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第4章  堕天使の誘惑

ミステリアス・フォレストに逃げ込んだばかりの頃、デュビエーヌ皇子はまだ13歳だった。

 スヴェル皇帝陛下とジェンヌ皇后陛下が相次いで自決され、その後、姉のソフィヌベール皇女に手を引かれ、何人かの従者たちとこの森に迷い込んだのは覚えている。


 そして、翌日突然、居場所を移すと宣告された。

 もう、ソフィ姉上の言っていた大叔父ドラヌル公爵に拿捕されたのだと、項垂れた記憶がある。ソフィ姉上を探したが姉上はおらず、自分だけが処刑台に上がるのかと、少年ながらに心に筋を通した。

 その後も処刑台にあがるような気配はない。大叔父ドラヌル公爵の手先に見つかった様子も見受けられない。

 今は、従者の者と何名かの者たちが、自分に武芸の道と、王たる者の進むべき道を説いてくれている。


 早いもので、あれから、5年の月日が経とうとしていた。

 デュビエーヌ皇子は、武術を磨きながら18歳になった。

 その心配の種は、一緒に逃げてきたソフィ姉上だけだった。

 5年前のあの日、従者が口走るのが聞こえた。

「悪魔と取引されるそうだ」

 その言葉が、未だに頭から離れない。

 悪魔との取引と言えば、心臓に手を入れられ、目的を果たした暁には、その動く部分を鷲づかみにされるとも聞く。


 暫く会っていないからこそ、ソフィ姉上に逢いたいと思った。森で世話になり始めた者たちに、聞いた。

「5年前にこの森に迷い込んだ皇女様の話を聞いたことがないか?」

「いいえ、ありませんよ」

「では、5年前に悪魔と取引した若い女性がいたという話は?」

「若い女性が魔女になりたいってのは日常茶飯事ですよ。何がそんなに恨みなのやら」

「そうか。もしもソフィという女性、いや、魔女がいたら知らせて欲しい」

「森を出ることがあったら聞いてみましょう。さ、訓練の時間です」

 武術を教えているのも、王たる道理を教えているのも使い魔たちだ。武術はまだしも、王たる道理など使い魔に解るはずもない。

 ヘリィに泣きつき、道理一式を喉に詰め込まれたという次第だ。

 余計なことを口走らない術も仕込まれていた。


 そんなある日のこと。

 いつものように訓練を終え、デュビエーヌ皇子が小屋に戻ろうとした矢先のことだ。

 

 デュビエーヌ皇子は、ある視線に気が付いた。

 違う方向からの2つの視線。

 すっと周囲を見回すが、人影は見えない。

 目を閉じ、神経を集中する。

 どちらも、今は敵意のある視線ではない。あるいは、魔法とやらで姿を隠しているのかもしれない。

 いずれ、従者以外は魔法も使える者たちだと聞く。心配は要らないだろう。


「片方は大丈夫。もう片方には、お気を付けて」

 黒い蛇が脇にいる。自分に話しかけたような気がした。通常なら忌み嫌うものと斬って捨てるところだが、リアリティな声だった。

「あ、そうか」

 もしかしたら、いつも自分を訓練してくれているのは、この黒蛇かもしれないと思った。

 何故かわからないが、そういう臭いというか、懐かしさというか、そういった優しさを心に感じた。


 デュビエーヌ皇子は、敢えて小屋には戻らず、その場に佇んで想いに耽った。いや、現状を読み解こうと考えを巡らせたのである。

 下手に小屋に戻って、住家を知らせるのは危険な行為だと、頭より最初に身体が動いた。


「片方は安全、か」

 これは、魔王と呼ばれる森の主が許した人間が此処にいることを示している。この森は、魔王の許しなく入った人間は生きて出られないと、5年前、噂に聞いたのだから間違いない。

