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第2章  ダークマスター

悪魔との契約儀式など、通常経験した者はいない。

 いたとしても、魔女となるための儀式だ。魔女は文字通り教会に追われ、捕まれば死罪になると聞く。そんな身に自分を追い込むのだ、儀式の詳細を大声で話す者など、国内でも国外でも、誰一人としていないだろう。

 

 ソフィヌベール皇女は、準備されたベッドに入っても、なかなか寝付けなかった。

 やはり、儀式が気になっていたのは確かだ。

 特に淫らとは感じなかったのが本音だが、今までにない経験をすることへの不安が全くないと言えば、嘘になる。

 ソフィヌベール皇女にとって、悪魔との契約は、政略結婚と同じ類でしかなかった。

 あくまで城内で聞いた噂だが、王女や貴族の令嬢の中には、政略結婚先で初めて会った夫となる人物に、一晩中甚振られた女性たちとか、辱めを受ける女性たちが大勢いると聞く。要は、夫となる人物の人徳によって、幸せの方向が決まるというわけだ。


 ダークマスターという儀式も、それと同じようなものに違いない。

 たぶん、きっと。

 ソフィヌベール皇女は、3日3晩というヘルサタン2世の言葉を聞きながら、怖さが半分あるだけだった。そして、不安が半分、というわけである。この『不安』は、決して楽観的な感情ではない。

 クーデターの起こる以前のことだ。まだ幸せに暮らしていた時代。

 悪魔の儀式の詳細の噂を、宮中にて聞いたことがある。

 何でも、魔女になるには悪魔との乱交が必要だというではないか。

 破廉恥極まりない言葉を耳にして、気絶しそうになったくらいだ。今だって、父上や母上の仇討ちという大義無くば、乱交などという下品極まりない行為など行いたくもない。このような卑しい言葉、口にもしたくないが、今の自分に残された道は、政略結婚にも似た、この行為を受け入れることだけだった。


 何故かと問われれば、今、自分は、先日18歳になったばかりだ。

 18歳なら、普通の王家や貴族たちの娘は、当の昔に政略結婚している年齢だ。悪魔に甚振られ、辱められるという行為だけなら、政略結婚と何ら変わりないではないか。

 父のスヴェル皇帝陛下がお許しくださったからこそ、ソフィヌベール皇女は今まで政略結婚から逃れることができた。


 大叔父ドラヌル公爵が自分の息子ドラヌスに、ソフィヌベール皇女周辺を執拗にうろ付かせて近づけていたのも、強引に政略結婚を進めるためだったと知っている。

 向こうの浅知恵にしてみれば、手籠めにしてしまえばこっちの物、だったのだろうが、生憎、皇女であるにも拘らず、ソフィヌベール皇女は武術に長けていた。いつも周囲の怪しげな者たちを退けていたのである。

 政略結婚による国の簒奪に失敗すると見るや否や、大叔父ドラヌル公爵はクーデターという手を使って、大嘘を城下に流し国の民を騙し、欺いた。

 父スヴェル皇帝陛下と母ジェンヌ皇后陛下は、二手に分かれ城内の反対側で自決した。

 子供たち、そう、ソフィヌベール皇女とデュビエーヌ皇子を逃がす時間を、少しでも長く作るために。

 本来なら、自決するにしても一緒の場所でこの世を去りたかっただろう。それすらも許されなかったのである。


 おのれ、大叔父ドラヌル公爵よ。

 私はお前を、絶対に許さない。

 お父様やお母様が味わった以上の、何倍もの苦しみを与え、お前を罰する。

 それまでは、どんなことでも厭わない。

 逆クーデターなど、夢の世界でしかないこともまた事実。味方もいないのに策を弄することなど、出来るわけもない。

 どれだけの人間が先帝のために、弟のために動いてくれるかなど、信用もならない。

 言葉ほど、文字ほど信用成らぬ物は、この世にないのだから。

 だからこそ、私はこの身を魔女に窶してでも、大叔父ドラヌル公爵とその息子ドラヌスに復讐してやることにしたのだ。


 そして。

 できることなら、デュビエーヌ皇子が即位し安寧の国に戻るのを見届けるとしよう。

 魔王との契約によれば、国が安泰するまでは死なせてはもらえず、奴隷として働かされるらしい。

 それもまた、一興。

 天と地ほども違う生活を味わうのが我が運命とあらば、それも受け入れねばなるまい。


 色々考えている間に、どうやら眠りに就いていたようだった。

 久しぶりにふかふかのベッドに入ったからか、朝の10時ごろになって、漸く起床したらしい。やはり、緊張と疲労の蓄積具合が半端ではなかったのだろう。

 それもさることながら、周囲の者たちが今後安全に暮らせると聞き、安堵した結果だったのかもしれない。


「お食事は如何なさいますか」

 使い魔が起こしに来た。

「あ、いや、特に」


 ソフィヌベール皇女は、起き上がって、準備された新品の黒い絹のドレスなどに着替えた。サイズがぴったりで驚いた。あの悪魔は女性のサイズを目視できるのか?と訝ったほどだ。

 ソフィヌベール皇女が廊下に出ようとした時だった。庭が騒がしくなった。と、庭に白い帽子の付いたローブを着た侍女たちが立っているのが見えた。

 侍女たちへの白魔女としての知恵伝授が終わったのだろう。彼女たちは、白ハトや白蛇、白猫といった使い魔を伴って、にこやかに、城下へ戻る道を歩き出したように感じられた。

