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 上へ下への混乱の最中、前触れもなく戻ってきたカイナルにザックハルト子爵は喜んだ。

 しかし、のんびり近況を交わす間はない。地元の騎士団と繋ぎを取り、使用人から事情を聴取し、損失を確認し、王都へ報告書を飛ばしと、カイナルは働き詰めだった。

 ようやく落ち着いたのは夜遅く。

 シュリアの様子が気になって仕方ないカイナルは、秘蔵の酒を持ち出したザックハルト子爵の相手を断って腰を上げた。

 まさか断られるとも思わず、息子用のグラスを手渡そうとしていたザックハルト子爵である。

 そこで、一番格の低い客室に押し込んだ連れの存在を思い出したという訳だ。


 上官の妹で、ミルデハルト伯爵邸のメイドで、事情があって護衛をしている。


 あれは何だと問われたカイナルは、事実だけを簡潔に告げた。

 すると、ザックハルト子爵は非難で返した。


 迷惑な話だ。そんなものを押し付けるとは、伯爵様も非常識な事をする。


 結婚相手にもならない若い女性を息子の周囲に置きたくない。その思いのまま、義兄のみならずシュリアに対する文句まで次々と口をつく。

 父は、母の前だろうと昔からこうだ。

 領主様と崇められるうちに身の程を忘れ、全ての権力は自分にあると驕り高ぶっていた。

 だから、カイナルは言った。


 彼女を妻にするので家を出る、と。



「何てことをしたんですかぁぁぁ!」

「この考えなしがぁぁぁ!」 

 シュリアとライルの叫びが重なった。

(あり得ない! 本当にあり得ない!)

 シュリアが絡むと無茶をする。それは分かっていたが、よりにもよって両親の前で特大の無茶をしでかすとは。

 冷たかろうが何だろうがシュリアに三度の食事が提供されたのは、ミルデハルト伯爵から預かった客人を追い出すのかと子爵夫人が取りなしてくれたおかげだとか。

(ありがとうございます。本当に、申し訳ない……!)

 冴え冴えとした眼差しを思うと頭が下がる。

「あなたね、いくら何でも物事には順序があるでしょ。まとまる話もぶち壊してちゃ世話ないっての」

 もう、円満解決は望めまい。それでも添い遂げたいなら、駆け落ちして勘当を食らうのが王道コースだ。

(カイナル様が駆け落ち……)

 待ち合わせ場所に、他の女性をエスコートして現れそうな人と。

(ちょっと考えられない、かも)

 むしろ嫌だと思ってしまった。

「その話、シュリアの同意は得たんですか?」

 ライルの糾弾は続いている。

 素朴な疑問を向けられて、シュリアは何も考えず本音をこぼした。

「特にそういうのは……」

「ほら見なさい!」



 不利を悟ったカイナルは、話をさっと元に戻した。

「そんなことがあってあの人は掌を返した。ドルトムント伯爵の申し入れを承諾して、収穫祭に招いてしまった」

 事もあろうにドルトムント伯爵令嬢で手を打ったのは、単にタイミングが良かったからだ。

「実は、夏の終わりから婚姻の打診があって……」

「婚約破棄事件が落ち着いて、新しい相手が必要になったからでしょ」

「知っていたのか」

「知ったばかりですよ。で、焦った子爵様は伸ばされた手に縋りついた訳ですか」

「そのようだ。結婚さえすれば、愛人を持とうが好きにしろと……」

 あの伯爵令嬢も、どうせ大人しく屋敷に閉じこもっておるまい。

 そのように、怒れる息子へと父は告げた。



 シュリアは、子爵夫人の言葉を思い出した。

(子供たちを早くから王都に住まわせたというのは、そのせいかしら)

 ザックハルト子爵を領主と仰ぐこの町を、思慮が足りない夫を、良く思ってはいないようだった。

 子爵夫人とは先日のお茶会きりだが、あの短時間でシュリアが気付くのだから確執は深い。貴族の結婚とは、平民が想像する以上に難しいのだろう。

 とすれば、カイナルが打ち上げた爆弾発言に、魂の呪いの件を知らない子爵は相当驚いたはずだ。

(他人様の家のことを、とやかく言うのは良くないんだけどね)

 子爵夫人が守ってきた表面上の平穏が、今回のことでぶち壊されてしまったのではないかと気が気でなかった。


 ちらりと視線を流せば、散々怒られたカイナルは居心地悪そうに目を伏せ、ライルは眉間に皺を寄せて何か考えている。

(カイナル様、ライルには頭が上がらないのね)

 年月をかけて育まれた関係性は、こんな時だが微笑ましく目に映る。彼らには兄弟にも等しい絆があるから、本音でがつんとやり合えるのだ。

 純粋に羨ましくもあるし妬ましい気がしないでもない。

(この嫉妬は……どちらに?)

 沈黙の中で、シュリアはひっそりと焦った。



 目を開けても眉間の皺が取れないライルが、面倒そうに口を開いた。

「やらかしてしまったことは仕方ありません。で、この後はどうしますか? 雨ですし、明日は往来が混雑するんで、ご一行が大幅に予定を変えることはないと思いますがね」

「あ、ああ。そうだろうな」

「シュリアを追ったカイナル様が屋敷に戻らないとなると、子爵様、血管を切らして倒れるのでは?」

 まるで、そうなっても惜しくない言い振りである。

「カイナル様は大人しくお帰りください。でも、シュリアを屋敷に戻すのは賛成しません。子爵様も例のご令嬢もいるんですよ、何をされるか分からないでしょう?」

 同じ懸念を抱いていたカイナルは黙り込んだ。

「今さら宿屋も取れないし、シュリアはうちに泊まるといい」

「お前はどうする?」

「お屋敷で軟禁生活でしょ? それくらい弁えていますよ」

 ライルがすんなり返したのは、反論の余地のない満点の答えだった。

(このまま泊めて貰えるなら……)

 シュリアは考える。

 濡れた衣服が体を冷やし、今日はもう動きたくないと本能が訴えている。本音を言うと、とても魅力的でありがたい申し出なのだ。

 カイナルを黙らせたライルに、しかしシュリアは異を唱える。

「私、お屋敷に戻ろうと思います……」

「シュリア?」

 今のシュリアはミルデハルト伯爵が預けた客人という立場だ。ということは、全ての振る舞いはミルデハルト伯爵への評価に繋がる。ザックハルト子爵に攻撃材料を与えたくないし、庇ってくれた子爵夫人の顔も立てたい。

 逃げ出したまま戻らなければ状況を悪化させるばかりだ。

 一生懸命に考えた理由をたどたどしく並べると、ライルは諦めたように頷いた。

「君がいいなら止めないよ。ほんと、真面目過ぎるほどに真面目だね」

 それなら色男先輩にも事情を通しておくか。

 新たな方向性に合わせて素早く頭を切り替えたライルは、シュリアを守る新たな算段を練り始めた。

 その柔軟さをカイナルに分けてやって欲しいと、思ってしまったりするのである。

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