追う者、追われる者(1)
小高い丘の上からヤマノの街を暫し眺めて、その美しい海と街並みに別れを告げる。
『ヤマノ侯爵様、いろいろお世話になりました。僕は僕の戦いを頑張ります。カピラ様が出産される頃には、安全なヤマノ領になっていることを願います』
3人は殆ど見えなくなった白亜のヤマノ侯爵邸に向かって、もう1度頭を下げた。
「それにしても領主を毒殺って、どんだけ悪人なんだよ」
ヤンは信じられないよとブツブツ言いながら、坂の下から近付いてくる馬車の音に気付き、右手の親指を立てて肩の後ろを指し、2人に合図する。
「リバード王子に毒を盛れる奴等だ。その内国王にも……てことになるかもな」
半分冗談混じりにエンターは言いながら、馬車を遣り過ごそうと道の端に寄る。
「それは当然あり得る話だ。【奇跡の世代】は、国王暗殺を阻止するために動いているし、その為の策を発動している」
「「ええぇ~っ!イツキ君、そういうことは早く教えて欲しいよ」」
2人はイツキに文句を言いながら、馬車が辻馬車なのか個人の馬車か、確認するよう坂の下を注視する。
馬車は2台近付いて来ていた。
先にやって来たのは辻馬車だった。8人乗りの普通の辻馬車で、何事もなく通過していく。少し通り過ぎてから後ろの幌から誰かがイツキたちを覗き見る。
その2分後に現れた馬車は、4人乗りのレガート軍の馬車だった。
馬車はイツキたちの直ぐ先で停車し、中からフィリップが降りてきた。
「イツキ君、頼まれていた剣が出来上がったので、渡しておきます。出来れば使わずにラミルまで帰って頂きたいところですが・・・これがホルダーで、それとヤン君の剣もレポル主任教官から預かって来ました」
フィリップは何だか嬉しそうに、剣を鞘から抜いてイツキに手渡した。そして恩師から預かった、もう1本の剣をヤンに手渡した。
「ありがとうフィリップさん。うん、丁度いい重さだ!」
イツキは飛びっ切りの笑顔でフィリップに礼を言いながら、剣をまじまじと見る。
大き過ぎず軽る過ぎず、持ち手もしっくりと馴染む感じで、普通の剣よりやや細身の刀身は、あまり見掛けない形状をしていた。両刃ではなく片刃ではあるが、磨き抜かれたその刃には、美しい刃文が入っていた。
「えっ!僕にも……では父は今日のことを知っているんですね?」
ヤンも嬉しそうに剣を受け取る。自分の剣を初めて手にした喜びは、剣を志す者にとって大きな意味を成す。そして鞘を抜きながら、軍学校の教官である父が、今日の日の為に用意してくれたのだろうかと質問する。
「もちろんです。今回の作戦は【奇跡の世代】の仕切りで、本部は軍学校……そして指揮しているのはイツキ君ですから」
「「ええっ!何それ?」」
呆れたような責めるような2人の視線がイツキに向けられる。
「ははは……そうだっけ……でも本当に皆を動かしているのはフィリップさんだから」
2人の視線を避けるように、イツキは剣を鞘に納めて腰に着けたホルダーに刺した。
「それでは我々は打ち合わせ通りに次の町で、前の馬車に乗っている奴等の動きを監視しておきます。次の町までは旅人も多いので、襲われることは無いでしょう」
「了解ですフィリップさん。早く馬車に乗ってください。次の馬車が来ます」
イツキはそう言いながら、下手をすれば歩いて付いて来そうなフィリップを、とっとと馬車に乗せようとする。
フィリップの乗った軍の馬車が行って間も無く、ヤマノの街へ向かう馬車が反対方向からやって来た。その馬車は4人乗りの小型の馬車で、小金持ちの商人や男爵家辺りが貸切りで使うタイプの馬車だった。
ヤマノ侯爵の訃報を聞いて、駆け付けるヤマノ領の貴族だろうかと思いながら、イツキたちは再び道の端に寄る。
『・・・なんだ・・・?この息苦しさは・・・』
その馬車が目の前まで近付いた時、イツキは急に胸が苦しくなった。
それでもなんとか馬車を見ると、馬車全体を黒いオーラが覆っていた。
『馬車を覆う程の悪意・・・そしてこの禍々しい空気・・・』
いったい誰が乗っているのだろうかと、イツキは馬車の窓から中の人物を覗こうとする。
「エルビス、ヤン!馬車を見るな!」
イツキは突然大声で叫んだ。
そして自らも馬車に背を向け、馬車に乗っている人物を探るのを止めた。
エンターとヤンは、突然大声で叫ぶイツキの声に驚きながらも、ただ事ではなさそうだと指示に従う。イツキがエンターをエンター先輩ではなく、エルビスと呼んだ時点で、普通ではないと察したのだ。
馬車は土煙を立てて、急ぐように通り過ぎて行った。
どうしたんだろうかと、エンターとヤンがイツキの方を見ると、苦しそうに胸を押さえて、真っ青な顔をしたイツキが、ガタガタと震えていた。
「どうしたイツキ君?何が、何があったんだ?今の馬車は何だったんだ?」
今にも倒れそうになっているイツキの正面で、震えるイツキの両手を自分の両手で包むようにして、ヤンは顔を覗き込む。
エンターはイツキの肩を抱いて、自分の体で包むように抱き寄せた。
「あれは、あれは邪悪な悪魔・・・いや、あれは恐らくギラ新教の大師ドリルだ」
イツキはまだ震えながら、絞り出すように言葉にした。
「えっ?大師ドリル?じゃあ、先の内乱を操った奴なのか?」
エンターは、再び抱き寄せる右腕の力を強めながら、最大の敵の名前を聞いて不安になっていく。イツキのこんな姿など見たことがないのだ。
「ブルーニたちを洗脳したギラ新教の大師・・・」
だから見るなとイツキ君は言ったのだろうか?見ただけで洗脳されるのか?