 ソフィヌベール皇女は、部屋の中から、後姿を見守った。

 どうか、みんなどうか無事で。

 神に祈りを捧げた。


 そんなときだった。ヘルサタン2世が部屋に姿を見せた。

「よくお休みになられたようですね。何よりです」

「お気遣いに感謝する」

「ドレスもサイズはぴったりのようです、ようございました」

「そなたは女性のサイズまで目視できるのか?」

「まさか。そんな変態的趣味は持ち合わせておりませぬ。昨日着ていらしたドレスを採寸して作ったのです」

「私としたことが、失礼した。許してほしい。ところで、聞きたいのだが」

 侍女たちへの知恵伝授に礼を述べるとともに、素直に質問をぶつける。

「外にいるあの使い魔たちは、侍女、いや、白魔女たちと一緒に働いてくれるのか」

「はい、申し付けたことを忠実に実行いたしますので。白魔女の使い魔は多いのですよ」

 ソフィヌベール皇女は、心の底から安心した。


「デュール達も、もう此処を出たのか」

「はい、朝早くお出かけになりました。別の隠れ家にて、武術の鍛練と、民の王としての道をお教えいたします」

「其処まで説いていただけるのか」

「何百年と生きたわたくしでございます。様々な佳き王、悪しき王を見てまいりました。佳き王になられるには、民の心を知ることでございますから」

「ありがたい。それも心配だったのだ。誰に任せたらいいものかわからなくて」

「わたくしのような悪魔でも宜しければ、お任せください」

「民の心情を教え乞うことができるなら、礼を申すまでのこと。本当にありがとう」

 本来、悪魔である魔王が民の心など、皇帝や王としての君主の道など解ろうはずもない。それでも、何百年と生きた経験は色々な歴史を見たことだろう。民の苦しみを見たことだろう。礼儀作法など、その前にあっては益体もない。まず記憶に留めるべきことを留めるのが王の道であろう。それが、ソフィヌベール皇女の哲学でもあった。

 これで、弟デュビエーヌ皇子のことも安心して任せられる道筋が付いた。


 ソフィヌベール皇女は、魔王と呼ばれるこの人物を、なぜここまで信用するのか、自分でも不思議だった。信用という文字は、皇女の辞書には無かったから。いつ裏切るかわからない、という言葉が存在するのみだったから。

 しかし、対価、成功報酬、取引と言った生々しい話が前提にあるからこそ、ヘルサタン2世に対する嫌悪感も無く、逆に信用の2文字を寄せたのかもしれない。


 ヘルサタン2世が、優しい声色で話しかける。

「いくらか安心されたようですね。それでは、午後1時から、わたくしとソフィヌベール皇女殿下の儀式を執り行います。時間まで、向かいのお部屋でお休みいただいてもよろしいですし、こちらのお部屋でお待ちいただいても結構です」

