決戦の日
ヤマノ侯爵は、夕食後は夫人と2人でゆっくりしたいと希望したので、皆も笑顔で「では、おやすみなさい」と挨拶をして、各々の部屋へと戻って行った。
イツキとフィリップは、侯爵の寝室の隣の客間に案内された。
リベール夫人には、夜中に侯爵が目を覚ましたら、必ず自分に知らせて欲しいと伝えて、イツキは少し仮眠することにした。
午前5時、侯爵は目を覚ました。
イツキは脈診をしてコクリと頷きフィリップに合図を送った。フィリップは直ぐに、廊下で控えていた家令のルーファスに家族を集めるよう、やはり頷くだけの合図をして、家令のルーファスに代わり、フィリップが廊下の番をすることにした。
「朝陽が綺麗だ」
ヤマノ侯爵が、ベッドに横になったまま顔を窓に向けて、昇る朝日を見てそう言ったので、皆も同じように窓の外に目をやった。
暁の空はいつしか明け始めていて、山の稜線からほんの少しだけ顔を出した太陽が、明るくヤマノ領を照らしていく。
「本当に綺麗な朝日ね」
リベール夫人が美しい朝日に感動して、にっこりと微笑みながらそう言った。
そして夫の顔に視線を戻すと、ヤマノ侯爵は静かに瞼を閉じていた・・・
イツキは何も言わず脈をとり、呼吸と心臓が止まっていることを確認し「お別れです」と頭を下げて告げた。
1098年4月10日、明け方ヤマノ侯爵は静かに息を引き取った。
家族全員に囲まれて、すーっと眠るように苦しまずに逝けたようで、イツキは胸を撫で下ろした。
午前9時、ヤマノ侯爵のご遺体を乗せた馬車は、涙、涙の使用人たちに見送られながら、白亜の屋敷をあとにした。
屋敷からヤマノ正教会へと続く道には、領民たちがズラリと並び、どの顔も涙で濡れていた。敬愛する領主の亡骸を見ることは叶わないし、葬儀に参列できなくても、せめて見送りたいと、領民の多くが教会までの沿道を埋め尽くしていた。
ヤマノ侯爵一行は、ゆっくりとゆっくりと歩くように馬車を進めて行った。
午前10時、全ての準備が整い、正午からの参列者が来るまで、家族だけで過ごす最期の時間も残り少なくなってきた。
「皆さん、本来はラミル正教会のサイリス(教導神父)様が行われる祈りが本葬となりますが、本日はヤマノ侯爵様の為に、ブルーノア本教会から来られた神父様が、特別に本葬の祈りを捧げて頂けることになりました。なおこの本葬のことは、本日ではなく明日以降発表するものとします。それは領民の混乱を避けるための措置ですので、どうぞご協力ください」
ファリス(高位神父)のビタンは、遺族に対し予定に無かった本葬を行うと言い出した。しかもそれを明日まで秘密にすると・・・
侯爵夫人はもしかして……と期待したが、いえいえそんな畏れ多いこと……と自分を戒めた。
エルト、カピラ夫妻は、本教会から来られた偉い神父様が祈りを捧げてくださるのだと思った。
家令のルーファスと侍女長は、もしやと思いイツキの姿を視線で探すが、教会に到着後「医師として僕の役目はここまでです」と言ってスッと姿を消していた。
「フィリップ、なんでここにリースの神父服があるんだ?」
突然自分の荷物から、ブルーの神服を当たり前のように取り出したフィリップに問う。
「私はイツキ様を守る者です。サイリス(教導神父)ハビテ様よりお預かりしていましたので、いつ如何なる時でもリース(聖人)の仕事をする時は、この神服が着れるよう持ち歩いております」
それが何か?と、事も無げに言いながら、神服のシワを確認するフィリップである。
「ハハッ…………そうなんだ……」
イツキは複雑な表情で力無く笑いながら、ヤマノ正教会で借りたアイロンを、器用に神服に当てているフィリップに、これ以上言っても仕方ないと諦めた。
