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第1章  新たな歴史

春の嵐が吹き荒ぶ季節。中世鴎州の北東部に位置する国が、いとも簡単に滅びた。

 滅びたのは、スヴェルジェンヌ皇国。

 滅亡の原因は、内部クーデター。


 若い娘に溺れ堕落したスヴェル皇帝陛下と、贅の限りを尽くしたジェンヌ皇后陛下。注進する家来は、みな密かに処刑されたという。

 その様子を見た皇帝陛下の大叔父ドラヌル公爵は、我が息子を率い皇帝陛下と皇后に直談判した。

 しかし、皇帝陛下も皇后陛下も公爵の意見を聞き入れず、最後に大叔父は二人の首を落し、その首を城門前に晒すまでに民の怒りは煮え滾っていたと言われる。民はドラヌル公爵を支持し、スヴェル皇帝陛下とジェンヌ皇后陛下は墓標さえ無い状態だった。


 此処に、ドラヌル公爵を皇帝とした御世が始まった。


 ドラヌル皇帝陛下は、乱れきった世の中を正すため、方々で狩りをなされた。

 獲物たちは、捕まったが最後、良くて奴隷。刃向う者は誰であれ、八つ裂きにされた。

 狩りは、いつしか民にも、その矛先が向けられていた。

 先帝の御世には、言論の自由も、信仰の自由もあった。

 民衆同士が助け合うための組織結成も合法だった。それが今は、すべて非合法として取り扱われた。

 先帝は、どんな罪人だろうが、八つ裂きなどという非道な方法をお使いにならなかった。

 それが現在は、それは、それは、余りに非道としか言えない拷問や死罪の方法がとられ、若い女性や子供たちだけが、いつしか何処かに連れ去られていた。


「何か変だ」

 太陽が、ゆっくりと1年を掛けて地球の昼夜の長さを変えるころ、民衆の中でも、事の重大さに気づき始める者が増えつつあった。


 民衆の目が覚めたときには、神は既に民を見捨てつつあったように感じられた。民が、自分達だけで国を変えられるはずもなく、また、ドラヌル皇帝陛下の課す重税に苦しむ声が国中に溢れたが、反抗すれば狩りの獲物とされた。

 もう、そこには、レジスタンスなど考え付く余裕すらなかったのである。


 そこに、ある噂が流れた。

 ドラヌル皇帝陛下が、先帝の皇子と皇女を血眼になって捜している、という噂だった。

 ソフィヌベール皇女と、弟のデュビエーヌ皇子の御身が、まだ無事であるという証拠だと、人々は地下組織で噂した。

「こうなれば、お二人をお探しし、そのお考えをじっくりと拝聴したのちに、方向性を決めてはどうか」

「お二人が贅の限りを尽くした可能性もある。使い物にならない皇子や皇女なら、要らないではないか」

「ドラヌルに売るなら、いつでも出来る」

「今のままでは、前より酷い生活になるのは間違いないだろう」

「探してみるか、お二人を」

「森に逃げたというお噂も聞く」

「あの森では、入ったら出てこられなくなると聞いたぞ。俺は森に行きたくない」

「まず、じっくりと考えねば。急いては事を仕損じる、と昔から言うではないか」


 こうして、ミステリアス・フォレストの周辺は俄かに喧噪に包まれることになる・・。


 ヘルサタン2世には、その脳裏において暗示が交錯する中、ある一部分だけを除いて、今回起こった出来事を森の屋敷内で総て予想していた。今後予想される動きも、勿論、結果の予想もついていた。

 とはいえ、最終的には人間たちが為したこと。興味もなければ、手を出す気も無い。

 自分にとって不利益極まりない出来事でもあれば、話は別だが。

 彼にとって、何百年に渡る人間たちの争いなど、コップの中の嵐に過ぎなかったのである。


◇・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・◇

 