「では、こちらで待たせてもらおう」

「承知しました。では、儀式の10分前に、お迎えに上がりましょう」

 ヘルサタン2世はソフィヌベール皇女を刺激しないよう、柔らかな声で使い魔を呼んだ。

「ソフィヌベール皇女さまにジャスミン茶を」

「畏まりました」


 ソフィヌベール皇女はベッドから起き上がり、椅子に腰掛ける。

 ある程度、心配事に目途が付き、好きなジャスミンの香りで安心したのだろうか。

 起きて間もない時間帯にも関わらず、ソフィヌベール皇女は再び、夢現の中にあった。

 何処か、花園を楽しく飛び回っている夢だった。

 まるで、鳥達のように。

 鳥になれたら、どんなに良かったか。

 豪華絢爛とはいえ、不自由な暮らしだった。皇女という立場であるがゆえに、やりたい事のひとつも言えず、ただ、規律に従うのみだった。

 生まれ変わるなら、鳥になりたい。


「ソフィヌベール皇女さま、お目覚めですか」

 気が付くと、ヘルサタン2世が部屋に迎えに来ていた。

 ソフィヌベール皇女は、自分の目から涙が零れ落ちていたことに気が付いた。

 見られないように、脇を向いてからそっとハンカチをあてた。シルクのハンカチ。もう、使うこともあるまい。

 ハンカチを、テーブルに置いた。

 ソフィヌベール皇女に見えないように使い魔の黒猫が姿を現し、ハンカチを銜えて、消えた。


「さ、こちらです。屋敷の一番奥になりますので、少し時間がかかります。最後にもう一度。ご決心は、お変わりございませんか」

「二言は無い」

「結構。それでは、参りましょう」


 屋敷の一番奥。

 頑丈な扉で仕切られた部屋の前に立った。暗く、周囲には何もない。これまた、頑丈な壁と扉の両脇にある蝋燭台のみ。台には蝋燭が灯され、辺りを薄暗く照らしていた。

「では、お入りください」

 ヘルサタン2世が手招きする。

 ソフィヌベール皇女は、覚悟を決めて、部屋の中に踏み入った。

 怖さ、悍ましさ、それらを全て払拭し、凛とした姿で前に進んだ。

 後戻りを許さないかのように、頑丈な扉が重く大きな音とともに閉まる。


 部屋の中は、然程広くはなかった。四隅に椅子と蝋燭台があり、ヘルサタン2世は順番に蝋燭を灯していた。

 生贄を準備するような台座や、魔女誕生のために自分が寝かされるベッドなど、何かしら用具が準備されていると思っていたソフィヌベール皇女は、ちょっと拍子抜けした。

 ソフィヌベール皇女は思わず口にした。

「生贄とか、そういったものはないのか」


 ヘルサタン2世の目の奥が、ギラギラと光る。

「生贄は、ソフィヌベール皇女、貴女様そのものですから」


 部屋の真ん中に、何か術式などを書いたような文様が見える。

「さ、こちらへどうぞ」

 ソフィヌベール皇女は、ちょうど中心に立たされた。

 ヘルサタン2世は椅子を持って中央部に来ると、ソフィヌベール皇女を座らせた。

 そして、脚を組ませる。

 ヘルサタン2世は、ゆっくりと両足から靴を脱がせ、靴を脇に置く。


 目の前に傅くヘルサタン2世が、願い事を申し述べた。

「ソフィヌベール皇女さま。これから貴女さまをソフィと御呼びしてもよろしいでしょうか」

「あ?ああ。お父様もお母様も、私をソフィと呼んでくれた。構わない」

「承知しました。ソフィ、これから何が起ころうとも、私の言いつけを守るのですよ」


 ソフィは、その言葉の裏に隠された意味を図りかねていた。

 その瞬間だった。

「きゃっ」

 ヘルサタン2世は、なんと、ドレスの中に顔を埋め、黒絹のストッキングに手を掛けた。

「あの、あの」

「如何されました?」

「自分で出来る」

「わたくしの役目でございますので」

「シャワーとか、そういった清めなどは要らぬのか?」

「ダークマスターに清めなどといった言葉ほど、似つかわしくないものでございます」

「そ、そうなのか」

「さ、身体の力を抜いていただけますか、ソフィ」

 ゆっくりとした動作で、黒絹のストッキングをガーターから外し、そっと椅子の背に掛ける。

 両方の足から外し終わると、また椅子の背に掛けた。

 靴は、いつの間にか消えていた。使い魔が持って行ったのだろうか。


 ソフィは、恥ずかしさで一杯だった。

 それを見越すかのように、ヘルサタン2世は、一度ドレスから顔を出した。

 ソフィを見つめる、ギラギラとした目。

 恥ずかしさのボルテージは上がる。

 ヘルサタン2世は、にっこりと微笑むと、何も言わず、再びドレスの中に顔を埋め、黒絹のガーターを片足ずつ外す。

 それも、ゆっくりと、時間を掛けて。


 ソフィは、身体の芯が熱くなるのを、最早感じ得ずにはいられなかった。

 というのも、ソフィたちの国では、貴族や王族はストッキングとガーターのみで生活するのが一般的だったからだ。

 そう、今ヘルサタン2世に見られているのは、それらを身に纏っていない状態の、ソフィ自身である。


 ヘルサタン2世が、ドレスの中に顔を埋めたまま、ゆっくりと組んだ脚を解かせる。

 そして両足首を、それぞれロープで椅子の脇に縛った。ちょうど、脚を広げて椅子にもたれた恰好だった。

 気が付くと、ソフィの両手や上半身も、使い魔たちによってだろうか。気付かないうちに、椅子の背もたれに縛られていた。


 ヘルサタン2世は、しばらく何もしようとはせず、ドレスの中に顔を埋めたまま、ソフィの下半身を隅から隅まで、じっと見つめているようだった。

 ソフィには、それでも十分すぎた。顔を見られたら、余りの恥ずかしさに、どうしてよいか分からなかっただろう。

 そして、ヘルサタン2世は、ゆっくりとソフィの身体に舌を這わせだした。

 舌で何かを書き記しているような様子ではあったが、もう、ソフィの思考パターンは停止し、冷静に考えることが出来なかった。


 ヘルサタン2世は、ずっとドレスに潜ったままだった。

 今まで味わったことの無いビリビリと稲妻の走るような感覚に、思わず女性として身体が反応してしまう。洩らさないようにと、必死に我慢しても、時折、洩れてしまう声。

 はしたないと感じつつ、声を出さぬよう堪え続けるソフィだったが、その身体は反対に正直だった。

 つい声に出てしまうほど、ヘルサタン2世の舌遣いは完璧で、気持ちが良かった。


 ヘルサタン2世がドレスの中から話しかけるのが辛うじて聞こえた。

「僕のことは、ヘリィと呼んでくれ、ソフィ」


 下半身の一部をなぞられただけで、汗びっしょりになったソフィ。

 気が付くと、ランジェリーもドレスも汗びっしょりだった。椅子に座っていただけで、あんなに、はしたなくなるなんて。

 ソフィは、自分が恥ずかしかった。

「私としたことが、はしたない」


 ヘリィは、やっとドレスの外に顔を見せた。にこやかに笑みを浮かべつつ、目の奥にギラギラと光るものは消えない。

 

 ソフィが、恥ずかしそうに口ごもりながら、小さな声で呟く。

「すまない、汗が」

「どうしました?」

「下品な素行になってしまった。恥ずかしい」

 そんな皇女を前に、ヘリィが微笑みながら、その耳元で囁く。

「もっと下品におなりなさい。わたくしが貴女を、もっとはしたない気持ちにしてさしあげますから」

 今度は、先程使い魔に縛られた上半身に舌遣いが移った。

 ソフィは、ちょうど、胸元にボタンの付いたドレスを着て、縄で縛られていた。ヘリィは、縄はそのままに、ゆっくりとボタンを外しながら、豊満な胸だけが姿を現すよう、洋服の位置を調整する。


 そして次にドレスの胸部分を肌蹴る形で、豊満な胸が露になる。またも、恥ずかしさを禁じ得ないソフィ。

 ヘリィは、はち切れんばかりの豊かな胸を、縄の間から外に見えるように出した。そしてまた、両胸の間に顔を埋めた。

 ソフィは思わずヘリィの顔を見ようとしたが、使い魔たちが目隠しをした。

 舌か、或いは小指の長い爪で何か記しているのだろうか。

 目隠しをされ、周囲が見えないということが、どれだけ羞恥心を煽るかなど、ソフィは終ぞ知らなかった。

 生っぽい舌の動きは、これから為すべきことさえも忘れてしまうほど猥らなファクターに感じられ、ソフィは再び、我慢しながらも時折洩れてしまう声に溺れた。また、頭が空っぽになるのがわかる。

  

 どのくらい時間が経ったのだろう。ヘリィが、漸く動きを止めてくれた。

 ソフィは、もう、3日3晩が過ぎたのかと思うくらいだった。

 それほど、ヘリィのダークマスターは完璧で、ソフィの身体はへとへとに疲れ果てていたのである。


 しかし、ソフィは不思議なことに、汚らわしいとは感じなかった。

 ヘリィの奥に光るギラギラとした目が、ダークマスターの目的を語っていたのかもしれない。

 それは、男が女を漁る眼ではなかった。

 大叔父の息子ドラヌスのように、厭らしさに濡れた眼ではなかった。

 儀式と儀式の中断の際、ギラギラと光るヘリィの眼を見たとき、ソフィは本能的にダークマスターの意味を理解した。


 ヘリィは、ソフィの身体に舌で呪文を書いているのだろう。

 そう、ありとあらゆる場所に。

 それが何なのかは、知る由も無かったが。


 ヘリィは一旦、ソフィから離れると、ソフィを隅の椅子に座らせた。

「ソフィ。3日3晩と告げたでしょう。まだまだ始まったばかりですよ、覚悟なさい」

 ヘリィがまた、耳元で囁く。

 ソフィは囁かれただけで、あの、はしたない感情が再び身体を過ぎるのが分かる。


 部屋には、いつの間にかベッドが準備してあった。四隅にロープが見える。

 ヘリィは、椅子のある四隅でソフィのドレスを脱がせ、ランジェリーを剥ぎ取り、自然の姿にした。

「歩けますか?」

「歩けそうにない。少し恥ずかしい」

「それなら、このローブを羽織りましょう」

 黒いローブを羽織ると、ヘリィがソフィを抱き上げベッドに横たえてくれた。

 今度は左の首筋から鎖骨周辺を目掛けて、ヘリィの顔が近づいてくる。

 椅子の時は避けられなかったが、思わず、身体を右に避けてしまったソフィ。

「ソフィ。いけませんね。言いつけを守るよう、先程教えたはず。守れない子には、お仕置きしないと。ほら、こちらにいらっしゃい」

 優しく声を掛けながらも、ヘリィの目はギラギラ光る。


 使い魔たちが、ベッドの四隅にあるロープに、ソフィの四肢を繋いた。

 脚を大きく広げられ、コルセットなど無くとも豊満で形の良い姿態が燭台の蝋燭を影に揺蕩い(たゆたい)、艶かしさを増幅するには十分だった。ソフィは、何度となく、はしたなく露な体勢を取らされた。また、いくら我慢しても洩れ聞こえてしまう声だけは、どうしようもなかった。