 であれば、魔王の許しを得た人間、あるいは人間の類い、ということになる。

 魔女も入るとすれば、姉上かもしれない。それともまだ、姉上は人間として、この森のどこかに自分のように匿われているかもしれない。

 いつか、近いうちに会えるような気がした。


「問題は、もう片方だな」

 気を付けなければいけないということは、敵とは限らないが味方とは言えない。そんな人間に森に出入りする許可を、魔王が与えるはずもなく。

 生きて出られない森の、こんな奥深くに居合わせる人間など、まず信じるに値しないだろう。

 魔女や悪魔ならどうか。

 自分には判断が付かない。


 しかし、魔王の使い魔たちなら、相手が敵か味方か判るだろうし、同じように魔王が判別するはずだ。魔王を振り切って来たのでない限り。

 魔王を振り切って来たのだとすれば、相当の手練れであることは間違いない。それでも今はまだ、悪意のある視線ではなかった。

 あとは、向こうから姿を現すだろう。今も両側からの視線を感じる。


 突然、デュビエーヌ皇子はお腹を抱えて座り込んだ。

 その時だった。

「まあ、どうしたのです?」

 姉上、ソフィヌベール皇女の声がした。

 デュビエーヌ皇子は顔を上げた。

 あの日別れたきり、一度もその御姿を拝見することの叶わなかったソフィヌベール姉上が、今、目の前にいらっしゃる。総てあの日のままに・・・。


 そう。

 総て、あの日のまま。

 ドレスの色艶だけが、新品のように輝いていた。


 立って、デュビエーヌ皇子は剣を抜いた。


「お前は誰だ。どうして私を惑わす」

「どうしたの?デュビエーヌ皇子。私よ、ソフィよ」

「猿芝居を止めろ。5年前と今で、見目形が同じなど、あり得ぬ。ましてや、お前は私がソフィ姉上に差し上げたアレを持っておらぬだろう」

「アレ?」

「そうだ、私だと思ってお持ちください、と手渡したではないか。ソフィ姉上なら、忘れるわけがない」

 姉上の格好をした相手は、無言だった。

「どうした。言い返す言葉もないか」

「デュビエーヌ皇子。そもそも、何も手渡してなどいないではありませぬか」

「おや、ソフィ姉上。お忘れになってしまわれたのですね」

「嘘はやめなさい。それより、朗報を持ってきたのですよ」

「朗報?」

「そうです。一緒に、この森を出ましょう。大叔父ドラヌルを暗殺する機会が来たのです」

「どうやって暗殺を?」

「森を抜けてから教えましょう」


 デュビエーヌ皇子が一歩、ソフィヌベール皇女に近づいた。

 そして、剣の矛先をソフィヌベール皇女の頬に向けた。

「な、何をするの?おやめなさい。私は貴方の姉ですよ?」

「そうだ、ソフィヌベール皇女は、私が尊敬する姉上。姉上の名を語る不届き者はどんな素顔かと思ってな」

「兎に角、剣を仕舞いなさい」

「ソフィ姉上。昔から姉上は、そのような戯言など言わなかったではありませんか。私が剣を持てば、いつも指南してくださった。暗殺方法だって、実行直前に聞いても意味がない、と常々仰っていたはず。ミッションは常にリスクを負うもの。リスクを最小限にする手立てを幾通りも考えてこそ、作戦の成功もあると。さ。どんな作戦です?」

「森を抜けてからでないと言えません」

「そうですか。では、お一人でどうぞ。私はまだ、ここでしなければならないことがありますから」

「姉に刃向うとは」

「ご冗談を。私は本当のソフィ姉上なら、刃向いたりなどいたしませぬ」


 もう片方の視線は、ヘルサタン2世だった。デュビエーヌ皇子は見知らぬ相手を凝視するあまり、ヘルサタン2世が姿を現したのに気が付いていなかった。

「ミカエリス、お前の負けだ。立ち去れ」

 ヘルサタン2世を見て、デュビエーヌ皇子は5年前を思い出した。あの日、屋敷で出迎えてくれた主人だ、と。


「おや、ヘルサタン。ソフィのときとは、だいぶ態度が違うわねえ」

 ドレス姿のソフィ姉上に化けた人物が、突然可笑しな話し方を始めたので、デュビエーヌ皇子は背中がゾクリとした。

「ソフィの時は嫉妬に狂った目をしていたのに、今日はやけにクールだこと」

「黙れ、姑息な悪党風情が」

「ねえ、ヘルサタン。どうしてデュビエーヌ皇子さまは、わたしが本物でないと分かったのかしら」


 ヘルサタン2世が答える。

「デュビエーヌ皇子殿は、成長され、なおかつ聡明さも増した。そういうことだ」

 デュビエーヌ皇子が会話に交じってきた。

「ドレスだ」

「ドレス?」

「此処に来たとき、ソフィ姉上のドレスは裾がボロボロになっていた。最高級の絹であるにも関わらず、艶も無くなっていた。それが5年の月日を経て、元通り以上に蘇るわけがなかろう」

