落ちこぼれ魔導師と騎士 1
天空神トータティスの加護を受け、スピリットに守られた神の国、エードラム国。
小さな島国の一国だが神秘の国と他国から評され、常に侵略に脅かされてきた。
独特の多数神をあがめるエードラム国は国と己の神々を守るため自衛手段として騎士団を設置した。
そして神々の守護を最大限に受けるために魔導士を置いた。
豊かではないが小国にしては広い領土を持ち、長年にわたり神々と独特の文化を守ってきた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「おい、ライオネル。これから慰労会があるらしいけど、お前どうする」
馬を厩舎に戻しながら黒く鮮やかに光を反射する甲冑を身に付けたエイハブが今後の予定を聞いてくる。
厩舎にはたくさんの騎士が溢れ、様々に馬を労いながら他愛もない話をしているので賑やかだ。
騎士たちは今しがた国境の防衛戦から帰ったところだ。
大抵こういう大掛かりな戦があると必ず慰労会なる宴会が城で催され、大抵の騎士が出席するものだったがライオネルは家族の喪が明けていないからと遠慮していた。
もちろんその理由だけではなかったが。
「ああ、俺はいい。それより早く帰らないと」
ライオネルはようやく遠征を終えた安堵よりも優先すべきことがあったのですげなく断るとエイハブが苦笑している。
「本当に付き合い悪いな、お前。そんなにあのユーリちゃんが大事か」
「変な呼び方するな。ユリシーズだ」
「はいはい、ユリシーズちゃんね。まったく過保護だな、お前は」
「仕方がない。実際手がかかるんだから。また今度メシでも行こう」
「ああ、そうだな」
それじゃ、とライオネルは苦笑しているエイハブと別れわき目も振らず我が家へと足を向けた。
エードラム国、屈指の名家、バルト家。それがライオネルの生家だ。
もともと騎士の家だったがその武勲から貴族へと引き立てられたのだが。今は名ばかりで屋敷も庭も少し裕福な商人のものと大差ない。
それでもその庭に生い茂る花々は見事で「花屋敷」と異名をとっている。
絡みつくツタを手で払いながら軋む扉を押しあける。
出迎えは使用人が数人の家ではあるわけがなく、それも今では慣れたことでライオネルはさっさと自分の部屋に入ると重苦しい甲冑を脱いだだけで、再び部屋を出ようとした。
そこで使用人の一人であるベッツィとすれ違った。
「まあ、坊っちゃま、いつの間にお帰りに?」
「ああ、たった今。それよりユリシーズはどうしてる?」
「……ユリシーズ様は離れで、また何やらおぞましいものをぐつぐつと煮込んでましたけど」
あからさまにベッツィは顔をしかめる。その様子でライオネルは全てを悟る。
「……いつから?」
「さあ。三日? 五日くらい前からですかね。ろくに食事も召しあがらないで」
「そう、ありがとう。悪いけど風呂の用意をしておいてくれるかな。あと食事も」
「はいはい、心得ておりますよ」
ベッツィの呆れ混じりの声を背中で聞きながらライオネルは早足で離れに向かう。
離れと言っても敷地自体が狭いので目と鼻の先だ。
その離れから何やらどす黒い煙が出ていてラオネルはやっぱり、とため息を吐いた。
火事ではない。火事の煙なら紫色の煙が混じるわけがない。
ユリシーズが何やら薬草を煎じているのに間違いない。
鼻の曲がりそうな匂いが辺りに充満しており栓をの役目をしていた扉をあけると強烈な匂いに気絶しそうになった。
「ユリシーズ。その辺でやめてもらえませんか」
袖で鼻を覆いながら声をかけると、奥から全身煤のようなもので真っ黒に汚れたユリシーズが小さな壺を持って現れた。
