16
いつかと同じ様に腰を落ろし、近況を交わす。
とは言っても、引きこもりのシュリアに話の種はなく、喋っているのはライルばかりだ。
バケツとスコップの謎から始まり、兄に仕掛けた内緒の悪戯、馬に乗れるまでの紆余曲折、得意技の民族舞踊と話題が変わる。
おどけた語り口調の意図も知らず、シュリアは久し振りに声を出して笑った。
本当は、聞きたいことがたくさんあった。
しかし、聞くべきではないと思い直した。
事件の捜査は騎士の領域で、シュリアがいたずらに首を突っ込むべきではない。
「すっきりした?」
立て続けに喋り倒したライルが、揶揄を消して覗き込む。
目尻に溜まった涙を拭うと、洗い流されたおかげで随分と世界が明るい。
そこで気付いた。
ライルは、落ち込んでいたシュリアにひっそり寄り添ってくれたのだ。
何て格好良い。
格好良すぎて、もはや称賛が止まらない。
感動と、気恥ずかしさと、勝手に覚えた親近感と。
緩んだ口は、緩んだ頭の指令どおり、うっかりでは済まない言葉を紡ぎ出した。
「ライルさんは、好きな人はいる?」
意味を捉えかねたライルがぽかんと口を開く。
(……あ、私)
とんでもないことを口走ってしまった。
まず、出会って数日の相手に尋ねることではない。
次に、参考までに聞きたいだけで、お相手に自分を売り込むような打算はない。
(で、でも、今のはそんな風にも取れるわよね!)
カイナルが聞けば大地震だ。
おかしな意味はないと慌てて両手を振り回せば、立ち直ったライルが声を上げて笑った。
「薮から棒に、何てことを聞いてくるんだ。君、友達いないでしょ?」
「友達? ここでどうして友達?」
「いないでしょ?」
「……い、いるわよ、失礼ね」
脈略のなさから協調性の欠落を指摘したつもりだろうが、そうはいかないとささやかな胸を張る。
すれ違えば挨拶くらい交わす友なら、一人か二人はいるのだ。
「ふうん?」
見栄を見透かす瞳から顔を逸らして、早口で弁解を繰り出した。
「違うの、参考にさせて欲しいだけなの。ライルさんなら好きな人の一人や二人はいそうだし、だったら……」
「それって、同時に一人や二人って意味だと相当失礼だけど?」
「そんなこと思ってないわ! 人を好きになるってどんな気持ちなのか聞きたいだけよ!」
いい年をして何を聞くんだと言われそうな内容は、反論のために勢い付いたおかげですっきり吐き出せた。
偉そうに頼み込んでしまった気さえするが、その会話さえも楽しんでいる様子のライルは何枚も上手だ。
少し考えた後で、もう一度ふうんと呟くと。
「そういう経験はないの?」
浮かんで当然の質問を返し、シュリアを黙らせた。
「あるというか、ないというか……」
「ないんだね。だったらなおさら、そういうのは女友達に聞くものじゃない?」
「……相手がライルさんじゃなきゃ、こんなこと聞かないわ」
ぐっと黙り込んだのは、今度はライルの方だ。
珍しい真顔はすぐに消えたが、明後日の方を向いて話しかけているではないか。
「分かってる、俺なら答えるだろうってことだよね。うん、紛らわしい」
改めてシュリアに向き直る頃には、ライルは普段の調子を取り戻していた。
「で、何でそんな事聞くの?」
「いくら好きでも、当人にはどうしようもない問題は色々とあるでしょう? みんな、そういう問題はどう整理するのかしら。現実に負けてしまわないのかしら。そうまでして、恋愛に飛び込む決め手は何かしら」
真面目に打ち明けると、ライルの顔から目に見えて力が抜けた。
そして、話にならないと首を振るのだ。
「頭でっかちだね。整理とか、決め手とか、そんな事を考えていられる間は、強いて言うなら好き程度で、恋じゃないんだよ」
恋は、頭でするものではない。
もっと本能的に、問題なんて構っていられないほどの勢いで巻き込まれるものだ。
「だって、恋に落ちるっていうでしょ。考える前に落ちてるものなんじゃない?」
胸に沁みる台詞を格好良く決めて。
「……とか何とか、独身の俺が言ってもね。数少ない経験則だから参考にはならないよ」
色男の騎士様に聞いた方が有意義じゃないかと、とんでもない提案をした。
(色男? まさかグレイドさんのこと?)
