選ぶ道
矢崎優斗は大学を卒業後、すぐに警察学校に入学した。
親友、矢上信二は大学に入学した頃から警察官を目指していた。正義感が強く、道端に落ちている1円すらも警察に届ける正義感。
他人からは理解されない強すぎる正義感だが、優斗はそんなところも好きだった。不真面目な優斗だが、矢上だけはいつも親身になって接してくれた。大学の単位や勉強どころかくだらない色恋沙汰まで本気で考えてくれた矢上が優斗は大好きだった。
優斗が警察官になった理由、それは矢上と卒業後も一緒にいたかったのと別にやりたい事が無いという単純なものだった。学生時代に警察官ならその腕力で沢山の弱者を救えると矢上に言われたことが嬉しかった。それだけで警察官になったようなものだった。
矢崎優斗は職場のある新宿駅に向かう電車に揺られていた。
「警察官がマイカー通勤駄目なのは解るけれど、やっぱり満員電車で通うのは辛いなぁ」
人が溢れるくらいに詰まり、色々な匂いが充満した満員電車の吊革を握りながらそんな事を考えていた。通勤や通学の為に、いろいろな人間が乗る電車の車内はいつもと変わらず混み合っていた。優斗は、もしかしたら、呑気に恋人との待ち合わせ場所に向かう者もいるかもしれない。そんなくだらない事を考えてると、新宿駅に到着するというアナウンスが流れた。優斗が電車から降りようとすると、隣にいた女も操作していていた携帯電話を鞄にしまった。どうやらこの女も新宿駅で電車から降りるようだ。
新宿駅は東京都新宿区・渋谷区にまたがって所在し、一日に横浜市や静岡県の人口に匹敵する人間が利用する為、乗降客数が世界一多く、ギネス世界記録にも認定されている程だ。
新宿駅からA18出口を出て職場に向かう十分程度。その時間を優斗は一日の計画を立てることに充てていた。ふと、立ち止まり空を見上げると、夏の強い日差しがまだ午前中だというのに、眩しいほどに差していた。
「……サングラスでも買うかな」
職場に着き、喉が渇いた優斗は先輩の佐々木弥生と地取りをする前にコーヒーでも飲もうと思い自販機へと向かうことにした。おもむろにポケットから出した千円札を自販機に捻じ込むといつものコーヒーを選んだ。金の輝きと言う名の二流ブランドのコーヒーだがこの微妙な甘さが気に入っていた。取り出し口から缶を取り出すと無造作に釣銭をコインケースに入れた。
「――あ、優斗くん。丁度良かったジュース奢ってよ」
後ろから聴こえた聞き覚えのある声に振り返ると、案の定、知った顔が笑顔で立っていた。
「なんだ、京子か。……なんで白バイ警官が新宿署にいるんだよ?」
菅原京子は警視庁でちょっと有名な白バイ乗りだった。まるで流れるようなバイク捌きと肝の据わった走りで違反車両を取り締まる。女性ながらに大型バイクをあたかも中型バイクのように扱う事で有名だった。みんなからは追撃者と呼ばれていた。
「あぁ、近くに来たからトイレを借りに寄っただけ。……それにしても今日は暑いよね?」
警察官は夏でも厚着だ。防護ベストの着用が義務付けられているし、白バイとなればプロテクターに生地の厚い長袖長ズボン、それにロングブーツだ。
「暑いんだから早く奢ってよ! 千円札も小銭も無くて自販機で買えなくて困ってたのよね」
「……有名な金持ちの台詞とは思えないな。――ほら、好きなの買えよ」
優斗は500円玉を京子に渡すと、少し呆れ気味に話した。
「あ、ありがとう本当に助かったよ。――私が? ……私のどこがお金持ちなのよ。優斗くんの方がお金持ってると思うけど……」
京子は優斗を横目で見ると、どこか納得いかなそうに話した。
「はぁ? ハヤブサで通勤して、旧車のローソンレプリカまで持ってるクセに、どの口が金が無いって言ってるんだ?」
「あぁ、アハハハ。いやだってさ、ほら? どっちも誕生日に彼氏に貰ったバイクだし……」
