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「説明が前後しますが、あなたをレンブルクにお連れしたのは「闇の光」から遠ざけるためです」
その理由は、概ねグレイドから聞いたとおりだ。
カイナルの黒光りする視線に射抜かれて、ごくりと唾を飲む。
「しかし、レンブルクが絶対に安全とも言えません。ここであなたが動いて、あなたの存在を万が一にも気付かれてしまったら……」
ミルデハルト伯爵邸で夏に起きた事件はひとまず解決した。だから、口封じに狙われるような特殊事情は思い浮かばない。
(そういう事では、ないのかしら……)
案の定、シュリアの考え違いまで分かっていると言いたそうに、カイナルは重々しく答えを明かす。
「私にとってあなたがどういう存在か、自覚してください」
それほどに大切なのだと、受け止めきれない思いがシュリアの掌から溢れた。
求婚されたのは夏の終わり。
護衛任務が終わっても何かと世話を焼かれ、嬉しさ少々、鬱陶しさが大部分を占めた日々で忘れかけていた。
あの時カイナルは、シュリアが好きだからとはっきり言ったのだ。
(私に何かあったら悲しいから、ということかしら)
自分で考えておきながら、気恥ずかしさに頬が染まる。
「あなたを盾に取られてしまうと、私は、抗える自信がありません」
たまらず俯いた横顔で熱っぽい視線を感じた。
(そんな、何て、あまりにも図々しい妄想を!)
うろたえ始めたシュリアに対して、カイナルはどこまでも冷静だった。
「私の魔力は、連中どころかレンブルクそのものを焼き尽くしてしまうでしょう」
誇張ではない。
至って真面目に、考え得る可能性の一つを提示しただけだと、その表情が物語る。
「お分かりいただけますか」
「は、はい……」
甘酸っぱい想像はもろくも吹き飛ばされた。
シュリアの存在は、カイナル最大の弱点である。
「闇の光」がカイナルの魔力を知れば、目的達成の切り札として必ず担ぎ上げるだろう。そしてカイナルも、シュリアを守るためならば従わざるを得ない。
だがその前に。
多分。
身に宿る魔力が、度を超えた怒りに呼応して暴れ狂うに違いない。
今のカイナルに使える魔力は小さい。しかし、数百年と魂に根付いた魔力がどんな形で具現化し、被害をもたらすか、到底予測はつかない。
だからレンブルクに連れて来たのだと諭されて、反論の余地もなく、シュリアはただただ頷いた。
そして、ライルのためとはいえ勝手に行動しないことを、固く約束させられたのだ。
その後、鬱々とした日々は六日目を迎えた。
使用人の態度はさらに硬化し、向けられる視線は今や悪意にも近い。
何度かライルに会おうとしたのだが、廊下で鉢合わせた使用人に睨みつけられ、行き先を細かく尋ねられ、暗に出歩くなと非難されて、逆戻りを強いられた。
残る楽しみと言えば三度の食事だが、それも碌に味が分からない。
豪華な食事を運び込む使用人は、事務的に皿を並べ終えるとさっさと退出してしまう。
メインの皿の位置やカトラリーの並び方まで毎回違うのは、やる気の問題ではなく嫌がらせなのだろう。
空いた皿を下げに来てくれることはないので、部屋の隅に取り残されたワゴンに片付け、自分の手で廊下に出しておくのだ。
何が原因なのか考えるのも面倒になったシュリアは、以前にも増して部屋から出なくなった。
しかし、そろそろ我慢の限界である。
ミルデハルト伯爵邸では、礼儀作法や細かな所作に至るまで使用人を厳しく指導する。
(偉そうに言う資格なんてないけれど、よ?)
