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 気付けば簡素な椅子の上。

 自分を強引に連れ込んだ男が何をする気か、シュリアが身を堅くして構えていると。

「熱は? まだかなり熱いのに出歩くなんて駄目じゃないか!」

 大した沈黙も、もったいぶった前振りもなく、普段の調子そのままの第一声が飛び出した。

 しかも、右手はしっかりとシュリアの頬だ。

「何か用事だったんだろ? そういう時はカイナル様を使えばいい。もちろん俺たちでもいいから、ちゃんと休んでな。な?」

 普通のことを普通に諭されて、納得しがたい思いが胸に湧く。

 頷かざるを得ない雰囲気に流されて首を縦に振れば、ライルは、子供か子犬を誉めるような眼差しで同じように頷いた。

(もう少し、そうね、見てはいけないものを見たなとか、生きて帰す訳にはいかないとか、それらしい台詞があるんじゃないかしら……?)

 ライルに限ってまさかそんなと衝撃を受けたシュリアは、今、むしろ自分を疑っている。

(隠している? 何を? 本当に?)

 敷地の最奥に位置する使われない部屋の机の下。

 そこにいたということは、「歴の書」の存在を確実に知っている。

 つまりは「闇の光」の関係者という結論に至るのだが。

(……おかしい、何だか想像したのと違う)

 焦りや、後ろ暗さや、口封じ。諸々の切羽詰まった感情を撒き散らすのが犯人の常ではないだろうか。

 少なくとも夏の事件では、密談現場に居合わせたせいで自由を奪われ、誰もいない夜の倉庫に連れ込まれそうになったのだ。

(性格的なことが関係しているのかしら?)

 シュリアにも、こんな風に冷静に考えられる余裕などなかった。



 いつもの癖で小首を傾げて悩んでいたら、説教している場合じゃなかったと、ライルがいきなり声を上げた。

「寝台に戻ろう!」

 暗くて寒い簡易宿泊室よりうちの方がまだましなんだけど。でも、今、うちの周りは戦場だからなぁ。連れ出すのは下策だよなぁ。

 ぶつぶつと呟きが止まらない。

 察するに、シュリアは無傷のまま送り届けられるらしい。 

(どういうことなの? ねえ?)

 背に添えられた手、覗き込まれた眼差し。

 いつもと変わらない気遣いが方向違いの苛立ちを煽る。

(犯人なら! 犯人らしい態度ってものがあるでしょう!)

 そのタイミングで立ち上がるように促されても、素直に従う気にはとてもならなかった。

「分かった、ちょっと応援を探してくるから待ってて。おっさんでもカイナル様でも、どっちか見つけたらすぐ戻る」

 ライルはきりりと表情を絞る。

 その宣言に、シュリアは一人、全力で異を唱えた。

(連れてくる応援がどうしてその二人なのよ!)

 ライルが「闇の光」の一員ならば、この場合、教会にこっそり忍んだお仲間を頼るのが正解である。

 という胸の内は当然伝わらず、シュリアの頭をひと撫でしたライルは騎士を探そうと動き出した。

(あなた、本当に、この部屋で何をしていたの!)

 ちゃんと説明が欲しい。

 願うように見つめた背中は、回廊に続く出口の前。

(ねえ、ライル!)

 しかしライルは、外に出ることもなくその場に立ち尽くしていた。



 音を立てて扉が閉まる。

 取っ手から離した手を拳に変え、じりじりと歩を進めるのはカイナルだ。

 それに合わせて後ずさるライルが、取りなすように何事かを訴える。

 シュリアには聞き取れない言葉が聞こえているだろうカイナルは、けれど全く取り合わず、無言でライルを追い詰めた。

 ここにシュリアがいると気付いているのかいないのか。

(……気付いているわよね。むしろ、だからこそよね)

 カイナルがいれば大丈夫。

 絶対的な身の安全が保証され、ほっと弛緩した体は正直だ。この数か月ですっかり刷り込まれてしまっていた。

 ライルがどんなに犯人らしからぬ態度を見せようと、二人きりの時はやはり気を張っていたのだ。

 シュリアは、ぐったりと椅子の背に身を預けた。



 カイナルにしてみれば、罠にかかったのが信頼する兄貴分で、寝込んでいるはずの暫定恋人が出歩いていて、更に二人が一緒にいてと、何から尋ねるべきか判断に困る状況である。

 ちらりと窺ったシュリアは動けそうな様子ではない。

 必然的に、カイナルの腕はライルに向かった。


 体格的にも職業的にも、カイナルに分がある勝負はあっさり決まった。

「ちょっと聞いて、話を聞いてくださっ、いてぇっ!」

 床にうつ伏せで取り押さえられ、両手は背後で一括り。完全に無抵抗で下敷きにされたライルは、やけになって叫んだ。

「話くらい聞いてくれてもいいでしょう!」

「なら、聞いてやろう」

 重々しく答えると、カイナルは膝の位置を僅かにずらす。


「お前は、シュリアさんに何をした」


 最初の質問がそれでいいのかと、意表を突かれたのはライルだけではない。

(どちらかと言えば、助けようとしてくれたんですが……)

 病床のシュリアを連れ出し、この部屋の秘密を暴こうとしたのではないか。

 疑惑の眼差しが確認するようにシュリアに投げられた。

 しかしシュリアは、射るような黒い双眸を前に別のことを考えた。

(瞳が青くなっては、いない、わよね?)

 魔力の気配は感じられない。その事実にほっとして、つい、否定を返すのが遅れた。

「いたたたたっ! 痛い! 本気で何やってんですか! シュリアも見てないでこの人に教えてやってよ!」

 少なくともその点についてライルは無実だ。

 ライルの盛大な主張に、それもそうかとシュリアも身を乗り出す。

「私がここにいるのは偶然なんです。ライルは、カイナル様を探しに行こうとしてくれたんです」

「では、あなたは何故ここに?」

「リッカの葉を……あ、解熱に効く薬草をそこのお庭に取りに来ました」

 言い訳は下手に包み隠さない方が良い。

 経験則から素直に打ち明けると、真っ先に反応を示したのは床に這いつくばるライルである。

「ええ? 解熱剤を自分で取りに来たの? そんなの真っ先に差し入れる物でしょうが!」

 そして、上に乗るカイナルへしっかり釘を刺す。

「真っ先に差し入れる物は水と解熱剤! これ、常識でしょ!」

「あまり、熱を出した記憶が……」

「そうでした。姉上様が寝込まれた時には泥団子を差し入れていましたよね、あなたという人は」

 ついには、昔のことまで持ち出して説教を始めたのである。

 面倒見の良い性格が如実に表れているというか、状況を理解していないというか、とにかく悪びれたところがない。

 そうこうする内に、二人の言い合いは本筋から大きく脱線し始める。

 シュリアは、複雑な色の溜め息をこぼした。


 摂取後は安静が原則のリッカの葉。

 せっかく中庭まで来たけれど、今回ばかりは効果が期待できない。

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