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第7章  大人のフェアリー・テール

早いもので、森に来て15年。

 ソフィは33歳になった。

 弟、デュールが皇帝に即位し、安寧を目指した時代が始まって、10年の時が過ぎようとしていた。

 もう、国の基盤が揺らぐ心配もないだろう。

 ソフィは、心の閊えが取れて嬉しいながらも、時折、憂いを隠せずにいた。


 ある晩のこと、ソフィは、思い切ってヘリィの部屋を訪ねた。

「どうしたんだい?こんな時間に珍しい」

「この頃、ずっと感じていたことがあったの」

「さ、中に入って」


 ソフィを招き入れると使い魔たちが即座に現れ、ソフィが好きなジャスミン茶を準備する。

「ソフィ。なんだか、顔色が優れ無いようだ。具合が悪いのかい?それとも悩み事?」

 一度背伸びしたソフィは、勇気を振り絞ったように、話し出した。

「ね、ヘリィ。あたしが此処に来て、何年になるかしら」

「15年。キミが来た日のことは忘れない」

「私も忘れないわ。あの日のことは。凄く緊張していて。まだ皇女言葉で、そなた、なんてね。今じゃ可笑しくって。申してみよ、なんて、考えられないわ」

 ソフィは思い出したように笑った。


 そんな楽しかった過去を振り返り、また、現実に引き戻されたのだろう。真顔に戻り、姿勢も正しくソファに腰掛けるソフィ。

「今日は、大事なことを話しに来たの」

「なんだい?」

「あたしたちの契約は、もう終了したと見做してもらえるのかしら」

「契約か、確かにそうだね。僕はもう、15年もキミを傍に置き続けた。奴隷などという言葉で卑しめたかもしれない」

「卑しめられてなどいないわ。いつも、いつも助けてもらって、優しくしてもらった。毎日が、とても楽しかった。鳥になった気分だったのよ」

「鳥、か」


「ね、ヘリィ。あたし、対価を総て支払いたいの」

「突然どうしたの?城に戻るのかい?」

「城には戻らないわ」

「それなら、どうして総ての対価だなんて」

「貴方の奴隷が、対価の総てではなかったはずでしょう。貴方、ダークマスターに釣り合う対価って言ったわ。あたしは何回も儀式を受けた」

「ああ、言った」

「大叔父ドラヌルの仇討ち、そして、デュールが即位し落ち着くまで」

「ああ、そういったかもしれない」

「ヘリィ。その契約が終了したのなら、あたしはもう、最後の対価を支払いたい。そして何もかも、終わりにしたいの」


「最後の対価?何もかも終わり?」

 正直、ヘリィには、ソフィの言葉の意味が解らなかった。

 今迄、悪事の限りを尽くし相手の深層心理やこれから起こることまで見えていたヘリィには、無かったことだ。

 そう。ソフィの一挙手一投足、15年間も一挙一動を観察しているのに、ヘリィにはその心裏が読めないのである。

 他の人間相手なら、そんなことはない。だから、自分の魔力が弱まったわけではないらしい。一体なぜなのか、ヘリィ自身にも分からなかった。


 知っていたのは、使い魔たちの方だった。

「ヘリィ様とソフィ様は、相思相愛だもんね。愛しすぎて相手の心が分かんないのさ」


 自分の気持ちにさえ気付かないヘリィは、本気で最後の対価の意味を聞くのだった。

「ソフィ。キミの言っていることが解らない。最後の対価って何のことだ」

「あたしの心臓を差し出すわ」

 それは、ヘリィには、考えも付かない返事だった。最初からソフィの心臓には手を付けてもいないし、食らう気も全くない。

「キミの心臓には手を付けていないよ!食らう気もない!」

「使い魔のみんなに聞いた。でももう、いいの。あたしの心臓を差し出すから、使い魔さんたちの活力の源にして」

 ヘリィはソフィの言葉をひとつたりとも理解できずにいた。

「じゃあ、何もかも終わりってどういうことだ?今の生活が嫌になったのかい?」

「ううん。とても楽しい。楽しすぎて、怖いの」

「怖い?何が?」

「ねえ、気付いてる?ヘリィ。貴方は初めて会った時のまま、類稀なる美貌と嫋やかな仕草は少しも変わらないわ。魔力すらも全然衰えることが無い。不老不死ですものね」

「ああ。そうかもしれない」

「でもあたしは、魔女とはいえ人間。年を取れば総てが衰えていくわ。心は変わらないつもりでも、身体の老いは確実に進んでいる。老いた自分を、貴方に見せたくないの。魔女になるため此処に来る、若い女性と貴方のダークマスターに嫉妬する自分が、惨めで嫌なのよ」

 今にも雨が落ちてきそうな暗い雲。空を見上げながら、ヘリィは呟いた。

「ソフィ。少しだけ、僕に考える時間をくれないか」

 ソフィの眼から、また、涙が一滴、頬を伝ってドレスを濡らした。


 老いから逃れるため、若い姿を要求するダークマスターを望む魔女たちは多かった。それでも対価を払える者は殆どいない。

 最初に心臓を握られたのだから、それ以上の対価をどうして準備できようか。例えどうにかして対価を準備したとしても、人間の老いをそっくりそのまま止めてしまえるほどの対価など、この世に存在するわけもない。


