カシアの微笑み
気付くとカーテンの外側が明るくなり始めていた。
「イツキ君、眠いだろう?つい話し込んでしまった。これから教会に帰るのも危険だから、一眠りして帰ればいい。遅い朝食……いや昼食かな……一緒に食べよう。このまま帰ったらリンダもがっかりするだろうから」
ちょっと瞼が重くなっているイツキの顔を見て、エントンは客室で休んでから教会に帰るように勧める。
「俺も泊まりたいなエントン!リンダの料理を久し振りに食べたいし」
「何を言っているんです王様!誰にも告げず、こっそり王宮を抜け出して来られたのでしょう?侍従長が心配して大騒ぎになります。あきらめてお帰りください」
困った人だなあという顔で王様を見て、あっさりと脚下するエントンである。
お前ばっかり……とか、エントンのケチ……とか、ぶつぶつ言いながら、「イツキ君、また近い内に会おう!」と手を振ってバルファー王は帰っていった。
イツキはエントン(伯父)邸の客室で、少しだけ仮眠することにした。
「この部屋を使ってくれ、リンダがベッドの用意をしてくれているようだ。ゆっくりおやすみ。10時頃に起こしに来るよ」
俺も眠くなってきたと欠伸をしながら、エントンは部屋のドアを開け中の様子を確かめると、廊下で待っていたイツキに、どうぞと部屋の中に入るよう促した。
エントンに案内され客室に入ると、そこは思ったよりも広い部屋だった。
薄暗い部屋の中には、応接セットや長椅子もあり、重要な客人をもてなす為の部屋なのだろうとイツキは思った。
もう外は明るくなり始めているのでランプはつけずに、そのままの服装でベッドに潜り込んだ。
何時間眠ったのだろうか……?目を覚ますと外から鳥のさえずりや、人々の行き交う声が微かに聞こえてくる。
イツキはベッドから下りると、う~んと両手を上げて背伸びをし、ゆっくりと深呼吸をする。
カーテンを静かに開けると、その部屋は庭に面しており、色とりどりの春の花が美しく咲いていた。街道側ではないので静かで落ち着ける部屋だった。
現在エントン秘書官は侯爵の爵位を授けられているが、この屋敷はかなりこじんまりとしていた。とても侯爵家の屋敷だとは思えない造りで、使用人もイツキが知っている範囲では5人程度しか居なかった。
本邸はラミルの郊外に在り(子爵家時代からの小さな領地)、リンダの夫であるドッターが管理していた。
本邸も最低限の人数で管理されていていると、エンター先輩が言っていた。
領民も1,000人未満で、領地の真ん中を流れる川のおかげで、小麦や果樹の栽培が盛んな領地らしかった。
侯爵になった時に、もっと広い領地を与えられる予定だったが、1年の殆どをレガート城で過ごしているのに、遠くの広い領地を頂いても管理など出来ませんと言って、国王に辞退した話は貴族の中では有名である。
屋敷も小さく身分に全く合わないが、そんな無欲の秘書官だから、部下たちに尊敬されているようだった。
そもそも内政全般を管理する立場ではあるが、主に【王の目】を率いて貴族たちに厳しく目を光らせている立場上、自らが私腹を肥やしていては取り締まりが出来ないと、褒美も受け取らないことが多かった。
本当は色々と面倒臭いので、跡継ぎの居ないエントンは、財産など欲しいとは思っていなかったのだ。
しかしその姿勢が、贅沢好きな貴族からは疎まれ嫌われる要因にもなっていた。
イツキは部屋の中の様子を見ようと、カーテンをきちんと開けて光を部屋に入れた。
ドアの近くには応接セットが置いてある。華美でもなく落ち着いたシックな花柄の布張りで、木の部分は黒に近いボドルの木が使われていた。窓辺に置いてある長椅子も同じ柄で、固いことで有名なボドルの木は、滑らかな手触りの良さそうな流線型に仕上げられており、脇机の上には白い花が生けられていた。
壁紙も絨毯も深緑が基調になっているので、やや暗い感じだが落ち着いた雰囲気の部屋である。