 時は遡る。


 スヴェルジェンヌ皇国が滅亡の哀傷から、日も浅いある夕刻のことだった。


「おやおや。珍客がお出でになるようだ」

 ヘルサタン2世の呟きとともに、使い魔への命が下る。

「お前たち、バスタブやシャワーの用意と、食べる物、飲み物の準備を。ベッドもだ」

「お客様は、如何ほどでしょう」

「7、いや8名かな。女性が3名だ。バスは2つ用意しろ」

「畏まりました」


 間もなく、ヘルサタン2世の予言通り、ミステリアス・フォレストの一角にあるヘルサタン2世の屋敷を、身を隠すように、こっそりと訪れた一行がいた。馬さえも鳴き声が聞こえないよう、何か宛がっていたのだろうか、それとも馬すら疲れ果て、鳴く体力すら残っていなかったのかもしれない。

 一行は、先日、内部クーデターの末にスヴェルジェンヌ城を追われた「スヴェルジェンヌ」皇帝一家の末裔、ソフィヌベール皇女と、弟のデュビエーヌ皇子だった。

 皇女の乗る一台の粗末な馬車と、皇子の乗る一騎の馬、そして4名の警護の兵士と皇女付の侍女2名だけが旅の供。

 寂しい限りの没落状態だった。


 クーデターの末に城を占拠したのは、ソフィヌベール皇女とデュビエーヌ皇子の大叔父、ドラヌル公爵。

 公爵は、自ら命を絶ったスヴェル先帝とジェンヌ王妃の首を晒し物にし、その血筋であるソフィヌベール皇女とデュビエーヌ皇子を血眼になって探していた。


 城から、町外れのこの森までは、そう時間もかからない。

 迷いさえしなければ、1日も経たずに到着するだろう。

 見つからぬよう秘密裏に城外を動くのは相当な困難を伴ったに違いない。何日も隠れながら旅をしたのであろう。馬も供の者たちも、口にする水にさえ事欠く有様だったと見受けられる。当然のように、皆が疲れ果てていた。


 ヘルサタン2世には、この一行が屋敷を訪れることが以前から脳裏に浮かび暗示があった。

「やっとご到着か。随分かかったな」

 

 暫くして、外のドアがノックされる。

「もし、どなたかおいででしたら、開けてくださいませ」

 ビクビクしたような、小さくか細い女の声がする。

 侍女なのだろう。

 そして、此処が何処なのかも、主から聞いているに違いない。


 使い魔たちが、一斉に騒ぎ出す。

「あーあ。すっかり怖がっていますよ。どうします?」

「どうするって、丁重に持て成すしかないだろう」

「じゃあ、取り敢えずっ、と」

 魔王の使い魔たちは、いとも簡単に人間に化ける。

 彼等にお茶の準備を任せ、皆を屋敷内に入れた。使い魔たちは厩舎で馬を休ませる。

 使い魔たちの働きは、完璧だ。そこらの人間など及びもつかないほどに。


 ソフィヌベール皇女の願いを聞き入れ、秘密裏に話を聞くことにした。

 本来なら、ソフィヌベール皇女だけを応接部屋に迎え入れ、弟君ほか従者や侍女には別室で待機してもらう予定だった。

 しかし従者が聞き入れない。ヘルサタン2世は仕方なく、従者を2人だけ部屋の中に入れた。


「まさかこのような森に、畏れ多くもソフィヌベール皇女さまが御出座しになられるとは。相当のご覚悟がおありのようでいらっしゃる」

「私が来ることがわかっていたのか」

「それが、わたくしの生業でございますゆえ」


 ソフィヌベール皇女は、皆が怖れると言う、或いは、古の時代から女性たちを揃って虜にしたと城内でも噂の、魔王ヘルサタン2世とやらを直視した。


 右手の小指には、特徴のある文様の施された長い爪。貴族でもそうそう類を見ない、鼻筋の通った顔立ち。森の緑を思わせる深い瞳の色。茶系の混じったシルバーの髪。目は切れ長にして、長いまつ毛と相俟って、昔聞いた御伽話の王子様を連想させる端正な顔立ち。

