その二十四 願い事
「お兄ちゃん!」
俺の事をそう呼ぶのは花恋、俺の妹だ。
あいつは出来損ないの俺とは違って、愛想も良く周りの人からよく慕われる。
友達も多く、学校に行かない俺を気遣ってわざわざ学校に連絡して親の方に電話がいかないようにしてくれていた。
本当によくできた妹だった。
ずっと一緒に過ごしてきた、父さん、母さん、妹、俺達は確かに家族だった。
それを疑った事はない。
だけどこの日、俺は初めて知ることになった。
俺の本来の家族は、母さんは死んでいて、妹とは母親が違うという事を。
「もう死んでる‥‥‥?俺の母親は別の‥‥‥」
おもわず言葉が漏れる。
視界は揺らぎ、心臓が跳ねる。
今まで何度も話に出て来ていた人物、イズナ。
その人が俺の母さんだと断定できる。
そして今俺と一緒に暮らしていた母さんもその人だと思っていた。
いや、今にして思えば話の中に出て来ていた人物と普段の母さんでは印象が違っていた。
イズナは少し抜けている部分があり、おっとりとした性格。
対照的に母さんは厳しい人で、時間も正確でしっかりとした性格だった。
ここに来て変わってしまったのかと思っていたけど、そもそも人が違ったんだ。
父さんは重苦しそうに口を開いた。
「俺自身も受け入れがたい事実だった。この世界に来た時、俺達は自身の姿がここに居る者と酷似しているが、一部違っていることに気で気付いた。そして俺達以外に共に旅だった者達が近くに居ない事を。イズナはお腹の子を産むために、適切な場所を探し求めていた。痛みに耐えて共に歩き続けた。雨が降り始め、体は冷え彼女に服を羽織わせた。そしてお腹を抱えたまま、膝を折った」
父さんは苦しそうに奥歯を噛みしめる。
一言一句がまるであの時の事を後悔しているように、苦悶の表情が浮かぶ。
俺はただ黙ってその言葉の続きを待った。
父さんは一呼吸おいてから再び話を始める。
「その時、彼女と出会った」
父さんはそう言うと過去の記憶を辿るように目を瞑った。
「傘を差し、心配そうに俺達の方へと駆け寄って来た。そして適切な対応をしてくれて、俺達を病院へと連れて行ってくれた。後もう少しで危機的状態に陥っていたと、彼女が適切に対処していなかったら流産になっていたかもしれないと医者は言っていた。彼女が看護師だったことも幸運だった。イズナはずっとお前が生まれるのを何とか耐えて居たんだ。その後すぐにお前が生まれた。それから数日後、イズナは衰弱死した」
「そうだったんだ、それがイズナさんの‥‥‥母さんの最後」
自分の本当の母親の死の真相を聞いて何とも言えない気持ちになってしまう。
先程まで遠い過去の話をしていると思っていたら、今は身近な話になっている。
別の世界の人が俺の母親で、そしてその世界も俺は行っていた。
今まで一度も言葉を交わしたことも、その姿も覚えていないのに。
母親だという事を知った瞬間、悲しみが沸き上がって来る。
「せめて一度だけでいいから、会って見たかった」
「もしイズナが生きていたら、お前の事を溺愛していただろうな。あいつは子供がお腹に居ると知ってから、ずっと一緒に何処に行こうかとか服とかも作ろうとして何度針を指に刺したか。とにかくお前と会えるのを楽しみにしていた」
「そっか、話してくれてありがとう」
「いや、最初に話すべきことだった。だが伝えることが出来なかった。この事実を知って、お前が今の母親を否定してしまうんじゃないかと。彼女を悲しませるようなことをお前にして欲しくなかった」
「そんなこと言わないよ。確かに自分の母親が違う人だって知って、ショックもあった。でも俺の母親はあのいつも朝起こしに来てくれる母さんなんだ。だから大丈夫」
父さんはそうかと呟くと、優しく俺の頭を撫でてくれた。
そんな事をしてくれたのは初めてだったので、驚きとこっぱずかさが合ったがそのまま受け入れた。
「お前は俺の誇りだ」
「どうしたのいきなり、そんな事普段は言わない」