フィリップのファンのお姉様方がこの姿を見たら、悔し涙を流して、きっと自分は睨み付けられるだろうと、想像したイツキはふーっとため息をついた。
「さあお時間です。いってらっしゃいませ」
ブルーの神服を着たイツキの姿を、満足そうに見詰めてフィリップは礼をとった。
イツキはファリスの執務室を出ると、礼拝堂の裏手の扉を開けて中に入っていく。
ヤマノ正教会の礼拝堂はレンガ造りで、大きさや広さは一般的な正教会とほぼ同じで、ミノス正教会やラミル正教会と違う所は、領内にある山から切り出される美しいミカノ石が、礼拝堂内の床と壁に貼られている所である。
祭壇の後ろから、青い神服を着たイツキが現れたのを見て、侯爵夫人と侍女長は「ああぁ」と喜びの声を小さく漏らし、1番前の席から立ち上がると最上級の礼をとった。
イツキは祭壇をゆっくりと歩いて演台の前に立つ。
祭壇の横に控えていたファリス(高位神父)ビタンとモーリス(中位神父)は、跪いて礼をとる。礼拝堂の後ろで控えてた神父数人も跪き、深く頭を下げた。
その様子を見たエルト、カピラ夫妻、姉夫妻、家令のルーファス、警備隊長も、イツキが只者ではないと分かった。
青い神服・・・それはレガート国で1番偉いサイリス(教導神父)様以上の高位神父、すなわち、シーリス(教聖)様かリース(聖人)様であることを意味していた。
全員が慌てて跪き最上級の礼をとっていく。
「皆さん椅子にお座りください」
イツキは優しく微笑みながら、ヤマノ侯爵家の皆さんに語り掛けた。
「いいえリース様、どうぞこのままでお願いいたします。リース様に本葬を行っていただける僥倖を、ブルーノア様に心より感謝申し上げます。末代までも語り継ぐことが出来ます」
リベール夫人は両手を胸の前で組み、そう言ってもう1度深く頭を下げた。他のヤマノ侯爵家の皆さん(およそ15名)も、リース様という言葉に驚き、大声を出しそうになるのを必死に堪えて、同じように深く頭を下げた。
イツキはそれ以上語らず、優しく微笑んだままで聖杯を持ち上げ何やら呟いた後、ゆっくりと聖杯を置いて、首から琥珀の石を外すと、演台の上に置いて深呼吸した。
「これより、魂よ永遠なれという、死者に捧げる祈りを捧げます」
イツキはヤマノ侯爵に捧げる祈りを、唱うように綴り始める。
ブルーノア教の死者に捧げる祈りは、亡くなった人の生涯を、いくつもの物語にして綴っていくので、神父の力量によって様々な物語が出来上がる。
イツキは自分の頭に浮かんでくるヤマノ侯爵のイメージを太陽に例えて、暁光の風景を誕生に合わせ、昇る朝日を幼少期、昼の太陽を青年期、沈む夕陽を晩年として、4つの物語を紡いでいった。
祈りが青年期に差し掛かった頃には、礼拝堂の中に居た全ての人が泣いていた。
それはイツキの癒しの能力【金色のオーラ】に因るところもあったが、イツキの透き通る美しい声と、その物語がヤマノ侯爵の姿を映すようであったことと、今1度侯爵の姿を心に刻むことが出来たからであった。
やがて太陽は海を紅に染めて沈んでいく。
その(太陽のようなヤマノ侯爵の)最後は美しく、人々の心を打つ。
そして太陽は、新しい命を繋ぎ、また生まれ出づる・・・
イツキの正式な祈りは、ほぼ30分で終わった。
それは、長い長い物語を読んだような、まるで芝居を観たような、そんな気持ちにさせる30分だった。
当然イツキの【金色のオーラ】の力で、全員の疲れは取れ、体は軽くなり、悲しいけれど辛くて涙を流している訳ではなかった。
心が洗われ、生きる希望を見出だし、これからのヤマノ領の為に、侯爵の意志を継ぐ者として頑張ることを誓う涙だった。
イツキは静かに祭壇を下りて、全員の礼を解いた。
