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レンブルク中央教会は、複数の建物が回廊で繋がれた大きな施設である。
グレイドと合流すべく回廊を戻るカイナルは、徐々に近付く騒音に眉を顰めた。複数の人間の声が作るざわめきに混じり、時折、甲高い金切り声が耳をつく。
次の建物に飛び込むと、やはりという思いで目を凝らした。
騒ぎの元はドルトムント伯爵令嬢。
簡易宿泊室が並ぶ静かなフロアで、ヒステリックにカイナルを呼んでいるではないか。騎士風情が神職風情がと、誰かを嘲る言葉まで漏れ聞こえる。
シュリアを抱えて正面玄関前を抜けたとき、待機中の使用人にでも見られたのだろう。
ふいに耳が拾ったのはザックハルト子爵の低い怒鳴り声だ。誰が対応しているのか、そちらの声は聞こえない。
このフロアの一室ではシュリアが眠っている。
カイナルは足を速めた。
子爵家の使用人や教会関係者が作る壁を突破しようと手をかけたところで、カイナルの袖を誰かが引いた。
「カイナル様は任務で外に出たと、あの男前さんが説明しましたよ」
振り向けば、空いた手で頭皮を撫でるお馴染みのポーズ。
まさか野次馬の最後尾に司教がいるとは思わない。何故ここに、でもこの頭はと僅かに動揺したカイナルは、親切に事の次第を教えてくれる好々爺の頭から人垣の中心へと視線を投げた。
「カイナル様が出て行く姿は、表からも裏からも確認できていないと言われています。あの方々、見張っていたのですね。お暇なことで」
「ご迷惑をおかけします」
「いやいや、子爵のすることですから謝罪は結構。それより熱を出したお嬢さんが心配ですな」
「そうですね……」
応戦しているのはグレイドとライルだ。もっとも、執事の息子には分が悪い。
グレイドの無駄な色気が通用する相手なら良いが、頭に血が上ったご令嬢には難しそうだった。
「あなたに神のご加護がありますように。ご武運を」
どう聞いても叩き出してやれという熱量の言祝ぎを受け、カイナルは分厚い壁に向き直った。
カイナルが声をかけると、待ち望んだ相手の登場にドルトムント伯爵令嬢は嬉々として振り返った。
「ほら、言ったとおりだわ! 出かけてなんていないじゃないの!」
勝ち誇った形相は、丁寧に施された化粧だからこそ余計に見るに耐えない。人よりきつく結い上げた髪と吊り上がった眦が拍車をかけ、伝説の悪鬼も裸足で逃げ出す有り様だ。
一方のグレイドに目をやれば、何故出て来たとばかりに見返される。
彼らを追い出すにはカイナルが対応するのが最も効率的。
そうと分かっていながら庇い立ててくれた先輩に、カイナルは目礼で返した。
なるべく冷静に淡々と。
「神聖なる神の家で、あなた方は何を?」
身の内に魔力という怪物を抱えるカイナルである。
うっかり発動させないよう細心の注意を払えば、女性相手に到底相応しくない底冷えする声が出た。
「お姿をお見かけしたと侍女が言うので、ご挨拶に参りましたの。それなのに、まるでわたくしが悪者みたいにおっしゃるのよ」
「そうですか。しかしここは、あなたのような人が踏み込んで良い場所ではありません。お引き取りください」
試しに言ってみると、分かり易く眦が一段と吊り上がる。
「な、何ですのその態度! 昨日と言い今日と言い、わたくしに対して失礼でしょう!」
これだからがさつな騎士団は嫌なのよと悪態をつくご令嬢に、ザックハルト子爵が加勢した。
「いい加減にしろ! 昨日の無礼をお許しいただいて何様のつもりだ! 任務だか何だか知らないが、こんな所に籠もっているくらいなら機嫌の一つでも取りに来い!」
教会関係者を前に見事な剣幕で言い切った。
唾を飛ばして激怒する父を、カイナルは冷静に分析する。
この男は、そう遠からず教会に愛想を尽かされるだろう。ザックハルト子爵家は、領民を混乱させる前に世代交代しておくべきだ。