「……どこに彼女に世界最速のバイクや旧車をプレゼントする男がいるんだよ?」
いくら彼女がバイク好きでも、普通の彼氏ならモンスターバイクをプレゼントしないだろう。
「おかげで、白バイ乗っても怖くない訳だし……」
京子は優斗の台詞を笑って誤魔化した。
「まぁ……いいや。精々、事故には気を付けろよ。白バイが一番殉職しやすいんだからな!」
優斗はそう告げると振り返り、捜査車両が停めてある駐車場へと向かい歩き出した。
「……殉職か。嫌な事を思い出しちまったな」
殉職と言った直後に殺された親友の事を思い出してしまった。歩きながら段々と不機嫌になっていくことが自分でも嫌なほどにわかった。そういう時に限って更に怒りを助長するような事件が起こるものだ。反対側から警官に連れられた見るからにヤクザ関係者という雰囲気を出した男が大きな声で騒ぎながら歩いてきた。
「おう、任意やったな? 早うしてくれて、ありがとうなお巡りさん!」
ロクな証拠も無い状態で任意で連行されて来たのだろう、その男の顔からは笑みさえこぼれていた。優斗の前に立つと睨み付けるように言い放った。
「どけや! ホスト風情が! 調子こいてると次会った時に後悔すんぞ」
ヤクザ関係者らしき男は優斗を刑事と思っていないようだった。この街で優斗を知らない極道はチンピラと相場が決まっている。優斗は鼻で笑ってニヤニヤしながらも、ワザとらしく挑発するように相手の顔をまじまじと見てからすれ違った。優斗は捜査車両置き場に着くと停まっている車を確認した。全車両があるという事は、どの部署の事件にも発展は無いようだ。
優斗と弥生は新宿署を出ると、二人で手分して街で地取り(ききこみ)を始めることにした。眠らない街新宿には夜の顔も昼の顔も存在する。出張型風俗、通称デリヘル。近年、これが指定暴力団の資金源になっている可能性がある為、警察は本腰を入れて捜査開始する事となった。普通の人間ならば、この無数の人が行き交う街で情報を集めると考えただけで気が遠くなるだろう。だが、二人は当たり前のように情報収集をしているのだ。
「ったく、デリヘルみたいな無店舗風俗をどうやって把握しろと言うんだよ?」
そう思った矢先、一人の中年会社員が周囲を警戒しながら足早に一人でラブホテルに入って行った。優斗は建物の陰に隠れるとラブホテルの入り口を見張った。この後に一人でホテルに消える女がデリヘルのキャストという訳だ。その後は、ホテルから出てきた女を尾行すればデリヘルの待機場所が分かるという仕組みだ。一時間程すると、若い女がホテルから出てきた。優斗は覚られないように距離を置いて尾行し、とあるマンションの一室が待機場の可能性が高い事を突き止めた。再びホテル街に向かい歩き出した。すると、偶然警察署で見かけたヤクザ関係者らしき男が目についた。男は優斗と目が合うなりニヤニヤしながら肩で風を切って近づいてき、周囲を気にもせず優斗に絡んできた。
「兄ちゃん、さっきは随分と余裕こいてくれたな。ヤクザの俺に……あんな態度取ったんやし……それなりの覚悟はできてるんやろ? 許して欲しかったら金出せや!」
「それって……恐喝してるつもりですか?」
優斗は男の目を見ると真面目な口調で答えた。
「決まってるやろ! 早く出せや! 殺して埋めちまうでぇ!」
ワザとらしい関西弁を話すその男は、優斗のネクタイを掴むと自分の方に引き寄せ、優斗の胸に手を突っ込むなり財布らしきものを取り出した。財布らしきものを広げた男の表情は硬直し、みるみる内に血の気が引いて青ざめていった。
優斗は勢いよく男の急所を蹴り上げた。地面に倒れ悶絶する男が落とした自分の胸から出した警察手帳を拾い上げると吐き捨てた。
「現行犯だ。良かったな、四課の刑事に恐喝かますなんざ、これでヤー公として箔が付いて有名人だな。身元が割れてる以上、逃げても無駄だからな」
