イツキ、ケガをする
新人訓練生たちの笑い声が頭上から聞こえてくる。
どうやら自分は落とし穴に落とされたようだと気付き、イツキは辺りを観察する。深さ3メートルはありそうだ。ジャンプしたくらいでは手など届きそうにない。
狭ければ両手足を使い壁伝いに上がって行くのだが、残念ながら穴の幅は2メートル近くあった。どうやら穴堀り訓練で掘ったものだろう。普通は掘った穴を隠すような危険なことはしないはずである。
「おい、本当に大丈夫なのか?」
「どうせここまで石は飛んではこないさ。たぶんな……」
新人訓練生たちの笑い声が、次第に遠ざかっていく。ケガをさせてもいいと思っているのだろう。
間もなく次の試投が開始されるというのに……
どうしたものかと思案しながら、イツキは穴の中で1歩踏み出した。
「痛っ!」どうやら落ちた時に右足を挫いたようで、結構な痛みを感じる。薄暗い穴の底にしゃがんで足首を触ってみると、まだ腫れは酷くなってはいない。
投石機までの距離を考えると、叫んでも恐らく聞こえないだろう……穴の中からでは尚更である。
「ソウタ指揮官、王様だけではなく、サイモス王子もいらっしゃるのですか?」
レガート軍でソウタ指揮官の下で働いているハモンド(イツキの教え子)23歳は、午後から行われる投石機の実演に出席される予定者の、安全確認と段取り確認のために演習場を訪れていた。
「そうだ。サイモス王子が王様に同行されるのは初めてだろう。くれぐれもケガや事故の無いよう注意せねばならない」
ソウタ指揮官は、休憩後に始まった投石機の試投で起こる、ドーンという音の方に目をやり、辺りの様子に気を配りながら、技術開発部の連中の元へと進んでいく。
大きな音は、投石機から近い場所にあった矢倉に、石が命中した音のようだった。
「承知しました。ところで、今日はイツキ先生が来られているとお聞きしていたのですが……何処にいらっしゃるのでしょうか?」
ハモンドはイツキに会えるのを楽しみにしていたので、投石機の側にイツキが居ないのを不思議に思いながら、ぐるりと演習場内を見渡しながら、イツキの姿を探す。
視線の先で動く人影を発見し注視すると、新人訓練生らしき数人が、投石機の標的らしきレンガを積んだ場所から移動して行くのが見えた。
『危ないなあ・・・実験中に標的の近くに居るなんて、誰が指導しているんだ?』そう思いながら、なんだがモヤモヤと心が落ち着かないハモンドだった。
ソウタ指揮官の到着を受けて、試投は一旦中断された。午後からの予定の確認をするのだ。
「あのう……お訊きしますがイツキ先生はどちらでしょうか?」
ハモンドは勇気を出して、技術開発部の研究員の1人に声を掛けた。
「ああ、イツキ君ね……あれ何処だろう?さっきは居たんだけど、おーい誰かイツキ君を知らないか?」
「イツキ君なら橋の衝撃確認に行くと言っていたよ。あれ?居ない?おかしいなあ……トイレだろうか」
技術開発部の研究員の2人は、おかしいなあと言いながらも、特別心配した様子もない。
「ようソウタ、やっとヤマノから帰ったんだな。この投石機はすごいぞ!小さい石でも破壊力が大きい。スピードがある分威力が増すんだ」
シュノー部長は、興奮気味に試投の結果を報告し、これまでの結果の記録を見せる。
「ああ、歩きながら見えていたよ。王様も驚かれるだろう。今回もイツキ君の設計だって?」
「そうだよ。次はベルトの長さを変えて、より張力を強くしてみよう。ベルトの長さはこれでいいかいイツキ君?あれ、イツキ君は?」
ようやくイツキが居ないことに気付いたシュノーは、部下や建設部の者にイツキが何処に居るのか尋ねた。
「俺は15分くらい前に、破壊した材木の前に立っていたのを見たが・・・そういやぁ、急に姿が見えなくなったような気がするが……」
建設部隊のヨッテ隊長が、見掛けた場所に視線を向けながら首を捻る。
「ソウタ指揮官、おかしいです!実験中にイツキ先生が何も言わずに居なくなるなんて……有り得ません……お、お願いです探させてください」
「そうだなぁ……大丈夫だとは思うが、周辺の安全確認も兼ねてお前が探しに行け」
ハモンドは必死の形相で上司のソウタ指揮官に頼んだ。しかし、実験を止めると予定が狂うので、邪魔にならないようにお前が探しに行けと言われてしまった。
数分後、設計図の半分の大きさの投石機から、これまでより一回り小さい石を使った投石実験が始められることになった。