 ベッドが片付けられると、長椅子であったり、ソファであったり、またベッドになったり。手足の自由が利かないまま、あられもない姿でのダークマスターは続いた。

 そうして3日3晩、堪えながらも、我慢しながらも、どうしても洩れてしまう淫靡なソフィの声が止むことは、片時もなかった。

 最後の晩には、流石に我慢の限界を超えたのか、それとも儀式が凄まじい内容だったのか。ソフィのか細い声が何度となく何時間にもわたり屋敷内に響き渡った。

 

 ソフィにとって、それは永遠に続くのではないかと臆断された、その時だった。

「ソフィ。ダークマスターが終わりましたよ。さ、シャワーを浴びていらっしゃい」

 肩を叩かれ、我に返った。

 もう終わってしまったのかと、そう思った瞬間、自分がとてもはしたなく感じられ、顔が赤くなるのがわかった。


 だからこそ、努めて平静、冷静を装った。

「シャワー室はどこに?」

「廊下を進んだ左側です。僕もすぐにいきますから。貴女の身体を、最終チェックさせてください」

「また、貴方に見られるの?」

「おや、ご不満でも?」

「いえ、恥ずかしいだけ」

 シャワーを浴びていると、ヘリィが入って来たのがわかった。

 シャワーを止める。

「寒くないですか?ソフィ」

「ええ、大丈夫」

「じゃあ、最終チェックしましょう」

 ヘリィは、ソフィの身体全体をざっと眺め回し、たまに舌を這わせた。ソフィは恥ずかしさをずっと我慢し、ヘリィの言うなりに動いていた。


「よし。これで大丈夫だ。まず、言葉遣いが変わるから。その他にも日を追うごとに、少しずつ変わってくるはすだ」

 黒のローブを着せられた。漸く、自然の姿から解放された。

 ヘリィが優しく肩を抱く。

「よく我慢したね、何もかもが初めての経験だっただろうに」

「魔女になると決めたときから、大方のことは覚悟していたから」

「キミの声が、とても初々しかった」

「お願いだから、はしたないことを思い出させないで」

「でも、キミの身体が一番覚えているはずだ」

「顔が赤くなるのが分かるわ。お願い、言わないで」

「いいよ、もう言わない。でも、キミの身体は僕に逆らえない」

「はしたないことを要求するの?」

「まさか。僕はそんな破廉恥な趣味など、持ち合わせていないから」

「じゃあ、何?」

「キミ自身が、これから段々はしたない女になるのかもしれないね」

「そんなこと、あり得ない。今迄、無かったもの」

「さて、どうかな。僕の奴隷さん」


 ヘリィは、真面目な顔をして、ソフィの顔を見た。

「申し訳ないが、皇女時代の洋服は処分した。思い出さないように。これからは、魔女ソフィとして生きるのだから」

「わかってる」

「ここ2~3日の間に、色々と変化が現れると思うけれど、驚かないでくれ。ダークマスターの力で皇女の姿を覆い隠してあるからね」

「わかったわ」

「魔法は自然に覚えられるものじゃない。勉強を怠っては、使うべき時に適切な魔法が何なのかわからなくなる。そのためにも、これからキミは魔法の勉強をしないといけないよ」

「わかった。勉強する」


 3日3晩のハードなダークマスターが終わった。


 ソフィは、自分もその日のうちに森か或いは城下に移されるものとばかり思っていた。

 ヘリィは何も口にしなかったが、移動を促すような素振りは、誰も見せない。そればかりか、ソフィの部屋と着替え、その他細々とした物が与えられた。

 魔女になりたい女性は、みなこうなのか。

 それともソフィが奴隷だからなのか。

 それは想像の範疇でしかなかったが、屋敷で周囲を見る限り、魔女のような女性の姿は見受けられない。


 ソフィに与えられたのは、黒のドレス数枚と、黒のローヒールの靴。ドレスは絹ではなかった。自分が皇女で無くなったのを、今更ながらに悟った。

 しばし、感傷に浸った。宮中での豪華な生活。

 ドレスは絹。体型を整えるためコルセットを強要され、逃げ回った日々。

 ハイヒール。惜しげもなく与えられた。走るとすぐに靴が傷んだ。それでも走った。

 ドレス姿で剣を振るうと、従者たちが飛んできた。

 皇后陛下の前に突き出され、延々とお説教を聞かされた。

 もう、そんな日は訪れない。

 父上も母上も、崩御された。

 あの薄汚い大叔父ドラヌルの策略によって。

 今の自分には、何も残されてはいないのだ。あるのは、この黒い洋服と靴だけ。


 それは序の口だ。

 これからは、もっと苦難が待ち受けているだろう。

 幸せを弟に与えてあげるには、あと、早くても3年か4年。弟が皇帝たる地位に相応しい技量を身に付けるその日まで、弟を常に気にかけ、護らねばならない。

 憎き大叔父ドラヌルとその息子ドラヌス。奴らの息の根を止め、王室を再興する。それが、あたしの願い。


 ソフィは、空に向かって大きく深呼吸した。


 ダークマスターが終わり、屋敷の外に出られるようになったソフィ。

 弟の隠れ住む場所や城外、国内外など行ってみたい場所はあったものの、許しが出ずに我慢していた。

 まだ動くには早いだろうとヘリィに言われていたからだ。

 部屋から庭を見ていると、ヘリィがやってきた。

「ソフィ。お疲れさま。調子はどう?」

「ありがとう。元気よ。ね、これからもヘリィ、でいいのかしら」

「OK、歓迎するよ。近代でも、僕の最高傑作だからね、キミは」

「そうなの?特に変化は感じられないのだけど」

「ふふふ。3日3晩のダークマスターは、伊達じゃないってことさ」


 ソフィは、ふと気が付いたように、笑窪の見える右頬に人差し指を当てて呟いた。

 笑窪が何よりも目立ち、可愛さが際立つ仕草。ヘリィも笑顔だった。

「これから何処に住もうかしら。住家を探さないと。まさか城下に降りるのは危険よね。魔女狩りされたら捕まっちゃう。ねえ、魔女って何食べて生きているの?他の魔女たちは何処に住んでいるの?」

