28
翌朝。
晴天を祈る数多の声に応えて、薄雲すら姿を消した収穫祭当日。
使用人しか起きていない時刻に屋敷を連れ出されたシュリアは、既にレンブルク中央教会にいた。
開館前の教会はがらんとして……という予想は大間違いで、観光客の代わりに司祭たちが礼拝堂に集まり、ああではないこうではないと賑やかに身仕度をしている。
長い裾と袖にぎっしりと刺繍が施された正装で、その上から色とりどりの肩掛けを羽織り、その肩掛けのフリンジを揺らして右往左往。
いかにも重そうで幅を取る出で立ちだが、みな、顔は明るい。
「はあ、常々密やかに思っておりましたが、あなた様は相当な朴念仁ですね」
一際明るいのは、シュリアたちを裏から迎え入れた司教である。ずり落ちる宝冠を片手で支えながらの、好々爺然とした笑顔だ。
「年長者としていつか言ってやらねばと、あなた様が坊主の頃から思っていたのですよ。ええ、本当に、どうしてこんな冴えない大人になってしまわれたか。女性を案内するならそれらしい場所へと申し上げたでしょう」
その割に辛辣な言葉運びでシュリアをどきっとさせた。
確か、最初に訪れたときも、気が利かないだのと散々な事を堂々と口走っていたような。
こっそり見上げたカイナルの顔が嬉しそうなので、まあいいかと納得するのだけれど。
「年に一度きりの出番ですからね、死んだと思われても癪なんで私は行ってきますよ。留守番に若いのが残りますが、客を捌くので手一杯でしょうから何も期待されないように」
司教の言葉どおり、同じ正装でもそこまで綺羅綺羅しくないグループがいて、祭事に参加しない留守番組なのだろうと推測された。
(わ、若い……?)
司祭やその他職員の中では、比較的若いと呼べる一団である。
高齢化の波は、町一番の観光地にも押し寄せていた。
機嫌良く喋っていた司教だが、そうそうと、思い出した何かに鼻を鳴らした。
「昨日、時間になっても音沙汰がなかった子爵様のお客人ですが。どうやら今日、仕切り直しでお越しになるそうですよ」
収穫祭前日、それなりに忙しい予定を割いて待ちぼうけを食らった司教は不機嫌を隠さない。
土壇場で外出を取り止めたお客人といえば、ドルトムント伯爵御一行様のこと。
ぶつぶつと苦情は続いたが、カイナルに文句をつけるでもなく、単に情報として教えてくれたようだ。
「お嬢さんも、黴臭い部屋に飽きたら表に出てみなさい。この駄目男より良い物件にも巡り会えるでしょう」
「あ、ええっと……」
「ただし、昼には中へ戻る事をお勧めしますよ。それから、私の勇姿を見たければ中央広場へどうぞ」
またしても駄目男の称号を与えられたカイナルの手前、返事がしにくい。
誤魔化すような愛想笑いのシュリアに、大地の恵みと神の祝福に感謝をと、収穫祭の慣用句を言祝いだ司教は、朗らかに笑いながら背を見せた。
(素敵な司教様だわ……)
地元の教会にいる司祭様は、日中のほとんどを瞑想して過ごす分、もっと重々しい雰囲気ををまとっていたものだ。
とにもかくにも、大地の恵みと神の祝福に感謝を、である。
初々しい乙女のように衣装を見せ合う司祭の間を縫い、祭壇まで進み出て、今日の無事を祈ったのだった。
ファビエル=ランド=ミルデハルトの終焉の地は、王都から流入する様々な影響を受けて独自の発展を遂げた。
古式ゆかしい儀式が続く収穫祭もその一つ。
レンブルクにおいては、儀式など早々に終わらせて、祭壇や家々の軒を飾った供物を投げ合うのがメインイベントである。
殺傷力の高い根菜は厳禁で、すぐに潰れる果実や千々に飛び散る穀物の実などが空を舞うのだとか。
まれに、堅い芋や袋いっぱいの木の実を投げつけられ、大怪我を負う場合があるとカイナルは補足する。観光客の飛び入りも大歓迎の盛大な祭りは、身に後ろ暗い所さえなければ楽しめそうだとシュリアは理解した。
昼からは外に出るなと言われたのはそういう理由だったのだ。
豊作への感謝を捧げ、来るべき冬の無事を祈り、来年の恵みまでちゃっかり催促する一連の儀式は午前中に執り行われる。故に、着飾った司教たちの出番も昼前には終わる。
(大丈夫なのかしら、司教様……)
例年、開始の合図が待ちきれず早々に供物が飛び交うとも聞けば、無事に帰って来れるか気がかりにもなる。
転んで骨など折らなければ良い。
せっかくカイナルが懐いているのだ、あの司教様には長生きして貰わねば。
ミルデハルト領でも領都に次ぐ華やかな収穫祭が、今年も幕を開ける。
王都からも大勢の見物客が押し寄せる収穫祭が始まったというのに、シュリアたちはひっそりと、司教曰くの黴臭い部屋に閉じこもっていた。
今日は夜まで「歴の書」の番である。
しかし、ここで大問題が一つ。暖房設備がないのだ。
隙間風まで吹き抜けるこの部屋の、既に見慣れた無駄な広さは、視覚的にも寒さを煽る。何枚毛布を重ねても寒いものは寒い。
薄い硝子窓の向こう、猫の額ほどの中庭には一足早く春が来たのだろうか。降り注ぐ陽光で大地も草も輝いて見えた。
「冷えますね……」
「そうですか? 少し外に出てみましょうか?」
シュリアの視線の先を追って、外套さえ着ていないカイナルが軽く提案した。
(外かぁ……)
今は、古い木製の椅子の上、司教が好意でかき集めてくれた毛布に巻かれている。入室後僅か数分で震え始めたシュリアを気にして、一枚ずつカイナルが巻いたものだ。
これを剥ぎ取って立ち上がるのは、考えただけで億劫だ。それに、中庭という名の建物の隙間にできた草地には、愛でるような植物もなければ椅子もない。
「今日一日は長いので気分転換も必要です。せっかく日が差していますし、出てみましょう」
そんな風な言葉を聞いて知らず同意でも返していたのか、窓辺にいたはずのカイナルがすぐ側で毛布に手をかけている。
(ああ、外に出るのね……)
床の上に山積みにされた毛布は結構な量で、気分はすっかり羽化したばかりの震える蝶だ。
軽い。
いや、寒い。
そうか、愛らしい蝶々だって、寒さに凍えながら羽ばたいているのだ。
(私、羽ばたけるかしら……)
お姫様のように手を取られ、あれよあれよと連れられる。
高いヒールの靴でもないのに足元がふらつくような自分では、蝶にもお姫様にも絶対になれないだろう。




