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「もう、私に構わないでください」
シュリアは、何も言い返さないカイナルをじっと見つめた。
「私はあなたが好きです。結婚とか、そんな大きなことまでは考えられないけれど、私だけを見て欲しいと思うくらいには好きなんです」
熱を感じさせない口調で、過去形になっていない想いを告白する。
「でも、それが叶わないなら諦めます。簡単に乗り越えて許される身分差じゃないし、振り向かせる自信もありません。あなたの心は、私が変えてしまえるほど簡単ではないでしょう?」
カイナルの心変わりに悩み、ライルに励まされ、自分の声に耳を傾けたシュリアは、戦う前に諦める選択をした。
相手は何百年もの歳月を積み重ねて凝縮された想いだ。カイナル=ザックハルトという人間はその想いの集合体だ。いつか振り向かせてみせるなど、間違っても自信過剰な台詞は吐けない。
カイナルの過去を否定することはできない。
そう結論付ければ、決別の道しか残っていなかった。
カイナルにしてみれば寝耳に水で、引き止めようにも何故そうなるか分からず言葉に迷った。
しかし、言い訳はできない。
シュリアの指摘は正当で、約束に固執した結果がこれなのだ。気付かれていないと高を括っていなかったとも言えず、自業自得の最たるものだ。
そうは言っても、絶対にシュリアを手に入れようと決意した矢先である。黙っていては取り返しがつかなくなると焦り、無表情を張り付かせた顔の下、必死に考えを練った。
「どんな理由であれ、お心に添えなくてすみませんでした」
シュリアの口の端が無理やり上がる。
幕引きである。
その幕が下りきる寸前で、カイナルは滑り込んだ。
「待ってください、まだ終わっていない!」
つい今し方、カイナルは確かに、あなたが好きだと耳にした。
まだ希望はあるはずだと、縋るように手を伸ばす。
「そのとおり、約束ばかりに夢中になった私はあなた自身の気持ちをおざなりに扱っていた。あなたが感じた違和感はもっともです」
向かい合うシュリアの両肩を、加減もできず力一杯に掴んだ。
「ライルが現れて、あっという間に親しくなったあなた方を見て、ようやく私も気付きました。私が何をやっていたのか、本当に欲しいのは何だったのか」
そこで、僅かに間を置くと。
「ライルは、良い男でしょう?」
シュリアを前に初めて見せる情けない表情で、ぽつりと呟いたのだ。
一瞬、泣いてしまうのかと思った。
その顔を見てしまえば、突然ライルの名を出した意図が分からないうちは迂闊に返事ができない。
シュリアは、小首を傾けて続きを促した。
「ライルには私のような打算がない。心から純粋に人を思いやれる男です。そんな彼があなたの近くにいるのを見て、私は、嫉妬を覚えるよりも情けなくなりました」
「私たちはそういう仲じゃ……」
「分かっています。分かっているから余計に思うのです」
分かっているなら何故そんな話をするのだと、反発心を殺しきれずシュリアは睨んだ。
「カイナル様のおっしゃることは難しくて、私には分かりません」
言葉の裏まで読み取れないとはっきり言ってしまえば、カイナルの顔は更に歪む。
「例えライルであっても、あなたを奪われたくないのです。そのためにはどうすべきか、今の私をどう変えるべきか悩んで、あなたに要らぬ誤解を与えてしまいました」
少し迷いがあったと白状したのはこの件なのだろう。
思い至ったシュリアは、随分な至近距離にある細められた双眸を見返した。
懸命に伝えようとしているのが何なのか、同じだけの真剣さで探るように。
「ライルのように、ただただ愛情だけで包み込むような真似は私にはできません。ですが、いつかあなたの意思で選んで貰えるよう、自分を抑えることはできると思い、そうしなければならないと思っています」
たびたびライルの名を上げるカイナルには積年のライバル心が透けて見える。
きっと、子供の頃から抱えてきたのだ。
比べる必要なんてどこにもないのに。そう思いながらも口を挟めない。
「もう、例の約束を押し付けたりはしません。心はあると言ってくださった、今はそれだけで十分です。ですからもう一度だけ、新しい関係を一から築く機会を私にください」
決して切り離せない過去を封じてでも縁を繋ぎたいと言われて、固い決意を前にどうして嫌だと言えようか。
そんなことが本当にできると、信じ切れるならば。
「……それで、やっぱり、身分差を越えられないと言ったら?」
「どのみち騎士は準貴族。そういう意味では貴族社会と完全に手を切るのは難しい」
「そうじゃなくて……」
「家を出る出ないの問題は、最初からあなたに関係のないことです。あなたが責任を感じる必要はありません」
身分差は断りの理由にならないと、澄ました顔のカイナルに退路を封じられる。
「約束を交わしたのが本当は私じゃなかったら?」
「約束の相手が誰であろうと、私はあなたを選ぶ」
「でも、魂の呪いが……」
「あなたが好きだから、あなたが欲しい。結果として呪いが解ければ、それは運が良かったという話です」
今や愁傷な様子はなりを潜め、どんな反論も打ち返してやるとばかりに瞳は爛々と輝いている。
「他には? よく考えて、懸念があれば全て言ってください」
「懸念って……」
カイナルの誓いが全て実現するならば拒む理由はない。
よく考えなくても、シュリアは先ほど自分でそう言ったのだ。
「強いて言うなら……」
「何ですか?」
懸念をかき集めながらぽつりと切り出せば、その何倍もの勢いで整った顔が目の前に迫った。
「も、もし、将来的にカイナル様と、ということになったら、伯爵様はどうおっしゃるかと思いまして!」
唇まで触れてしまいそうな距離に慌てるシュリアとは対照的に、カイナルの反応といえば、少し距離を置いてため息を一つという程度のものだ。
その顔には、何だそんなことかと書いてある。
「でも、やっと書庫の整理ができると喜んでいらしたんですよ!」
カイナルを選ぶということは、必然的に、シュリアも王都を離れるということ。
シュリア自身を見て、認めてくれた人の期待に答えたいと願うのは当たり前の感情である。
ところが、なおも言い募ろうとしたところで。
「そうですね、困るでしょうね。ですからあの人は、もう先手を打っているのですよ」
心底嫌そうに遮られた。