「ライオネル? もう遠征は終わったの?」
煤だらけの顔で緑色の両の目がライオネルを捉える。
目が大きく、濡れたように光っているのでその顔立ちをやけに幼く見せている。
「ええ。今戻りました。それよりひどい格好だ。風呂に入ってください」
「ライオネル! 怪我してる! ちょうどいい、今出来た傷薬を塗ってあげる! すぐに治っちゃうよ!」
「別に怪我なんかしてませんからっ、ユリシーズっ!」
「だめ、ここ擦りむいてる! 早く治さなきゃ!」
と壺に手を突っ込み真っ黒に濡らした指をライオネルの顔にすりつけようとする。
「これくらいかすり傷ですから! お願いだからやめてください、ユリシーズっ」
懇願するも虚しく、べっとりとライオネルの頬に黒い異臭のする液体を塗りつけられた。
鼻腔を激しく刺激する匂いに気が遠くなりそうになりながら、今度こそライオネルはユリシーズからその壺を取り上げた。
「よく見てください。この薬を塗るほど怪我してないでしょう?」
「……うん」
素直に頷くユリシーズは残念そうに頭を垂れる。そうしてしまうと元は何色だったか分からない煤で汚れたローブをすっぽりと被っているせいで、子供のような妙な愛らしさがある。もともとユリシーズは子供のようなものだ。たった14歳の少年だ。
「お風呂、入りましょうか」
フードの上から優しく頭を叩くとユリシーズは素直に頷いた。
ほっと息を吐くのもつかの間。
やにわに外が騒がしくなる。
ベッツィが屋敷の窓から顔を出してライオネルを呼んだ。ベッツィは鼻を摘まみ悪臭を吸い込まないようにしながら叫んでいる。
「坊っちゃま、早くその薬を皆さんに分けるようにユリシーズ様に仰って下さいましね!」
言うなり窓を閉める。この悪臭の中ベッツィは手伝う気がないらしい。苦笑してライオネルはユリシーズを促す。
「ユリシーズ、薬を早速皆さんにお分けしましょうか」
これだけ悪臭を出しても近所から何も苦情が出ないのは、そういうわけだ。良薬口に苦しとは言うが、これだけの悪臭が出る薬はその効能も素晴らしい。傷口の化膿を防ぎ、あっという間に薄い皮膚を張らせ、治してしまうのだ。ライオネルの頬の刃物のかすり傷も今では立ちどころに消えている。
近所の住民はそれを目当てにこの屋敷の門の所に集まってきているようだ。それも毎度のことでもう慣れている。
集まったご近所さんに無事薬を配り終えると二人はようやく風呂につかった。
嫌がるユリシーズを捕まえ一緒に湯船につかり、石鹸でごしごしと洗う。湯は二回換えた。真っ黒になった湯が流れるのを見るのは慣れていても辟易とする。
最初ユリシーズも嫌がっていたが、気に入りの花の香りの石鹸で洗えばうっとりと気持ちよさそうな顔でライオネルに身を任せていた。煤にまみれた体から真珠のような白い肌が覗く。
石鹸をまるまる一つ使い切る頃にはライオネルもユリシーズも随分小奇麗になっていた。
ユリシーズの白い肌に金茶の背中までの髪がまるで乙女のように愛らしい。美女かどうかは別にして、大きな鮮やかな緑の瞳も相まってまるで神話に出てくるような妖精のようだ。
「さあ、綺麗になりましたね。次は食事をしてください、ユリシーズ」
簡素だが上品なデザインの貫頭衣を着せればもうユリシーズは立派な魔導士だ。
ライオネルもさっぱりとした清潔な普段着に着替える。
貴族らしからぬ小さな食卓で二人温かな食事にありついた。
偏食するユリシーズを嗜めながらゆっくりと食事をする。
ユリシーズはライオネルの、バルト家騎士の魔導士だ。
