエルさんも言ってたからね。
「温かいうちにどうぞ」
「ありがとー!」
美味しそうに僕の作った料理を食べてくれるリンさんを見ていたら、嬉しくなってきた。
リンさんが帰ってからしばらくして、ノエルさんがやって来た。
「アシュリー」
「こんばんは、ノエルさん。コーヒーですか?」
ううん、と答えて首を横に振る。
「週に一度はアシュリーのごはんが食べたいから、無理を言って出て来た」
そう言ってノエルさんはふふふ、と笑うけど、何となく嫌な予感と言うのか、何と言うのか。
でも、ちゃんとごはんを食べて欲しいとも思うし、難しいなぁ……。
「用意しますね」
「うん」
ノエルさんはフルールを抱き上げると、膝の上にのせてフルールのおなかに顔を埋めたり、抱きしめたり、頬擦りしている。……大分、お疲れみたい。
疲れた時にフルールの柔らかい身体に癒されるのは、何となく分かる。
ノエルさん以外にもお風呂上がりの人がやって来て、ごはんを頼まれたので、あらかじめ用意してあるパンを石窯の中に入れて焼き始める。
フライパンに油を落として温めている間に、保温しておいたスープをカップに注いで、ノエルさんや、他の人に出す。
「んー……しみる」
スープをひと口飲んだノエルさんが、しみじみと言う。
「五臓六腑に染み渡るよ、アシュリー」
「嬉しいですけど、褒め過ぎです、ノエルさん」
温まったフライパンに端肉のパン粉をまぶしたものを入れていく。端肉そのものはもう火が通っているものだし、中のネギもあらかじめ火を通してある。表面のパン粉がカリッと焼ければ大丈夫。
皿を並べて二種類の酢漬けをのせていく。
「アシュリーも、手慣れてきたね」
「来たばかりと比べると、大分慣れたかなって思います。
ラズロさんは料理して、話をしながら食堂内の状況を把握してるので、本当凄いと思います」
ラズロさんはとても器用だと思う。
「アイツは比較的何でも出来るんだけど、何をやってもつまらなさそうなんだよね。だから長く続かない」
つまらなさそう?
あんまりそうは見えないけど、内心はそう思ってるのかな?
「でも今の仕事は長く続いてる」
そんなような事、ラズロさんも言ってたなぁ。
砂時計が落ちたのを見て、外の石窯から焼き上がったパンをバスケットに入れて戻る。
ノエルさんが不思議そうにしながら砂時計を見ていた。
「アシュリー、これ何?」
「砂時計です」
「スナドケイ?」
完全に砂が落ちきってしまったので、上下を逆さまにする。サラサラと砂が下に溢れ落ちていく。
ノエルさんはそっと手を伸ばして砂時計を持つ。
「上の砂が下に完全に落ちるのに、その砂時計だと5分かかります」
魔女はこの砂時計をいっぱい持ってて、時間を正確に測ってた。
この前届いた荷物の中に、魔女からもらった砂時計が入ってて、嬉しかった。あるのとないのとだと、目安が変わってくるから。
「時間の経過を目視出来るなんて、凄い……」
「多分、それは村に頼んでも商品にするのは難しいと思います」
「どうして?」
「魔女しか作れないからです。頼んでも作ってくれない事がほとんどでした。僕は魔女の手伝いをよくしていたので、そのご褒美にいくつか作ってもらえましたけど」
そうなんだ、とがっかりした顔をするノエルさんに、出来上がった料理ののった皿を差し出す。
「ありがとー」
砂時計をカウンターに戻すと、ノエルさんは皿を受け取ってパンを口に入れた。
「んん、あったかい。あったかくてフワフワする。でも周りがカリッとしてる」
ノエルさんはちぎったパンを、隣の椅子に座るフルールにあげる。フルールはもくもくとパンを食べ始めた。
「冬に温かい食事を口に出来るだけで、病気が縁遠くなる気がするよ」
「冷えは万病の元ですからね」
「初めて聞く言葉」
「魔女がよく言ってましたよ。身体を冷やすな、って」
ノエルさんの横に僕も座って、一緒にごはんを食べる。
フルールはぴょこぴょこと上下しながら僕の隣に移動して来た。
多めに焼いたパンを渡すと、両手で持って、食べ始める。
「身体を冷やすと病気になるの?」
「えっと、身体の中にある、病気と闘う力が、冷えてると弱まる、みたいな事を言ってました」
「抵抗力の事かな?」
「あ、それです」
スープを飲む。スープの熱でおなかが内側から温まってくる。
「アシュリーの村の魔女に、会っておけば良かった」
「魔女とノエルさんが会ったら、ノエルさんは王都に帰れなかったかも」
なんで? とノエルさんが聞き返す。
「魔女は、カッコいい人が大好きなんです。多分会った瞬間にプロポーズされます」
「なにそれ凄いね?!」
今思い出しても、魔女は不思議な人だった、うん。
「気分屋さんな所もありましたけど、優しくて物知りで強くて、僕は大好きです」
「アシュリーがそこまで言うんだから、良い人なんだろうね」
「良い人ですよ。怒らせると怖いです。酒場の女将さんより何倍も怖いです」
「なるほどね?」
「お酒が大好きで、毎日のように二日酔いになってて、僕、その所為でパンがゆ作りが得意になりました」
毎日パンがゆを作らされてたから。
ノエルさんに頭を撫でられた。
「ラズロには作らなくて良いからね」
その言葉に思わず笑った。
ノエルさんはラズロさんにちょっと厳しい。
「お仕事は、まだまだ大変なのが続きそうですか?」