 話し方も紳士的で、とてもではないが、世界屈指の魔力を持つ悪魔とは思えなかった。

 悪魔というからには、耳が立って口も耳まで裂けていて、羽があって・・・と想像しながら此処まで来たのだが。


 やはり、噂は本当だったと見える。となれば、別の噂・・・権力争いを影で牛耳るという話も、強ち間違いではあるまい。


「ひとつ、そなたに聞きたいことがある」

「何でしょう、ソフィヌベール皇女さま」

「洩れ聞いた話なのだが。大叔父ドラヌル公爵が、クーデター前にそなたの下を訪れたとか」

「さて、そんな無粋な男には、まったく覚えがありませんね」

「秘密の契約か。ま、よかろう」

「他の悪魔とお間違えでしょう。わたくし、悪事を働く人間は好みませぬ」

「そうか?では、私がこれから働くのは、悪事ではないということか」

「さようでございます。さぞや、お辛い思いをされたことでございましょう」


 ソフィヌベール皇女が、必死の思いで涙を堪えているのがわかる。

 それでも気丈に振舞う姿は、毅然としてとても美しい。

 ヘルサタン2世は、そのような凛とした崇高さを、何よりも好む。

「本題に入るとしよう。私は、そなたと契約を結びたい」

「ソフィヌベール皇女さま、畏れ入ります。契約の意味を、ご存じでいらっしゃると?」

「勿論。私を魔女にしてくれぬか」

「契約には、成功報酬、所謂対価が必要にございますが」

「対価は生憎、この心臓しかない。この心臓など、大業のためなら惜しげもなく差し出そう。大叔父ドラヌル公爵を、あの玉座から引きずり落とすことさえできれば本望。本懐を遂げた暁には、この心臓をそなたに渡そうではないか」


 ヘルサタン2世の脳裏で、これまでの経過とこれからの行く末が暗示され、交錯する。

 ソフィヌベール皇女は、魔女への転身を望むという。

 己が心の臓と引き換えに。

 クーデターを引き起こした憎き大叔父、ドラヌル公爵の命を狙い、父母の仇討ちという腹積もり。その公算が色濃く反映された結果だろう。

 待てよ。

 一所に来た一行の中に、弟君がいた。

 彼がいるということは、仇を討ったあと、弟君が皇帝の座に就くことは間違いない。明白過ぎるほどに明白ときている。

 そして、ドラヌル公爵の命が、このソフィヌベール皇女によって尽きることもまた、明瞭なる事実という暗示がなされている。


 ヘルサタン2世は、ソフィヌベール皇女の足元を見たわけではない。

 ソフィヌベール皇女の心臓なら確かに、契約の対価として存分に匹敵し得るものである。

 瞬間的にヘルサタン2世の口を衝いて出たのは、予想も付かない言葉であった。これが終生、互いの誤解を呼ぶ原因となるなど、今の2人は予想もしなかった。


「足りませんね」


 ソフィヌベール皇女は、驚きを隠し得ないような表情と瞳を、ヘルサタン2世に向けた。

「足りぬと申すか。もう、そなたに渡せる対価は、私には無い。我が心臓のみだ」

「ソフィヌベール皇女さま。わたくしに隠し立てなど通用いたしませぬ。貴女さまは、ひとつだけ隠し事をしていらっしゃる」

「何のことだ」

「弟君が玉座に就かれたのちに、ソフィヌベール皇女さまの極上たる御命を頂戴できるのは有難い。しかし、弟君の御世の安泰を、心の底で願われているのでは?」

「確かに。そのとおりだ」

「それならば、弟君の御世の安泰までを、契約期間とされるがよろしゅうございましょう」

「ありがたい話だ」

「それ故に、契約の対価と我が儀式『ダークマスター』は、秤にかけて釣り合う状態でなければいけませぬ」

「というと?」

「わたくし、ソフィヌベール皇女さまほどの才色兼備な女性を拝見したことが一度もございません。契約が終了するまでの間、生きてわたくしの奴隷となるならば、その願い、お引き受けいたしましょう」