 ヘルサタン2世は腹の底から大声で笑った。

「なるほど。言われてみれば、そうだな」

「だから、最後にお渡しした物、とカマを掛けたのだ。そちらには引っ掛からなかったようだが。人間なら大概は最後の品、で本性を表すものだからな」

 ヘリィもミカエリスも、たった13歳のデュビエーヌ皇子が、あの最大の危機に瀕しそこまで観察し、なおかつ記憶に留めていることに驚嘆した。

デュビエーヌ皇子も、姉に負けず劣らず、高貴で知性に溢れる若者に成長していた。


「兎に角、ミカエリス。お前がいると邪魔だ。消えろ」

「つれないこと、ヘルサタン」

「今度ソフィを誘惑したら、ただでは済まさないからな。覚悟しておけ」

「こやつ、ソフィ姉上を誘惑したと申すか?」

「デュビエーヌ皇子殿。これはミカエリスという堕天使にございます。先日も仇討の機会と偽ってソフィヌベール皇女さまを連れ去ろうとしたのです」

デュビエーヌ皇子の目が、鬼のようにギラギラと光る。ある意味、ヘルサタン2世のそれを超えている。

「ヘルサタン2世とやら。どうすれば、このミカエリスという堕天使を成敗できるのだ?」


「あら、本気モードみたい。じゃあ、この辺で」

 またもや、ミカエリスは風のように姿を晦ました。


「恐れ入ります、人の能力にして、あの堕天使を滅ぼすには無理があります故、わたくしにお任せを」

「そなたと契約すれば、滅ぼせると?」

「デュビエーヌ皇子殿は、この国を背負って立つ御身。決して、契約などという言葉をお使いになってはなりませぬ」

「魔王は、対価がないと動いてくれぬのだろう?」

「通常であれば。デュビエーヌ皇子さまだけは、別格でございます」


 デュビエーヌ皇子は、俯いたまま、微動だにせず低い声を発した。

「別格とは、ソフィ姉上がそなたと契約した対価、ということか?」

「はい」

「では、大叔父ドラヌル公爵を倒し、国を再興するというソフィ姉上と私の願いが成就した暁には、ソフィ姉上はどうなるのだ」

「我が屋敷にて、お住まいいただく予定にございます」

「心臓を食らうという専らの噂だが」

「ソフィヌベール皇女さまの心臓には、触れておりません」

「そうか」


 ヘルサタン2世は、姉を心配するあまり打ち震えているデュビエーヌ皇子に告げた。

「5年が経ち、デュビエーヌ皇子殿も成長されました。その間、国は乱れきっております。反感を持つ貴族や民衆も多い現状にございます。近いうちに、ソフィヌベール皇女さまをお連れいたしますので、作戦を練られるのがよろしいかと」

「リスクは最小限に。ソフィ姉上がいつも口にしていた言葉だ。ソフィ姉上に伝えてくれ。お待ちしております、と」


 3日後。

 黒いポプリンのドレスを着た妖艶な美女が、デュビエーヌ皇子達の小屋を訪れた。

 女性を見た瞬間、デュビエーヌ皇子は椅子から立ち上がった。

「姉上!」

「あら、5年経って見かけも変わったでしょうに、良く判ったわね」

「そのお優しい眼差しだけは、変わりません。よくぞご無事で」

「デュビエーヌ皇子。貴方も立派に成長したわ」

「此処で密かに鍛練を積むことができたからです」

「先日は、ミカエリスに会ったそうね」

「はい。あの不届き者を始末したかったのですが、ヘルサタン2世殿に止められました」

「ミカエリスも人間ではないから。私たちが目指す獲物はただ一つだもの」


「はい。城下の様子も酷いと聞きました」

「私もたまに城下へ行って、情報を仕入れたり貴族たちに会ったりしているの」

「大丈夫ですか?お顔が知れる、などということはありませんか?」

「大叔父への考え方を、事前に使い魔に探らせているから大丈夫よ。私兵を借りないといけないし」

「民はどうです?」

「地下組織の義勇兵は、かなり集まったわ。あと少しで、計画を実行に移せる」

「医事はどうなっておりますか?怪我人を手当てせねばなりませぬ」

「白魔女にお願いしようと思っているの。民の間では重宝しているそうよ」

「武器は?」

「周辺国からの密売品を買うしかないわ」

「結構なリスクを伴いますね」

「こちらに鍛冶屋がいないし、銃も手に入らないから。そこだけが相当なリスクになるわね。密売品ともなれば、結構な値段を吹っかけてきそうだし。ま、魔法で奪う手もあるから、最後はそこね」