エードラム国では騎士団のうち黒騎士と呼ばれる騎士のほとんどに専属の魔導士がいる。ライオネルも黒騎士団に所属し例にもれずユリシーズという魔道士を得ている。
それは侵略の多いエードラム国を命をかけて守る騎士に天空神トータティスとその神に下るスピリットの加護を与えるためだ。
この世界は神と、その僕であるスピリットの力で成り立っている。それは人間の力の及ばない領域だ。その領域を人間の世界に近づけ、力に変えるのが魔導士の役割だ。
多くの魔導士はスピリットの分子を集め、集約して騎士の甲冑や武器に授ける。
時にそれは灼熱に耐え得り、凍てつく冷気をも弾き飛ばす力を持つ。
その力は確かに騎士たちを守り、戦いの勝利へと導く奇跡の力だ。
バルト家は代々ユリシーズの家系、シャブリエ家の魔導士を専属としていた。
だがライオネルはシャブリエ家の力を宛てにしていない。
というよりもユリシーズの力を宛てにしていない。
確かにユリシーズも素晴らしい力を持っているのだろうが、いかんせん、ユリシーズは魔導士としては未熟だ。
うまく加護の力を武具に宿せられないユリシーズは神殿からも王宮からも無能と嘲られている。
ユリシーズが魔導士として劣っている訳ではない。同じ年頃の魔導士見習いたちと能力はそう変わらないが、先代の栄光が強すぎるのだ。だからその能力に及ばないユリシーズは見くびられる。
ライオネルは今までユリシーズの加護を受けないまま戦いに出ていた。
ユリシーズを軽んじているわけではない。そんなものに頼らなくても自分の力で切り抜ければいいだけの話だ。そうでなければ黒騎士は務まらない。そう考えている。
食事を終えるとユリシーズは五日間の疲れが出たのか眠気に抗えず自分の部屋へ帰っていった。
床の用意を終えたベッツィがその様子を呆れたように見ている。
「これで私もゆっくり出来ますわ。あの方が起きているとロクな事をしでかさないんだから」
ライオネルは苦笑するしかない。ベッツィの言いたいことは嫌と言うほど伝わってくる。
「まったく、この間は部屋を羽毛まみれにするし、本当に手間をかけることだけは一流なんですから」
「……あれは君が柔らかいクッションが欲しいというから」
「分かってます! だから文句も言えないんですよ」
ベッツィが腰痛のため柔らかいクッションでもあれば、と呟いたことが原因だった。それならそれでどこかの部屋から余ったクッションを持ってくればいいだけの話だが、その声を聞きつけたユリシーズが大量の羽毛を魔導士の力で運んできた。
部屋中に溢れた羽毛にベッツィが目を白黒させ、その場に居合わせたライオネルは慌ててベッドのシーツを外し、その中に掻き集めたことはまだ記憶に新しい。
結局その大量の羽毛はクッションだけに留まらず屋敷全員分の掛け布団へと変わった。
「ああいうところだけは本当にシャブリエ家の血筋を引いていらっしゃいますものね」
ベッツィはため息をついた。
ユリシーズの、シャブリエ家の家系は強い魔導士の力をひいている。ユリシーズの兄のマティも素晴らしい力を持っていた。彼が他界していなければ神殿でも王宮でも強い影響力を持っていたはずだ。
「いいじゃないか、魔法なんて娯楽程度が丁度いいんだよ」
「よくありません! 坊ちゃまにトータティス神の加護を与える人があんなことでは私は心配で夜も眠れません! もしあの方の力が足りずに坊ちゃまに何かあったら……」
ライオネルは苦笑した。
「大丈夫だよ、俺もそうそう死ぬ予定もないからね」
「当たり前です!」
「まあまあ。ユリシーズを怒るのも加減してくれ。あの子は……まだ子供なんだし」
ライオネルが言葉を濁した意味をベッツィは正確に理解したようで、苦々しく頷いた。