「ソフィヌベール皇女さまに向かい、ふざけたことを抜かしおって!」

 奴隷などという失礼極まりない発言に、従者たちは自分の立場も忘れ、相手が誰なのかも忘れ、怒ってヘルサタン2世に剣を刺し向けようとした。


 しかし、従者たちはソフィヌベール皇女によって、その動きを止められた。

「剣を収めなさい。今の私たちは剣を振るう立場にない。ヘルサタン2世殿、従者が無礼を働き申し訳ない」

「いいえ、勇猛果敢な部下をお持ちでいらっしゃる。何よりです」

「お前達。下がっていなさい」

「皇女さま、奴隷などと余りに・・・」

 それでも、従者2人は納得が行かないと言った様子で、剣を鞘に戻す気配がない。

「いいからお下がり。デュールの様子を見てきておくれ。ずっと馬の上で疲れたことだろう。ヘルサタン2世殿、お願いばかりで申し訳ないが、今晩は、この屋敷で休ませていただいてもよろしいか」

「はい」

「お前たちも、今日はもう、休ませてもらいなさい」

 ヘルサタン2世は、にこやかに微笑むと皇女に向けて恭しく頭を垂れる。

「失礼ながら、もう、シャワーやベッドの準備も整っております」

「ありがとう、ヘルサタン2世殿。何日ぶりのベッドか、もう分からないくらいだ」

「シャワーは、どうされます?」

「差し支えなければ、従者と侍女にだけでも使わせてほしい」

「ソフィヌベール皇女さまと弟君は?」

「私と弟は馬に乗っていただけだ。従者たちは歩き通しで相当疲れているはず」

「では、疲れの取れる秘薬を、バスタブに浮かべることといたしましょう」


 ヘルサタン2世に呼ばれた使い魔たちは、パタパタと歩き回り、ベッドの準備やバスタブの準備に追われていた。


 ヘルサタンは、少なからずソフィヌベール皇女に興味を抱いた。

 皇女としての立居振舞もさることながら、かなり胆の据わった女性、いや、少女とみえる。

 歳は、17、いや、確か先日18になったばかりのはず。

 嫁いだという話も聞かない。恐らく処女だろう。

 その心臓ともなれば、超の付く極上品であることは間違いあるまい。

 髪はブルネット。やや茶系ではあるが、祖先の血を引き継いだと見られる、目の色も茶系。笑うと右に笑窪の出る可愛らしい顔立ち。ま、今は笑ってもくれないが。

 どちらかといえばゲルマニース民族に近いようだ。先程ちらりと目にしたデュビエーヌ皇子さまも同様だった。


 それよりもヘルサタン2世の心を強く惹き付けたのは、皇女の資質だった。

 これが男性であったなら、稀に見る賢慮深き皇帝と名を馳せたことだろう。

 何よりも、臣下への配慮を忘れない、そのカリスマ性とも言うべき気遣い。普通の貴族なら、下僕は後回しで自分だけ綺麗な湯、最初の湯を使おうとする。それが、自分でもなく、皇帝になるべき弟でもなく、臣下が先と言う。

 これぞ未来の国の繁栄に通じるカリスマ性だと、長年の経験がヘルサタン2世の脳裏を過る。歴代皇帝の中でも、群を抜いている資質だ。

 ソフィヌベール皇女を前にして、ヘルサタンの目の奥には光が宿った。弥が上にも、その興味は増すばかりだった。


 ヘルサタン2世の切れ長の眼差しは、ソフィヌベール皇女を舐め回すように見つめる。その視線に気が付いたのだろう。ヘルサタン2世の美貌を前に、見つめられただけで気を失うご婦人もいる中、ソフィヌベール皇女は視線を逸らそうとしないばかりか、やおら、直球勝負で挑んできた。