「場内は貴族の私兵、城下は義勇兵に任せると仰せなのですね」

「ええ。私が先導する」

「最大のリスクは?」

「義勇兵は大丈夫だけれど、私兵ね。万が一の場合は、魔力を使ってでも貴族を裏切らせる」

「大叔父ドラヌル公爵周辺は如何です?」

「警戒は厳しいわ。大叔父ドラヌル公爵とあの能無し息子のドラヌスは、私に任せなさい。貴方は、城を目指してちょうだい。やっと会えたのですもの。ゆっくりと、慎重に計画を詰めていきましょう」



 濃厚なダークマスターから、時間が経過していた。

 ソフィは朝食のあと何処かへ出かけてしまい、夕餉まで戻らないことが増えた。

 第一義的な目的は、デュビエーヌ皇子と会い、大叔父ドラヌル公爵たち失脚への道筋をつける計画の詳細を練ることにあった。

 また、そのために魔法を再確認し最大出力で使えるよう、訓練し調整することでもあった。


 あくまでそれは表面的な理由であり、尤もらしい目的だったが、総てではなかった。

 再び、他の女性へのダークマスターが儀式部屋にて開始されたのである。


 ソフィが嫌がるなら止めるとまでヘリィは言ってくれたが、まさか止めて欲しいとは言えなかった。成功報酬=契約対価が必要だからこそ行っている儀式を、ソフィ個人の感情だけで狂わせるわけにはいかない。

 本音を言えば、もう、2度として欲しくない。止めて欲しい。

 それが言えたら、どんなに楽だっただろう。


 ヘリィは毎回、何も言わずに呪文を掛けてソフィを眠らせてくれた。それでも、ダークマスター直前になると、ソフィは必ず目が覚めてしまうのだった。

 ヘリィがダークマスター部屋の内外にかけているであろう強力な結界も、何故かソフィには効かなかった。相変わらず聞こえる、猥雑な声や淫らな叫び。

 ソフィは、その度ベッドの中で嗚咽を洩らしながら枕に顔を埋めた。魔法を使えば、ヘリィに気付かれてしまうから、ただただ、部屋の中で泣くしかなかった。

 先日の強力なダークマスターのお蔭で、さすがに魔法の効力は失われなかったが、哀しくて、苦しくて仕方がないのだった。


 泣いた日、ソフィは必ず夕餉をキャンセルした。

 ヘリィに、泣き腫らした顔を見られたくなかったから。

 ヘリィは心配し、そのたび部屋に来てくれた。入室もドア越しの話も拒んだ。泣いてしまいそうになるからだ。

 そんなことが4、5回ほど続いただろうか。


 ヘリィが去ってから、また泣いていると、使い魔の黒猫が来た。

「ソフィさま。こちらを」

 そういって、ソフィにシルクのハンカチを差し出した。

 初めて此処に来た時、ダークマスター前に夢を見て、涙を拭き取ったシルクのハンカチだった。

 あのあと、総て処分されたものとばかり思っていた。

「魔女として生きるのだから、総て処分すると言っていたわ」

 猫の使い魔は、ヘリィが全てそのままに保管していることを話した。

「いいえ、ソフィさま。何もかも綺麗な状態で保管されているのですよ」

「どうして?最後にはあたしの心臓を食らうのでしょう?それまでの奴隷生活なのでしょう?」

「ソフィさまだけは違うのです。特別なのですよ」

 使い魔の一人が、あの日のドレスを持ってやってきた。

 他にも使い魔たちが集まってきた。

 