「森にある果実なら何でも食べられるし、月の形をした焼き菓子を作って食べるパーティーもあるようだ」

「住家は?」

「城下でそれと知られぬように過ごしている魔女もいれば、森に隠れ住む魔女もいるね。この森には、いないけれど」

「どうしよう。城下に行くのは気が進まないの。かといって、森じゃ雨に濡れてしまうわ。小屋を作らないと。ね、小屋ってどうすれば作れるの?」

 黙って聞いていたヘリィが、微笑みながら提案した。

「此処に住めばいい。小屋の作り方を知るのは、まだ早いさ」

「ふうん。奴隷の契約があるから?貴男の奴隷として、あたしは何をすればいいの?」

「い、いや。そういうわけじゃないけど。ほら、魔法勉強しないと。計画も練る必要があるだろう。一人よりは、僕がいた方が役に立つ」

 

 時期を見極めないといけない計画。

 急いては事を成し遂げられないばかりか、大勢の命が無駄になってしまう。

 抵抗勢力を根こそぎ潰したとしても、味方を増やさなければならない。皇帝だけが城にいても一人で政はできないのだから。


 皇帝となった大叔父ドラヌルは、民からの信頼を得て皇帝の座に就いたわけではない。

 畏れを知らない野蛮な貴族たちと組んで民を騙しクーデターを起こし、皇帝及び皇后をはじめ、政に長け、ドラヌルを「是」としなかった貴族たちを狩りの対象にした。

 今でも残っている真っ当な貴族もいる。それら貴族たちにしても、大方同じ意見に纏まるはず。皇帝ドラヌルの馬鹿さ加減に呆れていくことであろう。民衆も、すぐにあの傍若無人な振る舞いに気付くに違いない。

 今はまだ逃げてきたばかりだから、城下の噂も耳に入ってこない。落ち着いたら、城下の様子を探らなくては。


 だからこそ、時間をかけて、ドラヌルに反目或いは内心的敵対並びに確執が生じそうな貴族を味方につけ、民のレジスタンスを利用し事を進めるべきだとヘリィが教えてくれた。

「あら、じゃあ、あたしが一人ずつ貴族を誑かしていけばいいのかしら」

「大胆だな。今のキミが語ると本当に聞こえるから、よしてくれ」

「お世辞でも嬉しいわ。ありがとう、ヘリィ」

「こんな魅力的な女性に大胆に迫られて、落ちない男はいないさ」

 ヘリィが黙って、鏡を差し出した。


 驚いた。


 ソフィは黒いドレスを着ているのだが、豊満な胸はそのままに、腰はコルセット無しでもきゅっと引き締まり、ヒップの上がり具合も絶妙だった。

 身体の変化もそうだったが、顔が一番変化した。

 元々、聡明さを持った整った目鼻立ちの顔。それが、皇女時代の威厳のある顔ではなく、美女には違いないが色気のある女性といった表情に変化したと、使い魔たちが小さな声で噂していた。