「ああ、それで、ヘルサタン2世殿。契約の話だが」

「はい、ソフィヌベール皇女さま。契約の件、ご検討の余地ありと?」

「奴隷か。ふふっ。今迄の私なら、すぐに剣をとっただろうな」

「おや、剣術の嗜みをお持ちでしたか。ほう、武芸にも秀でていらっしゃるようですね」

「だが、今はそんな場合ではない」

「状況判断も、この上なく的確かつ正確かと」

「今のままでは、いずれ狩りに遭ってしまう。僅かの味方すら守ってやれぬ、不甲斐ない皇女なのだ、私は」

「して、如何なさいます?」

「総てそなたの言う条件のとおりにて、契約したい」

「結構。それでは、のちほど儀式を執り行いましょう」

 

 ヘルサタンには、現在の森の中の様子すら脳裏に浮かんでいる。

 森にまで、追っ手が迫ってきているのは確かだ。

 まったく、やみくもに探そうとするから森が荒れる。

 僕の森に許可も無く入る人間を見逃すくらい、僕の心は広くないのだがね。追っ手殿には、迷った挙句どうなってもらおうか。

 あまり美味しそうな心臓でもないけれど、使い魔たちには我慢してもらおう。


 ヘルサタン2世はソフィヌベール皇女の前で、再び首を垂れる。

「デュビエーヌ皇子さまの、弓や剣の腕前は」

「筋が良い。訓練さえ怠らねば、それ相応に上達するはずだ」

「なるほど。それでは、一旦、ソフィヌベール皇女さまと別れて行動なさった方がよろしかろう」

「やはりそうか。しかし、どうも心配でな」

「わたくしの使い魔を侍らせます故、ご心配には及びますまい」

「使い魔?そういった召使もいるのか?」

「さて、それでは召喚しましょう」

 現れたのは、大きな熊、黒い大蛇、黒い猫と黒烏。

「どうみても猫だ。烏は空を行き来出来るのだろうが」

「烏も猫も、何にでも形を変えるのです。ご覧に入れましょうか?」

「見せてもらいたい。弟を守ってくれる者たちだ」

「使い魔は、上等な魂を食らうことにより優れた能力を発揮します」


 ヘルサタン2世が声を掛けると、烏は人間たち数人を載せられるほどの大鷲になり、猫は黒い虎へと姿を変える。

 次の瞬間、彼らは人間の姿に形を変えるのだった。

「先ほどお茶を持ってきたのも、ベッドやバスの準備も、この者たち使い魔が行いました」

「見事だ。使い魔とやら。弟と従者たちを、狩りに来る追っ手から、どうか守ってもらえるだろうか」

「畏まりました。ヘルサタン2世さまの使い魔として恥じぬよう、お守りいたします」

「ありがとう。よろしく頼む」


 ヘルサタン2世が屋敷の外を見ながら語る。

「ご安心を。この森は『ミステリアス・フォレスト』。わたくしの許しも無く勝手に進んでくるような不遜な輩は、生きて帰ることなど叶いませぬ。どうやら、もうじきその追っ手とやらが迫ってくるようです。追っ手は今晩中に逆に獲物といたします。明日早朝、弟君御一行は、別の隠れ家にご移動いただきましょう。そちらは魔法によって存在が隠されておりますゆえ、成るべく早めの移動をお薦めいたします」


 明朝早い時間に、男性達の一行はヘルサタン2世の使い魔によって目立たぬよう隠されながら、森の中に消えることとされた。


 ソフィヌベール皇女は、表立って挨拶しないようヘルサタン2世から申し渡された。陰から弟たちの一行を見守り別れを告げるように、との指示である。これから姉が何をするのか、弟に知らせないためだという。

 姉が魔女になるなどと知らせれば、13歳の弟は止めるに違いない。致し方あるまい、とソフィヌベール皇女も了承した。


 弟たちの命が本当に助かるのか、その真偽は分からない。

 しかし、狩りに遭って目の前で命を落とす場面だけは見たくなかった。森に行って行方知れずとなったのなら、夢でも生きていると思えるだろう。

 儚い夢と知りつつも、父母のような悲壮な最期を遂げて欲しくなかったのである。

 

