再会と涙
少し長くなりました。
4月17日午後7時、イツキとフィリップはエントン秘書官の家を訪れた。
出迎えてくれたのは秘書官ではなく、家の管理人であるドッター婦人だった。
「リンダさん(ドッター婦人)ご無沙汰してますイツキです」
「まあまあイツキ様、いらっしゃいませ。お待ちしてました。エントン様はまだお帰りではありませんが、先に食べてお待ち頂くよう申し付っております」
リンダは、極上の笑顔でイツキたちを迎えてくれる。
玄関に入ると、いい匂いが漂ってきた。きっと美味しいご馳走を作って待っててくださったのだろう。
この家に来たのは3度目で、初めて来たのはイツキが軍学校の先生になる前の9歳の時。2度目は軍学校の先生になって2年目くらいの時。
2度目は確か、エルビス(エンター先輩)が春休みの時だったから3年前になる。
「今夜は、イツキ様が美味しいと仰ってくださった料理を作りました。どうぞこちらの席にお座りください」
リンダは特別なお客様をもてなすように、テーブルには美しい花を飾り、テーブルクロスやナフキンは真新しい物を使用してくれていた。
「リンダさん、イツキ君でいいですよ。なんだか緊張しますから……」
「いいえイツキ様、エントン様からお聞きしました。子爵様になられたとか。リンダは嬉しくて嬉しくて……」
リンダは言葉を詰まらせてしまう。後ろを向いて、そっとハンカチで涙を拭いている。そして笑顔で振り返ると、「直ぐにお食事をお持ちいたします」と言ってキッチンへと下がって行った。
リンダは初めてイツキが家に来た日、そのあどけない笑顔が、娘のように大切にお育てしたビター家の令嬢である、亡くなったカシア様に生き写しで、とても驚き思わず泣いてしまったことを思い出した。
主であるエントン様も、カシア様にそっくりで驚いたと仰っていた。
そして先日、エントン様から「イツキ君は、やはりカシアの産んだキアフだったよ」と聞かされ、嬉しくて暫く涙が止まらなかった。
神様に心から感謝申し上げ、全ては亡くなられたカシア様のお導きだと、人と人との縁の素晴らしさと奇跡を実感した。
「カシア様、ありがとうございます。必ずキアフ様は生きていると信じてきて良かった。こうして、またお逢いできました・・・たとえ・・・たとえ名乗り合えなくても、リンダは幸せでございます」
リンダはスープを火にかけ呟きながら、また涙をハンカチで拭く。
「一時はイツキ様が行方不明だと知り、エントン様と心配しましたが、ご立派になられて戻って来られました。王様もさぞかしお喜びでございましょう」
またまた涙を拭いて、バルファー王が皇太子殿下だったあの日、カシア様にプロポーズに来られた日を思い出した。
あれから16年……苦難の日々であったような気もするが、こうして訪れた幸せを噛みしめながら、リンダはイツキの大好きな木の実がたっぷり入ったサラダに、特製のドレッシングを掛けた。
リビングで食事を待っているイツキは、3年前にリンダから聞いた話を思い出していた。それは、エントン様と私は、亡くなられたカシア様の子どもが生きていると信じて、それを希望に生きているのですという話だった。
あの時は、まさかそれが自分のことだとは全く思ってもいなかった。
「そうかぁ……リンダさんは僕がキアフだったと、エントンさんに聞いたんだな……」
イツキはちょっと照れたような、困ったような表情でフィリップの方を見た。
イツキの本当の名前もイツキの親が誰なのかも知っているフィリップは、複雑な気持ちのまま、作り笑顔をイツキに返した。
エントン秘書官が帰宅したのは午後8時だった。
かなり無理をしたのだろう……目にくまが出来ている上、なんだか顔もやつれているが、イツキを見ると明るい笑顔で遅くなったことを詫びた。
「済まないな2人とも。食事しながら話を聴こう。2人はそのままお茶を飲んでいてくれ。何か名案は浮かんだかな?」
せっかくのご馳走を、エントンは掻き込むように急いで食べる。軍出身者はフィリップも含めて、皆早食いなんだなとイツキは思った。
「はい、名案かどうかは分かりませんが、国民に向けて薬不足を明らかにした上で、対策をいくつかとるのはどうでしょう?」
「国民に知らせる?それは混乱を招くのではないかな?」
皿の上のフルーツをフォークで刺したまま、エントンはイツキの方を見て問う。
「いいえ、冬が近付いてから知られると、奪い合いや買い占めが起こります。今の内に明らかにして、国民にも対策の手伝いをして貰います」
「えっ、国民に手伝わせる?どうやって?」
今度はフィリップが、予想と違う提案をしたイツキに、首を傾げながら質問してきた。
エントンは隣の椅子の上に置いてあった鞄から筆記用具を取り出すと、皿を横に避けてノートを開いた。
イツキはまるで企むように微笑むと、ゆっくりと香り豊かなハーブティーを飲み干して、カップをテーブルの上に置き、3つの対策案を説明していく。
1つ目は、国は早目に対策しているので、心配ないと国民に思わせること。
2つ目は、国民に薬草探しをさせる。又は薬草を栽培させることで不足分を補う。
3つ目は、レガート国に一定量の薬草を卸した行商人には、レガート国が半年間有効の、レガート国の特産品を特別に買い付け出来る許可証を与える。
「どうやって探させるんだろう?方法は?」
イツキの3つの対策をノートに記入してから、最後のフルーツを食べ終え、口元を拭きながらエントンはイツキに問う。
そこにリンダが熱いお茶を運んできて、皿をワゴンに片し、主にお茶を注ぐ。
イツキたちのお代わりは、邪魔にならないようテーブルの上にポットを置いて、リンダは会釈してから下がっていった。
