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見えない空にあるものを  作者: ジンさん
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ゆっくり流れる

「まだ髪濡れてるよ」

「……」

「もう寝るの?」

「……」

 彼はベッドに横になり、私もそれに続く。いつも彼は壁のほうを向き、私はその大きな背中に抱きつき眠りにつく。私と同じシャンプーの香り…彼の体温…胸がしめつけられる。

「……なんで?」

 勿論、返事はない。



 目を覚ますと既に彼の姿はない。濡れた枕やシーツが、彼が確かにここにいたことを教えてくれている。

 また泣いてたの……

 彼はご飯も食べずに出ていった。日に日に痩せてく彼を見るのが苦しい。

 自分も食欲がない。温かいスープを飲み、仕度し始める。

 私も頑張ろう。きっと彼も頑張ってる。そう自分に言い聞かせて家を出る。

 私は小学校の先生になり、幼い頃からの夢を叶えた。愛らしい子どもたちに囲まれ、同僚にも恵まれ、仕事が楽しいはずなのに、心は踊らない。

 本当だったら彼も今頃は教師になっていて、一緒に頑張っているはずだった。






 彼との出会いは、私が大学4年生のときだった。

 私は大学の図書館で、7月の教員採用試験に向けて勉強していた。今日は4月8日入学式。クラブやサークルが新入生を勧誘していて構内は賑やかだった。そんな中、図書館で勉強しているのは私のように試験を目前としている人ばかりだった。各々が教員採用試験や公務員試験などの参考書や問題集を睨みつけていた。

 目の疲れを感じ、時計を見ると19時になっていた。さすがに集中力がなくなり、帰ろうと荷物を静かに鞄にしまって、立ち上がる。そのとき同時に立ち上がった人がいた。その男性に続いて図書館を出る。駅まで歩く間、ずっとその男性が前を歩いている。ここまでは同じ大学に通う学生ならよくあることだけど、方向も同じで自分の降りる駅の1つ手前の駅で降りていった。この駅間の距離はそんなに離れていないので、わりと近くに住んでいるのだろう。

 その時はそこまで気に留めていなかったが、翌日の登校も同じ時間、電車に彼がいた。あくびをして、目を擦って、眠そうにしている。次に彼の方を見たとき、彼は分厚い本を読んでいた。何かの参考書のようだった。時々首を傾げて、納得のいかない表情をしている。

 人間観察が好きな自分にはこれ以上ない観察対象だ。格好は膝下くらいまであるバスケのパンツに、上はデサントのスポーツウェア、白のスニーカーと肩に斜めにかける鞄、ちょうど財布と本入るくらいの大きさだった。ラフ過ぎる格好に大学生らしからぬ荷物の少なさ、だらしないかんじだけど、顔は整っている。よくいるファッション系の不思議くんとは違うタイプの不思議くんだ。

 こういう話を好物にしている友人への土産にしようと、不思議くんの所属学部を知るべく、後をつけてみる。

 不思議くんは教育学部に入っていった。保健体育科だと確信し、私は自分の受ける講義へと向かった。


「へえ、イケメンで勉強熱心、バスケをしてて、家が近いってか、良い物件やな」

 理紗は私と同じ教育学部の同期生で、大学1年生のときから仲が良い。ダンスサークルで初めて話し、意気投合してから大学生活のほとんどの時間を共に過ごしている。

「物件はないやろ。でも今まで見たことなかったんが不思議なんさな」

「まあ、保体とは講義あんまりかぶらんからな」


 講義が全て終わり、私が帰宅しようと駅のホームで電車を待っていると、不思議くんがきて、また同じ車両に乗った。その人は空席が多いにもかかわらず、立ったまま読書を始めた。今回は位置が近く、表紙が見えた。「カウンセリング」と書いてあるのが見えた。保体でもカウンセリングの勉強をするのか、それとも個人的に勉強しているだけか、さらに不思議くんへの興味が強くなる。

 あ、一瞬目が合ってしまい、直ぐ違う方向を向いた。なんだか探偵にでもなった気分だ。そうっと彼の方を見ると、彼は相変わらず勉強していた。

 今日は私が降りる駅で彼も降りた。最寄り駅も同じなのだろうか、昨日と違う駅で降りたのは何故だろう。もう気になってしかたないけど、流石に尾行はマズイ。何とか我慢して、帰ってきたはいいけど、この晩はなかなか寝れなかった。



 暗闇の中に光が灯り、その乏しい光源がのちに全体を明るく照らしてくれるのだろうと思わせる。その光源こそが彼なのである。その魅力に気づいたのは、彼の素性がはっきりとわかったときだった。