百戦錬磨のグレイドには敢えて聞かなかったというのに。
「あの人の答えは、私なんかに理解ができないと思うのよ」
すり寄る女性をあしらう才能には長けているが、果たして、自分から求めたことはあるのだろうか。
グレイドの高度な恋愛論は、きっと、初心者には向いていない。
「ああ、うん、だね。かと言ってカイナル様に聞くのもなぁ……」
本当にこの手の話には自信がないのだろう。悩めるシュリアのために生真面目に悩んだライルは、自分で挙げた名前を自分で否定した。
「カイナル様じゃ、参考になりそうもないなぁ」
ごもっとも、という同意は飲み込んで。
「だからあなたに尋ねたの。ありがとう」
「俺の話で良かった?」
「私の気持ちが、どちらかと言えば好きなのかも、という程度だってよく分かったわ!」
いっそ晴れやかに言い切れば、奇妙な沈黙が落ちた。
「ねえ、ちょっと待って。今のはまさに旬な話? 勝手に完結させて大丈夫なやつ?」
ただの机上論ではないと知らされたライルが慌てている。
相手はどうなんだ、本当にそれでいいのかと矢継ぎ早に問いかけた後で。
「結論を出すのは早いと思うんだ!」
前言撤回しそうな勢いで、シュリアの肩を掴んだ。
「整理しよう。君は今、気になる相手がいるけれど、何か、取り巻く環境だとかを考えると踏み出せない、て状況だよね。具体的に、何が君を引き留めているのかな?」
掌から伝わるのは異様な焦燥感。
差し支えなければ話してくれと、いつの間にやら猫撫で声だ。
「何が、と言われると……」
原因は特殊すぎて説明できない。何かに例えようにも難しい。
これ以上の迷惑はかけられないとやんわり辞退すれば、ライルはそれらしい候補を挙げた。
「よく聞くのは身分の違い、しがらみ、周囲の反対とかだよね」
どうも、話を続けたがっているようだ。
「そのとおりよ。さすがライルさんね」
他の理由は公にできないが、少なくとも今の三つは全て当てはまる。小首を傾けて苦笑いを浮かべると、みるみるうちにライルの顔色は悪くなった。
目を合わせて、というか覗き込んで、一言一句を丁寧に紡ぐ。
「色々と考えるのは、それだけ真剣だってことだよ。どちらかと言えば好き、な相手に無駄な時間は割かないだろ。君は今、恋と言う名の大海原で、風を待っているだけなんだ」
「大海原……?」
「人間は多面性がある生き物だ。一時の思いで決めつけるのは愚かに過ぎる!」
大海原の例えは理解できないが、恋に溺れるという表現もあるし、きっとそういう意味だろうと解釈する。
(視野が広い人の言うことはやっぱり違う)
あやうく、恋心を全否定するところだった。
(好き。恋愛として好き。考えてしまうのは風を待っているから……風?)
風とはいかに?
(大海原に嵐を巻き起こす、風? それだと縁起が悪そうだけど)
どうやら、詩的過ぎる表現は向いていないようだ。
改めて確認するのも無粋に思えて、悪い意味ではないだろうと感覚で流した。
「それも経験談?」
誤魔化すように笑うと、あからさまな安堵がライルの顔いっぱいに広がった。シュリアの肩に食い込んでいた指先からも力が抜ける。
「そんな立派なものじゃないよ。どうかな、参考になったかな?」
「十分過ぎるくらい」
「それは良かった、本当に……」
こんな季節だと言うのに、ライルは額の汗を拭っている。
汗ばむほど本気で向き合ってくれたのだ。
胸の内で復唱すれば勇気が湧いた。
ライルの熱弁に救われて、想いの先に続く道を考えられそうだ。