「今迄此処に来た魔女たちは、漏れなく、その対価として心臓の半分をヘリィ様に掴まれています」

「それで?」

「己の野望を遂げた暁には、残りの心臓をヘリィ様が掴みとるのです。対価の支払いとは、イコール=死、を意味しております」

「私も同じなのでは?」

「いいえ、心臓を掴まれた人間は苦しいのです。だから、楽しそうに笑うことはありません」

「そうなの?」

「はい。機会があったらご覧ください。皆、陰気な笑いです」

「あたしは、いつも楽しかったわ。此処に来て、心の底から笑えたもの」


 黒猫の使い魔が、くるりと一回りした。

「そこですよ。ソフィ様には、本来の顔だけを見せていただいているのです」

「ヘリィが、そうしているの?」

「はい。心臓をいただくつもりもないのです。弟君の世になったら、姉君として政を行ってもらうのだと、ヘリィ様は仰っていました」

「だって、対価を支払わないと。釣り合う対価って。私はもう、何も持っていないわ」

「ヘリィ様は、最初から契約の対価、それこそ対等な対価などお求めではなかったのです。我々も口止めされておりますので、大きな声では言えませんが」

「何がどうなっているのかわからないわ。じゃあ、対価は何?契約成立しているわよね?」


 使い魔たちが、一斉にウィンクする。

「ソフィ様の笑顔だけが、ヘリィ様にとっては唯一無二の対価、契約の対価なのでございましょう。くれぐれも、内緒にしてくださいまし。クビにはなりたくありませぬ」


 ソフィは漸く泣き止み、ハンカチを握りしめた。

 ドレスをクローゼットに仕舞った。

 着るつもりはなかったが、初めてヘリィに会った日の思い出として残しておきたかった。何もかもが始まった、あの日を思い出せるように。

 己自身の考え方を、いくらかでも切り替えることを心掛けた。

 泣き暮らすことではなく、別の道を探すために。

 そして、弟の下にに行くことを思いついたのだった。ダークマスターがいつなのか、知らされることは無い。だから、毎日森を彷徨う。

 

ヘリィは、たびたび夕餉をキャンセルするソフィの身体をひどく心配していたが、ある日、ソフィの初日着ていたドレスが消えていることに気が付いた。

使い魔たちに聞く。

「お前達。ドレスは何処に消えた?」

「さ、さあ?」

「じゃあ、質問を変えよう。なぜドレスが消えた?」

「そ、それは」

「じゃあ、また違うことを聞こうか。ドレスは誰かが着るために消えたのか?」

「それはございません!」

 ガン!ガン!ガン!