 教育学部棟の廊下を友達と歩いていたとき、不思議くんが部屋に入っていくのが見えた。自分のほうが彼のことをよく知っていると思いながらも友達にさっきの人を知っているか問うと、友達は「今年入学した大院生だよ」と答えた。

 彼はいつも近くにいた。同じ学部棟の大院生の控え室に毎日のように在室していて、互いに受講している授業が違い、これまで会うことがなかったのである。この大学には教育学部の中に教育心理を専攻する科があり、大学院では教育心理をさらに細かく分け、その中に臨床心理学研究室がある。彼は県外にある体育大学で保健体育の教員免許を取ったあと、臨床心理学を勉強するために大学院に進学したらしい。

 大学院生は私たち学部生と同じ講義を受けることができる。私の友達は彼と同じ講義を受け、さらに同じ班で班活動をしたこともあり、彼のことをよく知っていたのだった。

「良い人だったよ。物腰が低くて、心理学のこと全然わからないから教えてくださいって言ってた。私たちより1歳上らしいよ」

 ユウは私とは正反対の性格で人見知りという言葉知らない。誰とでも直ぐに仲良くなってしまう。

「そうなんだ。たぶん家が近いんだよね。同じ駅で降りるの見たの」

「へえ。もしかしたら出身校一緒なんじゃない?」

「そうだね。また機会があれば聞いてみる」

ーーーー私はその日の帰りも彼を見つめていた。



  彼は私のことを何も知らないだろうし、気弱な私は今までと同じように話しかけることもできないまま時が経ってしまうのだろう。高校生のときに好きな人ができたが、その人には恋人がいて、話しかけることもできなかった。私は目立つことのない生徒だった。普通すぎる自分が嫌いで、大学生になってすぐ髪を染めたり、ピアスをしてみたりした。友達をたくさん作り、恋人を作り、教師になる。それが大学での目標となった。

 大学1年生のときに恋人ができた。その人はサークルで出会った先輩で、当時は大好きでずっと一緒にいたいと思っていた。しかし、5ヶ月くらい経ったときに、相手が別れを切り出した。物理的な距離があったわけでも、ケンカをしたわけでもなく、相手に違う女ができたのだった。当時、私は彼を信頼していた。変な女に騙されているに違いないと思い、彼が私のもとに帰ってくるのを待ち続けた。

 後に、彼が遊人であるということがわかり、私はさらに深い闇に落ちていった。しだいに、人と接するのが怖くなり、一人を好むようになった。それでも一緒にいてくれる友達がいて、なんとか大学生としての私があった。

 女は恋愛に生きる。いろんな男を経験して、次の恋愛に生かす。それを繰り返すことで、いつしか自分に合う男を見つけ、結婚する。私はその一般論を自分にも通用されるはずだと思うようにした。一人目が自分に合わなかっただけで、きっと良い人に出会えるはずだ。そう自分に言い聞かせた。

 小学校の先生になる。休暇は友達と遊ぶ。20代で結婚する。こんな将来を思い浮かべていた。




 5月中旬、教員採用試験の申込が始まり、いよいよ追い込み時となった。一次試験は筆記試験と集団討論で、突破できるだろう。私は友達と2次試験対策に力を入れていた。

 小学校教諭の採用試験では、2次にマット運動や水泳といった運動系の実技試験がある。私は高校生のときは吹奏楽部で、大学でバドミントンサークルに入ったが、あの一件のあと辞めてしまい運動には自信がなかった。

 ある日、同じゼミの真由がマット運動の練習に誘ってくれた。

「なっちゃん来てくれてありがとね」

「こちらこそありがとう。運動が苦手だから困ってたの。でも真由と私の2人で練習するの?」

「ううん、今日は先生に来てもらうことになってるの」

なぜか真由は上機嫌だ。先生ってもしかして……


 2人で重たいマットを準備し終わったとき、

「すみません。遅くなりました」

 聞きなれない声が体育館に響いた。

「あれ、2人だけなんですね。あ、今日はよろしくお願いします」

「はいっ!こちらこそよろしくお願いします!」

 急な挨拶だったから変な反応になってしまった……

 彼も人見知りを知らないのだろうか。初対面ではないけど初対面みたいな私にもかなりフレンドリーに接してくる。

 真由も真由で、彼に質問しまくっている。

「せんせー、側転が真っ直ぐできないです!」

「その呼び方やめてもらえないかなぁ。まだ先生になってないし……両手の着く位置と初めの踏み込み足が一直線上にくるように、着く位置が等間隔になるようにやってみて」

「よっと、せんせーできた!」

「おーできたやん!真由ちゃんはしばらく反復練習ね。次はなっちゃんやってみようか」


 さすがに体育の先生を目指している彼の指導はわかりやすくて、2時間の練習でマット運動への不安はなくなった。あとは自分たちで練習すれば完璧だ。

「ありがとうございました!」

「ほーい、おつかれさま〜」

 彼は私たちのお礼のジュースを片手に去っていった。

 ピックルが好き……と。


 

