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ザックハルト子爵夫妻を筆頭に、玄関ポーチに居並ぶ人々の背を物陰から眺めること、数分。
王都へ戻る俺様貴族を送り出した彼らは、一様に肩の力を抜いたようだ。
主夫妻が屋敷に消えれば、お見送りに駆り出された使用人たちも散り散りになる。
(もう、いいかしら?)
人の気配が完全に消えたのを確認して、そろりと足を踏み出した。
その場に残ったのは、馬を引くルミエフとグレイドの二人だけ。
ルミエフはミルデハルト城へ向かう。しかし、急な命令で十分に手が回らず、三日近くも要する旅に相応しい旅装ではない。
シュリアが呼びかけたときも、振り向いた兄の目は座っていた。
言葉を返したのはグレイドの方だ。
「あれ、シュリア嬢だ。外に出てもいいの?」
「駄目とは言われていません」
「そうなの? てっきり籠の鳥かと思ってたよ」
軟禁状態に違いはないが、監禁されている訳ではない。あらぬ憶測はきっちりと否定した。
「ルミエフ兄さん、朝晩は冷えるから本当に気をつけてね」
そんな軽装でと、不安のままに声をかけると。
「ああ。お前も十分に気をつけろ」
深刻な様子で心配を返されてしまった。
それも、安全に守られた今のシュリアにはおかしな心配を。
(迷惑をかけるな、ということ? でも、これ以上どうしようもないんだけど)
自主的軟禁生活は、考え得る最良の手段だ。
「グレイド、早々にザファルへ戻れるようならシュリアを連れ帰ってくれ」
「はいよ、可能ならね」
「最優先事項だ」
「無理だろ、絶対無理」
何を気にしているのか、シュリアには兄心が分からない。
年上の部下に邪険にされたルミエフは、それでもシュリアを頼むと念を押して、静かに出発した。
ザックハルト子爵家が暮らすこの屋敷は、その昔、四代目のミルデハルト伯爵が引退後に身を寄せた場所だ。
ファビエル=ランド=ミルデハルト。
魂の呪いが受け継がれる一族において、青い瞳で表舞台に立った唯一の宿体である。
夏にザファルのタウンハウスが狙われ、今度はレンブルクの屋敷が狙われ。
まるで彼の足跡を辿るようだ。
そうであれば、次に狙われるのは本拠地のミルデハルト城に違いない。
折しも、領都では盛大な収穫祭が間近に迫っている。「闇の光」がこの機会を逃すはずはない。
次こそは何としても一網打尽に。
と、俺様貴族は身振り手振りを交えて熱弁を振るったのだとか。
「こういうときは、肩書きがある方が便利だからね。だから俺じゃなくて、副隊長が領都に走らされたの」
この季節にこの距離を走るのは、老体には辛いから助かったよと。
経緯を教えてくれたグレイドは片目を瞑った。
グレイドが見せた器用な物真似はともかく、ミルデハルト城が危ないという可能性は、理由さえ知ればシュリアも理解できた。
(私がレンブルクに連れてこられたのもそのせいかしら)
危険から遠ざけようという。
(……そうよね、きっと)
カイナルは、シュリアを守ることにかけては超が付くほど過保護になる。宿体を代えて生き続けた男にとって、他家のメイドを攫うくらいは朝飯前だ。
傍迷惑と紙一重の行為の正当性を疑ってもいない。
それもこれも。
(そうまでさせる約束って、一体何なのかしら)
この魂の昔の持ち主とどんな約束をしたのか、尋ねたところで教えて貰えた試しはない。
そのカイナルと言えば、俺様貴族の見送りの際にも姿が見えなかった。
「あいつなら、朝一番で用事が入ったもんで外に出てるよ。もう帰ってくるとは思うけどね」
それも、俺様貴族が言い置いた命令だ。
(王太子近衛隊って人使いが荒いのね)
よそ様の組織をどれだけ使い倒せば気が済むのか、こうなると王太子殿下の顔が見てみたいシュリアである。
「さて、俺は仕事の続きをするから中に入るよ。シュリア嬢はどうする? 部屋まで送ろうか?」
飛んできた流し目の呪縛は、寸前で身をかわした。
「久し振りなのでもう少し太陽を浴びています。お仕事頑張ってください」
小さく手を振ると、グレイドはあっさり了承する。
「煩い羽虫に狙われるから、あまりうろうろしないようにね」
「羽虫?」
一瞬、言われた意味が分からなくて。
(もしかして、使用人のことかしら?)
