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 手を引かれて通路を戻ると、暗い書庫とは思えぬ眩い光に目を射られた。

 忘れていたが、時刻はまだ昼過ぎ。

 何をしでかすか分からないと宣言されたばかりである。明るいというだけで心強い。

 太陽を味方に付けたシュリアは、握られた手首を睨むようにして自分に言い聞かせた。

(逃げないと決めたんだもの……)

 確固たる決意とは裏腹な及び腰で、ゆったりと振り返るカイナルに対峙する。



 最初に尋ねられたのは、いつ、どこで、誰が、何を、何故。その結果どのように解釈して、心が離れたと結論付けたのか。

 齟齬が生まれる余地のないよう、それはもうしつこく細かく聴き取り調査を受けた。

 目元を見れば、怒りを抑え、冷静にあろうと努めているのが分かる。

 だから、怒気を浴びたばかりのシュリアは求められるがままに答えたのだ。

 これが騎士団というものか。

 数日前のミルデハルト伯爵と似たような感想を抱くと溜め息だってもれる。

(溜め息をつきたいのはカイナル様の方ですよね……)

 どう見ても、シュリアの激しい勘違いのようだから。



「私が誤解を与えたせいで、あなたはそう結論付けた訳ですね。あのときは……少し、迷いがあって、あのような言い方をしてしまいました。すみません」   

 自らの非を認めたカイナルは、心当たりを恥じるように短く謝罪した。

 その潔さは尊敬に値する。

(迷い、ですか?)

 距離を置こうとまでした迷いとは、一体。

 それが原因で心を揺らしたのだ。詳しく尋ねても許されるだろうし、むしろ、尋ねないという選択肢はない。

 そう勢い込む反面、いつもの自分がたたらを踏んだ。

(カイナル様がおっしゃらないのに……)

 シュリアは、喋らない相手に聞く権利を押し付けるような性格ではない。

 本人が濁しておきたいのに無理に暴こうとするのはどうなのか。ここぞという場面で罪悪感が押し寄せる。


「もう一つ、確認しなければならないことがありますね」

 

 そうこうする内に風向きは変わり、もはや、言い出せる雰囲気はなくなってしまった。


 

 好きだと告げて、その相手に真っ向から想いを否定されたら誰だって怒る。

 それ以上に悲しい。

(どうして私は、こうも考えが足りないのかしら)

 いくら余裕はなくても別の言い方があった。

 口を滑らせた本音もカイナルに与えた衝撃も、今さら白紙には戻らない。

 肩を落とすシュリアは容赦なく問い詰められた。

「私が好きなのはあなたではないと、伺ったように思います。聞き間違いでしょうか」

「……聞き間違えてはいないかと」

「そもそもとおっしゃったのだから、私が誤解を与える以前の、妻に迎えたいと申し上げた時点に遡ってのご意見ですよね」

「……そういうことに、なりますね」

 カイナルはやたらと饒舌だった。

 論理的であろうとするのは、そうしなければ箍が外れるからだ。

「私の何が、そう思わせてしまったのでしょうか?」

 詰られるとばかり思っていたシュリアを、闇が沈む暗い眼差しがひたと見据えた。

 星屑が瞬く青い瞳はなりを潜め、激情が去った漆黒の双眸には一切の光がない。

 手首は相変わらず取られたまま。

 自分の脈かカイナルの脈か、触れた場所から伝わる命の音が沈黙に溶けた。

「言ってください、シュリアさん」

 命令にも似た鋭い声だ。

 内に秘められた凶暴な響きに体の芯が震え、抗う気力が根こそぎ奪われる。

(違う、これは……)

 魔力の本質は負の力だ。

 瞳の色はそのままでも、怒りや悲しみに煽られて引きずり出されることが希にある。

 まさに今、シュリアは、その負の力を浴びていた。

(言葉が、言葉にならない……)

 浅く上下する胸は、緊張ではなく息苦しさに。開いたり閉じたりと喘ぐ口は、音を確かめるのではなく空気を求めて。 

 連れて行かれそうな意識を手繰り寄せ、血の気が下がる頭で考える。

 カイナルは理性を手放してしまっている。だから、身を守るには呼び戻すしか手段がない。

(気付いて、お願い)

 必死に伸ばした震える指先はかろうじて上着の袖口に触れた。生地をつんと引けば、その合図が届いたようだ。

「シュリアさん?」

 シュリアの意図にようやく気付いた男は、想い人の瞼が閉じられる瞬間を確かに捉えた。



 傾いた体はすかさず支えられたものの、反射的に胸板に手を突いたシュリアは、その場に崩れ落ちてしまった。

「シュリアさんっ!」

「……大丈夫、です。少し、待って」

 慌てたのはカイナルだ。

 傍らに膝をつき、顔を覗き込んで、無意識のうちにやらかしたことを悟る。

「私の……この力で……?」

 黒い双眸から鋭さが消えた。

 すると。

 シュリアを苛む圧迫感が霧散して、冷たい空気が気道を駆けた。流されるように、淀む澱のような何かが指の先から抜けていく。

 僅かな痺れを残して、あっという間に魔力の気配は去った。

(これが、カイナル様の魔力……)

 自由を取り戻せば余計に恐ろしさが身に染みる。

 魔力に触れたのは初めてではないが、やはり人の身には相容れぬ力だ。思わず額を押さえると、カイナルの緊迫感が増した。

「大丈夫ですから……」

 魔力が制御を外れるくらい傷付けてしまったのはシュリアだ。

 ゆっくりと顔を上げれば、自責の念にかられたカイナルが、傷付けられたことも忘れて唇を真一文字に引き結んでいた。

 そうすることで感情をせき止めているとでも言うように。

(今なら……)

 どんな本音でも甘んじて受け入れるだろう。

(今しかない)

 自分の狡さには目をつむって、ぐっと顎を引く。


「私じゃないと思ったのは……」

「え……?」


 突然の喋り出しに、質問したことすら頭から飛んでいたカイナルは大きくたじろいだ。

 シュリアは、遮ろうと伸ばされた腕を払いのけると、拒絶に驚くカイナルをきつく見据えた。


「私と一緒にいても、いつも、私じゃない別の誰かを見ていらしたからです」


 好意を持ったきっかけは違うのかもしれない。

 けれど、魂の呪いが発動した後は、約束を叶える相手が欲しくて、ただそれだけのためにシュリアを守っていた。

 ずっと見てきたのだ。

 カイナルの心の在処は、本人よりも良く分かっている。

 だから、違うと咄嗟に口を開いたカイナルにそれ以上の言い訳は許さない。

 

「あなたは、私のことなんて見ていなかった」 


 本当は誰を見ていたのか。

 そんな分かりきったことまで言葉にする必要はない。

「私が気付かないとでも思っていましたか?」

 目元に走った痙攣や頬が強張る瞬間まで、シュリアの真っ直ぐな眼差しは見落とさなかった。

(図星すぎて返事もない、か)

 心当たりがあると白状したも同然の反応に、最後の力が抜け落ちる。

 カイナルがシュリア自身に望んだのは、この違和感を吐き出すこと。たった一つの仕事を終えた今、もう、すべきこともできることもない。

 

 恋という名の大海原に吹く風は、恋を諦めなかったシュリアに一つの進路を指し示した。

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