015.香辛料と羽毛布団
「アシュリー、ごめんっ!」
食堂に駆け込んで来たノエルさんが、謝りながら僕に抱き付いてきた。
「ノエルさん? どうしたんですか?」
「ラズロから、アシュリーの冬服を買ったって教えられて! 僕達、村を出る時にアシュリーの冬用の服とか全然考えてなかったから」
何度もごめんね、と謝られる。
「大丈夫です。自分の事なのに考えてなかった僕の方が問題ですから」
ノエルさんとクリフさんは何も悪くない。
「おーい、アシュリー」
守衛さんがドアの所から声をかけてくれた。
「はーい」
守衛さんの元に向かう。ノエルさんも一緒だ。
「ロニタ村のパシュパシュという人から、荷物が届いてるぞ」
パシュパシュ?
…………あ、もしかして。
「魔女です」
守衛さんに付いて行くと、荷車に載った大きな荷物が一つと、木箱だった。
僕の部屋に運び込み、荷ほどきをする。
「随分大きな荷物だね」
「ですね」
大きな荷物に触れてみる。柔らかさに手が沈む。
「!」
もしかしてコレ!
荷を包む布を解くと、布団と毛布があった。
「布団?」
「はい!」
布団に触る。羽毛布団のふかふかとした感触に、嬉しくなる。
「ロニタ村で使われてる布団です。それと毛布です」
「触っても良い?」
どうぞ、と答えると、ノエルさんはそっと羽毛布団に触れた。
「! えっ、何このフルールみたいな布団?!」
「羽毛布団です。もしかして打ち直してくれたのかも知れません」
新しく羽毛布団を作るのは大変だ。羽毛を集める所からやらなくちゃいけないんだから。布団がへたってきたら、打ち直しをして、羽毛を足して、外側の布を換える。
「これは、凄いね」
ネロがやって来て羽毛布団の上に乗る。ふかふかで気持ち良いのか、その上で丸まる。
「……アシュリーのお兄さんって、商人だったよね?」
「そうです」
兄さんがどうかしたかな?
「僕の実家は商売もしてるんだけどね」
頷く。
「この羽毛布団、ロニタ村とオプディアン家で専属契約を結ばせて欲しいんだ」
「専属契約?」
そう、と答えてノエルさんは話を続ける。
「この羽毛布団は、間違いなく貴族に売れる。大丈夫、村に取って不利になるような契約は絶対に結ばせないと約束するよ」
「うーん……僕は構わないですけど、それを決めるのは僕じゃなくて、村の皆だと思います」
ノエルさんは笑って頷いて、「それはそうだけど、アシュリーの許可も欲しかったんだよ」と言った。
「僕はスキルから王都を出られませんから、王都でも布団が買えたら嬉しいなとは思います。あんまり、高くしないで下さいね?」
「分かった。アシュリーだけ特別価格ね」
そうじゃないよ?
「僕も欲しいな、この布団。出来たら来年の冬までに」
すっかり羽毛布団のふかふか具合を気に入ったらしいノエルさんは、何度も布団に触っていた。
続けて木箱を開ける。
一つずつ取り出す。壊れないように布に包まれてる。
薬研が出てきた。魔女の家にあった奴だった。いつも見ていた傷がある。
「これは、薬研?」
「そうです。大した物は作れませんけど」
「レンレンが聞いたら歓喜しそう」
レンレン?
「前に魔法薬学を専門にしてる知り合いがいるって言ったの、覚えてる?」
頷く。
「その知り合いの名前、レンレンって言うんだけど、魔法薬学が好き過ぎて、誰でも彼でも魔法薬学の道に引きずり込もうとするんだ」
ノエルさんも、引きずり込まれそうになってるのかな?
「ノエルさん、魔法薬学って、何ですか?」
「魔法薬学って言うのはね、その名の通り、魔法の力を薬に閉じ込めるものだよ。トキア様がネロを助けたような、癒しの力を薬にしたり、一時的に魔力を増幅させるとか」
……この前のネズミは何に使われたんだろう……。
僕の考えてる事が分かったみたいで、ノエルさんが笑った。
「この前のネズミはね、触媒に使われたと思う」
ショクバイ?