 見た目はだいぶ変わったから、街中を歩いても皇女と思い出す人は、殆ど居ないだろう。でも、危険は冒したくない。だからヘリィの屋敷に厄介になることにした。

 最初は、その後など考えず、至って簡単な気持ちだった。

「じゃあ、お言葉に甘えて居候させて。ね?お願い。小屋を作るまで」

「部屋は自由に出入りして構わない。ただし、ダークマスターの部屋だけは、入っちゃいけないよ」


 ソフィに背を向け、部屋の中を魔法で整えているヘリィが鏡に映っている。

「ありがとう。ねえ、ヘリィ」

「なんだい?」

 振り向いたヘリィに自分からキスして、ヘリィの太腿に自分の太腿を絡ませ、はしたないポーズを取る。

 ヘリィは、それに応じてソフィの腰に手を回しながら、呟いた。

「普段から他の男性に対してこんなポーズを取って誘惑したら、お仕置きだぞ」

「はあい」


 ソフィの胸の奥に、舌を這わせるヘリィ。

 妄りに男を誘惑しない呪文だという。

 実際には、他の男には見向きもしないという呪文であったが、こればかりは、さすがにヘリィも真実を言わなかった。

 使い魔たちにも内緒だ。これまでの何百年、使ったことがないのである。


「これでよし、と。僕の前以外で、はしたない真似をしないこと」

「わかったわ。あとは、何が出来る?」

「何でも。飛ぶ、壊す、惑わす、消える。全部直ぐにできるよう覚え込ませたからね」

「3日3晩の成果?」

 ソフィにその気があったのかどうか、ヘリィの前で飛び跳ね、目の前で胸を揺らす。

「ほらまた、そうやって誘惑する」

 ヘリィは、誘惑に負けた殿方のような顔になる。


「あら、ごめんなさい。あたしね、部屋の中で飛び跳ねたことないの。だから一度やって見たくて」

「武術以外では、走ることはおろか、飛び跳ねることさえ許されなかったか」

「大当たり。皇女殿下、はしたない。皇女殿下、いけませんってね」

「だから、はしたないことや、いけないことをしたくなるのかい?」

「下着姿のまま、お城の中をダッシュするの。もう大騒ぎよ」

「そりゃ、やんちゃな皇女さまだな」

「大人しいだけの皇女なんて柄じゃないもの」

「ますます僕の好みだ」

 ヘリィが小声で自分自身に言い聞かせるように呟いた。常に精悍な表情が、緩む。


 ヘリィの緩んだ表情を、不思議に思うソフィ。

「何か言った?」

「いや、何も。じゃあ、明日辺りから少しずつ、魔法を始めてみようか」

「勉強する本か何かあれば、自分でやってみるわ」

「いや、直々に伝授してあげるよ。力加減も覚えないといけないし。覚えも早そうだ」

「遅かったら?」

「本に任せる。いや、僕が居ないとダメだ。力が半端なく強そうだから森が吹っ飛ぶな」

「意地悪。いいわ。じゃ、今何か出来ることは無い?」

「じゃあ、部屋の暖炉に火をつけてみようか。呪文は『ファイス』だ。やってみて」

 初歩中の初歩、無難な魔法である。

 ソフィが暖炉の前に立つ。

 ヘリィが斜め後ろに立ち、その様子を窺う。少し肩に力が入っているのがわかる。何しろ、初めての魔法だ。緊張するなというほうが無理というものだろう。

「えーと、ファイス!」

 ソフィが暖炉に掌を翳した瞬間、暖炉に火をつけるつもりが、その暖炉は爆発寸前になった。部屋の中に濛々と立ちこめる煙と、暖炉の灰。


「リバール」

 ヘリィが呪文で部屋を元の状態に戻す。

 部屋は、ソフィが爆発させる寸前の状態に戻った。

「いいかいソフィ。キミの力は群を抜いて強い。普段は控えめにして、ここぞという時に全力を使えばいいだろう。リバールは、復活の呪文だ。今のような時、使えばいい」

「ありがとう。じゃあ、森で薪を拾ってくるわ。どんな魔法が一番適切?」

「うーん。強い魔法があるけど、今はまだ早そうだ。樹に向かって『フェイス』。叫んじゃダメだ。優しく、ね?一人で大丈夫かい?」

「大丈夫よ。優しく言えばいいのよね。出かけてくる!」

 屋敷から走って森の中へ消えたソフィ。恐らく、ドレス姿で走ったのは初めてなのかもしれない。とても嬉しそうに駈けだしていった。


 1時間が過ぎ、2時間が過ぎた。ソフィは一向に戻る気配がない。

 薪を運ぶ方法を教え忘れたと気付いたヘリィは、もしかしたらソフィが重い薪を引き摺っているのではと心配になり、使い魔たちを森の方々に走らせ、探させた。

 ヘリィの魔力をもって考えればすぐに分かりそうなものなのに、焦ってしまっている。

 使い魔の1匹が戻った。

「ソフィは?大丈夫か?」

「それが」


 フェイスの呪文を優しく言ったつもりが、辺り一帯が総て薪と化し、リバールの呪文を忘れたために薪に埋め尽くされていたのだという。

「リバール!」

 屋敷の中から放ったヘリィの呪文で、薪たちは元の樹に戻った。

 薪拾いのはずが、危うく森を全滅寸前にして戻ってきたソフィ。

 流石の皇女さまも、皇女とは別の意味で、思うように行かないことがあるという事実に気が付いたようだ。

「自己嫌悪だわ。力がセーブできないの」


「ファントマスターの呪文を掛けて、僕がセーブしよう」

 右手の薬指に、また舌を這わせるヘリィ。力をセーブする魔法なのだという。

「ありがとう」

 ヘリィが窮屈になるくらい、抱きついて喜ぶ。

「すっかり厭らしい女性になったね。ソフィ」

 下からヘリィを見上げる仕草が、艶かしく、また厭らしさも助長させる。

「貴方のせいだわ。ヘリィ。ね?魔女に成りたい女性には、皆あの儀式をするの?」

「ま、まあね。一応」

「ヤキモチ焼いちゃう。あたし以外にも、あんな思いする子がいるなんて」

 ソフィから離れ、暖炉の前に座ったヘリィが笑う。

「キミってホントはヤキモチを焼く女性だったんだ」

「え?」

「皇女時代には、無かっただろう?」

「貴方の力じゃないの?」

「性格まで変える力はないさ。キミが心で望んだことが、今、目の前にあるだけ」

「そうなの?あたしは、はしたないことなんて考えない皇女だったわ。武芸に明け暮れて、弟を補佐して国を守るつもりだったから」

「自分を抑え込んできたんだな。本当のキミは、こんなにも女性的で、厭らしく、はしたない女性というわけだ」

「あたしったら、そうなのかしら。恥ずかしいわ。はしたない女って顔してる?」

「まあね。僕の前でだけ、キミ本来の顔が出るようになっているから」

「そうなの?良かった。城下でそんな、はしたない顔して歩けないもの」

「他の男の前で、笑顔すら作って欲しくないよ」

「え?何か言った?」

「い、いや。何でもない。今日の教訓を生かして、明日からまた魔法を勉強しよう」

「よろしくね、ヘリィ」


 翌日、朝食後。

 部屋を変えて、机上の勉強から始まる。

 ヘリィは、魔法に際し、空を飛ぶことから教えた。

「基本から覚えて行こう。まずは移動魔法だ」

 ソフィは必死な顔をしている。覚える気力は満々のようだ。

「大きくわけると魔法は6つ。このほか、細かい呪文が沢山ある」

「クリスオーラ。これが空を飛ぶ呪文」

「リオーラは、此処に戻る呪文」

「コスモオーラは、空中停止と瞬間移動の呪文」

「アクアオーラは、水の中を移動できる呪文」

「レインボーオーラは、空中移動しながら術を使う呪文」

「ヘリオーラは、一つ前の場所に戻る呪文だ」

 

 昼食をとったのち、外に出た。

「実践してみるの?」

「上空にも結界を張るから、僕等の姿が皆から見える心配はない。さ、一緒にやってみよう。いいかい、力は抑え気味に。ほら」

「クリスオーラ!」

 結界にぶつかるソフィ。

「あー、痛い、痛い」

「まだ力が強いね。僕に囁くように呟いてごらん」

 ソフィは、本当にヘリィの耳元で、はしたなく囁く。

「クリスオーラ」

 ふわりと空中に浮かぶ。隣にきたヘリィが続ける。

「じゃあ、今度は瞬間移動と空中停止だ。さっきのように、はしたなく囁いて」

「コスモオーラ」

 すーっと移動した。ヘリィによれば、声高に叫ぶとそれだけ瞬間的な移動範囲が広がるらしい。

 しかし、今は力が強すぎると止められた。

「じゃあ、屋敷に戻ろうか」

 また、はしたない声で囁く。

「リオーラ」

 無事、二人は屋敷の前に戻った。


 戻ると同時に、ヘリィの頬にキスしたソフィ。

「ソフィは子供みたいだな」

「うふん、こうしていると、本来の目的を忘れそうになる時があるの」

「まだ、その時ではないからね」

「だから、忘れそうになったら思い出させて」

「わかったよ。さて、どんな方法なら思い出してくれるのかな、元皇女さまは」

「簡単よ、ダークマスター」

「まったく。儀式の虜じゃないか。本当はダークマスターじゃなく、卑猥な行為そのものをしてほしいのだろう?」

「いやん。はしたない表現を使わないで。身体が火照るわ」

「はて、どうしたものやら」

「ダメなの?」

「魔王がダークマスター以外で、あそこまで淫らな真似をすることは許されていないからねえ」

「そうなの」

 ヘリィの言葉を聞き、がっかりした声で項垂れるソフィ。


 ヘリィは、思わず嘘をついていた。

 魔王に君臨するまで、儀式以上の淫靡極まりない行為で、過去何百年に渡り一体どれだけの争いを引き起こしてきたことか。真実をソフィに言うのはどうしても憚られた。敢えて昔の女性たちとの過去は言いたくないし、隠しておきたかった。

