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 レンブルクの民は、ザックハルト子爵家をこよなく愛している。

 夜のうちに屋敷に強盗が押し入ったと知れば、子爵夫妻に怪我がないことを真っ先に確認し、安堵で胸を撫で下ろした。

 その翌日、事件対応のために三男坊が突然帰ってきたと知れば、久し振りの勇姿を目に焼き付け、もう大丈夫だと言い合った。

 この町では、搾取する側とされる側が信頼関係で繋がっている。


 そんな住民たちの代表格である領主代理屋敷の使用人は、とある部屋に収まった客人の扱いに困惑を隠せない。


「今日の夕食はどうするって?」

「指示はないけど昨日と一緒じゃない? だってあの人、平民らしいよ」

「え、そうなの? 地味だけど綺麗な服を着てたよね?」

「どこかのメイドなんだって。だからほら、歓迎の晩餐もなかったでしょ。それにね……」

 ご子息様が連れ帰った問題の客人は、客室に閉じこもったまま出てこない。

 平民だから出たくても出てこられないのだと嘲笑する使用人は、耳に挟んだばかりの情報をこっそり漏らした。

「それに?」

「ここだけの話、旦那様は追い出そうとしたんだって。でも、カイナル様の上司の身内だから追い出せなかったみたいで」

「親心につけ込むような真似をした訳ね」

「身の丈を弁えて貰いたいものよね」

 自分たちと同じ平民をどうもてなせと言うのだ。

 困惑は大きな不満となって、あっという間に伝播した。


 しかし、部屋の主も、扉越しに色々と感じ取っていたのだ。

 この屋敷に着いて丸一日。

 何だろうか、この息苦しさは。

 勝手に連行された挙げ句に理不尽極まりないが、メイドの身として使用人の気持ちは良く分かる。

(そりゃあね、私みたいなのが客人だなんて納得できないわよね)

 三度の食事はちゃんと運び込まれる。

 だから文句はないだろうとばかりに、向けられる視線は厳しい。

 朝食と共に持ち込まれた水差しいっぱいの飲み水は、余計な手間をかけてくれるなという意思表示の、一日分の水分だ。

 歓迎されていないことは明らかだった。

 シュリアには引きこもる事しかできない。

 カイナルが届けてくれた書物はとっくに読破し、することもなく、本当に暇を持て余している。

(せめて外の空気を吸いたいわ。体も動かしたい。お客様じゃなくてメイドとして置いてくれたら良かったのに!)

 実は、働かずして食事にありつく罪悪感が半端ないのだ。

(事件はどうなったのかしら。私まで連れて来られた理由は?)

 ついでに、王都へ戻れる見通しも教えてほしい。

 色気も何もなくカイナルの来訪を待ちわびていると、願いが通じて扉が叩かれた。



 扉の陰から現れたのはカイナルだけではなく。

「ルミエフ兄さん、グレイドさんも!」

 騎士団の制服に身を包んだまさかの二人だ。

「シュリア嬢がいるって聞いたから遊びに来ちゃったよ」

 体の芯に落ちる甘い声と罪作りな台詞も変わらず、グレイドが親しげに片手を上げる。

「お仕事で? どうして?」

「例の襲撃事件の調査を申し渡されちゃってさ」

「ええっ? 第三騎士団の管轄は王都でしょう?」

 グレイドの軽口にそう返したものの、不機嫌極まる兄の仏頂面に想像がついた。

「だよね、シュリア嬢もそう思うよね。例のくそ生意気な指揮官様が、どうせ王都の隣なんだからお前らが行けって言うんだよ。本当に馬鹿な話だよね」

 返事に困って、シュリアは小首を傾けた。


 例のということは、夏の事件の際に指揮をとった王太子近衛隊の俺様貴族だろう。

 騎士団は縄張り意識が高い。それを知ってか知らずか簡単に越境調査を命じるとは、さすが、選民思想と人間性に問題がある負の逸材だ。

 と、以前に聞いたグレイドの酷評を思い出す。

(騎士団の内部に余計な軋轢を生まなければいいけれど)

 この地域を管轄する騎士団も、どうせなら近衛隊に乗り込まれる方が我慢できるだろう。

(本当に、大丈夫なのかしら)

 不安に眉根を寄せれば、どこ吹く風のルミエフが当然の疑問を口にした。

「来てみたら、何故かお前が世話になっていると聞いた。ミルデハルト城に向かったのではなかったか?」

「……本当に馬鹿な話ですよね」

 その場しのぎにグレイドの言葉を拝借する。

「シュリアさん、実は、お二人の他に例の指揮官も到着されました。今夜は彼を交えた晩餐となるので、私はこちらに来れません。食事はいつもどおり運ばせますので、お一人で……」

「え、お前、いつもここで二人で食べてたの?」

 説明の途中で、信じられないと割り込んだのはグレイドだ。

 鋭い突っ込みには複雑な意図が含まれていたが、揶揄も責めるような色も、カイナルは華麗に知らぬ振りを決めている。

「確かに、あの男がいるのだからお前は出ない方が良いだろう」

「どうせなら、俺もシュリア嬢と楽しく食べたいよ」

 俺様貴族のお供として晩餐に招かれた二人が口々に言った。

「あの方は、ずっと滞在されるのですか?」

「いいや。顔繋ぎだけで明日には戻るそうだ」

「俺たちに全部放り投げてね」

 シュリア自身は一度しか会っていないが、自己肯定力というか自己愛というか、強烈な存在感を放つ人だったことは覚えている。

(今夜だけなら、まあ、何とか?)

 ルミエフはこう見えて気が短い。そんな兄でも一晩くらいは耐えられるだろうと、失礼なことを考えていると。


「ところでシュリアさん、何かお困りのことはありませんか?」


 唐突に、カイナルが言葉を挟んだ。

 この二人の前で、俺様貴族の話題の最中に、間違っても堂々と差し込むような話ではない。

 何故かと言えば、全般的に困った状況にありますよと、言葉にすべきか耐えるべきか判断に迷うからだ。

(ここで素直に言うと、面倒が起こる……)

 この状況はやり過ごすのが適切だと経験が訴えた。

「……大丈夫です」

「明日、見送りの後で時間が取れそうです。よろしければ近くをご案内しましょう」

 無難な返事に留めたにもかかわらず、返された爽やかな申し出が先輩騎士を胡乱な眼差しに変えた。


 知らない人間が聞けば、面倒を任された上官の前でザックハルト子爵家の人間が言う事かと、その神経を疑うだろう。

 答えようにも答えられないシュリアは、兄の顔をちらっと窺った。

(もちろん、むっとしているわよね……)

 一方のグレイドは軽薄な微笑を絶やさない。


 シュリアは知っている。

 カイナルの場合、優先順位がおかしい時は多々あるが、それと同じくらいに言葉の選択がおかしい時も多いのだ。だから、もう少し言葉を惜しまず紡げば無駄な誤解を受けずに済む。

 そして、狙ったとおりに。

「カ、カイナル様もお忙しいでしょう? 昨日も今日も働き詰めでしたよね?」

 咄嗟に捻り出した質問には、及第点の補足が帰ってきた。

「これまでの経緯や状況を、あなたにもお話ししておきたいのです」

 最初からそう言ってくれ。

(言葉一つでいい加減な人だと思われてしまうじゃない)

 カイナルは真面目な男だ。実家で起きた事件を放置して女にかまける性格ではない。

 胸を撫で下ろしたシュリアは、必死なフォローは年上の義務だと自分に言い聞かせた。

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