「魔法は形の無いものでしょ? それを形あるものに閉じ込めるのに、命あるもの、命があったものを使うと、早く形に出来るんだよ。普段は植物なんかを使うんだけどね。あ、基本的に動物や人を触媒にしたりはしないよ?」
なんだか、難しそうだけど……あ、前に魔女が生きたトカゲを捕まえて何かしてた事があったけど、それと同じなのかな?
「何か無い限りはレンレンと会う事もないと思うから安心して。滅多に塔から出て来ないから」
「はい」
会えないのを安心すると言う事は、ちょっと個性が強い人なんだろうな、うん。
箱に入っている他のものを取り出す。
……あ、へちまスポンジだ! しかも何個も入ってる!
「ノエルさん、これがスポンジです」
ノエルさんにへちまスポンジを差し出すと、握った感触に驚いていた。
「なんだか、不思議な感触だね。これで色んなものを洗うんだよね?」
「そうです」
身体を洗ったり、食器を洗ったり、浴室を洗ったりする。とっても便利。
ドアをノックする音がして、「おーい」と、ラズロさんの声がした。
「はーい」
ドアが開いてラズロさんが入って来た。
「布団か?」
「そうです。送ってきてくれたんです」
「そうかそうか、良かったな。今年は寒くなるのが早いからまた布団を買いに行こうと思ってた」
ラズロさんもノエルさんも、優しいなぁ。
「アシュリーが書いた手紙を送ったら、驚くんじゃないか?」
「そうですね、きっとびっくりしますね」
「ラズロ、何か用があったんじゃないの?」
ノエルさんの質問に、ラズロさんが頷いた。
「チャイを作ったって言いに来た」
「チャイ?」
「あー、チャイ、いいね」
初めて聞く言葉。
ノエルさんは知ってるみたい。
僕達は食堂に向かった。
目の前に置かれたのは、ミルクコーヒーのような色の飲み物。でも、匂いが全然違う。
「熱いからな、火傷すんなよ」
「はい、ありがとうございます」
隣に座ったフルールが、鼻をひくひくさせてる。匂いがするからだろうな。ネロも僕の膝の上に座って、チャイを見てる。
そっとひと口飲む。
甘くて、胡椒ともちがう優しい、でもちょっと不思議な味がした。
ラズロさんが美味いだろ、と笑った。
「美味しいです」
「胡椒みたいな、独特な味がしました」
「おぅ、シナモンだな」
シナモン?
「香辛料の一つだ。昨日、行商で買ったんだよ」
あぁ、そうか。
またひと口飲む。美味しい。
飲み物に香辛料を入れるなんて、考えた事もなかった。
初めて飲むけど、あんまり高くない香辛料なのかな? そうじゃなかったら、こんな風に飲み物に入れないよね?
「チャイってのは香辛料の入った紅茶だ。あっちではよく飲むやり方だな」
あっち?
「紅茶に香辛料入れればなる訳じゃないからな?」
頷く。
シナモンと呼ばれる香辛料は、胡椒とは違う香りがした。
僕の知ってる香辛料は胡椒ぐらいで、入れると料理がとても美味しくなるけど。
「そのチャイには、シナモン、クローブ、カルダモンって香辛料が入ってんだぞ」
「!」
香辛料が三種類も?!