イツキの震えが治まらないので、ヤンは優しくイツキの腕を擦り始める。
エンターもヤンも、脅えるように震えるイツキを、なんとか守らなければと必死になる。座らせた方がいいだろうか?水を飲ませてみようかと、いろいろとイツキに声を掛けてみる。
いつも、如何なる時も冷静で凛として、誰よりも賢く誰よりも強い。それがイツキ君という後輩であり、尊敬する師でもあった。
そんなイツキ君が、ガタガタと震えている・・・
『くそー、大師ドリルめ!許せん』
気持ちだけは兄貴的な存在のヤンは、坂道を下りながらヤマノの街へと向かって、どんどん遠ざかっていく馬車を睨み付けた。
『イツキ君が、リース様であるイツキ君が恐怖する敵……どれだけ邪悪なんだ……』
イツキの正体を知っているエンターは、いくらイツキが凄い天才でも、ブルーノア教のリース(聖人)様でも、まだ14歳の少年なんだ……誰かが守らなくてはダメなんだと実感する。
確かに秘書官補佐のフィリップ様がいる。だけどいつも守れる訳じゃない。
自分が神に与えられた使命は《授けし剣で悪を討て。如何なる時も将来の王を守り抜け》だった。【将来の王】……?ずっとそれが誰なのか疑問だったが、分からない今は、別にイツキ君を守ったって構わない筈だ。
「ごめん。もう落ち着いたよ。早くフィリップさんを追い掛けよう。このことを知らせて警戒してもらわなくては。出来れば大師ドリルを捕らえて欲しい」
イツキは次第にいつもの自分を取り戻して、ヤマノ領に新たな災厄をもたらすであろう大師ドリルを、何とかしなければと焦ってしまう。
「それならヤマノの街に戻った方が早い。そろそろブルーニの父親たちが捕らえられる頃だ。それにあれだけの数の軍や警備隊が居る。大師ドリルもバカじゃないなら気付くだろう」
エンターはイツキから体を離し、馬車で先に行ったフィリップに知らせて引き返すよりも、自分たちがヤマノ領に居る秘書官に伝えた方が早いと思い言った。
「しかし疑わしい貴族の屋敷には、【王の目】のメンバーが張り付いている。誰も大師ドリルを見たことなくても、怪しい者が近付けば、間違いなく警戒してくれると思う」
ヤンも握っていた手を離した。そして午前中モンサンと一緒に【王の目】のメンバーと打ち合わせをしていたヤンは、【王の目】のメンバーの優秀さを実感し、戻るという行為さえ必要ないのではと思った。
「うーん……そうかもしれない。今捕らえるべきはヤマノ領の貴族であって、ギラ新教の大師ドリルではない。二兎を追う者は一兎をも得ず・・・今ターゲットを替えると現場の指揮が混乱する。ありがとう2人共。このまま進もう」
より冷静になったイツキは2人に礼を言って、ゆっくりと深呼吸をした。
今の自分が大師ドリルと対決しても、きっと勝てないと判ってしまった。
まだ対決の時ではない!今じゃない!
もっと、もっと力を付けなければ……近付いただけで震えるような、そんな弱い人間ではあの邪悪なものとは戦えない。悔しいけれど、それが現実なのだ。
「イツキ君、本当にもう大丈夫なのか?」
エンターが心配そうにイツキの顔を見て問う。もう震えは止まっていたが顔色は悪いままだし、何だか心配で堪らない気持ちになる。
「うん大丈夫。敵の毒気にあてられただけだから。今の自分の力では勝てそうもない。それが判っただけでも良かったよ。まだ時間はある。強くならなくちゃ。とにかく、奴に顔を見られなくて良かった」
イツキが馬車を見るなと叫んだのは、自分たちの顔を敵に見られないようにする為であったのだと、エンターとヤンは納得する。
「俺も強くなるよ!」(ヤン)
「俺だって、もっともっと強くなる。イツキ君を守れるくらいに」(エンター)
3人は顔を見合わせて深く頷くと、誓うようにお互いの拳をぶつけ合った。
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