「そうだな、俺はお前らに対してこういった好意を伝えたことはなかった。俺自身、それが苦手な節があるからな。そしてお前とどう接していいか分からなかったんだ」
父さんは一通り頭を撫でるとゆっくりとその手を放した。
「お前はイズナの宝物でもあり、俺達の家族だからだ」
「うん、それを知れただけでここに来てよかった」
そろそろ時間だ。
俺はそう思い、ゆっくりと立ち上がる。
時間はいつの間にか夕暮れ時でそろそろ母さんが買い物から帰って来るだろう。
花恋ももう直帰って来る。
だからこそ俺はもうここに居られない。
「かつ?」
立ち上がった俺に対して父さんが名前を呼ぶ。
俺はゆっくりと振り返る。
すると父さんは何かに気付いたのか、表情を変えると一言言葉を発する。
「行くのか」
俺はその言葉に躊躇うことなく頷いた。
「俺の帰る場所はきっとあそこだから。ずっと迷ってた。ここに戻るべきか、あそこに留まるべきか。俺にはどっちの世界にも大切な居場所があったから。でも、俺にはまだあそこの世界でやり残したことがあるから」
「後悔が無いのならそれでいい。お前はお前の道を進めばいい」
「止めないの?」
思わず聞いてしまった。
正直言うと止められることを前提でここに来たから。
「息子が選んだ道を止める親は居ない。親なら応援するさ。だが、心配しないとは言っていないからな。あまり無茶はするなよ」
「うん」
「子供の成長は早いというが全くその通りだな。ちょっと前まで学校の行くのすら躊躇っていたのに、今では別の世界に行く事も躊躇わないとは」
「からかわないでよ。というか、知っていたならどうして怒らなかったの?」
正直言うとこの事は上手く隠せてると思ってたんだけど。
花恋にも協力してもらっていたのに、無駄だったのか。
「その原因は俺にもあるからな」
「え?それって」
「名前が原因なんだろ。俺はイズナを亡くして、お前だけが残った。お前には強く生きていて欲しかった。この世界では強さがどういった基準になるか、俺にはまだ分かっていなかった。だが名前を付けることに意味を持たせると、そう言う文化があると知って俺はお前に名前を付けた。かつと」
「意味は分かるけど、そのまま付ける人は居ないと思うよ」
「悪かった。当時の俺はそれが間違っていると思えなかったんだ。この苗字も何かを成し遂げるという意味を込めて、絶対とした。俺はそもそもこの世界の人間じゃないからな。正式な結婚式も公共の施設も利用できない。幸い俺は病気になった事もないから、不便ではないがな」
「そう言う事だったのか。たまに父さんが出かけるのに一緒に来なかったのはそもそも行けなかったからなんだな」
まあ流石に戸籍がないからって当時の俺は思えないだろうからな。
気付くはずないか、それにその名前の意味も子供は考えられないしな。
「とにかく俺は分からないなりに、父親と言う物を演じて来た。だが、上手くは居なかったようだ」
「そんなことないよ。父さんは立派な父親だ。ここまで俺を育ててくれてありがとう。ようやく俺の願いが叶ったよ。母さんにもお礼を言いたかったけど、流石に会っちゃったら気持ちが揺らいじゃうかもしれないから」
「そうか、二人には俺から上手く伝えておく。お前は安心していくと言い」
「ありがとう、それじゃあね。父さん」
俺は扉へと向かう。
今度はもう振り返らない。
ここにあったすべての物はここに置いて行く。
もうみんなには会えない、でも寂しくはない。
伝えたい事は伝えられたはずだから、知りたい事は知れたから。
だからもう迷わずに進む。
最後に、良く言うのなら。
母さんと花恋にも——————
「もうお腹空いたー」
「直ぐに作るから、ちょっと待ってて」
「っ!?」
扉に手を伸ばしたと同時に開け放たれる。
そして目の前には見覚えのある二人が飛び込んで来た。
二人は扉の前に立ち止まっている俺を見ると、笑みを浮かべる。
「「ただいま」」
「お、おかえり‥‥‥」
上ずった声でその言葉を言ってしまった。