壁には2枚の絵が掛けてある。1枚の絵は夫婦の肖像画で、30代くらいだろうか仲良く寄り添って笑顔でこちらを見ていた。男性の顔が今のエントンさんに似ているので、恐らく若くして亡くなった、祖父母だろうとイツキは思った。
祖父は軍人だったのだろうか、がっしりしていて逞しい。エントンさんと同じ銀髪を短く切り、男らしいが眼差しは優しく、誠実な人柄である印象を受けた。
祖母は濃いグレーの髪をアップにして、幸せそうに微笑んでいる。ブルーを基調にしたドレスが、白い肌を一段と美しく映えさせ、貴族の女性らしい上品さと聡明さがうかがえる。
「初めましてお祖父様、お婆様」そう呟いて、イツキは礼をとった。
優しそうな笑顔の2人に、イツキも満面の笑顔を向ける。
隣の絵に目を向けると、黒髪の女性(少女)が溢れるような笑顔で、イツキに微笑み掛けてきた。
美しい黒髪を長く伸ばし上部だげアップして、深緑のリボンで結ってある。瞳は濃いグレーで大きい。目鼻立ちが整っており、どこか気の強そうな、しっかりした印象を与える。
ドレスは若草色で、胸元の白いレースが若さを強調していた。鮮やかに咲き誇る華のように美しいその女性は、20歳くらいだと思われる。
イツキは鼓動が速くなり、一瞬息をするのを忘れてしまった。
「お母さま・・・?」
その肖像画は、まるで自分の顔を鏡で見ているかのような、そんな不思議な気持ちにさせた。
知らぬ間に涙が頬を伝って流れ落ちる。
これほどまでに似ていたのだと……改めてイツキは知った。
逢いたいけれど、絶対に逢えないと思っていた大切なひと・・・
自分を必死に守って亡くなったひと・・・
どんな女性だったのだろう?どんな人生だったのだろう?
イツキは母の肖像画から向けられる優しい視線に、ふんわりと愛情に包まれる気がして、心が温かくなっていく……
涙は流れ続け、イツキは視線を逸らすことが出来ない。
「母上……お母さま……守ってくれて、あ、ありがとうございます……生かしてくれてありがとう……たくさんの出会いをありがとう……産んでくれて……ありがとう……ご、ございます……」
たとえ会えなくても、僕はたくさんの幸せを母上に頂きましたと言いながら、イツキは母カシアの肖像画に、震える手を伸ばし、そっと指で母の頬を撫でた。
ぽたぽたと、熱い幸せの涙が零れていく・・・
◇◇ リンダ ◇◇
私は食事の準備をするため、まだ眠っていらっしゃるイツキ様の様子を見ようと、ノックしないで客室のドアを静かに音を立てないよう開いた。
見るとイツキ様は起きていらして、既にカーテンが開けられていた。
リンダの大切なイツキ様は、先日エントン様が自ら本邸から持って来られたばかりの、亡くなられたカシア様の肖像画の前に立っておられた。
イツキ様は、カシア様の肖像画を、声を出さず、涙を流しながら見つめられていた。
ただただ涙を流し続け、右手はカシア様に伸ばされていた。
そんなイツキ様を見て、私も涙が込み上げてくる。
このままでは声を、堪らなく声を上げて泣いてしまう……
私は震える手で、そっとドアを閉めた。
そして早足で走るようにキッチンまで戻ると、堪えきれず声を出して泣いてしまった。
いつの日か、母親の顔を見せてやりたいんだと言っておられたエントン様だけど、その機会がこんなに早く訪れて、リンダも嬉しいと思っておりました。
でも、声も出せずに泣いていらしたイツキ様のお姿に……なんだか……なんだか辛い気持ちになりました。
「いいえ、こんなことではダメ!カシア様ならきっと、笑ってリンダと仰るはず……泣き虫のリンダは今からおしまいにします。カシア様、これからもイツキ様を、どうぞお守りくださいませ」
私は涙を拭いて、イツキ様の大好きなかぼちゃのパイを、急いでオーブンに入れた。
いつもお読みいただき、ありがとうございます。
次話は、投石機のお披露目と、ヨシノリ先輩の家に泊まりに行った
3人の先輩のお話の予定です。