食堂に来る人達の会話から、どこそこで魔獣が出たとか、あっちの地方で食料が足りないといった内容が聞こえてくる。
「冬は始まったばかりだからね」
借りるね、と言ってノエルさんは厨房に入るとコーヒーを淹れ始めた。
「ノエルさん、コーヒー淹れられるんですか?」
「ラズロ程美味しくは淹れられないけどね」
コーヒーの粉が入った容器を見て、ノエルさんが話しかけてきた。
「ねぇ、アシュリー、これ、随分細かくない? こっちは粗すぎるし」
今までラズロさんはコーヒーの豆を小型のハンマーで砕いてた。細かく。ハンマーは僕には重かったし、砕けた豆があちこちに飛んでしまうしで、困った僕はラズロさんに豆をハンマーで粗く砕いてもらって、その後を魔法で砕く事にした。それが思いの外キレイに砕けて、粉になったんだけど、この方がお湯をよく吸うけど、均一(ラズロさんが言ってた)な味になる。
「魔法で粉になるまで砕いてるんです」
「アシュリーさ、僕より魔法の才能あるよね?」
「ないです」
食べ終わった皿を持って厨房側に回る。
「淹れ方、変わる?」
「ラズロさんと僕だと、ちょっとだけ淹れ方は違います」
ラズロさんは細かくしたコーヒーを鍋に入れて、水と一緒に沸かす。
僕のはそれだと粉が混じってしまって飲みにくいから、布で濾してる。粉が鍋底に沈むのを待てば良いんだろうけど、黒いから沈んだのか沈んでないのかが分からない。
困ってたらラズロさんが布を一枚くれて、それで濾してる。
布を濡らしておかないと、布がまたコーヒーを吸ってしまうのが難点。
あと、絞ると味が濃くなり過ぎちゃうから、そうならないようにロウトに濡らした布を置いて、その上に煮出したコーヒーを入れる。
結局、まぁまぁ時間がかかるんだけどね。
そうやって淹れたコーヒーを飲んだノエルさんは、同じ豆を使っても、味が変わるんだね、と面白そうに言った。
僕の淹れ方だと煮出す時間が短いからか、濃くはない。
「飲みやすいね、アシュリーの淹れ方だと雑味が少ない」
「ありがとうございます」
「そういえばコーヒー豆の事を知りたくて文字を勉強し始めたんだよね。
最近トキア様が忙しくて勉強出来てないよね。ごめんね」
首を横に振る。
「とんでもないです。食堂に休憩に来た文官の人達が、教えてくれたりするんですよ。だから大丈夫です」
ノエルさんは頷いた。
「それなら良かった。落ち着いたら僕もアシュリーの勉強を見るからね」
「それよりも、ちゃんとお休みして下さいね」
「はい、休みもちゃんととります。ありがとう、アシュリー」
笑顔のノエルさんに撫でられた。
本当に、早くこの大変さが落ち着くと良いなぁ。
冬も半ばに入ると、クリフさんはほぼ城にいなかった。
ノエルさんもいない事が増えた。城にいるけど忙しくて食べる暇がない、とかじゃなく。
これまで準備していたものを使う時が来たと言うか、遂に来たのか、僕には初めての事ばかりで分からないけど。
「皆さん、大変そうですね」
「それが仕事とは言え、今年はハズレ年だな」
ちゃんと寝れてるのかな、食べるものはあるのかな、怪我とかしないといいな。
「あの二人は大丈夫だ」
僕の心配を見透かしたのか、ラズロさんは言って、頭を撫でてくれた。ほっとする。
ノエルさん達が帰って来たら、メルのミルクを使った栄養たっぷりの食事を食べてもらいたいなぁ。
「なぁ、昼さ、粒マスタードをソーセージに付けた奴にしようぜ」
ラズロさんはすっかり粒マスタードが気に入ったようで、来年も作るんだと意気込んでいる。
今日は久々に宵鍋に行くから、ザックさんの感想も聞いてみたい。ザックさんの料理はとても美味しい。粒マスタードを使った新しい料理も生まれているかも知れない。
「そうですね。それならパニーノにもしやすいし、良いですね」
まだ冬も半ば。
寒さそのものはピークに達しているけど、これからが問題だとラズロさんは言う。
春が近づけば山が芽吹いて、動物も魔物もそちらに向かうけど、山そのものに何もないこれからしばらくの間が大変になる。
村にいた時も山から降りて来た魔物が襲って来た事があった。僕たちの村は魔女がいてくれたから無事だったけど、全ての村が守られている訳じゃないし、助けを求めても直ぐには来ない。
難しい問題だよね。
「アシュリーもだいぶ読み書きが出来るようになってきたなぁ」
トキア様をはじめとして、色んな人が教えてくれて、読みやすい本を貸してくれた。
本には種類があって、分からないことを教えてくれるもの、書いてる人の日記だったり、何処かに行った時の記録だったり、全部が空想のものもある。
子供向けの本ならそんなに時間もかけずに読めるようになってきたし、字も力を入れ過ぎずに書けるようになってきた。
トキア様から、何も書いてない真っ白い本を渡されて、これに日記を書きなさいと言われた。書く程の出来事は僕にはないです、と断ったんだけど、日記は己の心と向き合う為にも必要なものだと言われた。
自分の心に向き合う?
意味はよく分からなかったけど、トキア様がここまでおっしゃるんだから、いつか必要になるのかも知れない。
そう思って日記を書き始めた。でも、あんまり書く事がなくて、2〜3行で終わってしまう。慣れてきたら、スラスラと沢山書けるようになるのかな。