「これから私は、上級学校の学生であり、キシ領の子爵家当主として振る舞います。どうぞ作戦成功の為に、私とは全く面識がないことにしてください。それでは皆さん、戦いの時間です」
子どもでも大人でもない、男でも女でもないような、不思議に光輝く美しい顔で、イツキは別れの挨拶をして礼拝堂を出ていった。
◇ ◇ ◇
時刻は午前11時30分。続々と高位貴族たちが教会に集まってくる。
ある者は身分に相応しく豪華な馬車で、ある者は軍の馬車で、またある者は伯爵にしては派手な設えの馬車に乗って、礼拝堂の前に乗り付けていく。
イツキは面倒だが一度軍の馬車でホテルの近くまで戻って、インカ先輩、エンター先輩と徒歩でヤマノ正教会に向かうことにした。
ヨシノリ先輩は両親と馬車で移動する。
ヤン先輩はヤマノ領出身のモンサン先輩と一緒に、【王の目】のメンバーと帰り道の作戦について、最終の打ち合わせをしてくれることになった。
ナスカ、ミノル先輩、パル先輩は、皆と合流するまでヤマノの街を観光して待つことにした。
礼拝堂の中は祭壇に向かって右側が、ヤマノ侯爵家の親族とヤマノ領の貴族(男爵以上)、左側は他所の領主(家族を含む)を最前列に、秘書官、大臣、軍や警備隊の指揮官以上の者、各領主の名代(子息や伯爵以上の者)、その後は侯爵家、伯爵家、子爵家、男爵家の当主が順に座っていく。
参列者が多いので、椅子に座れたのは子爵までで、男爵は左右の通路に立つことになった。それでも入りきれない他所の領地の、当主ではない伯爵家の子息等(各上級学校の学生で親の名代)は、礼拝堂の外で参列するか、3度目の葬儀に参列することとなった。
1度目の葬儀は問題なく終了し、イツキたち3人は打ち合わせ通りヨシノリ先輩と合流し、待っている皆と落ち合う約束の場所へと移動する。
イツキが留守だった間、ヤン先輩がしっかりと聞こえるように、ヤマノ組の皆さんに帰りの行程を伝えてある。
それはもう詳しく、誰と誰が馬車でラミルに向かうとか、誰と誰が途中までのんびりと歩いて帰るとか、親切丁寧に情報提供しておいた。
港のレストラン前で集合したメンバーは、いかにも観光してますという雰囲気で、遅くなった昼食を食べる。
レストランの名前まで懇切丁寧に教えておいたので、偶然を装ったヤマノ組のRとTが、少し遅れて食堂にやって来た。どちらも準男爵家の子息なので、葬儀に参列しなくてもいいのだろうか?
昼食後は予定取り徒歩組と馬車組に分かれて行動する。
RとTは、馬車組の6人の後ろを尾行する役目のようで、イツキ、エンター、ヤンの3人には付いてこなかった。
しかし、イツキたちが港から離れて土産屋に移動した頃、ホテルで見掛けた人相の悪い男たちが入れ替わりながら、ずっと着いて来るようになった。
「計画通りだね。それにしてもブルーニって、本当に自分では何もしないんだな」
ヤンは失笑しながら尾行に気付いていない素振りで、しっかり土産を買っている。
「そろそろ軍と警備隊が動き始める。一気に距離を稼ぐぞ。軽く走ってやろう」
「イツキ君、結構意地悪だよね……あのおじさんたち着いて来れるかな?」
「でも、ラミルへは1本道……見失っても問題ないだろう。ヤン、イツキ君行くぞ」
エンターの合図で3人は店を出ると、ゆっくりと走り始めた。そして喪に服して人の少ない大通りを、一気に全力で走り抜ける。そしてまたゆっくり走り、30分も経たない内に町外れまで辿り着いた。
いつもお読みいただき、ありがとうございます。
体調の関係で、更新が遅れ気味になっています。ごめんなさい。
仕事に復帰したら、不死身と信じていた体力が、意外にへなちょこだった(~o~)
継続は力なり・・・を目標に頑張ります。