石が小さい分、飛距離は伸びるが破壊力は小さい。当たったレンガを10個くらいは砕くが、50個近く積んだレンガの全てを破壊する威力はないと予想される。
「おーい!次はレンガの方向へ飛ばすぞー!全員待避したかー?」
建設部隊の隊員が、レンガ積みと橋の担当者に向かって、大声で確認する。
「はーい!全員待避しましたー!」
新人訓練生を指導していた教官は、レンガを積んだ場所より50メートルくらい投石機に近い安全な場所から、白い旗を振って大声で答える。
この教官、イツキが落とし穴に落とされた時、新人たちに現場を任せてサボっていた。しかも、ろくに安全確認もせずに白い旗を振った。ソウタ指揮官がやって来たと知り、慌てて持ち場に戻り仕事を始めたのだった。
レンガまでの距離は100メートル。発射台の角度を少しずつ変えて実験し、飛距離の記録をとっていく。
5回目の試投で、ようやくレンガに命中した。
そして6回目の試投は、レンガを越え橋に見立てた材木をも越えて落下した。距離にして130メートルは飛んでいた。
「いや~危なかったな……直撃ではなく転がってこの穴に落ちたとは言え、当たったら死ぬな……う~んどうしようかなぁ……まあここはミムに頼むか」
イツキは独り言を言いながら、空の方に向かって指笛を吹いた。今日イツキは教会を出る時、寂しそうにしていたハヤマのミム(通信鳥)を連れてきていた。
演習場の丘の木にとまって羽を休めていたミムは、大好きなご主人様のイツキが、自分を指笛で呼んでいる音を聞いて、嬉しそうにパタパタと飛び立ち、音の聞こえる穴の中へと降りていった。
「ん?あれはもしかしてミム?いやいや、こんな危険な場所に慎重なミムが降りてくるはずがない。そもそもハヤマ(鳥)が地面に巣を作るはずもないし……」
イツキの姿が最後に目撃された橋に見立てた材木の近くに、ハヤマが降りていく姿を見たハモンドは、もう少し近くに寄ってハヤマの色を確認したかった。
もしもミムなら、頭はグレーで体は濃い青色という、大変珍しい色をしているはずである。
何だか嫌な予感がするハモンドは、あれがミムではありませんようにと祈る。
少し近付いた所で、ハヤマが地面から飛び立った。そして低空で辺りを旋回し、そのハヤマは自分の方に近付いてくる。
「あっ、青色……やっぱりミムだ。おーい、ミムー!」
ハモンドはミムに向かって叫びながら大きく手を振り、嫌な予感が的中し動揺する。
ハモンドは軍学校の学生だったのでミムをよく知っていたし、2年前にイツキと共に隣国カルートへ旅をしていたので、ミムを肩に載せて歩いたりもしていた。
《 ピーピー 》とミムは危険を知らせる高い声で鳴きながら、差し出されたハモンドの腕にとまった。
「ミム、イツキ先生に何かあったんだね?」
ハモンドは高い声で鳴き続けるミムの顔を見て尋ねる。ミムは《ピィピィポー》と鳴いて、そうだと告げた。
そこからハモンドは全速力で走った。次の投石を何がなんでも止める為に。
白い旗を振っていたレガート軍の30歳くらいの男の元へ行き、無理矢理手に持っていた赤い旗を奪い、前に走り出て試投を中止するよう叫びながら旗を振る。
同時にミムは、ハモンドの元を離れ、投石機の設置場所へと飛んでいく。
ハモンドの様子を見たソウタ指揮官も、2年前にカルート国へ一緒に行っていたので、聞き覚えのある《 ピーピー 》と危険を知らせる鳴き声でミムだと気付いた。
「投石は中止だ!誰か付いて来い。イツキ君に何かあったようだ。急げ!」
ソウタ指揮官は、その場に居た数人を連れて走り出した。当然【奇跡の世代】の一員であり、イツキの正体を知っているヨッテもシュノーも、顔色を変えて走り出した。
ミムはイツキの居る穴の上で旋回して、皆に場所を教える。
真っ先に到着したのはハモンドだった。ミムがあの声で鳴く時は、かなり危険が迫っている時だと知っていたので、生きた心地がしなかった。
近付くと穴があり、中を覗くとイツキがうずくまって(座っていただけ)いた。
「イツキ先生、大丈夫ですかー? 生きてますかー?」
半分泣きそうな、切羽詰まった声で、ハモンドはイツキに声を掛けた。
「やあハモンド久し振り。生きてるよ。ちょっと足を挫いてるけど元気だよ」
イツキのおっとりとした返答に安心したのか、ハモンドはその場にヘナヘナと座り込んでしまった。
「おーいハモンド、イツキ君は大丈夫かー!?」と叫びながらソウタ指揮官が走ってくる。その後ろを数人の人たちが「イツキくーん!」と叫びながら付いてくる。
いつもお読みいただき、ありがとうございます。
次話で春休み編は終わりです。