 ソフィは、怖いけれど、心臓を差し出し、『考えることそのもの』を放棄したかった。

 それが無理なら、この森を出て、どこかでひっそりと暮らし、ヘリィの行うダークマスターから遠ざかり、これまでの思い出を大事に心に仕舞っておければ、それで十分だった。

 この屋敷を出れば、老いることが怖くなくなると。

 ダークマスターに嫉妬する自分が居なくなると。


 皇女出身たるがゆえに、自分に向けられる偽の恋心に晒されてきたからなのか。

 ヘリィの言葉や仕草を、本心と思いたくても信じることが難しかったのか。

 いいえ、違う。

 あたしは、自分のことしか大事にしない我儘な皇女そのものなのだ。

 若い娘にヘリィの気持ちが動き、裏切られることを、心の中で一番恐れているのだ。

 ヘリィの気持ちが、いつまでも自分にあってほしいのだ。

 だから、離れれば裏切りを感じずとも済むだろうという、ヘリィの気持ちを無視した、ある意味では身勝手な行いを平気で行おうとしているのだ。


 あたしは、なんて浅ましい人間なのだろう。

 やはり、心臓を差し出すのが一番いいのかもしれない。

 ヘリィも、やがてあたしのことなど忘れるだろう。

 そう、ヘリィの生きた年数からすれば、この15年などあっという間。ヘリィだって、すぐに忘れてしまうはず。

 自分勝手で申し訳ないけれど、あたしは、自分が自分として行動していられる間に、ヘリィの前から消えたい。

 自分を見失って浅ましい行為に走ることだけは、皇女としてのプライドが許さない。

 だから、早く、早く答えが欲しい。

 このままでは、見かけばかりか、心まで醜くなってしまう。

 そうならないうちに、早く、早く。


 1週間後、夕餉の後だった。ヘリィに呼ばれ、ソフィは彼の部屋に入った。

 使い魔たちは、今日はハーブティを準備する。

「キミの申し出を受けよう。契約を終了させることにした」

「願いを聞いてくれてありがとう。今、ここで?」

「いや。終了の前に、キミに魔女として行ってほしい最後の儀式がある」

「あたしが?何をすればいいの?」


 ヘリィは、ソフィの前に進むと、跪いてその右手に口づけした。

「女神ダイアーナに願いを届けてほしい。ソフィ、僕の子を身籠ってくれないか」

「そんなことが許されるの?」

「ああ、ダイアーナとは旧知の仲だ。まあ、僕を嫌っているけど」

「どうして急に、そんなことを考えたの?」

「キミと最後の線を越えたい。そして、その子に魔王の座を譲りたいから」

「本当に貴方の子を宿せるの?」

「願いを聞き届けてもらう。僕は永く生きた。けれど、もう十分だ。永遠の眠りに就く」


 途端にソフィは座り込んで、涙を眼に溜めた。大きな瞳から零れ落ちるその雫は、ぽろぽろと床に弾け飛んだ。

「そんなこと言わないで。永遠の眠りだなんて」

「ソフィ、キミと一緒に眠りたい。ただ、それだけだよ」

「あたしを追放すれば済む話でしょう。あたしだって老いた自分を見せなくて済むわ」

