4
かつて、この島が三つの国に分かれていた頃。
今では信じられないことに、ザファールという国には魔力を持つ民が存在していた。
彼らは、不思議の力を持つが故に迫害され、いつしか表舞台から姿を消したという。
やがて、島の覇権を巡る百年戦争が起こり、一人の男がこれを平定する。魔力を身に宿す救世主、ライナルシア王国の初代国王である。
建国以来五百年を経た今でも魔力は子々孫々と受け継がれ、この国は、尊き王の加護により永久の平和と繁栄が約束されている。
というのが、よく知られた建国の縁起だ。
もっとも、百年戦争勃発前の史実は情報統制の下にあり、魔力を持つ民の存在は公にされていない。
シュリアも、魔力は王家の専売特許で、魔力の証たる青い瞳は王族の象徴だと、この夏までは疑いもしなかった。
夏といえば社交シーズン。
特に建国五百年祭が重なった今年、ザファルの街は大変な盛り上がりを見せた。
その混乱に乗じ、ミルデハルト伯爵家に眠る「歴の書」を手に入れようと画策したのが、王家転覆を目論む正体不明の組織「闇の光」だ。
彼らは、古代魔術語で記された魔術の書を「歴の書」と称し、為政者の正当性を崩す手掛かりとして集めていた。
何故なら、建国前に記された「歴の書」は王家が回収済み、魔術は門外不出。そんな状況下、新たな「歴の書」は王族以外に宿る魔力の存在を示唆するからだ。
ミルデハルト伯爵家は、ザファール国の魔力を持つ民を祖とする名家である。そして、ファビエル=ランド=ミルデハルトという四百年前の当主が、王家との血縁もないのに青い瞳を持っていた事で知られている。
そして、今もなお。
かの家の末裔には、時として魔力が顕現する。
それは、とある男が自らの魂に掛けた呪いだ。
彼は、最愛の人を失った。
しかし、その事実を受け入れなかった。
目の前から消えても、この世界のどこかで彼女は俺を待っている。そう信じて探し続ける事を己に強いた。
やがて、彼の莫大な魔力は自然の摂理をねじ曲げる。
子を持たない彼が目を付けたのは、いずれ初代ミルデハルト伯爵を輩出する弟の血脈だ。魂はそのままに肉体を替えて生き続ける、そんな呪いを発動させるには近い血を持つ宿体の方が好都合だ。
男の肉体は土に還り、かくして長い旅が始まった。
執念が運命を手繰り寄せるのは、無為に過ぎる夜を気が狂う程に数えた後。
死を心待ちにしていた老人が、幼いシュリアと出会ったのだ。
それで終わりなら良かった。
老人の死後、時を置かずして、記憶も魔力も持たない新たな宿体が生まれ落ちた。
運命は奇跡を呼ぶ。
まっさらな宿体は三度彼女と出会い、時を重ね、過去を辿るように想いを募らせた。
彼の願いは始祖を呼び起こし、遂に呪いが発動する。
言わずもがな、カイナルとシュリアの話である。
一時期のカイナルは、やたらツバが大きい騎士団の制帽で青い瞳を隠していた。
呪いが体に馴染んだ頃から魔力の暴走は収まり、それと共に瞳の色も落ち着いたため、今ではあの悪評高い制帽を被る事もない。
ごく普通の装いをすれば、隣に並ぶのも気後れしてしまうような紳士だ。
まして、行き違いがあって手放したとはいえ、一度は仄かな恋心を抱いた相手。
そんな人に好きだと告げられ、妻にと望まれ。
喜びのあまり天にも昇りそうなものだったが。
(何度考えても、ねえ)
額に落ちた黒髪は艶やかで、切れ長の目元は涼しげで。
同じ人間とも思えぬ完璧な造形が、これまた完璧な角度で微笑みを浮かべている。
カイナルのことは好きだ。
恋愛に不慣れな自分でもそうと分かるくらい、甘い想いは胸にある。
(好きだけど、それでいいかと言われると……)
最愛の人と同じ魂を持つあなたを探していた、と言われて、無邪気にのぼせ上がるのは十代も前半の少女だけだ。
(気になるわよねぇ)
何せ、一切の記憶がないのだから。
一に、探していた魂は本当にシュリアなのか。
二に、「最愛の人」自身はどう思っていたのか。
カイナルの意思表示は積極的だ。過度なまでに好意を示されれば、最初の疑問は百歩譲って忘れることもできる。
本当に問題なのは二番目の方。
果たして、引き裂かれた二人に通う愛情はあったのか?
一方的な熱で一方的に追いかけたのであれば、違う意味で悲劇である。運命の一言で片付けられない。
(多くの人生を犠牲にしてまで、身勝手を通したんでしょう?)
カイナル=ザックハルトの足元には、使い捨てられた宿体の屍が積み重なっているのだ。
だから、始祖の呪いは関係ないと言葉を尽くされても、万が一にも万が一のことがあればと考えてしまう。
(結局、何だかんだで踏み切れない……)
お付き合いからでお願いしますと保留したが、二人とも結婚適齢期真っ只中。結婚が遅い平民でも、シュリアは既に盛りを越えた。
好きだけで行動できる年でもなく、悠長に考えていられる年でもない。
(理性を押しつぶすくらいに恋心が膨らめば、カイナル様の胸に飛び込んで行けるのに)
そんな頃まで待ってくれるだろうか。
その前に、そんな状況が訪れるだろうか。
抜けない棘のように、何かがシュリアを縫い止める。
二十歳を過ぎて早数年。
遅れてやってきた春は、悲しい程に手に余る。
誤字訂正しました
ご報告ありがとうございます(2019.7.17)