ユリシーズは今や天涯孤独の身だ。
唯一の肉親である兄のマティが戦死してからは。
ユリシーズをこの屋敷に引き取ったのはマティの遺言でもあったし、ライオネルも専属の魔導士であるシャブリエ家を無碍にも出来なかった。
それに、今は亡き姉のアネリもユリシーズを随分と、実の弟であるライオネルよりも可愛がっていたから。もちろんライオネルだってユリシーズは可愛いと思っている。
ベッツィもこの屋敷の僅かな使用人たちも無垢で破天荒な妖精のようなユリシーズを悪くは思ってない。
「ユリシーズの子守も疲れただろう、ベッツィ。今夜は君も早く休んでくれ。明日は母と姉の命日だからね。朝から忙しいだろう」
「そうですわね。そうさせてもらいますわ」
そうして屋敷には久しぶりの静かな夜が訪れた筈だった。
ライオネルも緊張を強いられていた遠征先での疲れもあり、早々と床につき深い眠りに落ちた。
が、翌朝ベッツィの悲鳴でライオネルは随分と早く目が覚めた。
部屋の扉をあけると、廊下になにかピンク色のものがまき散らされていた。
なんだろう、としゃがみこんで摘まみ上げる。
それは小さな花弁だった。
ピンク色の小さく可憐な花弁が大量に廊下に撒き散らされている。
「……ベッツィ、どうしたんだ……」
と隣の部屋のドアの前で悲鳴を上げているベッツィの傍へ行く。
そして彼女の後ろからひょい、と覗きこんだライオネルは理解した。
この部屋は亡き姉の部屋だった。
その部屋は主を失っても整然と整えられている筈だったが。
その部屋は見事なピンク色で埋め尽くされていた。
僅かな風で舞い上がるそれは廊下に撒き散らされている花弁と同じものだろう。
誰の仕業かなんてもう一人しか思い当らない。
こんな突飛な事は日常茶飯事過ぎて驚きはあっても怒りはなかった。
さて、何の花弁だったか、とライオネルは寝起きのぼんやりとした頭で記憶を引っ張り出した瞬間、庭へ走っていた。
家族の墓がある、小さな裏庭へ。
そしてその光景を目にしたとき、ライオネルは息を飲んだ。
庭一面に、咲き誇るプリムローズ。
控えめで甘い匂いが庭中に溢れている。
墓の前で蹲るちいさな背中はユリシーズだ。
もぞもぞと動き、何かを作っているようだ。
やがて、「出来た!」と嬉しそうな声を上げ、それを姉の墓に被せた。そしてもう一つ、また一つと作りあげ三つの墓に乗せる。
それはピンク色の愛らしい花冠だ。
プリムローズは姉が愛した花だ。その花で仲良く姉とユリシーズが花冠を作っていた情景をライオネルは思い出す。
だが今の時期、プリムローズが咲くには少し季節が早い。
疑問に思う前に、マティの言葉が脳裏によみがえる。
『魔法なんて所詮、道楽程度が丁度いいんだよ、ライオネル』 それは美しい稀代の魔導士ならぬ言葉だった。
この世で一番スケッルス神に愛されていると弟を称したマティはこうやってユリシーズが花を咲かせるたびにそう言って笑った。
それは慈しみで溢れていた。
「あ、おはよう、ライオネル。今日はアネリとお母さんの幸せを祈ろう」
ライオネルに気付いたユリシーズが笑う。
綿毛のような金茶の髪に朝露をはじいている。
それは夢のように美しくて、夢のように幸せな光景だった。
もし姉が生きていたならば歓喜のあまり少女のようにこの庭を駆けまわっただろう。
そしてユリシーズに感謝のキスを落としていたかもしれない。
思えばユリシーズは姉が大好きだった。
療養のためこの地を離れる時も嫌がって大泣きしていた。
自然と笑いが洩れる。
幸福感に包まれながらライオネルはユリシーズの隣にしゃがみこんで姉と母の冥福を祈った。