 使い魔たちはヘリィに雁首を掴まれ、拳骨の刑に遭うのだった。


 使い魔たちに説教するヘリィ。

「どうしてソフィに渡した。城内を思い出したら悲しくなるかもしれないのに」

「ヘリィ様が余りに鈍感だからですよ」

「僕が?いつ鈍感になったというんだ」

「まったく。ソフィさまのことになると、からっきしダメなんだから」

「どうして僕がお前たちにダメ出しを食らう?」


 使い魔たちは、ヘリィをじーっと見る。

「なんだ」

「どうして最近ソフィさまが何度も夕餉をキャンセルされたかご存じで?」

「具合が悪かったんじゃないのか?だからお前たちが入っていたのだと思っていた」

「ヘリィ様の能力は衰えていないのに、どうしてお解りにならないんです?」

「心配だけど、僕とは話したくないようだし」

「ヘリィさま。鈍感にも程がありましょう」

「夕餉の前に、貴方様は一体、何処で誰と何をされていらしたと?」

「ソフィには呪文をかけた。眠っていたはずだ。儀式部屋にも内外から結界を張ったぞ」

「そう思い込んでいたのはヘリィ様だけですよ」

「実は、毎回始まる前からずっと起きていらしたんです。結界も無駄でした」

「それは本当か?」

「そうですよ!魔法を使えばヘリィ様に知れるからと、我慢なさっておられたのです」

「泣き腫らした顔で夕餉に出るなど、出来るわけもないでしょう」

「ドア越しの面会を拒絶されたのも、泣きそうになるからだと仰っていました」

「止めて欲しくとも、我儘を口にされないのがソフィさまですから」

「あ、でも魔力に影響はないということでしょう。森に行って鍛練なさるということでしたし、弟君の下にもいらっしゃるとのことでしたから」


 ヘリィは、椅子にガッタリと腰を下ろすと、頭を抱えた。

「ソフィ。僕はどうしたらいいんだ」


 使い魔たちが、キーキー騒ぐ。

「対価もろくにとってないのに、屋敷に一緒に住むこと自体、ソフィさまが可哀想ですよ」

「確かに。他者とのダークマスターを聞かされるのは、ソフィさまにとっては拷問だ」

「心臓を握られていない状態であれを聞かされたら、普通なら病んでしまいます」

「でなければ、ダークマスターの場所を移動するとか」

「無理だろ。何百年続いた部屋だ」

「じゃあやっぱり、心臓を対価にすることですね。そしたら大丈夫でしょう?」

「他の男に見向きもしないような呪文まで使ってるし」

「他の男に取られたくないくらいご執心なご自分に、お気づきなんですか?」

「弟君の小屋に移っていただけたら、一件落着するんじゃないか?男とはいえ、従者だし」

「いや、従者だろうが男には変わりない。弟君の居ないときに襲われたら・・・」

「ソフィ様の魔法が一枚も二枚も上手に決まっているだろう?」

「いっそ、城下に戻っていただくとか」

「白魔女の宿屋なら安全ですしね」

「いずれ、手放されるのが賢明な策かと。お二人のためにもなりましょう」

「此処に留めおくのは、ヘリィさまの我儘でしかないんですから」

「そうだ、そうだ。奴隷が対価なんて、端から真っ赤な嘘なんだし」


「五月蝿いっ!」

 怒鳴るヘリィに対し、普段は文句のひとつも言わない使い魔たち。

 しかし、この日だけは違っていた。

 使い魔たちは、決して許しを請わなかった。

「ヘリィ様のバカッ!僕たちも言い過ぎたけど、一番可哀想なのはソフィ様ですっ!」

 そういうと、一斉に姿を消した。


 夕餉の直前になると、ソフィは屋敷に戻ってきた。

 ヘリィは、ソフィの顔を直視できなかった。

「ただいま。ヘリィ」

「ああ、おかえり、ソフィ」

「夕餉はまだ?お腹空いちゃった」


 使い魔たちが、ストライキを起こしている可能性がある。行って準備してもらわねば。

「様子を見てくるよ」

 ヘリィの元気の無さに、何かあったとソフィは当たりを付けた。

「あたしも行くわ」

 腕を組み、一緒に進む。やはり、いつものような快活な足取りではない。

「おーい、みんなー。あたしよ。今日は特別お腹が空いたの。ご飯ちょうだい」

「はいっ!ソフィ様!」

「それから、あたしの部屋にジャスミン茶を2つ準備してもらえるかしら」

「かしこまりました!」


 虚ろな顔のヘリィを引きずって、自分の部屋に入ったソフィ。

 まず、ヘリィを椅子に座らせ顔と目を見て、気の抜けようを計る。

 かなり重症のようだ。

 次に、頬や耳、手といった部分に手を宛がう。冷たい。常から熱くはないが。

 ジャスミン茶が運ばれ、使い魔たちが去ってから、ソフィは、ヘリィの右手小指に赤い糸を巻き付けた。

 同じように、自分の指にも。


「なんだかわかる?ヘリィ」

「これは、なに?」

「運命の糸なんですって。結ばれるように、離れないようにって。どうして赤いのかは、分かんないけど、心臓の色なのかもね」

「この国で、そういう風習は聞いたことがないけど」

「異国の風習みたい。足を結ぶっていうのが元々の由来らしいの。歩けないわよねぇ」

 ソフィが、笑ってヘリィの頬にキスする。作り笑いだと知っていた。

 

