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 カイナルが机を動かすと、シュリアの位置からも床下の様子がはっきり見えた。

 何も隠さぬ木材の隙間には不自然な幅があって、この空間が始めから意図して作られたものであることが良く分かった。

 ファビエル=ランド=ミルデハルトは、何を思って魔術の書を残したのだろうか。



「盗まれたって、それ、大丈夫なんですか?」

 重要性の理解は不十分でも事の重大性は理解するライルが、自らの行動を棚に上げてカイナルに迫った。

 この事態にカイナルが責任を問われないか心配になったのだ。

 ところが、大した問題ではないと首を振られたものだから、素っ頓狂な声で余計なことまで喋ってしまった。

「ええ? だって、大層意味のある書だと伯爵が言われたから、俺も取りに来たんですよ?」

「……伯父上が?」

 罠をすり抜けた獲物には怒りも悔しがりもしないカイナルだが。

「後で、ゆっくり聞こうか」

 伯父の名前が出た途端、その双眸はぎらりと効果音を鳴らして鋭く光った。

「ところで、見てのとおり床板を開けるのに道具は使わない。お前は、道具が必要だとどうして思った?」

 シュリアは、床の上に再び視線を落とした。

(見てのとおり……?)

 真っ二つに割られた床板の断面は痛々しい。

 劣化していたとはいえよくぞ指一本で割ったものだと、シュリアの背筋は粟立った。

(元々は、どういう仕掛けだったのかしら)

 手に取った板切れを何度かひっくり返してみても、金具などの付属品の形跡は見当たらない。どんなに念入りに見たところで、結局、開け閉めのからくりはさっぱりだった。

 残された可能性はただ一つ。

 それを、この場で尋ねることはできない。



 シュリアの手から板切れを預かったライルは、そのまま慎重に、向きを合わせて元の位置へと押し当てた。

「これですよ」

 これこれ、と。

 もう片方の手で一点を指し示す。

「ここに何か差し込むんだろうと思った訳です」

 言われてよくよく覗き込めば、置いた板切れと隣の床板の境に指二本分ほどの窪みが生まれていた。

 幅広な大工道具でも突き差して蓋の部分を押し上げるのではないかと考えたライルは、携帯する唯一の道具を当ててみたものの、大きさが違ってはまらなかったのだと説明した。

 力業に踏み切る前、カイナルが凝視したのもこの窪みである。

(犯人が作ったものよね?)

 どんな道具を使ったのか、とてもきれいに削られている。幅はあるが深さがないため、黒ずんだ床板との色の違いはあまり見られない。机の陰であれば、窪みがあることにも気付かない程度だ。

 それは、粉砕前の床板の左右、同じ位置に一つずつ作られていた。

「お前が持っていた道具とは?」

「……これですよ」

 求められるまま襟元をくつろげたライルは、シャツの下をごそごそと探る。

 引き出したのはあのチェーンだ。

 花と蝶、エンダンテ王家の紋章が彫られたペーパーナイフ。

 持ち手を含めて親指ほどの長さしかないのだから、刃の部分も短く細い。なるほど、道具としては小さすぎて、あの窪みには合わないだろう。

「無理だろうなと思いながら、こんな風に、試してみたんですがね」

 挑戦した様子まで再現するライルに、シュリアの冷静な頭は完全に冷え切った。


「……そのペーパーナイフは、王子様から下賜された大切な物じゃなかった?」


 取り上げたペーパーナイフをまじまじと見つめ、紋章を確認したカイナルが、本物だったのかと感嘆の声をもらしている。

(カイナル様、本物かどうかは問題じゃないんですよ)

 今まさに、重要なのはそこではない。

 あれが、替えのきかない思い出の品ということだ。

(何てことを、何てことをやってるのよ!)

 エンダンテ王子に代わって怒りをたぎらせながら、きょとんと目を瞬くライルを睨み付けた。


 ライルを慕った幼い王子は、床板をこじ開けさせるために自分の持ち物を与えた訳ではない。

 離れていても忘れないで。

 あのペーパーナイフは、ライルへ寄せた王子の心そのものなのだ。


 男は、女と違って心の機微に疎いのよ。

 何代か前の恋人をそう貶した姉の言葉が、重量感を伴って頭に浮かんだ。

 ねえライル、と。

 心掛けて穏やかに、もう一度問いかける。

「そのペーパーナイフを使ったのは、どうして?」

「だから、他に道具になる物は持っていないからね」

 答えは変わらない。

 シュリアの熱はひとっ飛びに上昇した。

「それは……」

 椅子を支えに立ち上がり、ゆらりと一歩進み出る。 

「王子様にとって、分身のようなものなのよ。あなたと離れたくなくて、忘れられたくなくて、せめて形に残したくて渡したのよ?」

 カイナルを素通りし、ライルの正面で足を止め。

 この駄目男が。

 飲み込んだ罵声の代わりに人差し指で胸を突いた。

「あなた、王子様の切ない心を何だと思っているの」

 その辺の工具よろしく扱って許される品ではないと語調を強めれば、気圧されたようにライルは鈍く頷いた。

 さすがは幼なじみ。駄目男振りはカイナルと良い勝負だ。

 そんなライルの隣では、矛先を向けてもいないカイナルが加わり、二人揃って大人しくうなだれている。

 仲良く並ぶ様はまるで本物の兄弟のようで、相手の気持ちをもう少し考えろと、二人まとめて叱りつけてやった。

(そうじゃなければ報われないじゃない)

 異国の王子様も、私も。


 一仕事を終えて大きく鼻を鳴らしたシュリアは、そこで、唐突な目眩に襲われた。

 世界が急速に色を失っていく。

(喋り過ぎたのかしら……)

 唯一の頼りの足元まで不安定に揺れ始め、なされるがまま、シュリアの体は傾いた。

「どうした!」

「シュリアさん!」

 多分、助けを求めたように見えたのだろう。

 前に傾いだ体は、横から伸びた腕に掬い取られた。

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