「たくさんの種類は混乱を招くので、特別な場所ではなく、野に生えている薬草を対象にします。そして教会で絵と見本を展示します。種類は5種類くらいが限度でしょう」
そう言ってイツキは、見分けやすい薬草を10種類程スケッチした用紙を、テーブルの上に広げていく。もちろん薬草の名前・効能・特徴・採取する部位が書かれている。
「その仕事は何処がするんだろう?」
「はいエントンさん、それは各領地の上級学校に依頼します。何処の上級学校にも夏大会(経済・産業・治安・法令がテーマ)があります。教師も学生も勉強になりますし、利害関係や癒着が発生しません」
イツキは先日の武術大会を思い出し、学生たちが自身の出身地に、愛情や誇りを持って挑んでいた姿からヒントを得た。競わせると、より張り切るだろう。
「薬草の栽培がこれから間に合うかどうかも心配だが、その資金や栽培場所はどうする?下手な場所だと盗難も発生する恐れもあるが……」
エントンは流石イツキ君だなと思う反面、考えていることが子供っぽい気もした。国や地方を動かすには、それなりの資金が必要になるのだ。
地方に負担させると、反対される可能性もあるし、かと言って国が全て負担する訳にもいかないだろう。
「採取した薬草は、本物かどうか教会で調べて、本物なら現在の市価の70%で国が買い取ります。そして国は80%で問屋に売ります。問屋は100%の通常価格で薬屋に卸します。問屋の儲けは少ないですが、きっと苦情はでないでしょう。それから、国は取り分の10%分で種や苗を買い付け、各領地の上級学校で栽培させます。上級学校に泥棒は入り難いでしょうし、当然、情報統制します」
「イツキ君……上級学校が引き受けるだろうか?土地も必要だと思うが……」
フィリップは、忙しい教師や生徒が、いくら郷土愛があっても、ボランティアで薬草の栽培をしてくれるとは到底思えなかった。
「フフフ、フィリップさん、当然無料奉仕ではありませんよ。出来上がった薬草の売値の6割は学校のものです。4割は新たな種や苗を国が買い付ける為に使います。何処の学校も予算不足は頭の痛いところです。それに、将来的に薬学や薬草栽培の知識も向上し、農業技術開発部の要員も手に入ります」
イツキはそうでしょう?違います?という顔をして、エントンとフィリップの方を見て、策士の顔で微笑んだ。
「成る程、領主の懐が潤うのではなく、全ては勉学のため、レガート国の農業技術の向上に結び付け、国内の薬草供給の安定の為に、上級学校が一役買うという訳だな」
エントンはイツキの考えに舌を巻いた。イツキが話すと、まるで簡単にそれらが可能になるような気さえしてくる。
実際この件に関われる人材は、レガート国では少ないだろう。治安が安定し、戦争などの恐れがなければ軍が受けてもよかっただろうが、今の現状で軍の人員を割くことは出来ない。
領主に任せると、専門家を雇ったり、労働者を雇って畑を作り管理したりと負担が大きい。領民の健康の為とはいえ、誰もやりたがらないだろう……
その点上級学校なら専門家も居るし、労働力の学生はタダな上に、知識の向上と、もしも本当に農業技術開発部が出来れば、就職活動にも結び付く。
お金も入るので、上級学校は引き受けるかもしれない・・・
「う~ん・・・それでは、行商人に与えるレガート国の特産品を買い付け出来る許可証についてだが、特産品とは具体的に何だろうか?」
エントンは、イツキが話した内容を記したノートを見ながら、最後の質問をする。
『特産品と言ってもたくさんあるが、倍の値段で買い付けてくれる商人に卸さず、レガート国の薬種問屋に卸してくれる程、魅力的な特産品……レガート式ボーガン……いやいや武器はない。他に普通では買えない物……?』
フィリップは色々考えてみるが、これと言って特産品が思い浮かばない。販売制限がかかっているのは、武器と顔料と何だっただろうかと頭を捻る。
「それは、これから開発が始まるポムを使った商品ですかね。絶対に他の国には有りませんし、遊具ですから平和的です。ただし、これからラミル上級学校の発明部・化学部・植物部が共同で作製するので、3ヶ月は時間が必要ですが」
まだ出来上がってもいない商品を、レガート国の特産品にしようとしているイツキである。しかも作るのは学生である。
よくよく考えると、殆どのことに上級学校が関わっている……
「学生頼みだな全てが。本当に学生が強力してくれるのだろうか?」
「エントンさん、薬の栽培は領地のため学校のため、延いては学生のためになるのです。しかし、僕たちが考える遊具は、販売権利を学校が頂きます。利益の半分は国に納めます。そうすることで、仕入れ、製作、販売、利益の分配等、総合的に学ぶことが出来る上に、学生の遣る気を引き出すことになります」
イツキはとんでもないことを言い出す。そんな前例もないことを、当然の権利だと言わんばかりに決めてしまう。
エントンもフィリップも、呆れたというか何というか、考えることの視点の違いに戸惑ってしまう。
まるで夢のような話だが、イツキなら現実のことにしてしまいそうで恐い気もする。
「実現できるのなら、反対する必要もないが、これだけのことを決めるには、王様の決裁を仰がなくてはならない」
エントンは腕を組みながら、これだけの案件をレガート城で議論したら、ひと月は時間が必要だろうなと思って、イツキの思考に感心する。
そもそも上級学校を利用する考えなど、大臣始め誰も思い付かないだろう。
「俺の決裁が必要だって?」
ノックもしないで誰かが部屋に入ってきた。その声に驚いて3人はドアの方へ視線を向ける。
そこには、何故か嬉しそうな顔をして、バルファー王が立っていた。
いつもお読みいただき、ありがとうございます。