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 明けて、レンブルク滞在最終日。


 簡易宿泊室でそのまま夜を明かしたシュリアは、並んで手を振る司祭と朗らかに笑う司教に見送られ、予定どおり馬車で出発した。

 繋がれているのは、何と四頭もの立派な馬。

 更に輪をかけて立派な客室はシンプルに黒で統一され、扉に飾られたレンブルク中央教会の紋章だけが黄金色に光り輝いていた。



 馬車は、収穫祭の被害が少ない道を上手に選んで領主代理屋敷に立ち寄った。

 ここで、カイナルがミルデハルト伯爵から借りっ放しの馬に乗り換え、替わりにライルが乗り込んでくる。屋敷に待機中の二人の騎士も護衛を兼ねて出立の予定だ。

 もちろんシュリアも、僅かな私物を取りに階段を上った。

(何だか静かね……)

 客室フロアの廊下は妙に閑散としている。

 ドルトムント伯爵親子は昨日の内に屋敷を出た。ご本人のみならずお供の方々まで賑やかしい一行だったので、その反動だろうか。

 それにしては、片付けに励む使用人すら見当たらないのは不自然ではないか。

(町の大清掃に人手を貸し出したのかしら)

 まるで、打ち捨てられた廃墟のようだ。

 差し込む晩秋の明かりに、きらきらと埃が踊っていた。



 足早に玄関ホールへ戻れば、旅装に身を包んだルミエフと言葉を交わす子爵夫人の姿があった。

 侍女を一人連れている他に使用人はいない。どうやら子爵本人も、見送りには立ち合わないようだ。

 玄関に向けて真っ直ぐ伸びた階段を降りるシュリアに気付くと、ルミエフは家族にしか分からない程度に目元を緩め、子爵夫人は感情が読めない眼差しを向けた。

 ルミエフが譲るように立ち去ったその場所へシュリアは進み出る。

「長くお世話になりました。ありがとうございました」

 ミルデハルト伯爵邸で習ったお辞儀で感謝を示せば、子爵夫人は鷹揚に頷いた。

「体調を崩したと聞きました。もう良いのかしら?」

「はい、無断で外泊するような真似をして申し訳ありません。一晩休んで、もうすっかりです」

「そう、なら良いのだけれど。当家の客人が不快な思いをさせたとも聞き及んでいます。王都に戻って疲れを出さないように」

 嫌われてはいない、とは思うのだが好かれてもいない。

 そんな人に気遣われると反応に困る。

 はいと答えただけで続く言葉を探していると、準備を終えたカイナルがタイミング良く現れた。

「では母上、当面よろしくお願いします。どうかご自愛ください」

「分かっています。道中お気をつけなさい」 

 現当主に謹慎の沙汰が下りて次の当主が収まるまで、どうしても生じる空白の期間。そこで采配を振るうのは領主の妹たる現子爵夫人だ。

 何もかも承知した風情でカイナルを追い出そうとした子爵夫人は、しかし、もう一度シュリアに目をやった。

 その背に添えられた息子の手を二拍ほど見つめた後。

「兄の屋敷に上がったのは今年のシーズンからでしたね。とても美しいお辞儀でした。これからも良く励みなさい」

 それだけを残して踵を返した。

 子爵夫人とはここでお別れだ。

 誉めて貰った礼も言えず、凛とした後ろ姿に向けてシュリアは頭を下げた。



 レンブルクと王都ザファルは隣り合わせだ。市街地の中心部まで行くならばそれなりに距離があるが、休憩は挟まないと騎士たちが言っていた。

 子爵夫人にああは言ったものの、実は、体調が全く芳しくない。

 ほとんど寝ていないせいだ。

 隣の宿泊室にいると言ってカイナルが去った後、解けない謎に挑むように、悶々と思案に暮れていたら夜が明けていた。

 普段から夜更かしをする質ではないので、心理的な衝撃と等しく肉体的ダメージも大きい。

(気持ち悪いわ……頭が重いし。頭が重いから気持ち悪いのかしら……)

 往路と違ってほとんど揺れない快適な車内。

 そして再び、思考は底なし沼に沈む。

(あれはやっぱり、どう考えても、求婚を撤回すると暗に言われたのよね……)

 夜明けまでは、離れてしまった心を取り戻せるか考えていた。

 朝を迎えて、体の具合を問う穏やかな、しかし一線を引いた双眸を前に、諦めと後悔が上回った。

(ああ、でも、ここで具合が悪いなんて言ったら本当に見限られてしまう……)

 嫌われたくない。

 恋愛感情をなくしても変わらず丁寧なカイナルに、見向きもされなくなるのは辛い。

 二人を隔てる身分の溝は、カイナルの歩み寄りがなければ埋まらないのだ。当たらず障らず礼節を持って近付けば、上官の妹として今後も付き合ってくれるだろうか。

(この先も、ずっと?)

 カイナルがどこかのお嬢様と結婚してしまっても。

 頭の中には、勝ち誇ったように微笑むドルトムント伯爵令嬢の美しい顔が浮かんだ。

 細い腕がカイナルに回る。

 やめてくれと、声を上げようとしたその時。


「ううん、盛大に思い悩んでるね?」


 突然の底抜けに明るい声が幻想をかき消した。

「シューリアっ!」

「うわいたぁっ!」

 驚きで飛び上がり、したたかに後頭部を打つ。

 白い火花が舞う焦点を彷徨わせれば、視界いっぱいに黒い瞳が意地悪く笑っているではないか。

「ラ、ライル!」

 何故、視界いっぱいなのか。

 それは、ぎりぎりまでライルが顔を寄せているから。

 ひいっと再度飛び上がり、急いで壁にすり寄った。

「何してるのよ、ちゃんと座ってなきゃ危ないでしょ!」

「何度呼びかけても返事をしなかったのは誰なのさ。俺が乗ってること、忘れてたでしょ」

 苦情を軽くあしらいながら、ライルは本来の席に座り直した。

 向かい合って乗ったはずがいつの間にか隣にいて、覗き込まれていたのにも気付かなかったとは。

 とんだ接近戦だった。

 爽やかな笑顔を睨みつけ、決まり悪く鼻を鳴らす。

(いつもなら嫉妬でごねるカイナル様が、ライルが迷惑をかけますと、今日はあっさり扉を閉めたんだったわ……)

 それも、シュリアを落ち込ませた一因なのだが。

「で、シュリアはどうしたの? 昨日あの後、何があったの?」

「……何もないわよ」

 そう言ってみたところで、できたばかりの聡い友人にささやかな強がりは通用しない。

 今も、シュリアの返事など全く取り合わず、すっかり聞く態勢に落ち着いているのだから。

「何もないったら!」

「何もない人が、今にも死にそうな顔で唸ってるはずがないでしょ。例の好きな人と喧嘩でもした?」

 存外真剣にライルが尋ねる。

 冗談の一つもなく振られてしまえば、弱り切ったシュリアに否と言う力はなかった。

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