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「何を馬鹿なことをと思うでしょうが、カイナルは特別なのです。あの子には、母親の愛だけでは語れない特別な存在理由があるのです」

 大きな窓越しに降り注ぐ光を受けて、子爵夫人の漆黒の瞳がきらりと光る。

「わたくしの役割は、産み育て見守ること。けれど、この世界の小さな枠組み如きにあの子の邪魔はさせません」

 切れ長の勇ましい双眸が、ひたとシュリアを見据えていた。

「あの子の選択は尊重しますが、わたくしは母親ですから、口は出します」

 馬鹿なことなど何もない。むしろそのとおりだ。詳細を知らず断言できる母親の勘に恐れ入った。

「全てを投げ打つ価値のない相手に、僅かでも犠牲を払うような真似は許しません」

 言葉の強さが、如実に憤りを表している。

(本当に、そうですよね……)

 息子の選択を尊重するけれど、シュリアが相手ならば話は別。

 否定されてもやむを得ないことは、誰より本人が知っていた。


 俯くシュリアの頭を、子爵夫人はずっと見ていたが。


「……というようなお話は、あなたには関係ありませんでしたね」


 いつの間に近付いたのか、指示されずとも主人の意図を読む優秀な侍女は、シュリアの前にも新しい紅茶を差し出した。

「あなたは、使用人のことなど気にせず自由にお過ごしなさい。狭い庭ですが、外に出れば気分転換にもなるでしょう。閉じこもってばかりでは碌に頭も動きませんよ」

 湯気と共に爽やかな柑橘系の香りが場を満たした。

 しかし、午後のお茶会という雰囲気ではない。言葉をなくしたシュリアは、カップに指を伸ばしもせず虚ろに眺めている。

 片眉を上げた子爵夫人は、定位置に戻りかけた侍女に残りの菓子を包むよう言い渡した。

「わたくし、甘い菓子は得意ではないの。あなたが部屋にお持ちなさいな」

 かなり大量に用意され、そのほとんどが手付かずの菓子。

 始めからそのつもりだったのか、準備よく籠が取り出され、隙間なく詰め込まれていく。

「顔色が優れませんね。部屋まで送ってあげなさい」

 ところが、散会を告げて立ち上がろうとした子爵夫人を、仕事を終えた侍女が控え目に引き留めた。

「奥様、あの件がまだ……」

 何事か促されて、いくつか確認して。

 子爵夫人の顔から、ただでさえ少ない感情の色が削ぎ落とされていく。

 その様子から、どうも良い話ではない。

 これ以上何を言われるのか。

 皺になるのも構わず、シュリアの両手はスカートを握り締めた。

「明日、来客があります。客室はあなたの部屋から離しますが、同じフロアなので顔を合わせるかもしれません。十分にお気をつけなさい」

 客ということは、相手は貴族だ。

 振る舞いを心得て小さな返事を差し出すと。

「あなた、三日後にこの町で収穫祭があるのはご存じ?」

 ふいに尋ねられて、回らない頭を横に振った。

「いいえ……」

「……客人と言いながらもその待遇はなっていないわね」

 子爵夫人は、しかめた顔で呟いた。

「まあいいわ。お客様は、三日後に開かれる収穫祭をご覧にいらっしゃいます。ドルトムント伯爵とおっしゃる方で、ご令嬢のレン……何だったかしら?」

「レイザリア様ですわ、奥様」

「そうそう、レイザリア=ドルトムント伯爵令嬢ね、その方がご一緒です」

 客人の名前を間違えるなど、この、人にも自分にも厳しそうな子爵夫人に限って故意としか思えない。

(その、レイ……何とかという方が、何かあるのかしら)

 投げやりにも近い口調は、侍女の助けを受けても変わらなかった。

「自由に過ごせと言いましたが、極力、客人の目に触れぬようになさい。あの方々はミルデハルト伯爵家の人間とは違います」

 心配なんてしないと言った口が、これは忠告ですと念を押す。

「あの人たちは兄とは違います。今日を境にカイナルの手も空きますから、その件については聞いておくと良いでしょう」

 やけにはっきりと予言して。

 下がるようにと、子爵夫人は手振りで示した。



 ちゃんと考えろ。

 多分、そう言われたのだ。

 助言どおり庭園に出たシュリアは、細々と雫を飛ばす噴水の前で立ち尽くす。

 やはり、ミルデハルト伯爵とよく似ていた。

 平等な視点、大きな器、潔さ。

 シュリアが認めるに足る存在になれば、誰が非難しようとカイナルの選択を尊重すると言われたも同然だ。

(問題なのは、私)

 結局、ライルの問題にかこつけて本題を棚上げしていた。相手の母親から活を入れられるなんて聞いたことがない。

 子爵夫人がカイナルの肩を持つのは当然だ。しかし、籠いっぱいに詰め込まれた菓子はシュリアへの優しさなのだ。

 その心配りを無駄にしないよう、ちゃんと考えなければ。

(丁度良い機会だわ。忙しいカイナル様にはなかなか会えないから、距離を置いて考えられるもの)

 今日を境にぱったり手が空くなど、聞きかじった捜査状況では考えられない。恐らく、来客のために手を空けるのだろう。

 そうであれば、今日も明日もカイナルが忙しい事に変わりない。

(お客様は三日後の収穫祭を見学に来るのだから、少なくとも四日後も滞在されるわよね)

 ミルデハルト伯爵は残り四日もすれば王都に帰る。シュリアの滞在は緊急避難のようなもので、通常の生活が始まれば元に戻って然るべきだ。

 つまり、四日後にはレンブルクを離れられるのだ。

(カイナル様の休暇はもはや仕事。グレイドさんは帰れないと嘆いていらしたわ)

 それなら乗合馬車を拾って帰ろう。帰るまでの残り三日は、考えることに使おう。

 段取りを決めてしまうと、僅かに気持ちが楽になった。


「難しい顔してどうしたの?」


 かけられた声に、目線を跳ね上げて姿を探した。

 この屋敷でシュリアに気安く話しかけるのは、騎士団の詰め所に出向いた二人を除けば彼しかいない。

 右手を上げて現れたのは、言わずもがなライルである。

 何故か、左手にはバケツとスコップを持って。

「やっと会えたね。どうしてるのか気になってたんだよ」

 軽々とした出で立ちを見るに、本人が言うほど窮屈な生活ではなさそうだ。

「ライルさん、お元気そうですね」

 気を揉まされた分だけ嫌味たらしく言えば、そうだねと、ライルは笑った。

(ほら、やっぱり)

 カイナルがいなければ、ライルとの間に壁はない。

 本当の素顔はこっちなんだろうと、距離の近さで確信する。

 その顔に、いたずら坊主のような笑みが広がった。

「俺より君の方が大変みたいだね。なかなかの評判が入ってくるけど、何をやらかしたの?」

 散々悪い噂を聞いただろうに、面白がる言葉に棘はない。

 自分の目で見たものしか信じない男は、無責任な噂なんて意にも介さないのだ。

「何って、特に何もしていないんですけれど……」

 近くにいれば彼の強さにあやかれそうな気がして、きらきら光る黒い瞳を見つめ返した。

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