「それじゃ駄目なんだよ。キミを手放したくないんだ。だからこそ、子供が欲しい」

 涙するソフィを抱きしめながら、子供を宿して欲しいと懇願するヘリィに、ソフィは頷いた。

「ありがとう。本当に、最後の思い出ね。とっても嬉しい」


 魔女の儀式に基づいて、月の女神ダイアーナに謁見したソフィ。ヘルサタン2世と自分からの願いを申し述べる機会が与えられた。

「わたくし、ミステリアス・フォレストにおります魔女、ソフィヌベールにございます」

「そなた、確か、皇女の身であったな」

「はい、大叔父に騙されクーデターに巻き込まれました。その際、無念の死を遂げた父母の弔いのため、こうして魔女となったのでございます」

「ふむ。ヘルサタン2世が施した儀式と聞いた。ありったけの呪文を施したものだな」

「は?」

「いや、気にするな。独り言だ。それで、そなたの願いとは、如何なるものか、述べてみるがよい」


 緊張しながら、ソフィは頭を垂れたまま、願いを口にした。

「ヘルサタン2世さまと、わたくしの子供を授かりたく、御前に参上した次第にございます」

「なるほど。ヘルサタン2世も、とうとう年貢の納め時、というわけか」

 ソフィは意味が解らず、返事が出来ないでいた。

 それを見た周囲は、ヘルサタン2世の本心を知り、にこやかに微笑んでいた。暫く一緒に微笑んでいた女神ダイアーナは、ソフィを見て、こう告げた。

「皇女ともなると、民の使う言葉がわからぬか」

「じ、実はどういった意味か、わかりかねております」

「年貢の納め時とは、滞納した税を清算することに掛けて、女癖の悪かったヘルサタン2世が遂に一人の女性に惚れぬいて、遂には子供を儲けようという気持ちになった、ということの例えなのさ。ヘルサタン2世に伝えておいてくれ。よく決断した、と」

「は、はい」

 顔を真っ赤にしながら頭を垂れ、頷くソフィ。


「ヘルサタン2世とそなたの願い、確かに聞き届けた。次の新月が夜、心と肉叢を共にするがよい」


 新月の夜、ヘルサタンは月の登らない夜を惜しむかのように、自分の部屋にソフィを招き入れ、2人は互いの心と肉体を一晩中結びつけた。互いに狂おしいまでの思いを秘めて、時間の許す限り心と身体を貪り合い、遂に最後の一線を越えた。


そして、女神ダイアーナの預言どおり、ソフィはヘリィの子を宿した。

「ヘリィ。赤ちゃんが出来たみたい」

「本当?僕とソフィの赤ちゃんが出来たのかい?」

 赤子の父親となることが人間も悪魔も変わらないのか、それはソフィには分からない。

 冷徹非道な魔王とまで呼ばれたヘルサタン2世がこんなに喜んでいると知ったら、世界中の悪魔たちが腹の底から笑うか、恐れ戦くかのどちらかであろう。

 

 使い魔たちから、出産に関する説明があった。人間の出産と若干違うのだという。

 悪魔の子は生まれたとき、人間の赤ん坊と違い悪魔の姿をしている。魔力が通常レベルの悪魔を凌駕する場合のみ、人間の姿で産まれるのだという。通常は次第に魔力を蓄え人間の姿になるそうだ。

