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 翌日、まだ早く。

 朝食の最中にやってきたカイナルが、町に行こうと言い出した。

 もぐもぐとシュリアの口は動いており、普通なら失礼したと出直すような状況で。

「急かすようですみません」

 下町育ちにはどうということもないが、カイナルにしては珍しく礼儀を欠いている。

 急かすようでというより、急かしているのだ。

(お客様がいらっしゃるから?)

 到着までに屋敷に戻りたい、とか。

 それなら無理に連れ出してくれずとも構わないのに。

 考えをまとめたシュリアは、昨夜から提供温度が上がった紅茶で食事を流し込んだ。

「私のことはお気になさらないでくださいね?」

 来客対応があるだろうと続けても、一度言い出したら聞かない男だ。

 カイナルは緩く首を振ると、だからです、とだけ答えた。



 かくして、馬に乗せられた訳である。

 屋敷を出るまでの焦りもなく、単調な蹄の音がかっぽかっぽとのんびり響く。

 頭上には、散策にもってこいの青い空。

 穏やかな日常の景色がゆっくりと流れる。

 しかし、両横から伸びた紺色の腕と、髪をくすぐる声と、背中の温もりのおかげで、正面を睨み付けるシュリアはがっちがちだ。

 軽やかなのは、レンブルク到着後すぐに贈られたワンピースのレースの裾だけ。

(お付き合いからでお願いしますと、答えてしまったのよね)

 求婚から逃げるため捻り出した苦肉の弁だ。

 言ってしまった以上、そういう関係にあるのだろうか。

(どうなのかしら。かと言って聞くに聞けないし)

 カイナルの態度は今までと変わりなく、比較するような経験もない。

(……駄目。ここで尻込みしていては何も変わらないわ)

 今日の自分は一味違う。

 子爵夫人とライルのおかげで覚悟を決めたつもりだが、とりあえず、馬が止まるまでは黙っておこう。



 教会と聞くと、雨漏り対策に頭を悩ませる古き良き建物をイメージするのは、育った環境のせいだろうか。

(こ、これが教会? お城じゃなくて?)

 対応に現れた髪の薄い司祭が、どうぞどうぞと二人を手招いた。

 とても一人では開けられそうにない大きな正面扉をくぐり、背もたれにまで模様が彫られた長椅子の脇を通って、奥の間へと続く廊下に出る。

 そこまで案内されても、記憶の中の教会像は面影を重ねない。


 花やら鳥やら様々な生き物が描かれていたアーチ型の高い天井、あれはどうやって?

 遠すぎてちゃんと見えなかったが、突き当たりにそびえる祭壇がぴかぴか光っていたのはどうして?


 親しげに司祭と言葉を交わすカイナルの後を、ぼんやりしながら付いて歩いた。



 結構な距離を進むと、飾り気のない扉の前で行き止まりとなった。

「さあ、お嬢さんもどうぞ」

 素朴で暖かみのある微笑に誘われて入口をくぐってみれば。

 広い室内の真ん中にはテーブルセット。他には飾り棚と絵画が一枚。

 そこは、不自然なまでに殺風景な部屋だった。

「お茶をお持ちしますね。死にかけの年寄りばかりで黴臭い所でしょう。若い女性が喜ぶ場所なんてもっとあるでしょうに、カイナル様も本当に気が利かないったら……」

 屋敷の使用人とは絶対的に異なる温度でぶつくさ呟く後ろ姿を、シュリアは黙って見送った。



 レンブルク中央教会。

 この数日間、訳あって毎日のように出入りしていたのだとカイナルは言った。

 何もないがごゆっくりと、頭皮を撫でながら歓迎してくれた司祭は、この教会で一番偉い司教様なのだとか。死にかけの年寄りと呼ばれたのは、彼がまとめる多くの司祭様のこと。

 下手なことを言わなくて良かったと、シュリアは胸をなで下ろした。


「司教はああ言いましたが、この教会はレンブルクで一、二を争う観光名所です。もう少し日が昇ると礼拝堂の方は大変混雑しますが、ここまでは音が届かないでしょうね」

 四脚置かれた木製の椅子は凝った彫刻もなく武骨な作りだ。ノーム月も半ばを過ぎ、床から這い上がる冷気を尻に受けて震えが走った。

 季節柄、紅茶の温かさが身にしみる。

(それなのに、カイナル様のお顔は……)

 この寒さは部屋のせいだけではあるまい。

 思い詰めた表情を前に、これはあれだなと身構えていたら、やはり、低い声で切り出された。


「あなたに辛い思いをさせていたと、母に指摘されるまで気付かず、大変失礼しました」


 カイナルが畏まるといえば、謝罪だ。

 我を忘れて未婚女性に無体を働いたことと、「闇の光」の襲撃から守れなかったことを、前回も同じ眼差しで謝罪されたのだった。

「私が事件にかかりきりであなたを疎かにしたせいで、使用人の態度を増長させてしまったのです」

「気にしないでと言ったのは私ですし、直接何かされた訳でもありませんから」

 だから、そこまで恐縮される話ではない。

 大丈夫だとひらひら掌を振ってみても、その程度で納得するような男ではなかった。

(こうなってしまうと、立ち直るまで時間がかかるのよねぇ)

 この世の終わりでもあるまいしとシュリアは思うが、カイナルにしてみれば匹敵するほどの大事なのだ。

 はっきり言って対応に困る。

 シュリアは、分かりやすく話題転換を試みた。

「事件の方、あまり良くはないと伺っています。真犯人の手がかりは掴めそうですか?」

「……正直なところ難しいですね。事件についてご存じなのですか?」

「はい、グレイドさんが細かく教えてくださるので」

 ぴたり。

 嘘のように、カイナルが絶望の淵から戻ってきた。

「当のライルさんは、さして深刻にもならず飄々とされているのに、困りましたよね」

「……ライルと会われたのですか?」

「はい、話し相手になっていただいて」

 この調子で謝罪を終えてくれるなら。尋ねられるまま期待を込めて事実を述べると、一瞬、黒い双眸に剣呑な光が過ぎった。

(あら、今?)

 再び訪れた寒気に腕を撫でる。

 話題転換のつもりがぐるっと回っただけのような、不穏な空気だ。

 何だ、何がまずかった?

「あなたは……」

 作戦失敗を悟ったところに、渋い顔のカイナルが何かを言いかけた。

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