 一方で、儀式以外のそんな行為など興味も無くなり生きてきたはずのヘリィが、一瞬ソフィに触れてみたい衝動に駆られたのも事実であり、ソフィの肌に熱く触れているデジャヴに、何度となく捉われた。己を律する覚悟が、揺らいでいるヘリィだった。


 ヘリィは、魔界を統べる魔王として俗世の人間たちに関わるようになってから、誰ひとりとして、近くに寄せようなどとは思わなかった。使い魔だけで十分だった。何百年生きて、自分から触れてみようと思った女性もただの独りも居ない。

 こうして、近くに居たいと思える女性はソフィが初めてだった。どうしてなのか、自分でもはっきりとした理由はわからない。不思議な感覚だった。


 ヘリィは、右手でソフィのさらさらした黒髪を梳きながら、左手でその顎を上向かせる。ソフィの左耳元で何か囁くと、耳たぶに軽くキスした。


「これなら簡単な儀式さ。だから、これで我慢しておくれ」

「うん。わかった」


 今度は、あどけなく笑う。

 凹んだり笑ったり、悪戯っぽくエロティックな真似をしてみたり。

 コロコロと変わるその表情。

 やはり、18歳の少女なのだという思いが、ヘリィの胸に刻みつけられる。

 皇女たるが故に、それらを全て封印し、皇女として振舞い、皇女としての発言をする。それは時として、平民の女の子よりも息苦しい毎日だったのではないか。

 それが、愛おしくさえ思えてくる。


 ヘリィは使い魔たちに命じ、夕餉の支度をさせ、ベッドを整えさせる。そして、庭のベンチに腰を下ろした。

 ソフィは皇女だ、普通の女性たちがするような家事一切など、一度もしたことが無いだろう。本人が興味を持ったら、少しずつ教えればよい。

 今、下手に興味を持たれても困る。

 多分、料理の際に鍋を焦がして、かまどを爆発させかねない。想像しただけで笑みが零れた。力加減を覚えたのちに、厨房へ案内した方が賢明な選択に違いない。


「何を考えていたの?」

 上からソフィが覗き込む。夕陽と胸が相重なり眩しくて、ソフィの顔が見えなかった。

「さあてね、何だろう」

「ソフィは当分の間、厨房入室禁止、って思っているでしょ?」

 ヘリィが、ぽかんとしたままソフィの目を見て、同時に、くすっと笑う。

「どうしてわかったんだい?」

「あたしの力加減が出来ないうちは、夕餉の支度すら無理だろうと思っているな、って。城じゃ一度も何かを作ったりしたことはないだろう、って思っているに違いないわって」

「違うの?」

「そりゃ、夕餉の支度までは準備したことが無いわ。でも、お菓子くらいなら弟のために焼いたりしたものよ」

「そうか。弟思いのお姉さんだったんだな」

「あたしの焼くお菓子が大好きだったの。お父様も、お母様も」

「そうか」

「もう、焼いてあげられない」

 ソフィが大粒の涙を、その大きな両眼に溜める。涙の粒が次々と頬を伝って流れ落ちる。


 こんな時に掛ける言葉。


 女を誑かす術など知り尽くしている魔王たる者・ヘリィが知らないわけもない。

 ヘリィは敢えて、ソフィに対し言葉を掛けなかった。

 普通の少女ならまだしも、それこそ物心つく前からそれ相応の教育を受けた皇女に、上っ面の同情など必要だろうか。上辺だけの言葉と気付かれるのが関の山だ。表面だけの同情の言葉など欲しくもあるまい。そうして己を奮い立たせるだけで、今は精一杯なのだから。