平民のシュリアに口うるさくも教え込んだのは侍女長サリエル夫人だ。そのおかげで、大切なお客様の前に出してもらえるまでになった。
使用人の質がその家を表すとはサリエル夫人の格言で、あれはまさしく真実なのだ。
(ここには、サリエル夫人のような方がいないのかしら)
少なくとも、ミルデハルト伯爵邸の侍女やメイドは、どんな客人を前にしても態度を変えないし顔にも出さない。
相手が例え平民でも、客人である以上、心を込めてお世話をする。
(王都の子爵様のお屋敷でも、こんなことはなかったのに……)
ざっと目にした限り、この屋敷の使用人は農繁期には鍬や鋤を握っていそうな平民ばかりだ。何度か世話になった王都のザックハルト子爵邸とは明らかに違った。
そんな彼らだが、カイナルやグレイドが同席する夕食だけはまともに職務を遂行した。
結局は二人のどちらかに追い払われてしまうが、澄ました顔をしてシュリアの前にも丁寧に皿を置く。もちろん、配膳の順番もカトラリーの並びも間違えない。
馬鹿馬鹿しい茶番。
落差がありすぎて、指摘する気も失せる。
だからカイナルはこの状況に未だ気付かないし、使用人を調子に乗らせてしまうのだけど。
最初の数日こそ、カイナルたちは騎士団の詰め所と屋敷を何往復もしていた。
日に何度も現れるグレイドによると、考え得る調査を全て終えて行き詰まったらしい。
大きな原因は、何が盗まれたのか、はたまた盗まれていないのか判断できないことだ。
ザックハルト子爵家では、蔵書の管理もしていなければ書庫に立ち入ることも稀なのだとか。入口も施錠したかどうかはっきりしない。事件の夜について尋ねても、鍵は多分かけていたと思うけれどと、執事は目を泳がせたそうだ。
シュリアは、蔵書目録の必要性を再認識した。
こんな状況では、「闇の光」との関連性どころか、実行犯の特定に至る手掛かりすら出てこない。
ところが、夏の事件で成果を出せなかった近衛隊の俺様貴族は、何としてでも犯人を挙げたがっていた。
そこで目を付けられたのがライルだ。外国帰りという特殊な経歴も、犯人らしくて都合が良い。
冤罪だろうと構わないから適当な証拠を集めろと、レンブルクに残す騎士に告げたそうだ。
結局、この屋敷のどこかにいるはずのライルとはあれっきりである。
(もう、どうして貴族名鑑なんて持ち出したのよ。面白くも何ともないでしょうに)
だが、面白味がないからこそ理由はある。
父親と同じ仕事を目指すのか、言葉を濁されたまま終わった帰国の理由だ。
(俺なんかがとも思うんだけどね、て……)
思うんだけど、挑戦してみるつもりなのかどうなのか。あの時尋ねておけば良かった。
(……それで、貴族名鑑を?)
だとすれば。
あり得なくはない。
気になると言えばライルの態度だ。
シュリアが一対一で話したライルは、格好良くて素敵な等身大の男だった。あれを普通と定義するならば、カイナルが現れた後のライルは普通ではない。
立体感を消し、ひどく薄っぺらい印象が残った。
そんな風に装う必要がどこにある?
子供の頃からの付き合いなら、生身の自分を見せられないような、歪な関係ではないだろうに。
今もカイナルは、冤罪からライルを守るために奔走しているのだから。
それに。
(カイナル様もね……)
シュリアを取り巻く悪意に気付いたグレイドは、牽制のため、息抜きと見せかけて頻繁に客室に出入りする。
本来なら誰より早く気付きそうなカイナルは、グレイドの行動を目の当たりにしても不自然なまでに気付かない。
余裕がないのだ。
シュリアが甘んじて大人しくしているのも、本当はカイナルの負担を減らすためだった。
(もう、埒が明かないわ。思い切って部屋から出るのか徹底的に我慢するのか、どうするの、私!)
考える時間がありすぎるから不安ばかりが募る。そんな現状には疲れてしまった。
使用人が何だと鼓舞するシュリアの目は、しっかりと外へ向いている。
その日の午後、思いがけない形で部屋を出ることになるとは露も知らず。