 真由も私と同じ方向の電車に乗る。4年生になってからはあまり一緒に帰ることはなく、今日は久しぶりに一緒に帰った。

「ねえ、せんせー良い人だったでしょ?」

「うん、良い人だね……」

「あー、また人見知りしてたでしょ。連絡先聞いた?」

「え、聞いてないよ」

「やっぱりね。LINE教えてあげるからお礼言っといてね!じゃあ」

「ちょっと!もう…」

 真由にはこういうところがある。まだ好きとかじゃないのに、くっつけようとしてくる癖がある。まだ……だけど。






『今日、マット運動を教えていただいた河上奈月です。お忙しいところありがとうございました』

 LINE送るのに緊張したのは久しぶりの感覚だった。

 でもその日のうちに返信はなかった。

『わざわざありがとうございます。試験がんばってくださいね』

 返信があったのは翌日の早朝だった。

『ありがとうございます。がんばります』

 話が続けられない。それに返信が遅いのは興味なしってことかな。悶々と考えることになってしまった。勉強に集中したいのに。

 今日は昼まで家で悶々として、午後は集団討論の対策講座に参加するために大学に向かった。

 少し良い気分なのは、彼の名前がやっとわかったからだ。

 LINEのアカウントがフルネームで登録されていて、『神谷仁』って。読み方は多分あってる。


「ちゃんと連絡した?」

 頬杖をついて、にやにやしている真由が目の前にいる。

「したよ…したけど……」

 私は真由に神谷さんとのやりとりを説明した。

「単に忙しいんじゃないの。大学院生って大変そうだし、私が連絡したときも返信遅かったなあ」

 真由は期待していた展開ではなかったらしく、少しつまらなさそうな様子で、運ばれてきたカフェラテを啜っている。

「そうかなあ…」

「まあ、まだ神谷さんのこと何も知らないんだし、色々聞いてみればいいやん。彼女はいないらしいけど」

「何で彼女いないの知ってるの?聞いたの?」

 真由のにやにや度が最大に達したのを感じた。

「知りたい?なっちゃん、もう好きってこと認めてるよね?ふふふ」

 しまった……いつのまにか真由のペースに乗せられて仕舞っている。頬が熱い。自分でも顔が赤くなっているのがわかる。

「さらっと聞いたの。大学院生って大学から直接上がってくるわけじゃないから、おいくつですか、ご結婚されてますかって、そしたら、まだ23歳で結婚してないって言ったから、もうすぐですかって聞いたら、彼女もいないって」

 さすが聞き出すのが上手い。探偵とか向いてそう。

「それで1つ歳上って知ってたんだ」

「そうそう。まあ、試験終わったら本格始動ってことで帰るか」

「本格始動って何がよ!」

 真由は冷めたカフェラテを一気に流し込んで、席を立った。

「まあ、まずは飲み会だな。試験おつかれさま会。神谷先輩も試験受けるらしいからね」

 話がどんどん進んでいく。これが真由の凄いところ。行動力があって、いつも自信のない私からすると羨ましくもあり、尊敬できる格好いい親友。




 10月半ば。採用試験の結果、私は合格し、晴れて先生になることに決まった。

 彼は、たぶんダメだったのだろう。大学で合うことも連絡もなくなってしまった。

 私から聞くのは、難しくって。でも、凄く気になっていた。

 大学4年生は、あまり講義はなく、ゼミで論文を書く毎日だった。

 たまたま、ゼミの教授から頼まれごとで、院生室に入ったとき、他の院生の方に、彼の動向を聞いた。

 真夜中に少し来るくらいで、ほとんど大学に来ず、ボランティアで地域の適応指導教室にいるか、家で修論を書いているか、だと言う。



 私の卒論発表の日。院生も出席し、質問や意見を言ってくれる。大会議室の後方に院生が勢揃いしていて、物凄い圧迫感だった。

 でも、私は違う感情を抱いていた。

 少し痩せて、疲れ果てた表情で、抄録を読んでいる彼を見つけたからだ。

 自分のことより、彼のことが気になっていた。

 このとき、卒業式のときに、想いを伝えようと決意した。




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