29
窓越しに見たとおり、背丈の低い草で埋め尽くされた中庭はただの空き地だった。
三方を建物に囲まれた閉塞感も拭えない。
しかし、唯一開けているのが南側なだけあって、正面から拝む太陽と体を満たす温もりは天国のようだ。
(これで椅子があれば言うことない……)
シュリアの服は、ワンピースも外套もカイナルが購入した高級品だ。普段なら土汚れも気にせず、教会に預けられた子供たちと地面に座り込むところだが、今日の出で立ちでは絶対に無理だ。
したがって、若木が光を求めるように、すっくと立ったまま暖を取らざるを得なかった。
日当たりが良いおかげで雑草も良く育ちそうだが、実際に足を踏み入れてみるとそこまで荒れた印象は受けない。
何故か。
目を凝らして、理由が分かった。
「薬草が生えて……?」
何種類か、見覚えある色形の葉が混じっている。
「育てているのかしら……」
薬効のせいか、薬草の生命力は普通の草より強い。放置すれば辺り一面を侵食する。
人の手が入らなければ、丈を均一的に保つことはできないだろう。
膝下で、切りそろえられたかのような凹凸のない表面がさざ波のように揺れた。
(もう少し高さがないと、かくれんぼは難しいわね)
この草陰では子供の小さな体すら隠せない。教えてあげなければと、遊びの天才たちの顔を思い描いた。
お昼頃、少しだけ教会を出て近くを歩いた。
昼食を手に入れるためである。
収穫祭の本会場は中央広場で、ここからは距離がある。そのためか、もしくは神聖な教会付近だからか、気が早くも供物を投げるお祭り好きはおらず、観光客目当ての露店が良い香りを漂わせているだけだった。
その香りで腹が満たされてしまったようで、シュリアが手にしたのは野菜を挟んだパンだけである。本来は薫製肉が入るところを肉抜きで作って貰った特注品だ。
困惑した店主は、肉も込みの金額だからと、薫製肉を別個で包んだ。
「他には召し上がりませんか? デザート類も売っていますよ」
「さっきのお店の人、几帳面ですよねぇ」
「ええ、まあ、そうですが」
困惑しているのは隣のカイナルも同じで、噛み合わない会話を訝しんでいた。
「シュリアさん、どうかされましたか?」
「そのお肉、カイナル様、どうぞ」
道すがら、飲み物を売る露店の前でシュリアが止まった。
「お一ついかがです?」
時節柄、店の真ん中に置かれた釜からは湯気が立ち上っている。シュリアの指先はその釜を指していた。
カイナルは更に訝しんだ。
教会は目と鼻の先で、戻れば熱々の紅茶が待っている。無駄使いを嫌うシュリアにしては珍しい。
「ありがとうございます。私は結構ですから」
「じゃあ、私、買ってきますね」
にこりと笑みを残して、とことこと歩き出す。両腕でバランスを取っているのか、まるで幼子のような歩き方だ。
落ち着いたデザインの外套だけに、その後ろ姿には違和感しかない。
そんなシュリアが買ってきたのは、甘い蜂蜜がたっぷり入った冷たいレモンティーだった。
教会の裏口へは、表通りに面した礼拝堂の正面玄関前を通る。
何かがおかしいと感じながらもシュリアの様子を窺っていたカイナルは、前方にたむろする観光客の囁き声を拾った。
「立ち入り禁止なんだってよ」
「王都の偉い人が遊びに来たらしい」
「少し待ってりゃ終わるか?」
「いい迷惑だよなぁ」
人混みの向こうにはザックハルト子爵家の紋章がきらめく馬車の姿。御者や使用人の顔も判別できる。
司教の情報どおりだ。
遅起きのドルトムント伯爵一行を午後の騒動に巻き込まず連れてくるなら、まあ、この時間帯になるだろう。
「少し待ちましょう。彼らが来ています」
カイナルは、何も気付かず歩くシュリアの腕を掴んで自分の方へ寄せた。ふらついた小さな頭が肩に当たる。
「そこまで長居はしないでしょうから、すぐですよ」
観光客に紛れて時間を潰そうと耳に打てば、声もなく頷きが返された。
「シュリアさん、大丈夫ですよ」
依然としてシュリアは、頭を凭れかけたまま立ち竦んでいる。何をされるか分からないなどと言って随分怯えさせてしまったと、カイナルの胸に何とも言えない罪悪感が広がった。
その時である。
カイナルの肩を背後から叩く者がいた。
顔だけ振り返ったカイナルは、わざとらしい笑顔に眉をひそめた。
両手に露店の紙袋を持ち、何故か連れ立って現れたのはグレイドとライルである。
口に挟んだ肉の串焼きを手に持ち直し、どうもと、改めてライルが笑う。
領主代理屋敷の警備を頼んだグレイドは、今日はゆっくりさせて貰えるぜと請け負わなかったか。グレイドが残ると聞いたライルは、いそいそとボードゲームを持ち込まなかったか。
どう見ても収穫祭を楽しんでいる二人組に、自然と眼差しが険を帯びる。
カイナルが向き直ると、先にグレイドが口を開いた。
「違うぞ、職務放棄じゃないぞ、新しい任務だぞ。副隊長が戻って来たんだよ。現状を聞いて、シュリア嬢の保護命令が下された」
「おっさんだけじゃ心許ないから、案内がてら俺も一緒に探してたんです」
言い訳するにも非常に苦しい出で立ちを理解しているようで、紙袋を握るライルの両手は後ろに回った。
「副隊長が? 早かったですね」
領都の収穫祭はレンブルクより早い。
何事も起こらず、終わってすぐ戻ってきたという計算だ。
もっとゆっくりしてくれば良いものをとは、部下として断じて思っていない。
「なかなかにお怒りだ、心しておけよ?」
最近、方々から怒られてばかりのカイナルである。ここに来て怒れる厳冬の吹雪と称されるルミエフ副隊長の叱責は、さすがに身に堪えそうだと気が滅入る。
少しばかり軽くなったカイナルの不機嫌に、露店を冷やかして遊んだ二人はほっとした。
そこでライルは、シュリアに視線を移したのだが。
「シュリア?」
寝ているのか起きているのか、目を線にして口角だけを上げていたシュリアが、反射的に口を開く。
「ええっ、シュリア!」
そのとろんとした目元も、滑らかな頬も、既に真っ赤に染まっていた。




