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 ザックハルト子爵家は都貴族だから、由緒正しいミルデハルト伯爵家とは天と地ほどの違いがある。


 初対面のとき、彼はそう言った。

(……天と地ほど?)

 貴族のお屋敷に上がってその世界を垣間見た今、カイナルの乱暴な言い方には異を唱えたい。

 都貴族とは、領地を持たないが故に王城勤めに励む貴族のことだ。

 対して、ザックハルト子爵はレンブルクの領主代理。言ってみれば小さな自治領の長である。

(つまり、領主様とほとんど同じ立場なんでしょう?)

 その辺りの違いが王都育ちのシュリアには理解しにくい。だからこそ、民にとっても理解しにくいのではないかと思えた。

 しかも、初代当主の頃から四百年近く続いているのだとか。

 ただの都貴族と言い切るには謙遜が過ぎて、本来の都貴族に失礼だろう。

(そんなお家の、ご子息様なのよね)

 このままお屋敷に着かなければ。

 益体もなく、何度も考えては尻込みする自分がいた。


 と、懊悩するシュリアを後ろから抱き締める形で、カイナルは、宣言どおり寸暇を惜しんで馬を走らせた。

 馬車で進んだ街道を戻り、僅かに道を逸れる。

 「ここから先、領境の町レンブルク」

 大きな案内板を横目にしばらく行けば、流れる景色が一転した。

「この辺りからレンブルクの中心地ですよ」

 ようやく手綱が緩まって、全速力を強いられた馬が疲れたとばかりに首を振った。

 説明を受けるまでもなく、田舎道の先に突如として現れた異世界にシュリアの目は釘付けである。

 連なる建物は全て三階建てで、地味な煉瓦に様々な看板が色を添えている。往来を行き交う人々の装いは一様に華やかだ。昼前だからか買い物袋を抱えた人の姿が多い。

 行列の先を覗き込むと、王都で人気の薫製肉を挟んだパンを売る屋台もあった。

 想像以上に町なのだ。

 すぐ隣が王都ザファルという恵まれた立地にあって、第二の王都と呼んでも過言ではない。

 漂うのは、ザファルの市街地と同じようで違う不思議な空気。旅先特有の異国感に、不謹慎にも沸き立つ胸を抑えられない。

 しかしながら、そこはそれとして。

「シュリアさん、坂を登れば屋敷に着きますから」

「は、はい!」

 緊張感が全てを塗り潰した。

 


 ただでさえ悲鳴を上げていた筋肉は、正面玄関の前で鉢合わせた女性の眼力に凍りつく。

(ええっと……)

 身を包むのは飾り気はないが上品なデザインの藍色のドレス。女性にしてはすらりと背が高く、中性的な顔立ちに訝しげな色を乗せている。

(この方が、ザックハルト子爵夫人よね?)

 カイナルの母で、ミルデハルト伯爵の妹。

 年頃の息子が前触れもなく見ず知らずの女性を連れて来たのだ、母親として問い質したいことはあるだろうに、その人はまずライルへと話しかけた。

「伯爵にお伝えできたのですか」

「はい、領都へ移動中のところに、追い付き、ました……」

「そうですか。無理を言いましたね、ご苦労様でした」

「お役に立てて、良かったです……」

 息も絶え絶えのライルは、馬体に身を預けたまま力なく答えた。


 カイナルに脇を抱えて降ろされたシュリアは、乱れたお仕着せの裾をさっと直し、来るべき瞬間に備えていた。

(来る、来るわ、次の質問が!)

 その小娘は何かしら、くらいの事を言われても平気なように。


「伯父上は予定通り領都へ向かわれました。今回の件は、私が代わって対応します」

「あらそう。ただの里帰りではないのね」

「伯父上の委任は受けています」

「結構、中にお入りなさい。お部屋の用意をさせましょう」

 

 表情が薄い親子の起伏に乏しい会話は、子爵夫人が身を翻したことで終わってしまった。

(ええっ、それだけ?)

 息子の背に匿われたどこの馬の骨とも知れない女には、全く触れず、見ることもなく。

(そうよね、子爵夫人だものね)

 お仕着せを見れば身分は分かる。子爵夫人の反応は意外でも何でもなく当たり前のものだ。

 カイナルの害になるつもりはない。邪魔だと言われたら大人しく消えるつもりもある。

 だから、目に入れる価値もないと暗に言われようと、何一つ傷付くつもりはない。

(強く、いなければ)

 自分を守る最良の盾は、心を強く持つことだから。


 ライルに手綱を預けるカイナルを眺めていると、玄関ホールから子爵夫人の声が投げられた。


「ねえ、カイナル。そちらのお嬢さんのお部屋も必要なのかしら?」


 ただの事実確認。

 そうと分かっていても、一瞬にして背筋が伸びる。

「はい、お願いできますか」

「分かりました。今は取り込んでいますから、おってゆっくりと、お話ししましょう」

「もちろんです、母上」

 おって、ゆっくりと。

 含みを持たせた言葉に、棘らしき気配をしっかり感じた。

(お気持ちは、痛いほどお察しします……)

 幸いにも王都は目と鼻の先。王都帰還の算段を練り始めたシュリアの背中に、カイナルが触れた。

「歩けそうですか?」

 無理ならば抱いて行くが、と。

「大丈夫です、歩けます!」

 何とか穏便に済ませたいシュリアは、差し出された手を丁重に辞退する。

「私のことはお気になさらず、お役目に専念してくださいね」

 カイナルがなし崩しで越境しないように、むしろ構ってくれるなと、きっちり目の前で境界線を引いたのだけれど。

「こんな事になってしまいましたが、後日、レンブルクの町をご案内します。収穫祭もご一緒しましょう。せっかくの休暇ですから楽しんで帰ってください」

 案の定、国家機密の守秘義務よりシュリアを優先した前科持ちに、少しくらい強く言ったところで効果はなかった。


 もう、本当に。

 何のためにレンブルクへ戻って来たのかと、十人が聞けば十人が返すような台詞を堂々と。

(それに、私、いつの間にお休みをいただいたの?)

 本人すら知らない休暇予定を、他家の子息がなぜ知っている。

(駄目だわ、この人……)

 ザックハルト子爵家の面々にしてみれば、この状況でカイナルが観光に出るなど言語道断だ。それが他家のメイドを接待するためとなれば、まず、正気を疑う。

(せめて私だけでも、波風が立たないうちに王都に帰らなければ)

 シュリアの行く先にはカイナルが付いて来るという、最大の問題には蓋をした。


「カイナル? 何をしているのです、早くいらっしゃい」

 重ねて呼びかける子爵夫人の声に、味方になってくれそうな気配はどこにもない。

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