 言葉の代わりに、傍らでしゃくりあげるソフィの肩を抱いて引き寄せた。頭を撫で、涙を拭き取ってあげた。何度も何度も、ソフィの涙が自然に止まるまで・・・。

 翌日から、二人はまた、補助系魔法や攻撃系・防御系魔法を机上で勉強することから始めた。


 部屋の周囲では、使い魔の猫や蛇たちが目を丸くしている。

「今までに、ヘリィって呼んでいいよ、って言われた娘がいる?」

「それより、同じ屋根の下に住むことさえ許さなかったよ」

「術や呪文だって、今までは手を抜いてた」

「ましてや、自分で一緒に勉強して呪文効果を一緒に確かめるなんて、何百年も生きてるけれど見たことが無い。一体、どうしたんだろう」

「皇女様という身分の違い?それとも皇女様の決心をご存じだから?」

「まさか・・・恋だとでも?」

「あんなに毒々しい心に塗れているんだから。ソフィさまのためにも、恋だとは思いたくない」

「でもさ。この余りの違いに不安を覚えるんだ。僕はね、もしかしたらヘリィ様が永遠の眠りに就く序章じゃないかと危惧しているくらいだよ」

「ま、まさかっ」

「だって考えてもご覧よ。その証拠が、ちゃぁんとあるじゃないか。終章も」

「不味い、何としてでも踏み留まっていただかなくては」

「魔界の安泰のためにも、だ」


 そんな使い魔たちの心配など露知らず。

 ヘリィとソフィは、魔法の習得に余念がない。


「今日からは、補助系魔法だ。主に天変地異などを引き起こす。やりすぎると国が無くなるから、少しだけ囁くんだ。さ、始めて」

 訓えられたように、小声で囁くソフィ。

「えーと。サインぺリアル」

 ヘリィの張った結界の中、物凄い稲妻が轟く。

「じゃあ、今度は結界を張ってみよう。結界は強いほどいいから、普通に声を上げて大丈夫だ。森の木の上をイメージしながら」

「はーい。スピネード!」

 ソフィの魔術は桁違いだった。森の上に結界が張られ、緑が見えるがスプリングするようにフワフワとしている。

そのフワフワの下には頑丈な壁が出来上がっていた。

「成功だな。これで、他の補助系魔法の練習が出来る。最初は、風。嵐までは酷くない風だ。叫ぶなよ、二人とも弾き飛ばされる」

「はあい。インペリアル」

 ざわざわと風が吹き、ソフィのドレスが捲れ上がる。

「きゃっ」

「今くらいで捲れたんだ、叫んだらどうなるかわかったもんじゃない」

「次は?」

「雨を降らせよう。頼むから、叫ばないでくれよ」

「わかってるわ。リインペリアル」

 小声で囁いただけで、上空から雨垂れが落ちて来たかと思うと、本格的に雨が降ってきた。

「リサイト」

「そう、いい判断だ。二人ともずぶ濡れになってしまうからね。さっきのインペリアル3種類の組み合わせで、色々な天候に変化することが出来る」

「遭難の3種類は、実戦でないと使えない術なのね。サイト3種も今は止めておくわ」

「ああ、的確な判断だと思うよ。僕が解除呪文を流しておくから、小さく言葉にだけだしてごらん」

「海で遭難させるのがヘリドール、山で遭難させるのがヘリドーラ、森の中で遭難させるのかヘリドース。大地を揺らすのがペールサイト、竜巻がパールサイト、本格的な嵐がピータサイト。間違いないわよね?」

「そう。さすが、皇女さまは覚えが早い」

「ヘリィのお蔭よ」

「お世辞も上手くなった。いや、社交界ではお世辞こそが覚えるべき礼儀か。参るね」


 ソフィの顔に、暗い影がのぞく。

「お世辞。そうね、地方から来る領主たちや、城下に居を構える貴族たち。パーティーとは名ばかりの化かし合いよ。権限争いの渦中に巻き込まれるなんてザラだった」

「そんな中でも、キミを政略結婚の材料にしなかった皇帝陛下は、素晴らしいお父様だったじゃないか」

「民衆からどう思われていたのかわからないけど。クーデターが起きたときは大嘘が城下に蔓延していたから、悪く言われていたわ」

「華やかなりし城内を支えているのは民だからね。僕が言っても説得力ないけど、民の声には耳を傾けなければ。自分を支えてくれる者たちが誰なのか、見極めなくては」

「うん。弟に言わなくちゃね。その前に、魔法を皆覚えてしまいたいの。手伝って」

「OK。付き合うよ」


 ソフィの勉学に対する姿勢には畏れ入るばかりだ。

 世の人々が「魔法なんて」と馬鹿にする中、一所懸命、訓練を怠らない。

「えーと。攻撃の魔法は主に3つ。森の木で実演してみてもいい?」

「どうぞ。薪にするから心配ないよ」

「テキタイト!」

 巨木がスッパリと剣で切られたように倒れる。

 倒れている巨木に向かって、ソフィが声を上げる。

「テキスタイト!」


 何も起こらない。

「あ、間違えちゃった。テキスライト!」

 すると、巨木の表面に、弓矢で射たような大きな穴が開いた。2つの魔法を重ね掛けして、薪を作ったソフィ。

「さて、あとはどうやって運ぶか、よね」

「ヘリィの屋敷、シャーマタイト!」

 薪は一瞬にして姿を消した。

「これで帰った時に薪も帰っていたら、成功っと」


 そんな中、大叔父の私兵たちが森に近づいてきているのをヘリィは感じていた。

 ソフィは感じ取って無いようだ。知らせるべきだろうか。

 人間如きに取り囲まれたところで、別に小さな虫が寄ってきたのと変わりはないが、ソフィは突然目の前に現れたら驚くことだろう。

 しかし、避けては通れぬ道である。いつかは急な敵を目の前にする瞬間もくるだろう。今なら、自分が守ってやれるだけマシというところか。


 果たして、ヘリィはソフィに現状を伝えぬまま、魔法を続けさせていた。

 その時である。

 ガザガザッ、と樹がこすれ合う音と鎧の擦れ合う音が同時に聞こえた。

「誰だっ!」

 ソフィは急に皇女言葉に戻る。

「デルシエル!デルシエロ!」と叫んだ。

 すると、ソフィの姿は見えなくなった。


 私兵たちは、明らかに女の声を聞き、森を掻き分けながら進んできたと見える。

「おかしいな、こっちから女の声が聞こえたような気がするんだが」

「お、おい、ここって、入ったら戻れなくなるっていう森じゃないか?」

「馬鹿な。迷子になるだけだろう。目印を付けながら来たから大丈夫さ」

 私兵は2名。

「フローライト」

 ソフィが囁いた。

 森の暗がりの中、目を閉じていてもソフィには辺りがはっきりわかる。

 

 大叔父ドラヌル公爵の私兵なのは、鎧の文様で一目瞭然だった。

「テキスタイト」

 ソフィが小声で呟くと、ソフィの周囲を盾のようなオーラが包み込んだ。盾と同様の魔法だ。

 ソフィは、一呼吸おいた。


 大叔父ドラヌル公爵の手下。このまま、剣で貫きたい。そう思った。

 しかし、彼等を城内に戻さねば、この森が疑われる。弟が隠れ住み、ヘリィの屋敷もあるこの森を大叔父ドラヌル公爵の目に触れさせることは、断じて許されない。

 小声で呟いた。

「この2人の豚を、森の出口へ。シャーマタイト」

 2人の兵士は、その姿を消した。


 誰も見えなくなった森のなかで、ソフィは枯れかけた樹の枝を折った。そして、掌を向けた。

「シャーマライト、ハイパー」

 瞬く間に、枝は粉々になった。

 ハイパーは増幅魔法。

 声に出せぬやりきれなさと自分の無力さを嘆きつつ、枝に八つ当たりしたソフィは、思い切り枝を叩き壊した。今、下手に動けないソフィにとって、敵を刺激することは無謀に近いことだ。まだ、その時ではない。

 悔しいが、仕方が無かった。


 すっと背後から現れたのは、ヘリィだった。

「見事な捌きだった。魔法も含めて、ベストな選択だった」

「悔しかった。あの鎧を見ると血が滾るの。お父様とお母様の仇を討ちたいって」

「必ず機会は来る。その時まで、待つんだ」

「ええ。ね、ある意味実戦で疲れちゃった。ダークマスター、お願い」

「まだ余力があるよ。僕としては、セーブできるようにファントマスターの呪文を掛けたいくらいだ」

「あら、冷たいのね」


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