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 手を繋いだ状態で見つめ合うこと、しばらくして。


 湯気が立ち上りそうな頬の色に同情したのか、カイナルの方から手を引いた。

「しかし、四百年の時を経たにしては綺麗に維持されていて驚きました」

 そう言うと、床から天井までぐるっと見回すついでに視線も外す。

「そ、そうですね。大事にされてきたんでしょうね」

 変なところで気遣い上手なカイナルには、逆立ちしても勝てそうにない。

 シュリアは、意味もなくテーブルの荒い木目を指で辿った。



 騎士団と屋敷を往復するカイナルが、ない時間を作ってまでこの部屋へ足を運んでいたのには、当然ながら理由がある。

「今日も、その確認があったのです」

 あなたも見てみますかと言いながら、おもむろにテーブルの真下にかがみ込む。

 そんな所で何を始める気だ。

 よく見えるよう隣に腰を下ろせば、床板の抜け落ちた節目に指を差し入れ、少しだけ持ち上げた状態で左右に振動を与えているではないか。

(まさか、板を外すつもり?)

 案の定、大した時間も要さず床板は外れ、促すようにカイナルが体をずらした。

 テーブルの天板が生んだ陰、何も見えないはずの床下に、木材とは異なる白っぽい色が埋まっている。

(こんな所に!)

 床下の基礎組みの隙間。

 器用に取り出して手渡され、押し込まれていた一冊の書物をしげしげと観察した。

 表紙には文字も装飾もない。

(思ったより、新しい?)

 隠さねばならない書物といえば「歴の書」が思い付く。しかし、相応の歴史と価値がある貴重な書物にしては、装丁がしっかりしていて綻びもない。

(たぶん、「歴の書」ってこんなに新しくないわよね?)

 試しに表紙をめくってみると、空白の頁が延々続いた。何だこれはと思いきや、最後のページにだけ青いインクで短い文章……のような物が記されている。

 本当に、これは何なのだ。

(……古代魔術語?)

 不思議な紋様にもただの殴り書きにも見えるし、保管場所からして子供の悪戯にも思えるけれど。

「まさか「歴の書」ということは……」

「の、偽物です。その頁に書いてありますが」

 あっさり答えたカイナルは、シュリアの手元を覗き込むとすぐに言い直した。

「失礼しました。古代魔術語で書いたのでした。これでは読めませんね」

 自ら書いたという偽「歴の書」。シュリアが返したそれを慣れた手付きで隙間に戻し、床板をはめ直しているが。

(古代魔術語で、書いた?)

 ということは、カイナルがこの書物を作り、さらには床下へ隠したという事ではないか。

(読めるだけじゃなくて書けるのね、そうよね、不思議なことじゃないわよね)

 テーブルの下から這い出たカイナルは、動揺するシュリアの手を引いて元の椅子へ誘導した。



 何故、偽物を?

 シュリアは、隣に立ったカイナルに視線だけで訴える。

「ミルデハルト伯爵家に伝わる例の書以外に、ファビエルは、もう一冊だけこの家で古代魔術語の書を残しました」

 大した内容ではないが、「歴の書」を集めたい「闇の光」には十分に価値がある。

 誰よりも内容を知る男は断言した。

「もしもこの家が狙われるようであれば……」

 もしも、隠し場所を知られているようであれば。

 そこで、カイナルは言い淀んだ。


 言葉の続きを待てども、明らかにしそうな雰囲気はない。

(狙われるかもしれないから差し替えた?)

 理解できる理屈だ。むしろ、言葉を飲む理由が分からない。

「この間の、近衛隊に渡した偽物を作った要領で取り急ぎ仕立てたのですが、よくできていたと思いませんか?」

 既存の書物ではなく白紙ばかりを束ねたのは嫌がらせだ。内緒話を楽しそうに話して、カイナルは何かを誤魔化した。

(立場的に話せないことかしら)

 ここまで見せておいて?

(ある。そういうこともあるわ)

 いかなカイナルでも、毎度毎度情報を漏らしてばかりではない。


 そんな風に納得して、次に目をやったのは繋がれたままの手。

(いつまで握っているんですか……!)

 そろりと引き抜こうとしたのだが、気付いたカイナルにがっちり握り直されてしまった。

「もう一つお話があります」

 まるで、逃げられないよう繋ぎ留めるかのように。


 勿体ぶった言い方に続いて、もう一つのお話とやらが始まった。

「収穫祭を見学するため、今日から来客があるのはご存じでしたね」

 レンブルクの収穫祭自体を知らなかったのは、今となっては些末な問題だ。

(そこまでしなくても、ちゃんとお話は聞きますから!)

 この距離で見つめられるのも、体の一部が触れているのも、シュリアの平常心を壊すには十分だった。

「父がお招きしたドルトムント伯爵と、そのご令嬢ですが……以前、第一騎士団から転属するきっかけとなった伯爵令嬢のお話はしましたよね?」

 第一騎士団の別名は王宮騎士団。配属には、伯爵家以上の高い身分が必要とされる。

 そこに、子爵家出身のカイナルが異例の人事で配属され、自ら志願して花形部隊を去るまでの経緯。

(……ここでその話?)

 同じ王宮騎士を婚約者に持つ伯爵令嬢から付きまとわれ、被害者でありながら婚約者を誑かされたと言い掛かりをつけられ。特別待遇を快く思わない上位貴族たちが、ここぞとばかりに団結して嫌がらせに励んだ一件だ。

「あの時、好意を寄せてくださったご令嬢というのが」

 話の着地点が読めて、最後まで聞くまでもなく血の気が引いた。


「まさしく、レイザリア=ドルトムント伯爵令嬢だったのです」


 当然、湧き起こる疑問は一つや二つではない。

「その方が、今さら何の用ですか?」

 最たる疑問を真っ先に挙げると、尋ねられた方も首を振る。

(転属した後は見向きもされなくなったのよね? 婚約者だっているんでしょう?)

 そうなのだ。王宮騎士団の看板がないカイナルには興味を示さずぱったり縁が切れたと、他ならぬカイナルが言っていた。

「子爵様がお招きしたってどういう事ですか?」

 当時カイナルの頭にできたハゲからして、伯爵家に逆らえない子爵家は相当な苦労をしたはずだ。

「領地を持たないドルトムント伯爵家に自前の収穫祭はありません。それで、王都からも近いレンブルクを訪問したいと打診があり、父が受けました」

 話が決まったのは僅か数日前。

 カイナルは知っている。これは取って付けた表向きの理由なのだ。

「今日からは事件捜査を切り上げ、もてなしに回るよう言われていますが、言い付けに従うつもりはありません。できる限りあなたの側にいます」

「いいんですか?」

「ライルのことも、「闇の光」のことも放っておけません。何より、あなたと一緒にいられる時間をそんなことに費やすなんて考えられません」

 父の見え透いた思惑には乗らない。

 大きな隔たりを感じさせる息子の様子に、部外者は口を噤む。

「あなたも、あの親子とは接触しないようにしてください。碌な相手ではありません」

 子爵夫人と同じようなことを辛辣に言い放つと、カイナルは念を押すように繋いだ手に力を込めた。


 そういえば、手が触れたままだったと。

 もう一つのお話を聞いた今、些末な問題に降格した事実がぼんやりと過ぎった。

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