腑に落ちた頃には、グレイドは、均整のとれた長身を翻して玄関ホールへ歩き出していた。
悩殺的な微笑の余韻が、頭の芯を麻痺させそうだ。
正門に続くアプローチを脇に逸れると、貴族の屋敷らしく東屋や噴水を擁した庭園が広がっている。
(グレイドさんのあれは、確信犯だから余計にずるいわよね!)
騎士でなければ、あの色気を武器に金持ちの女性ばかりを誑かして、一生遊んでいられただろうに。
夜の色街には、彼に溺れたいと願う女性が掃いて捨てるほどいるのだとか。
(……思わないわよ、私は思わない)
ああいうタイプは、好奇心で足を踏み入れてはいけないのだ。麻薬と同じだ。気付けば底なし沼というやつだ。
(私にはまだ早い!)
ノーム月の半ばにもなると花の種類は少なく、打ち付ける風は刺すように冷たい。羽織るものが見当たらず薄着で出てきたが、考え事に没頭していれば寒さを感じることもなかった。
「あれ? 君は、一昨日の人?」
長椅子に座って枯れ枝を凝視するという、ちょっと遠巻きにしたい空気を醸し出していたシュリアに、気安く声をかけた人物がいた。
「あ、はい、ええっと……」
馬に乗れない早伝馬の使者である。
カイナルが親しく呼んでいたから、名前も覚えている。
「ライル様、ですよね?」
すると、様付けなんか止めてくださいと、男はてらいなく笑った。
「じゃあ、ライルさん?」
「俺なんてただの使用人の息子です。呼び捨てにしてくださいよ」
聞けば、シュリアとは同い年。
身分を明かせば、一気に言葉は崩れた。
「お嬢様みたいな服着てるから誰かと思った。元気にしてた? 屋敷に逗留してるの?」
「ええ、まあ、ご厄介になっているというか……」
「カイナル様が無理矢理連れて来たから気になってたんだよ。とか言って、あの時の俺にはそんな余裕もなかったけどね!」
馬上の醜態を見られた相手に、今さら取り繕う気はないようだ。
(何だか、初対面にしては距離が近い人ね)
笑い方一つにしても親しみが湧く。決して不快な距離ではない。
今の今まで、黒い色彩の髪と瞳、名前の特徴から、どこかの貴族に連なる人物だと思っていた。
それにしては顔の線がすっきりしていて、肌はうっすら日焼けしている。表情が与える印象は随分と開放的で、貴族社会に珍しいタイプだとも思っていたのだ。
「俺は、この家の執事の息子なの。でも、親父の跡は優秀な兄貴が継ぐから、見聞を広める旅に出てたんだよ」
ライルは、帰国したばかりで事件に居合わせ、負傷した兄に代わって早伝馬に乗せられたと苦笑してみせる。
(帰国……?)
飛び出したのは、閉鎖的な島国ではついぞ聞かない単語だ。
(外国に、いたということ?)
さらりと告げた顔を食い入るように見て、シュリアは聞き直した。
「……大陸にいらっしゃったんですか?」
「大陸以外にも、ここと同じような島国をいくつか回ってね」
「すごい、すごいわ! どんな所でした? 言葉は? 気候も違うのでしょう?」
ライナルシア王国は諸外国との正式な国交を結んでいない。商業レベルでの交易は黙認という形で僅かに許されているが、基本的に人の出入りは禁止だ。
個人で外国を巡るなど、聞いたこともなければ考えたこともない。
(何者なの! 興奮しすぎて唾が飛んじゃったわ!)
一気に沸き立つシュリアを前に、淑女らしからぬと嫌がる素振りはない。
むしろ、ライルには興味を持たれたことの方が嬉しいのか、にこにこと子供のように笑っていた。