びっくりしてる僕に、ラズロさんは「気にせず飲んで良いぞ」と言って笑う。でも、ゴクゴクは飲めない。もっと味わいながら飲もう。
「イースタン、いつまでいるって?」
「冬の間はいるってよ」
「そっか。でも早めに行かないと品がなくなっちゃうね」
頷きながらノエルさんはチャイを飲んでいく。
ノエルさんもイースタンさんと面識があるみたい。
「アシュリーとの買い物の時、寄って来ようかな」
香辛料、僕も見てみたい。
シナモン、クローブ、カルダモン……。入れるとこの美味しい飲み物が出来る。
僕でも買える値段だと良いなぁ。
「布団が来ただろ。服も買っただろ。後は冬を越すのに必要なのは何だ?」
「王都は雪、沢山降りますか?」
「あんまり降らないけど、今年は寒くなるのが早いし、降るかも知れないね」
「村は、よく雪が降ったので、雪かきを皆でしたんです。川も凍ってしまうので、大変でした」
毎日降り積もる雪で家が潰れないように、協力して雪かきして、終わったら皆でお風呂入るのが日課だったなぁ。
「アシュリーの村は、皆、仲が良いね」
「そうですね。大きな家族みたいな感じでした」
魔女と村長が僕達村人の話をよく聞いてくれたなぁ。
「お風呂の所為かも知れません」
「お風呂?」
頷く。
「皆で裸になってお風呂に入ってると、心も身体もほぐれて、話がしやすいとか、あったのかなぁ、って思います」
うちは父さんが猟師で、どうしても汚れが他の村人より多いから、別でお風呂に入ってたけど、猟に行かない日は公共浴場の方に行ってたなぁ。
大きいお風呂っていうのもあったろうけど、そういう付き合いみたいなものもあったのかな、って今なら思う。
「なるほどねー」
ラズロさんやノエルさんから何度も言われていたから、僕がいた村が普通じゃない事は分かった。
異常なまでに清潔と言われるけど、誰だって不潔よりは清潔な方が好きだろうから、僕としては良い事だと思う。
「イースタンさんは、行商で色んな場所に行くんですよね?」
「そうだな」
「楽しそうではありますけど、大変そうですよね」
まぁな、とラズロさんが答える。
「イースタンの話に興味があるんなら、夜にでも宵鍋に行けば会えると思うぞ」
「え、良いんですか?」
僕は出身の村とこの王都しか知らないし、この王都からも出られない。
村にいる時は、いつか僕も外へ、と思ったりもした。
だからと言って外に出ようなんて思った事もなかったけど。多分、いつでも出られると思っていたんだと思う。
それが出来なくなって、逆に興味が湧いたと言うか。
「んじゃ、行こうぜ。ノエルは」
「勿論行くよ、アシュリーが行くんだから」
「おまえは過保護だなぁ。男に冒険は付き物だぞ?」
「なんの冒険をアシュリーにさせる気なの?」
ノエルさんがラズロさんをじっと見つめる。
「そんなの、色々あるだろうよ」
「絶対駄目だから」
……何の事かは分からないけど、この辺がラズロさんの信用の無さなんだろうなぁ。
「よぉ」
宵鍋でラズロさん、ノエルさん、僕の三人で食事をしていたら、イースタンさんがやって来た。顔見知りが多いみたいで、色んな人と挨拶をしてる。
「一緒させて」
「いいぞ。アシュリーがイースタンの話を聞きたいって言うから来たしな」
イースタンさんは僕を見る。
「そうなの?」
「ご迷惑でなければ」
「迷惑なんかじゃないよー。オレの話で良ければいくらでも聞いてー」
そう言ってイースタンさんは座った。
お店の女の人に、エールを、と注文する。
直ぐに運ばれて来たエールで、皆で乾杯をすると、イースタンさんはエールを一気に半分程飲んだ。凄い!
「ふはーっ! この為に生きてる!」
「違いない」とラズロさんが笑う。
大人になると、お酒の為に生きたくなるのかな……?
皆、翌日大変な事になるのに、止めないもんね。
料理をつまみながら、イースタンさんが僕を見る。
「アシュリーは行商に興味があるの?」
「行商と言うか、行った事の無い場所に興味があります」
ノエルさんが僕の頭を撫でた。
「アシュリーは、王都から出られないからね」
目をぱちぱちさせながら、何で?とイースタンさんが尋ねる。ノエルさんは首を横に振った。
「なるほどね」
それから、イースタンさんが行った事のある大きな都や、困った事、楽しかった事の話を聞かせてもらった。
びっくりする話や、おなかが痛くなるぐらい面白い話を聞かせてもらって、時間はあっという間に経った。
顔を上げた時にザックさんが積み上がったお皿を洗ってるのが目に入った。
「僕、ザックさんを手伝って来ますー」
「程々でいいからなー」
ザックさんの所に行くと、「お、来たな」とにやりと笑われた。
ザックさんにどんな味が好きかとか、城の厨房はどんな感じかと質問されたのを答えたり、僕は僕で宵鍋に来るお客さんの話を教えてもらいながらお皿を洗い続けた。
自分の意思で王都を出る事は出来ないけど、出れたとしても僕は大したスキルもないから大変になるだけで。
こうして話を聞かせてもらう方が安全で、僕には向いている気がした。