 ああ、だからミカエリスは人間と悪魔の両方になったけど、人間だけではいられなかったのか、とソフィは納得した。

「ヘリィさまは、産まれたときからあのお顔です」

 赤ちゃんらしくないな、と皆で大笑いする。


 白魔女や使い魔たちが産婆と医者の役目を担ってくれるのだが、白魔女たちは流石に驚きを隠せない表情だった。そのまま、使い魔たちが説明する。

「人間の子供は約1年を掛けて歩く程度の知能や運動能力を会得しますが、魔王様の場合、全く違います。半年ほどで人間の15歳くらいの知能を有し、身体の成長も同程度となります。生まれてから1年ほど魔王としての教育をお受けになり、二十歳過ぎくらいのご容姿と能力を有されるのです。ですから、それまでの間、ソフィ様には心穏やかに、安らかにお過ごしいただくのが一番でございます。色々なことがあっても、赤ん坊を第一にお考えください。我々経験はありませんが、赤ん坊がお腹の中で動いた時は、それは、それは、幸せをお感じになるということでございました。お尋ね事は、我々使い魔や、場合によっては皇帝陛下のお力もお借り出来ましょう。ソフィさま。ご自分が楽に居られる方法をご相談くださいませ」


 その間にも、ダークマスターの儀式を受けるため何人かの若い女性が現れたのは確かだった。 

 ソフィは、なるべく自身の部屋にも結界を強めに張り、お腹の赤ちゃんと過ごしていた。

 嫉妬の感情、哀しみの感情を全く感じないと言えば嘘になるが、お腹の子供に色々と語りかけることで、ソフィは別の幸せを感じることが出来た。

 ダークマスターの時間は、以前より短くなっていたようだった。使い魔たちは手抜きだと噂し合う。

 ダークマスターの臭いを消すと、いつもヘリィはソフィの寝室に飛んできた。

 儀式の無い日は、朝から晩まで一緒に過ごした。


 胎動を感じると、ますます幸福感に浸ることが出来た。

「あ!今お腹を蹴ったわ!」

 ヘリィは、自分が胎動を感じないと言っては、ソフィを困らせる。

「僕にはわからない。ソフィにだけわかるなんて、ずるいよ」

「そんなこといっても、ねぇ。じゃあ、動いたら触らせてあげる」

 胎動を感じたとき、ヘリィにもお腹を触らせた。元気がいい。

「本当だ!あ、また蹴った!グルグル回ってる!」

 ヘリィも言葉で言い表せないと言いながら喜んでくれた。その目に、涙が光ったように見えたのは勘違いだったのだろうか。

 お腹の子は順調に育ち、やがて出産を迎え、ソフィは無事に男の子を産んだ。

 産まれた格好は、悪魔ではなく、人間の男の子だった。当初から通常の能力を秀逸していることを物語っていた。


 早速、月の女神ダイアーナの下へ馳せ参じ、恭しく跪き報告する。

「ありがたき幸せに存じます。このたび、無事に男子を出産するに至りました」

「ご苦労であった」

 ダイアーナもにこやかだった。

「何百年と生きるヘルサタンを見てきたが、このような願いを申し出たのは初めてだ」

「は、はい」

「この子が将来の魔王であろう。名付けをしたい。よいか?」

「重ね重ね、ありがたき幸せに存じます」

「そうだな、ルシフェル。ルシフェルといたそう。魔王となる際には、ヘルサタンから直々に魔王としての称号が授与されよう」

「女神さま直々の命名、恐悦至極に存じます」

「ヘルサタンにもよろしく伝えて欲しい。親バカになるな、とな」

「はい」

 思わずソフィにも笑みが零れた。


 月の女神ダイアーナから直々に授けられた名は「ルシフェル」

 ルシフェルは、通常の成長を超越する速さで、瞬く間に成人男性の姿になった。

 髪の色はヘリィと同じシルバー。茶色と黒のラインが混じっている。切れ長の瞳とまつ毛の長さもヘリィに似た。目の色はソフィと同じティンバーブラウン。顔色はヘリィよりも、やや白かった。鼻筋も通った端整な顔立ちはヘリィに、高貴な品性と聡明な眼差し、右口元の笑窪はソフィに似ていた。

