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「カイナル様?」

 口元を引き結び、真っ直ぐに見下ろされる黒い双眸を受け止めて。

 シュリアは戸惑いを隠せずにいた。

 深く考えず発した言葉が原因で、思い詰めたように動きを止めてしまったのだ。

(変なことは言っていない、わよね)

 ドルトムント伯爵令嬢が教会を敵に回したと聞いたから、そうまでしてカイナルを諦めたくなかったのかと述べただけだ。

 これまでの被害もカイナルの本心も知っているので、揶揄したつもりはない。

(不謹慎だったかしら……)

 どうせ熱に浮かされた頭だ。これ以上何かを言わない方が良い。

「気に障りましたよね、すみません」

 シュリアは、とにかくすぐに謝った。

 それに対してカイナルは、力なく笑っただけだった。

「何も謝ることはありませんよ。少し……そうですね、驚いただけですから」

「あの……」

「まさに執念ですよね。後がないから、是が非でも手に入れようとして」

 とても良く似ていました、と。

 こぼれ落ちた言葉が更なる不安を誘う。

「似ている? カイナル様?」

 理解できないまま、罪悪感だけが渦巻いた。

 しかしカイナルは。

「……あのご令嬢にはとても振り回されて、私は、嫌悪感すら抱いていたのですが」

 独り言のように呟いて、ですが、の続きを飲み込んでしまったのだ。



 得体の知れぬ沈痛な表情で、佇むカイナルは遠くを見ている。

 いや、視線の先にはシュリアがいるのだが、重なるはずの視線が重ならない。

(何を見ているのかしら)

 過去の宿体か、最愛の女性の面影か。

 シュリアは、振り払うように目を伏せた。

 ただでさえ熱で弱っているところに、輪をかけて無力感が押し寄せる。

(私を見てはくれないんですね)

 気付かされた真実には、やっぱりそうかと思っただけ。


 過去に引きずられて好きになったのではない。

 カイナルは幾度となくそう言った。

 その言葉を、素直に受け止められたことはない。


 どう見たって、カイナルは過去の出来事に影響されている。あからさまな感情表現や過干渉にも近い過保護振りは、魂の始祖が味わった悲壮感の裏返しだ。

 だからこの先も、過去の因縁ありきのカイナルの目がシュリアだけを捉えることはないだろう。

 一緒にいながら永遠に片想いが続く、そんな生活に耐えられるだろうか。

 今ですら、こんなに虚しいのに。


 好きだと言われて躊躇った本当の理由、それに気付いたのはライルがきっかけだった。

 当たり前だが、ライルの視線がシュリアを素通りすることはない。

 さすがは幼なじみで、カイナルとよく似た雰囲気のライルから欠けることのない優しさを向けられて、覚えた感情は虚しさの対極にあった。


 今だ眼差しも虚ろに自問を続けるカイナルへ、胸の内で問いかける。

(過去の私たちに何もなかったとして、同じように好きになってくれましたか?)

 身分の違いを越えて、妻にと望んでくれただろうか。

 もし、そうであれば。

 一も二もなく飛び込んで行ったのに。



 その後、取り繕うように何事か言われたが、シュリアはあまり聞いていなかった。

 とにかく一人になりたくて、出て行くカイナルの後ろ姿さえ見なかった。

(こんな風に思いたくはないのに……)

 少なくとも、好きな相手に寄せる感情ではない。

 どきどきして、きらきらして、そんな想いだけを抱いていたかった。

(理性を凌駕する程に恋心が膨らんでも……)

 お互いの気持ちさえ距離があるのに、それでどうして、胸に飛び込んでなど行けようか。



「あ、リッカの葉……」

 気持ちが落ち着いてようやく思い出すに至ったのは、すっかり忘れていた薬草の件。

 全身で拒絶した結果、シュリアは寝落ちしたと思われたようだった。入室時と同じく静かに出て行ったカイナルは、無駄に様子見にも来ないだろう。

 お粥を持って来るとか何とか言っていたが、今から作って貰うならできあがるのはかなり後だ。

「どうしよう……」

 リッカの葉は、その姿形に何ら特徴がない。どう説明しようにもただの緑の葉っぱである。

 強いて言うなら、この時期でも青々しい葉を保つ生命力が最大の特徴なのだが、素人には雑草との区別が難しい。

 だからカイナルに頼んだとしても、超有名な薬草すら知らないお坊ちゃんでは難儀したことだろう。

(逆に、お願いしなくて良かったんだわ)

 とは言っても、気を利かして解熱剤を差し入れてくれそうな知り合いは他にいない。

(こういうとき、一人っていうのは不便なのよね)

 一人でいることを望んだばかりなのに、早くも愚痴がこぼれてしまった。誰かといる生活にすっかり慣れていたのだ。

(駄目だわ、よく考えて私)

 手が掛かるすぐ上の兄姉のおかげで、子供の頃から大概一人ぼっちだったではないか。

 不便ではない。これが当たり前だと思えば良い。

(確か、中庭は南側が開けていて、その先に敷地の際が見えていたわよね。それなら門に沿って南を目指せば辿り着けるんじゃないかしら?)

 例の部屋には何度も通ったが、いつも司教やカイナルの後を付いて歩くだけで、曲がった角や抜けた回廊の数まで覚えてはいない。

 それ程に、この教会の造りは複雑なのだ。

 どこかで迷子になる自信だけなら十分にあるシュリアは、建物内を突き進む案を真っ先に却下した。

 敷地のどの辺りに簡易宿泊室があって、中庭との位置関係がどうなのか、平面図も立体図も何一つ思い浮かばないのだから。

 しかし、熱の影響とは恐ろしいもので、外に出さえすれば何とかなると頭は楽観的に指示を下した。

 暖かい毛布を捲って、そろりと足を降ろす。

 靴は寝台の下にあった。

(これなら大丈夫、行ける)

 拳を握って奮起した途端、その勢いに体が負けた。

「あわ、わ!」

 倒れ込む寸前で、もがくように寝台に手を突いた。

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