父としても子爵としても見切りをつけ、取り合うのも時間の無駄と視界からも追い出した。
そうなれば、残る相手はたかだか十数年しか生きていない世間知らずなご令嬢と、娘の言いなりにしかならない父伯爵である。
貴族然とした外面の下で、カイナルの計算が動いた。
お飾りの王宮騎士団時代しか知らないご令嬢は、カイナルの狙いにも気付かず優雅に笑う。
「あなた、ご自分の立場をお分かりですの?」
優雅で無様なせせら笑いだ。
聞き流したカイナルは慇懃に告げた。
「あなた方は神を侮辱しました。教会は、その短慮な振る舞いを抗議します」
収穫祭とは、レンブルクにおいても例外なく神へ感謝を捧げる重要な神事だ。そんな日に、神の家へ乗り込んで非常識にも騒ぎ立てるなど、侮辱以外の何者でもない。
そしてそれは、祭の熱に浮かされたと言い訳したところで、貴族と平民では意味や重みが全く違うのだ。
「曲がりなりにもあなた方は貴族の端くれ。その振る舞いは王家の意思。つまり、王家は教会と事を構えるつもりがあると考えてよろしいか?」
残念だが、ご令嬢の物差しではこの意味までは分かるまい。
カイナルの危惧は当たり、顔を強ばらせたのは父伯爵の方だった。
「わたくしの振る舞いが王家の意思だなんて、その思い上がった解釈の方がよっぽど無礼ですわ!」
誰に対して無礼なのか、その段階から理解できていなければ話にならない。
「ではドルトムント伯爵、そういうことでよろしいか」
「……はっ?」
突然矛先を向けられたせいか、娘の癇癪を恐れたせいか、見るからに肩を震わせた父伯爵は顔色を変えた。
「そ、そういうこと、とは?」
「あなた方が、王家の意を受け神を侮辱したと。ライナルシア大教会を通じて抗議します」
ライナルシア大教会。
王城前広場を挟んで王家と対峙するように鎮座する、教会組織の総本山である。
敷地の中央に天高くそびえ立つ尖塔は、ザファルの外れからも目視できるほどの高さを誇り、プライドの高さを表したとか何とかまことしやかに噂されているのだが。
その真相は、当たらずしも遠からず。
ライナルシア王国にありながら、ライナルシア大教会の上層部は王家を毛嫌いしていた。
そもそも、教会は王家との相性が悪い。
神の導きと王の魔力、例えるなら光と闇。両極端に立つ彼らが分かり合える訳がない。
かと言って片方の力が決定的に勝ることはなく、無用な戦いを起こしもせず。
表面上は至極穏やかに、共存共栄の無干渉が何百年と貫かれているのだ。
そんなところに、である。
しがない都貴族の伯爵家如きが小石を投げたら、果たしてどうなるか。
「みなまで言わねば分かりませんか?」
「や、あの、それは……」
すうっと、父伯爵のこめかみから汗が落ちた。引き留めるように持ち上がった腕も、カイナルの眼光に負けて力なく下がる。
どうやら、爵位剥奪の未来は理解できたようだ。
もちろん、彼ら親子を案内したザックハルト子爵家も何らかの咎を受ける。それはカイナルも承知の上だ。
「お父様、何をぼさっとしていらっしゃるのです!」
カイナルは、わざとらしく笑みを浮かべた。
「お引き取りを」
びくんと背筋を揺らした父伯爵は、その一言に突き動かされる。
「レイザリア、行こう……」
怯えの色も濃く、もごもごと口の中で言葉を並べて。
「お、お父様?」
慌てる外野を置き去りに、たった一人で逃げ出してしまったのだ。
野次馬が割れ、その間を走り去る。
「おとうさまっ!」
慌てたご令嬢も、小さくなる父の背を追って素早くドレスの裾を捌いた。
そして。
ザックハルト子爵や野次馬に混ざっていた取り巻きも、平然と見送るカイナルを憎々しげに一瞥すると消えていったのだ。
カイナルとグレイドとライル。呆気に取られた教会関係者と上機嫌の司教。
嵐の後には、彼らだけが残った。