 両親の良い部分を兼ね備え、本当に見目麗しき魔王たる体貌と品格を備えていた。



 その間、ヘリィから魔王教育を施された。

 驚異的な速さで瞬時に様々なスキルを会得していくと言う。

「皇女さまの卓越した頭脳のお蔭だ。とても筋が良い」

「あ、ダイアーナさまが言っていたわ。親バカになるな、って」

「そうかい?僕は一度もお世辞など言った試しはないよ。正直が僕の信条だって、キミもわかっているだろ?」

「ふふっ。それはそうね。ルシィの成長には、目を見張るものがあるわ」

「そろそろ、その時がきたようだ」

 ふっ、と笑って、教書を重ねた机の前に座っていたヘリィは、窓の外を眺めた。


 次の日。

 ソフィが、使い魔たちとともに、お菓子を焼いたと言って午後の茶会を開いた。

 ヘリィやルシィ、使い魔たち。皆で茶とお菓子を囲んだ。

「城にいた頃焼いたお菓子なの。懐かしい。家族のために焼けるとは思っても見なかった」

「美味しいです、母上」

「僕も初めて食べたよ。本当に上手だったんだね」

「ヘリィ?人を見境なく疑ってはダメよ?料理が苦手なのは変わらないけど、ね」

 皆で笑った。ヘリィとソフィの目には涙が光っていた。使い魔たちも、涙を隠した。

 