 そこで、ふと気がついた。女性たちである。


「私の侍女はどうなる?」

「侍女?」

「侍女まで魔女にするのは、忍びなくてな。私の財産でもない。守ってやりたいのだ」

「ふふん、そうですか。わたくしといたしましては、若い女性の心臓なら是非とも頂戴したいところでしたがね。なるほど、そうですねえ、この先、城下に舞い戻っても不審がられないといえば・・・『白魔女』でしょうな」

「白魔女?」

「はい。医術や占星術などを授けますので、医師や占い師として、城下の民衆から信頼が厚いのですよ。ま、教会からは追われる身になりますが。その辺りは、匿ってくれる民衆たちも多くおります。ですから、こちらもご心配には及びませぬ」

「そうか。それなら安心だな」

 

 と言いつつ、今迄、凛と前を向いていたソフィヌベール皇女の目が俄かに落ち着きを失くし、視線が辺りを彷徨いだしたのを見逃しはしない。

 ヘルサタン2世は、皇女が落ち着きを失くした要因を察知していたが、目の前にいるカリスマ性を兼ね備えた思慮深き少女が、どのような顔で、その問いを自分に投げかけるのか楽しみだった。


 ヘルサタン2世の考えた通りだった。

 ソフィヌベール皇女が、小さな声で恥ずかしそうに、ヘルサタン2世に問うた。

「彼女らも、噂に聞く儀式の『ダークマスター』とやらで、洗礼を受けるのか?」

 ソフィヌベール皇女の目が、心なしか潤んでいるのがわかる。やはり、これまで侍女を大切に扱ってきたのが分かる。本当に、深い労わりの心をお持ちの姫君だ。

「ご心配には及びません。白魔女は魔女と違って、簡単な知恵を授けるだけですから」

 先程とは裏腹に、ソフィヌベール皇女の目には安堵の色が浮かぶ。

 

 ヘルサタン2世は、その顔を見ながら悪戯っぽく微笑む。

 儀式に際し、ソフィヌベール皇女が動転しないよう使い魔にジャスミンの香りがする茶を入れさせ、ソフィヌベール皇女に勧める。

「さ、どうぞ。気分が落ち着きますよ」

「ありがとう」

「して、ダークマスターの儀式ですが、いつ頃をお望みでいらっしゃるか」

「侍女たちが城下に戻り、弟たちの無事が確認できれば、いつでも良い」

「時間や内容は、わたくしにお任せいただけますか」

「心の準備は、とうに済んでいるつもりだ。総て任せる」

「畏まりました。それでは、ソフィヌベール皇女さまの仰せの通りに進めることといたしましょう」


 そして、ソフィヌベール皇女の背後からゆっくりとその両肩を抱き、右耳の方にそっと顔を近づけると、耳元で甘ったるく、静かに囁いた。

「皆さまのことは、どうぞ、わたくしヘルサタン2世にお任せくださいませ。ご心配には及びませぬ。その代り、これから魔女となられるソフィヌベール皇女さまのダークマスターは、3日3晩の時間をかけて、ゆっくりと、血の一滴、肉の欠片まで、美味しくいただくといたしましょう。怖がることはありません。大丈夫。ほんの少しだけ淫らな行為もありますが、手荒な真似など一切いたしません。ここに御誓い申し上げます」

 

 肩から離した手で、今度はギュッと両手を握る。

 ソフィヌベール皇女は、少し顔を赤らめた。

 その耳の火照りを見逃すヘルサタン2世ではなかった。


「さ、ソフィヌベール皇女さま。今宵はベッドにて、ごゆっくりとお休みくださいませ。そして今迄のお疲れを御取りください。これからのダークマスターに備えていただかねば。3日3晩ともなれば、ソフィヌベール皇女さまも、その期間ベッドで眠ることなど叶いませぬ。ですから、今のうちに、ゆっくりとお休みを・・・」

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