 その顔を見た瞬間、ヘリィの自制心がほんの少し、崩れた。

 ヘリィがソフィの腕を引っ張り、肩を抱いた。

 そしてそのまま、上半身に手を移し首筋や耳たぶにヘリィの唇は移動していくのだった。

 右手は小指同士が結ばれたまま。

 左手で、左胸を支えながらネッキングを続ける。

 ドレスの裾に手を伸ばそうとして、ヘリィは突然我に返ったようだった。


「済まない、ソフィ」

「いいの。哀しくないって言えば嘘だけど、必要な儀式でしょうし、あたしも森を歩いたり町に行ったり、することがあるから」

「もう、ここで過ごすのは嫌かい?」

「いいえ、そんなことないわ」

「デュール皇子のところに行くのか?」

「あそこは無理ね。男臭すぎて。シャワー浴びる場所も無ければ、寝るとき雑魚寝なのよ」

「じゃあ、城下に?」

「今が一番大切な時だから。チャンスを逃したくないの。一発で仕留めてみせる」

「此処にいるのが辛くないか?」

「今の時間から朝までは、儀式もないもの」

「だから毎日、朝から晩まで出歩いていたのかい?」


「だから、ほら。運命の糸」

 言い終わらないうちに、ヘリィがソフィの唇を塞ぐ。

「許してくれ。儀式を止めても良いなんて嘘までついて。実際には止められないのに」

「あたしは奴隷だもの、仕方ないわ」

「奴隷か。もしかしたら奴隷なのは僕かもしれない。キミの魂は崇高すぎて」

「貴方のような魔王様が何をいうの?契約によってあたしは貴方の奴隷になった。行く場所も当てもなく、居候を願い出た。それが唯一の真実よ」

「でも、泣かせてばかりいる。悲しませてばかりいる。どうしたらいいのかわからない」

「今迄どおりで構わないのよ。貴方の生活に差し障る様なら、今度こそ暇乞いするから」

「暇乞いなんて二度と言わないでくれ。僕はもう、今の生活しか考えられないんだ。どうすれば維持できるのか、それしか考えていないんだよ」

「契約終了までは、居候させて。もう泣かないから」


 ソフィが笑う。ヘリィは、無理に作り笑いを浮かべるソフィが愛おしくてならなかった。

 無理に笑う顔を見る度、ヘリィの心の箍は、いとも容易く外れてしまうのだった。

 再びベッドに座らせ上半身に手を伸ばす。今度はドレスのボタンを外し、胸の間に顔を埋めた。右手は小指同士が結ばれたまま。左手で、今度は右の胸を支えながら首筋から胸にかけて愛撫を始まった。

 ドレスの裾側に手が伸びてきた。ドレスが捲れ上がり全体に手は伸びる。今迄我慢していた声が、つい出てしまうソフィだった。

 はっ、と自制の心が戻ったヘリィ。

 ドレスを元に戻し、ボタンを嵌めて、ソフィの髪を撫でる。


「日中はどうしてるの?」

「攻撃魔法と補助魔法を中心に勉強しているから。何が一番効果的か、考えているの」

「雨の日は?風の日は?」

「絶好の機会が訪れる日に、風ひとつない青蒼穹とは限らないでしょう?雨や嵐、あらゆる想定をしないと」

「身体が冷えてしまうよ」

「弟たちも同じ条件で訓練させるから。あとは、何かいい魔法ないかしらね?身体がすぐに渇いちゃう魔法」

「どうしてそんなに自分を追い込むんだい?」

「言ったじゃない、あらゆるリスクを回避するって。あら、言わなかった?」

「そんなに自分を苛めないでくれ、お願いだから」

「ヘリィ。今、あたし最終局面に差し掛かっていると思うの。絶対に失敗したくないのよ」


 ソフィが自分を極限まで追い込み、何も考えないように訓練しているのが痛いほどわかった。

 申し訳ない気持ちと、ソフィの手を離したくない、その狭間でヘリィの気持ちは揺れた。

 争いにヘリィ自身が身を投じるわけにはいかないが、何か少しでも役に立ちたかった。

「僕に出来ることがあるかい?」

「お願いしてもいい?」

「なんなりと」

「ミカエリスは邪魔だから、どっかに飛ばしておいてちょうだい」

 思わず、ヘリィも笑いに釣られた。

「任せてくれ。あいつにだけは邪魔させないから」

「もう一つお願いしてもいい?」

「ああ。なんだい」

「白魔女を集めて欲しいの」

「わかった。他には?」

「成功を祈ってちょうだい」

「うん、必ず成功するよ。僕が保証する」


 使い魔が、皆に知らせる。

「ヘリィさまがね、奴隷なのは僕かもしれない、だって!」

「ヒャー!本音がでたよー。ソフィさまは?」

「気付いてないみたい」

「なんで気付かないかな、お互いに、ねえ」

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