 とある、新月の晩だった。

 ヘルサタン2世が、ルシフェルを書斎に呼んだ。使い魔たちやソフィも同席した。

「はい、父上」

「入るがよい、ルシフェル。これからそなたに、称号を与える」

そこでルシフェルは、魔王の称号を授かった。

「ルシフェルよ。そなたに魔王の称号を譲位する。これからはルシフェル1世と名乗るがよい。私は直に眠りに就くゆえ、魔界を統べる者として、日々研鑽を怠らぬようにせよ」

「先王ヘルサタン2世。眠りに就かれる貴方様の御心を乱すことなく、この座に相応しき存在となれるよう精進いたします」


 ルシフェル1世に、魔王の座を含め総てを譲る儀式を終え、親子が離れるときが来た。


 使い魔たちを伴い、ヘリィはソフィとともに屋敷を出た。ルシフェル1世は、玄関先で両親を見送り、馬車が見えなくなるまでその場に立ち、礼節を弁えた。

 数十分後、ヘリィは、森の中にソフィを誘い(いざない)、小さな館の前に馬車を止め、降り立った。館には結界を施してある。

 窓から、真新しいベッドが準備された部屋が見えた。


 使い魔たちが恭しく敬礼する。

「ヘリィさま、とうとう、永遠の眠りに就かれるのですね」

「ああ。これまで良く働いてくれた、礼を言う」

「勿体無きお言葉にございます」

「ソフィさま。これからも、どうかヘリィさまをよろしくお支えくださいませ」

「貴方たちも今迄本当にありがとう。これからは、ルシフェルをお願いね」

「かしこまりました」

 使い魔たちは涙を堪えながら館から去った。


 屋敷に戻り、ルシフェル1世に報告した使い魔たち。

「ヘルサタン2世さま及びソフィヌベール皇女より、ルシフェル1世さまのお世話を仰せつかりました。不束者ではございますが、どうぞよろしくお願いいたします」

「僕のことはルシィで構わない。先王も母君もそうだったのだろう?」

「あ、はい。ですが」

「皆、とても働き者で心優しいと聞いている。僕はまだ若輩者だ。俗世のことを、これから色々と教えてはくれないか」

「勿体無きお言葉にございます」


 ルシフェル1世は、先王と母が眠りに就く館を、誰からも見えないよう呪文で包んだ。


 その頃、小さな館の中では。

 ヘリィがソフィをその腕に抱き、ベッドルームへとゆっくり進んでいた。

「ソフィ?怖くはない?」

「貴方と一緒だもの」

「僕も、キミと一緒で嬉しい」


『シェール』 

 呪文でベッドルームを開け、ソフィをベッドに横たわらせ、自らは脇に置いてある椅子に腰かけた。


「じゃあ、これから、一緒に眠りに就こう」

「ヘリィ。本当にいいの?あたしは老いる自分を貴方に見せたくないからだけど」

「キミのいない世界で生きるくらいなら、僕は眠りを選ぶ。一緒ならどこでも構わない」

「もっと美人がでてくるかもしれないのに?」


 ヘリィは、哀しそうな顔をした。

「僕にはもう、キミが手放せない。キミなしの生活も考えられないし、一時も耐えられない。でも、キミは自分の老いを気にし始めた。両方を解消するには、キミには酷いことかもしれないけれど、魔王を辞して、一緒に永久の眠りに就くこと、それしか考え付かなかった」

「ヘリィ。あたしのために魔王の座を辞したの?ルシィに譲ったのはそのためだったの?」

「ああ、そうだよ。キミに、僕の子を産んでもらえて幸せだった」

「貴方の子供がお腹にいるときの幸福感は、言葉では言い表せないくらいだったわ」

「あの子なら、立派に役目を果たすだろう。キミに似てしまったから、僕より男前なのが残念と言えば残念かな」

「柔らかい物腰や、状況の判断力は貴方にそっくりよ。頭の回転も良いし、立派な魔王になるわ」

「目の辺りとか一瞬で人を惹き付ける身のこなしは、ソフィそっくりだ。血は争えないね」


 ヘリィが、ベッドに移ってきて、ソフィの髪を撫でる。

「若い娘なんかより、今でも君が一番綺麗なのに」

「そういって貰えるのは嬉しいけど、老いは避けられない事実だもの。若い娘さんたちと貴方のダークマスターに嫉妬する自分は、この上なく嫌いだったわ」

「もう、儀式を行う必要もない。キミだけを想いながら黄泉の国で共に居られる」

「あたしの我儘を許してね、ヘリィ」

「僕こそ、我儘な悪魔と思って許してくれ」


 唇を何度も重ね合い、お互いを見つめあう二人。

 そして、最後の抱擁を交わした。

 黄泉に渡る準備をする。


 ヘリィはソフィと共に、お互いの左手の薬指を鎖の付いた指輪で繋ぎ、互いにその手を握り締めた。最後にヘリィ自身も一緒にベッドに横たわった。

『ヘルエス』

 そう呪文を囁きながらソフィに口づけした。


 ソフィは苦しみも無く、眠るように黄泉へと召された。

 時を同じくして、ヘリィもまた、眠りにつき黄泉へと飛んだ。

 黄泉の世界で、二人は一緒になれたのだろうか。薬指の指輪に記された呪文には、『黄泉に於いても常に共にあることを誓う』と刻まれていた。


 その時刻、ルシフェル1世は父母の写真を前に、涙とともに一礼を奉げたという。


 ヘルサタン2世の後継として、ルシフェル1世が魔界の魔王となった旨の噂が、使い魔や白魔女たちを通して一斉に城下に広まるとともに、城下で密やかに囁かれるようになった話があった。


 何百年の間、魔王としてその座に君臨しながら、たった一人の人間の女性を愛し、その命を食らうことなく、愛を貫き、自らも永遠の眠りを選んだという魔王ヘルサタン2世と、その寵愛を一身に受けたソフィヌベール皇女の恋は、後世に語り継がれるフェアリーテールとなった。


 内々に、デュビエーヌ皇帝陛下に届けられた姉君ソフィからの最初で最後の手紙。

 陛下の身体を気遣い、臣下を気遣い、民を気遣い、白魔女たち総てを気遣って欲しい旨の信書を前に、皇帝陛下は人目も憚らず涙したという。


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