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 一言も聞き漏らさない構えのライルは、相槌と確認を挟んで時間を惜しむように状況を聞き出した。

 そして、シュリアの端的な言葉の羅列が途切れたところで、組んでいた足を解く。

「だから、気持ちが離れたと判断した訳だ」

 なるほどねぇと呟いたきり、こめかみを押さえて宙を睨んだ。

「ライル?」

 シュリアとしては聡明な頭脳に縋る思いなのだが。

「まさかなぁ……でもなぁ……」

 目の前に描いた何かと問答でもしているのか、珍しく時間をかけて一人の世界に沈んでいるではないか。

 人の心は理屈ではない。

 ライルがすぐに答えないならばそういうことなんだろうと、座り心地の良い座席でシュリアは背を丸めた。

 

 相手の正体を隠して、魂の呪いに関する部分も伏せて事実だけを説明すると、実に簡単な構図が浮かび上がる。

 もたもたしていたから振られてしまったのだ。

 ただそれだけのことだった。


「でも、何でだろうね。何の前触れもなく、そんなことを急に言い出すって」

「答えを引き延ばしにしていたからよ」

 他に考えられないと辿り着いた答えを、ライルは軽く一笑する。

「あのねぇ、人生を左右する大問題なんだよ。一年くらい待たせたって罰は当たらないって。向こうも、そんな生半可な覚悟で求婚した訳じゃないでしょ」

 もっと別の理由がある、と。

 不思議なまでに自信満々で一刀両断するのだ。

(でも、相手がカイナル様だって知ったら?)

 その時ライルは、同じように悩んでくれるだろうか。

(求婚は気の迷いだって、カイナル様の選択が正しいって思うんじゃないかしら……)

 何の利益にもならない、あまつさえ結婚適齢期卒業間近な平民の娘なんて論外だと言われてしまいそうだ。


 だから、肝の部分を隠して相談を持ちかけた自分はずるい。


「ありがとう、ライル」

 まだまだ続きそうな思案に、シュリアは強引に割り込んだ。

「自業自得だから、もういいの」

 そう言って一方的に話を打ち切ったのだが。

 邪魔をされたライルは、終わらせるどころか仏頂面でやり返した。

「何それ?」

「え……?」

「はあん、分かった。君はずっと、私なんかがって思ってきた訳だね」

 背もたれから上体を起こし、向かい合うシュリアの鼻先まで顔を寄せ。

「それって結局、相手が何をどう言おうと受け入れないってことでしょ? 相手を拒絶しちゃう訳でしょ? もしかしたらその壁のせいじゃないの? どんな男でも独り言を繰り返すのは疲れるよ」

 そんな理由かと言わんばかりに長い息を吐いて、再び足を組みながら背を預けるのだ。

 呆然とするシュリアに、ライルは尚も続けた。

「同じ階級のお嬢様の方が相応しいと思ってたのなら丁度いいじゃない。結ばれる運命じゃなかったってことで諦めるんだね」

 諦めろ。

 似たような話をした子爵夫人は、今のシュリアを否定はしたが諦めろとまでは言わなかった。

 初めて投げられた言葉が胸に刺さる。


 ところが、だ。

 何故だろうか、鍋で煮えたぎるスープのようにぼこぼこと疑問が沸いた。

(壁。壁ね。壁があるのはカイナル様の方じゃない?)

 ライルは、独り言を繰り返すのは疲れると言った。

 そうだろう、よく分かる。

 大昔の約束という得体の知れない大きな壁に向けて、シュリアも独り言を繰り返していたようなものだから。

 何をどう言おうと、透明な壁の向こうでカイナルは笑うのだ。

(拒絶していたと言うなら、それは私じゃないわよね?)

