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「四代目のご当主様の、ですか?」
シュリアは、年季の入った黴まみれの書物を改めて見下ろした。
この書庫にはファビエル=ランド=ミルデハルトが残したもう一冊の書が保管されている。それに比べるとくたびれ具合は相当酷い。
「四百年も床下にあった物ですから、こうなってしまうのは自明の理です。彼の魔力をもってしても、時の流れには太刀打ちできないということでしょう」
本来ならば処分すべき遺物である。
しかし、この状態では「歴の書」として役目を果たさず、残したところで害になりそうな価値もない。
それならばあるべき場所に返そうと、カイナルはミルデハルト伯爵邸に持ち込んだのだ。
ここにはシュリアがいる。
ファビエル=ランド=ミルデハルトも、遥かな時を経た邂逅に泣いて喜んでいるだろう。
「朽ち果てる前に戻せて良かった」
ようやく回収できたと、カイナルの手は変色した表紙を優しく撫でた。
白い頁にペンを走らせた日々を思っているのか、目を伏せたカイナルから言葉が絶えた。
どう声を掛けるか考えあぐねていると、戸惑いに気付いたカイナルが表情を変えた。
「先日の、私が伯爵を待ち伏せた件がかなり噂になっているようですね。あなたの耳にも入りましたか?」
「歴の書」の話はここまでだ。
話題転換も分かりやすく、カイナルはシュリアの目から書物を隠した。
(何かしら、今の感じは……?)
いつにない素振りは、やはり、敢えて距離を置こうとする証拠だろうか。
だが、噂の真相は知りたい。
とりあえずシュリアは、もやもやする気持ちを押さえ、そうですねと明るく笑って見せた。
「おかげで、使用人の皆さんとたくさんお話しができました」
「あなたの一助になれたのなら噂の中心になった甲斐もありました」
返された冗談に、今度はちゃんと笑えたと思うのだ。
事件の話をしようと、カイナルは書架の奥へと足を向けた。万が一にも誰かに聞かれないためだ。その意図を理解するシュリアも素直に続く。
天井近くまでそびえる書架の通路は狭く、奥に行けば行くほど光が届かない。
カイナルの青い瞳を初めて見たのもここだった。
あの時も暗くて、何が何だか分からないまま、青い瞳に気を取られているうちに口付けられてしまったのだ。抱き締められた腕の強さと見せ付けられた独占欲で、シュリアの頭はどうにかなりそうだった。
似たような状況にいても、今のカイナルに鬼気迫る熱情はない。
そこにあるのは、結末を報告しようという義務感だけのように思われた。
「まず我が家の書庫が襲われた件ですが、ご存じのとおり犯人に関する手掛かりはなく、結論として、未解決事件として打ち切られました」
淡々と語る声が見えない表情を連想させる。
集中しなければと、シュリアは一歩だけ前に詰めた。
冤罪をかけられたライルは、エンダンテ王国の紋章入りペーパーナイフと身元保証人に名乗り出たミルデハルト伯爵のおかげで、無事、無罪放免となった。グレイドの読みどおり、権力に弱い俺様貴族があっさり掌を返したのだ。
それで彼は、王都ザファルのザックハルト子爵邸にいるのだとか。
元々、社交シーズン以外はカイナルら三兄弟と僅かな使用人しかいない屋敷だ。その屋敷は、今、当主交代と言う大事件の予兆に大きく揺れている。
主に激震しているのは長兄で、王城での仕事と当主の仕事、寝る間を惜しんで両方の引き継ぎを進めている。
その煽りを食らったのは、同じ部署で長兄の補佐をしている次兄。
優秀なライルは諸手を挙げて歓迎され、引継作業の手伝いに駆り出されている。
レンブルク中央教会の抗議は速やかに国王の下へ届けられた。正式発表を聞く前に長兄が身辺整理を始めたということは、つまりそういう打診があったということだ。
きっと今頃、ドルトムント伯爵家の方も大混乱だろう。
そこまで、想定どおりの結末を一気に語ったカイナルは息をついた。
「レンブルク中央教会の方の犯人は分かりません」
カイナルが差し替えた偽「歴の書」。盗まれたまま、依然として行方は分からない。
しかしカイナルは、犯人を捜すつもりはないと言う。
「今回の目的は、「闇の光」が魂の呪いを知っているのか見極めることでした」
その答えは。
「残念ですが、呪いも、魔力も、知られていたようです」
カイナルがそう判断したのは、床板に付けられた傷の位置である。
あの隠し場所は、ごく普通の職人が特殊な仕掛けもなく作ったもの。大工仕事に覚えがあれば誰でも作れる単純な仕組みだ。
床板はただの蓋。
蓋がずれないような引っ掛けはあるが、カイナルが指一本で開けたように力を要するものではない。
肝になっていたのは、何かの道具で傷付けられた問題の二か所だ。
隣の床板と蓋を繋ぐあの位置には、魂を継ぐ者の魔力にしか反応しない鍵があった。ファビエル=ランド=ミルデハルトが施した魔術の鍵である。
ところが、カイナル以外の人間には開けられない鍵も、魔術の起点を物理的に壊されてしまえば用をなさない。
理屈上、カイナル以外にそれを知る人間も存在しない。
まさに鍵の無効化を狙ったとしか思えぬ傷付け方が、全てを物語っていた。
ミルデハルト伯爵家の絶対の秘密が漏れている。
漏らしたのは、自分ではない過去の自分だと。