少しすると周囲の人だかりを縫うように一人の女性が小走りで寄ってきた。ちょっと気が強いOL風の外見で優斗の相棒を務める先輩刑事の佐々木弥生だった。
「ちょ、ちょっと優斗君! あなた何をしてるのよ!」
弥生は状況が把握できずにいた。
「何って? 俺の首を絞めてきたんで現行犯逮捕ッスけど……」
手錠をかけた男の手を上げて笑いながら話す。
「現行犯逮捕? 首を絞めてって……優斗君を? そんな……嘘でしょ?」
優斗の台詞を聞いた弥生は思わず笑ってしまったようだ。
「……あなた、優斗君のこと知らなかったの?」
弥生の口から深いため息が出た。
「……ご愁傷さま」
「――ご愁傷さまって……どういう意味……だよ」
男から情けない声が漏れる。
それから一時間弱が経過した頃、男はその意味を知り後悔することになった。
「へぇ、白州組の組員なんだ。白州っていやぁ……確か今は組長不在で若頭補佐の寺田武蔵が組を仕切っているんだっけ?」
優斗の上司、真下恭兵は取調室で缶入り珈琲を啜りながら話し出した。
「お前もさ、よりによって優斗に絡むなんて……」
「刑事さん、なんなんですかあの刑事? 俺を殺人未遂で立件って普通じゃないでしょ?」
男は不満を真下に対しぶつけてきた。真下はポケットから煙草を出すと、禁煙という張り紙を無視するかのように使い捨てライターで火を点け、ゆっくりと深く吸い込み紫煙を吐いた。
「……ブギーマンだよ」
「……ブギーマン?」
男は意味が解らないという顔で真下を見ていた。
「つまり、おまえ等にとって一番恐れるべき者って事だ」
そう言うと軽く咳き込みながら空き缶に煙草を入れ消した。
「……優斗、お前が言った通り、一応は殺人未遂で調書は取ってやった。だが、あんなチンピラをパクったって矢上の敵は取れないぞ?」
真下は優斗の机に腰かけるとそう話しかけた。
「ありがとうございます。……信二の銃で白州組の組長が取られた以上、組員を追っていれば何処かで犯人にたどり着きますよ」
真下はしばらく無言のまま優斗を見ていた。
「そうかもな。その内……たどり着くかもな。だが、殺人は四課の本筋でないのは頭に入れておけよ。ま、本腰を入れてやりたいなら一課に移動するんだな」
「……はい。でも、それは嫌なくらい理解してますから」
優斗が警察官になったのは、優斗が親友の矢上と一緒に居たかったからだった。将来の進路に迷っていた優斗だったが、矢上が警察官を希望したから自分もなった。その結果、優斗は喧嘩が強く肝が据わっていて警察官に向いていた。ただ、それだけの事だった。優斗は刑事、矢上は交番で街のお巡りさんになり、結果的には学生時代に比べ会う時間は減ったが、それでも非番を利用したりサボったりと矢上には会いに行っていた。
そして前触れもなく事件は起きた。深夜、交番にいた矢上とその同僚が鋭利な刃物で何者かに襲われ殉職し、両名の拳銃が奪われたのだ。その数日後に白州組の組長が奪われた拳銃の凶弾に倒れた。当時、この事件はマスコミでも大々的に取り上げられ社会を騒がしたが、今では市民も忘れつつある事件だった。
後日、思わぬ形で一課に配属される事となった。一人の二十代女性が殺され、その事件にヤクザが関わってる可能性が出てきたのだ。そこで一課の担当者から佐々木弥生を指名で応援要請が来た。その時に弥生から相棒も一緒ならばという条件が出されたのだ。
弥生が優斗の机に来るなり、手帳を見ながら話かけてきた。
「優斗君、新しい情報が入ったわ。被害者の及川浩子は、昼間の仕事とは別にスナックで働いていた。その前の職場がわかったみたいなの。源氏名はのあだったみたい。望む愛と書いて望愛だって」
それを聞いて優斗は鼻で笑った。
「望む愛と書いて望愛。……だが、あんまり愛には恵まれなかったみたいだな。
感想よろしくお願いします。自分の小説は基本同じ時間軸の同じ登場人物になります。