 受け入れようとしなかったのは、全部カイナルの方だ。



 ゆるやかに変化する気持ちが顔に表れたのか、シュリアを見つめたままのライルが首を傾げた。

「どうしたの?」

 言い返したいが、言えない。

 ミルデハルト伯爵家の絶対の秘密を喋らずして、上手に説明できる自信がない。

 それがひどく悔しい。

「何か言いたそうだね?」

 嘲るような催促を寄越すと、ライルは足を組み替え、眇めた目でシュリアを見た。

「気に障ったのならごめんね」

 謝っているとはとても思えないふざけた態度である。

 訂正があればどうぞと唆すように言われて、シュリアは、素直に爆発した。


「私じゃないわよ!」


 自制する間もなかった。

「あの人が好きなのは私じゃないわ」

「でも、妻に望まれたんでしょ?」

「そうだけど、そうじゃなくて」

「好きじゃなければ結婚しようなんて思わないでしょ」

「私はただの身代わりなのよ!」

 一度弾けた理性は、的確な合いの手に導かれるがまま暴走した。

 こんな説明ではいくらライルでも混乱するだろうと、自分で言いながら笑いが込み上げる。

 しかし、その微妙な違いが実際には大きな溝を生む。

 カイナルとの埋められない距離は、全てそこに原因があった。



 ううむと唸りながらも、ライルは根気強く理解しようと努力した。

「よく分からないけど……君じゃなくても良かったなんて、どうしてそんな風に思ったの?」

 ようやく聞き返せばシュリアの顔がじわりと歪んだ。

「……あ、いや、ごめん」

 ライルの方こそ息を飲んで、らしくもなく後悔する。頭に過ぎるのは、奇しくもシュリアと同じ苦い思いだ。

 人の心は理屈ではない。

 誰しも、理路整然と説明できない柔らかな部分を抱えている。

 シュリアも、シュリアの想い人も、自分も。

 それなのに何故、無神経に切り込んでしまったのか。

 ライルの腕は自然に動いた。

 身を乗り出して、本当にごめんと触れようとしたところで、俯いたシュリアがぽつりとこぼす。


「……私を見てくれなかったから」


 床に落ちれば簡単に消えてしまいそうな声だった。

 想いが凝縮された言葉は、ライルの掌の上で跡も残さず溶ける。

 溶けて、染み込んで、ライルに知らしめる。


「……君は、自分を見て欲しかったんだね」


 シュリアの首が僅かに前後した。

 それを認めたライルは、へにゃりと音がしそうな程に情けなく顔を崩した。

「だったら今からでも聞いてみればいいじゃない。心変わりしたのか、そもそも本当に君を見ていなかったのか、言葉で確認しないと分からないよ」

 真っ向からぶつける正論とは不釣り合いな苦笑いで、自信を持てと励ますように繰り返す。

「ちゃんと言おうよ。だって、君、好きなんだよ。カイナル様のことがちゃんと好きなんだって」

 好きの気持ちが分からないなんて言っていながら、自分を見て欲しいと願うのは恋をしているからだと。

 導いた答えと共に立てた人差し指を顔の前で左右に振られ、シュリアは瞠目した。

「好き……」

「そう、好きなんだよ」

 聞いたばかりの言葉が、きらきらと宙を舞った。


 カイナル様のことがちゃんと好きなんだって。


 指先から、掌から。

 入り込んだ光の欠片は、胸の奥を目指して鮮やかに駆け抜ける。

 まき散らされた鱗粉が、今さらじゃないかと非難する声をも圧倒した。


 カイナル様が、好き。


(だから、嫌われたくないと思ったんだわ)

 人に言われて気付くなんてと開きかけた口が、ふと、中途半端なところで固まった。

(……カイナル様の?)

 疑問符が踊る。

(今、カイナル様って言った?)

 聞き流した部分に、重大な問題が埋もれているではないか。

「カ、カイナル様のことだって何で知っているのよ!」

 声を荒げると、目を丸くしたライルも同じ勢いで食いつくのだ。

「普通は気付くだろう!」

 心底呆れたとぼやく顔は、それでも楽しそうに笑っていた。

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