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 何を言われるのだろう。

 胃の辺りに刺されるような痛みを感じて、シュリアはきつく目を閉じた。

「……いいえ、こういうのは自業自得ですね。何でもありません」

 沈黙に背を向けると、やがて、そんな愁傷な台詞が耳に入り。

(あのカイナル様が引き下がるなんて!)

 信じられず、勢い込んで視線を上げた。

 迎えるのは仄かな微笑み。その眼差しには覇気がない。

 何でもなくはないことが明らかである。

(ど、どうされたのかしら?)

 押し殺したものを尋ねようにも、拒絶するように先手を打たれた。

 


 カイナルが切り出したのは事件翌日の書庫の様子だ。

「床には書物が散乱して、書架まで倒されて、本当に酷い有り様でした。犯人にしてみれば撹乱の意図があったのでしょう」

 しかしシュリアは、知りたい情報だというのに身が入らない。

 真面目な顔の裏を覗こうとすれば、沈黙の理由には触れるなと告げている。

 どうせ、先に目を逸らしたのはシュリアの方だ。

 逃げた自分に問いただす権利があるのかと、葛藤の末、諦めが勝った。 

「ライルは、貴族名鑑を持ち出しただけで恩を仇で返す真似はしていないと言ったきりです。屋敷には大人しくいてくれますが、神妙になるでもなく、貴族名鑑の用途も喋ってくれません」

 カイナルは、行き詰まり、ほとほと困り果てた様子を隠しもしない。

 弱気ともとれる力ない表情を目の当たりにすれば、ライルがいかに大事な存在か、言葉にされなくてもシュリアにだって分かる。

 ならば余計に、力になりたい。

 そう願えば、ふと、気になっていたことを思い出した。

「つかぬことをお尋ねしますが、ライルさんの帰国の理由は何だったんですか?」

 ところが、である。

「……自分の国へ戻るのに、理由が必要なのですか?」

「え?」

 逆に、訝しく聞き返されてしまった。

(認識の相違、かしら?)

 帰国した足で書庫に忍んだのに、関連性がないはずがない。しかも持ち出し厳禁の貴族名鑑を。

 カイナルの方こそ何を言っているのかと、シュリアも似たような表情を浮かべた。

「だって、帰ろうと思った理由があるでしょう? それとも、貴族名鑑とは暇潰しに読むような物ですか?」

 テーブルの上を疑問符が踊る。

(カイナル様が不思議に思わないなら、私が間違っている?)

 あまりに呆然と見つめられて自信が揺らぐ。

「ええっと、私、おかしな事を言いました?」

「いえ、いいえ。貴族名鑑を持ち出した理由は頑なに言いませんが、帰ろうとした理由は……それは、尋ねていませんね」

 やはり、シュリアが勝手にこだわっているだけで大した問題ではないのだ。

 もっともらしく語るのは憚られ、控え目に補足した。

「ライルさんは、地に足をつける時期が来たから帰国したと言われました。それ以上は聞けていませんが、これから飛び込む新しい世界に、貴族名鑑の知識が必要だったんじゃないかと思うんです」

 期待を込めて言葉を重ねると、次第に、カイナルの秀麗な顔には憮然とした色が広がった。

「……あいつは、不確かなことを簡単に喋る男ではありません。事前に教えられたのは国を出ると決めたときくらいです。格好付けたいのか、努力する姿を見られたくないのでしょう」

 帰ったら締め上げてやると、黒い瞳に覇気が戻る。

 貴族名鑑を狙って貴族名鑑を持ち出した。

 背景を補強して辻褄を確かなものにすれば、他の書物には手を出していないと言い張ることができる。

 それは、八方塞がりの現状でようやく見えた光だ。

「ライルさんに格好悪い所なんてどこにもないのに、男の人って不思議ですね」

 変な所で見栄っ張りで、素直になれなくて頑固者。シュリアの三人の兄もそんな所を持っている。

 子供の頃を思い出して口の端が緩んだ。

「……格好悪い所がどこにもない、ですか?」

「はい。とても頼りになる素敵な方ですよね」

 同意してもらえると踏んで何気なく口にした感想が。

「どんな部分が格好良いと思われたのか、具体的にお話しを伺っても?」

「え……?」

 地雷の方を踏んだらしく、事件の話はこれまでとなった。



「ところで、ここは一体どこなんでしょう?」

 レンブルク有数の観光名所でありながら違和感を覚える部屋をわざとらしく見回し、心がけて明るく、努めて無邪気にシュリアは尋ねた。

「どこ、ですか?」

 ライルのような男が好みかとまで言い出したカイナルは、唐突な質問の意図を捉えかねて言葉を止める。

「教会はとても立派なのに、このお部屋は寂しいというか、表と違い過ぎるというか」

「ああ、この部屋のことですか」

「何をするためのお部屋なんですか?」

 シュリアは畳み掛けた。作戦成功だ。



 寂しいと感じたのは部屋の広さにも理由がある。

 領主代理屋敷の客室と比べても遜色ない広さがあるにもかかわらず、床の上には丸テーブルと椅子が四脚、忘れ物のようにぽつんと置かれただけの部屋。

 それに、内装を見てもかなりの年代物だ。

 床や天井の黒ずんだ板はシュリアの日常に馴染み深い。修繕資金がない下町の教会ならともかく、まさかここが、ザックハルト子爵家のご令息を通す応接室ということはあるまい。

 むしろ、普段は使われていなさそうだ。

 この部屋に何か意味があるのかと、問いかけたシュリアは正解だった。


「ここは、ファビエル=ランド=ミルデハルトの隠れ家ですよ」


 青い瞳の四代目ミルデハルト伯爵。

 死後四百年近く経ても色褪せない名前は、ここで飛び出しても驚かない程度には聞き慣れてしまった。

「隠れ家ですか?」

「初代ザックハルト子爵は実の弟ですが、言ってみれば私は居候な訳で、あの屋敷の居心地はあまり良くなかったのです」

 元々、この広い部屋にはベッドや書棚などの家財がひととおり置いてあった。

 しかし、四百年である。

 現在まで保存されているのは、テーブルセットと壁の絵画一枚だけ。

「私の死後、この隠れ家は祈りの場に姿を変え、ザックハルト子爵家の厚い庇護を受けてレンブルク最大の教会へと成長しました。とても優しい弟だったので、供養のつもりがあったのでしょう」

 目を細め、見えない過去を見ているカイナルは、この部屋以上の違和感を醸し出していることに気付かない。


 だからシュリアは、引き留めるように言った。

「あなたじゃありません。あなたは今、私の目の前にいるじゃないですか。ザックハルト子爵家に男子は三人しかいなくて、自分は末の息子だっておっしゃいましたよね?」


 宿体の記憶に連れていかれないで。


 身を乗り出し、テーブルに置かれた節張った拳に手を重ねる。

 ぎゅっと力を込めると、驚いたカイナルの黒い瞳がシュリアを見た。

(良かった、まだ黒い)

 瞳の色が変わっていなければ、きっとこの声は届く。


 瞬きもせず見つめ合うこと数秒。

 力を抜いたカイナルは小さく笑った。

「そうですね、私のことではありませんでしたね」

 拳が動いて、するりと手が握り返される。

「ありがとうございます」

 軽い口調からは読み取れない感情が、直に感じる掌から熱と共に伝わって。

 照れ隠しで振り払うこともできず、そのままの姿勢で硬直した。

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